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カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

集金の人にはつらく当たれども

2011-05-27 | 感涙記
 受診料払ったから元を取ろうってんじゃないが、NHKばかり根詰めて観ている。それもEテレといういわゆる教育番組が中心。
 腹を抱えて楽しいというのではないが、なるほど~、という感じの楽しさ。以前から「ピタゴラスイッチ」は大好きだったけど、おんなじようなものが結構あるんだということに改めて気付いた次第。ネタをばらすと成毛眞さんのブログの影響も大きいが…。改めて意を強くして見るようになったというか。
 「0655」や「2355」はため息が出るほど素晴らしいし、子供番組っぽくて少し恥ずかしい「シャキーン」もなかなかいい。「デザインあ」は素晴らしすぎて圧倒される。永久保存すべきかもしれない。「サラメシ」も楽しいなあ。ダイエット中の身にはつらいですけど。
 「サラリーマンNEO」は存在すら知らなかったけど、へえー、である。そういえば以前に、茂木健一郎が褒めていたかもしれない。英国のギャグっぽいところがあるのかな。
 「美の壺」もいいし、以前は何故か敬遠してた(理由は秘す)「日曜美術館」も改めて素晴らしい。「極上美の饗宴」もいいです。ゆったりした気分の時に、さらにだらだらしながら観たいものです。
 「トラッドジャパン」「Jブンガク」もふむふむ楽しみ。「とっさの中国語」はついついみちゃう。他の言語ものはまったく覚える気も無いけど、酔っぱらえば観るかもしれない。ちょっと子供っぽい演出はあるが、最近のものはその国の事情がさらりと紹介されており面白い。
 「今日の料理」「今日の料理ビギナーズ」「きょうの健康」はまじめな中にもおかしさがにじみ出る感じ。もちろんためにもなるし。アーカイブか何かの再放送の「今日の料理」は、名作の風格さえある。
 「コズミックフロント」「仕事ハッケン伝」「ディープピープル」「猫のしっぽ、カエルの手」も偉いなあと感心してしまう。人間って凄いです。
 あとは落語好きなんで「日本の話芸」も見逃したくないですね。
 大河ドラマは子供が見れば観てもいいかな、という感じ。「ためしてガッテン」は職場の話題のために観てもいいかな。基本ダイエットの時くらいしか見ないけど。

 終わってしまって久しいけど、「深田久弥の日本百名山」という名作シリーズがあった。相川浩アナウンサーの語りが絶品で、VHSのビデオにコツコツ撮りだめしたものだった。ときどきDVDなんかがシリーズで売りに出ているけど、驚くほど高くてびっくりする。
 「ブラタモリ」はいつの間にか終わっちゃったんですね。

 僕はまったく碁を打たないけれど、碁の対局はボーっとするために観たりします。何度見てもぜんぜんわからないし、全然覚える気にもならない。将棋は少しわかるので、観るのはつらいです。

 スポーツは一人で留守番しているときはあまりにさびしくて観るときがあるが、基本的には観ないようにしている。四カ国対抗ラグビーは別ですけどね。特に野球は気をつけて観ないようにしないときりが無い。気になる時は読書と散歩でテレビから逃避します。

 NHK特集は録画したまま放置したものが結構あるようだ。本当は観たかったけど時期を逸したかもしれない。時々演劇も見たくなるし、クラシックもとっておきたい。録画しているという気分だけで豊かになった気分である。ぜんぜんノーマークのハリウッド以外の映画も持っているだけで愛おしいものだ。いつかは観るんだというだけで観ないかもしれないけど。
 そういうわけでハードディスクではとても足りなくて、しかしDVDやブルーレイに移すのがめんどくさいのであります。定期的に映画を観なくちゃいけないし、とても僕ひとりの一生では全部を観るのは不可能なようです。
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空港ジオラマ

2011-05-08 | 感涙記
Knuffingen Airport: Impressionen bei Tage


 ドイツの空港ジオラマ。これを見るためにドイツに行きたくなってしまった。
 いつの間にか封印していた男の子の心が目覚める快感がありますね。いや、もともとそんなに興味があるわけでもなかったんだけど、このわくわくする感情は何なのだろうと、自分でも驚いているのかもしれません。素直に空港で飛行機眺めてもここまで感動できないだろうことが、本当に滑稽なほど不思議であります。
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辻堂海岸の地引き網にかかったジンベイザメ

2010-08-07 | 感涙記
辻堂海岸の地引き網にかかったジンベイザメ


 ツイッター経由で発見。やっぱり大きいしかなり弱っているようで救出も大変だ。
 その後も元気に復帰できたものだろうか。


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びっくりさせる贈り物

2010-05-19 | 感涙記
Mukhtars F遵kdselsdag - Flash Mob - Bedre Bustur


 映画評論家の町山智浩さんのページから孫引き。解説にあるとおり、大掛かりなサプライズパーティのようなものなのだろう。
 巻き込まれた人もいるだろうけど、時間に余裕があれば一緒に祝いたくなるに違いない。
 いたずらには違いないが、誰かにやりたくなる、できれば日ごろ感謝している人に送りたい遊びということである。
 日本だとやりようによっては怒る人が出てしまいかねないので、慎重に計画しなければならないけど…。って、やはり土台が無いので難しいですね。残念ですが。

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大福を四つは食えないが…

2010-04-20 | 感涙記
 妙に早く目覚めてしまい、つれあいが録画しておいた水木さんの出ている番組を朝から観た。奥さんの布絵さんが書いた本がドラマ化されたのを機に、夫婦という視点で組まれた特集もののようだ。
 88になる水木さんは、まだまだお元気そうに大福餅を大げさに頬張っていた。「金持ちになっても本当に(金持ちであるというだけで)しあわせではない。大福餅を四つ食べられるわけではない。三つしか食べられない」とおっしゃっていた。金持ちじゃなくても三つも食べるのか、という話ではありませんよ。でも、水木さんは流石である。
 布絵さんも過去の貧乏時代を振り返って、水木さんの大きな人柄を感じていたということを話されていた。それはゆるぎない信頼ということでは恐らく違う、ご自分の持っている潔い心情と重なった上での覚悟も合わさったものなのではないだろうか。
 結果的に水木さんは諦めなかったわけだし、ある意味で誰もが認めるような大漫画家になっていく。
 苦しい時代も二人は軍艦のプラモデルを一緒につくって楽しんだりしたのだそうだ。それは、やはり楽しい時代だったというのは本当のことなのだろう。
 朝から感動で涙をぬぐって出勤した。僕が諦めずにやれる事とは何だろう。そしてつれあいと一緒に作る軍艦とは何だろう。
 水木さんが僕くらいの年の頃は、ひょっとすると一番つらい時期だったのかもしれない。僕だって諦めるわけにはいかない。
 水木さんは二宮金次郎(尊徳)のような偉人に感心するような人ではなかったようだが、少なくとも僕は水木さんのような偉人には大きく力づけられる。本当に褒められるべき人は、彼のような人なんだと心から思う。
 僕は偉大ではないから、小人としてその力の恩恵を受けて活力を湧きあがらせる訳だ。少なくとも目の前に何にもない人生なんかではない。自由に生きた先輩がその証明を既にしてくれている。これほど心強いことはそうあることではないのではないだろうか。
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登りたい山

2010-04-02 | 感涙記
 バイカー修ちゃん経由でソフトバンクの孫正義社長の講演を見ることができた。本当に感謝。
 バイカー修ちゃんさんは、ちょっと型にはまらない、けれど無軌道とは違ったワイルドな魅力のある先輩だ。弁が立つので(ものすごく話が上手いだけじゃなく、面白い)、ブログだけでなく、お話を聞く機会があれば是非とも聞き逃さないでほしい人だ。なんか日本人というくくりでは、くくりきれない人なんである。そういう機会に恵まれた人は、きっと元気になりますよ。

孫正義社長の講演

 さて、この映像はすぐに見られなくなるらしいから、紹介してもほとんどの人は見損なってしまうのが非常に残念なのだ。しかしそうであるからこそ、逆にしっかり見ることができた人には、大変な財産になるんじゃなかろうかと思われる貴重なものだ。
 僕は一時期世間的な風評も影響してか、巨大に成長を急ぐ新興企業としての危なっかしさを感じていたものだけど、この映像を見て、そんな過去の僕に激しく恥じ入る気持ちになってしまった。
 ほんとに凄いことを考えて実行に移してきた人、そして会社だったんだな。出すぎているので打たれまくっているんだろうけど、ぜんぜんそんなことおかまいなしに伸びてしまったという感じだ。もちろん尋常じゃない苦労があるはずなんだが(話にもそんな側面はしっかり分かるけど)それでも異常に強い巨人(企業)と戦っている以上の志でことを成し遂げようとするから、ここまでブレークすることが可能だったということがよく分かる。しびれるくらい感動してしまった。
 2時間20分ちょっとなんだから絶対に聞くべきだ。そして登るべき山を探す気になりさえすれば、人生の目的の半分以上は果たすことができるのだ。何という魔法的な話だろう。あなたはきっと僕に騙された(と思っているならだけど)ことに感謝すると思いますよ。僕がバイカー修ちゃんさんに心から感謝しているようにね。
 本当にありがとうございました。
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栗城史多 ダウラギリ アタックステージ 本人撮影映像

2010-02-24 | 感涙記
栗城史多 ダウラギリ アタックステージ 本人撮影映像


 登山ってこんな感じだったんだ。

 スポーツ選手なんかにも言えることだろうけど、自分を奮い立たせるって、感謝の気持ちがかなり有効だということがよく分かる。臥薪嘗胆だけじゃダメなのかもしれない。もちろん個人的な向き不向きはあるにせよ、かなり勉強になった。
 このようなある意味ではちっともカッコよくないむき出しの人間の戦いがあるからこそ、挑戦してしまう人間がいるのだということだろう。だからこそ僕らにも感動が伝わってくるのだろう。
 いつも極限に立たされているわけではないが、あきらめずに登ってやろうという気分になるのだった。
 まだまだ、頑張れというだけの立場でいるわけじゃないぞ。
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ねえ、マリモ

2009-08-17 | 感涙記
marimo


 ちょっとずるいけど、そのまんま許容するよりない。
 犬が死ぬのは、言っていけないことかもしれないが、肉親が死ぬよりつらいかもしれない。しかし、また犬を飼ってしまう。それは人間同士で埋められないものを埋めてくれるからではないかと、最近は思っている。

 追記:これは宮崎あおいがいいのは間違いないのだが、大橋のぞみがいいのも結構効いていると思う。と実は後で確認したので紹介する。
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カウントダウン

2009-08-14 | 感涙記
ライオンキングカウントダウン
 我が家の今夏の(恐らく)最大のイベント、ライオンキングを先日観にいった。
 秋に息子が学校の演劇でやるということで、すでに少し前から我が家では流行が始まっていたわけである。ほとんど内容は知っていることはもちろんのこと、結構歌も覚えている(僕までも!)。CDとの微妙な違いも含めて、なるほどと感じ入る余裕もあったのである。しかし、さすがに実際に間近に観てみると、いろいろと思うところがあって途中で涙が出てしまった。本当に素晴らしいというのが第一かもしれないが、まったく息子のおかげであることは間違いない。家や車の中で練習する息子の姿と舞台の人たちの動きがシンクロするのである。実に素晴らしい。
 しかしやっぱり舞台の醍醐味はすごくて、二日酔いと寝不足でフラフラなのに、ちっとも集中力が途切れなかった。人間が躍動して何かを表現するっていうことが、こんなにも感動的だとは…。
 ちょっと今からドキドキする感じもあるが、まだまだ、ライオンキングの楽しみは続くのです。ああ、しあわせだ。
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黒潮の海

2009-07-30 | 感涙記
Kuroshio Sea - 2nd largest aquarium tank in the world - (song is Please don\'t go by Barcelona)


 10月に沖縄出張があって、ちょっと連絡が悪くて一泊延びることになったのだが、これを見ると俄然ラッキーだったと思いなおしたところ。絶対行くぞ。

 世界一といわれるドバイの水族館は以下のような感じらしい。

The Dubai Aquarium


 できれば家族で行きたかったなあ。ごめん。
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46年ぶりの皆既日食・硫黄島

2009-07-27 | 感涙記
46年ぶりの皆既日食・硫黄島


 素晴らしいリポートだ。この映像を見ている者にも感動が伝わってくる。皆既日食は見るというより体験するものらしい。
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日食観察を観察

2009-07-25 | 感涙記
 あれだけ楽しみにしていたのに、日食の件は書かないね、といわれたので…。

 皆既日食の件は、それこそ今年の初めからずっと気になっていた。トカラ列島へ行くべきか真剣に悩んだ。宿泊施設はすでに予約で満杯だという話は一年前から聞いていた。日垣隆や野口悠紀雄も行くらしいという話もうらやましく聞いた。テント道具一式もっていかねばならないだろうから、そういう準備もしなくてはとも思っていた。しかし今年は四月に仕事の仕組みを大きく変えるつもりだったし、6月末からその見直しを仕掛ける必要があることがわかっていたので時期的に微妙であることが第一と、やはりそうまでして、という躊躇があって決断できなかったのであった。
 科学雑誌だけは買い込んで、日食のあれこれを読んだりして気持ちを紛らわしていたのだが、やはり期日が近づくと、だんだんとムードが高まってくる。職場でも日食グラスを製造して一儲けしようかともくろんだりもしていたのだが、学校に10万個配られるとか、いろいろとニュースは聞いていたので、無理かもと勝手にあきらめていた。しかしやっぱりどの店でも売り切れだとか言っているし、なんだか失敗したなあと残念に思っていた。
 今まで日食のにの字も言わなかった人たちまで、皆既日食がどうだという話題に上るようになっていった。ホラやっぱりね、なんて、勝手に思ったわけだが、それは別に僕がどうだという問題ではないのだからホラでもなんでもない。

 さて当日だが、実は仕事で大分旅行の付き添いということになってしまっていて、ちょうどその時間は移動中である。十時前にトイレ休憩のパーキングエリアに停まったおりに太陽を見てみると、すでに少し欠けている。運転手さんが一緒に覗き込んで、「うわっ、本当にはっきり欠けてますね」と感嘆の声を上げると、そのあたりを歩いている人まで、怪訝な顔をして通り過ぎている。日食グラスを手渡すと瞬く間に人だかりが出来る。それを見ているだけでものすごく愉快な気持ちになったのだった。
 結局、やはり11時前にもう一回トイレ休憩を入れましょう、ということになって、日食観察を果たすことが出来たのだった。
 そのときのパーキングエリアでもトイレの周りの人だかりが全員空を見ている。子供と親子連れの数人が日食グラスを持っているぐらいで、あとはサングラスに何かビニールのようなものを重ねている人とか、薄曇りなので一所懸命肉眼で見ようとする人たちが多かった。
 手渡せる範囲で僕のもっている日食グラスを回してもらってみんなで観察。時間にして15分あまりだろうか。僕はなんだかみんなから礼を言われて、奇跡のモーセみたいな気分になって、楽しい時間を過ごした。あたりは薄暗くなって、心持ち冷たい風が吹いて、本当に気持ちいい日食観察だった。
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手がでかくなっていた

2009-06-22 | 感涙記

 父の日というのはあることは知っていたけど、やはり母の日のようになじみはない。僕自身父の日に何かした記憶がない(父の日に父が家にいたことがまれだったのではないか)のだから、当然といえばそうである。
 自分が曲がりなりにも父になって、父の日だよと言われても何となくこそばゆいような、しかし単に飲む口実にはいいような、そんな感じの日のように思っていた。
 そういう訳で調子よく飲んでいたわけだが、なんと息子が肩を揉んでやるというではないか。
 こういうのは肩を任せるというのだろうか。時間にすると5分くらいだったかもしれないけれど、嬉しいというか、感慨深いというか。ずいぶん肩をつかむ手がでかくなったもんだなあ、と、妙に感心してしまったのであった。彼は僕の肩をもみながら、何を考えていたのだろう。
 僕は肩こりには人並みに悩まされたことはあるけれど、散歩するようになって、ずいぶんそういう悩みは緩和されて、そうして基本的にはこりをほぐすということを諦めたら、肩こり自体をあまりしなくなったように思っていたのだけれど、息子に掴んでもらうと、確かにそれなりに凝っていたようで、大変に心地いい。肩がこるのもなかなか捨てたもんじゃないとも考えたのだった。
 さて、来年も肩を揉んでくれるものかはわからないけれど、父としても区切りの日なんだということらしいですね。子供の成長もはやいことだし、あと何年このような時間を楽しめるのだろうと思うと、切ないものであります。
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試合観戦

2009-06-01 | 感涙記

 長男の最後の試合ということなので僕も観にゆくことにした。思い返せば長いというか、いつの間にかこの日が来たというか、行く前から感慨深い。息子は極度に緊張するタイプの人間のようで、まだ正直なところそこまで実力がないにもかかわらず、さらに緊張で試合にすらならないという状態が続いていた。経験を積んでも、素直に活かされてないという感じかもしれない。しかし、それでも性格が極めて真面目なので、コツコツと練習を重ねている。僕は比較的距離があるところから眺めていて、しかしその取り組みかたからは、少しづつ手ごたえがあるようにも感じられるようになってはいた。いつものように不安も口にしているが、それは自分なりの自信があるからこそ、というような内容に変わってきていたからである。いい意味で欲が出てきて、本当に試合に勝ちたいという気持ちが湧いているのが分かる。しかしやはり勝負は厳しい。結果は努力がどうあれ、勝つか負けるかをはっきりと分けて見せるものなのである。
 試合というのはある意味では残酷である。団体戦の組み合わせ上仕方のないことなのだが、息子の試合結果でチームの勝利が分かれるということになってしまった。観ている方にも心臓に悪い。勝負は一進一退。互いに2セットづつ取り合って、最終セットまでもつれこんでゆく。流れの中でも何度か悪い癖が出て、ミスが出だすとスルスルとかえってプレーが軽率になったりしている。点差が離れて初めて間を空けるということをしている。もどかしくつらい時間だ。しかしここからが今までとも違うともいえた。焦ってはいることは確かのように見えるが、まだ勝負が終わっているわけではない。あえて辛抱し相手に打たせるプレーを混ぜたりしている。相手も早く勝負をつけたいという心理が働く。そうしてかえってミスをしてしまうようなのである。決して派手さはないのかもしれないが、強弱をつけて展開をワンパターン化させない工夫もしているようだ。じわじわ追い詰めていき、ついには追いついた。追いつくと相手の焦りも大きくなり、息子のペースになっているのが分かった。そうして最後は自信を持って力強いプレーで押し込んだ。
 本当のところどの程度の実力差があるのかはシロウトの僕には分からないが、この相手と十回対戦して、6回勝てるほどの差があるとは思えなかった。しかし息子は明暗を分ける勝負に勝つことができた。目の前にあった薄くかすんだ不安という視界の悪さが、一気にクリアになって遠くまで突き抜けるような爽快感があった。
勝った瞬間息子は思わず高々と両手をあげて雄叫びをあげていた。しばらくその姿勢のまま堂々と観客席の僕らの方を振り向いている。何かが大きくブレークスルーした瞬間だ。
 僕はこの風景を忘れないのではないかと思った。僕の寿命がどれくらいかは知らない。しかし、じいさんになり寝たきりになったとしても、ふとこの息子の姿を思い出すのではないか。
 会場では我がことのように喜んでくれている監督の先生の姿も見える。はるかに息子より実力が高いチームメイトが駆け寄って一緒になって手をあげてポーズをとっている。本当なら一番困った場面だったものが、いわゆる一番おいしいところをもっていったということになるのだろう。
 息子は勝てたことはもちろんだが、引退せずにまだプレーできること(県大会の切符を手にしたのだ)を何より喜んでいた。これが今まで本番に緊張でぎこちなく手足が縮こまるような精神の持主の考えだというのだろうか。なんだか人間というのは本当に面白い生き物なんだなあと思ったのであった。
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赤毛のアン  anne of green gables-opening

2009-02-16 | 感涙記
anne of green gables-opening



 最初は高畑勲監督と宮崎駿が組んでつくられていたそうだが、途中で宮崎駿が「ルパン三世 カリオストロの城」の制作に入り降板する(投げ出したという話も聞く)。そのためか、このオープニング映像にあるような爆発する少女性というものは段々影が薄くなって、淡々と物語が紡がれるように変化していく。もちろん最初の頃からこの物語は素晴らしいのだけれど、原作に忠実につくられたという素直さが功を奏してゆき、圧倒的な感動作となってゆく。原作をまったく知らないものにも、なんとなく物語は予想させられるところがあるのだが、前半のコミカルな味から後半までの成長したアンの姿を見る頃には、毎回涙が勝手に流れてどうしようもなくなってしまうのだった。もう僕などは思い出すだけでダメなクチで、「赤毛のアン」という単語だけでも、胸がジーンとくるぐらいである。
 この気が強くて賢いアン・シャーリーという女の子が素晴らしいということが、何よりこの作品の基本ではあるにせよ、しかしむしろ、その成長を見守るマリラとマシュウという不思議な老兄妹の姿が物語を観ているものに大きな感動を与えるのだと思う。
 この二人は、今でいう協調性の欠けた変人ともいえる人間なのだが、そのためかグリーンケーブルズという土地に兄妹とも独身のまま二人で住んでいる。この土地は大きな農場になっており、働き手として、そして恐らくこの土地の将来の担い手として、男の子の孤児を引き取ろうということになる。しかし何かの手違いにより(そんな重要なことなのに自分の目で確かめにいかなったということが不思議だが、しかしそれではこの物語が成り立たない)やってきたのは11歳の女の子だった。それもかなり口が達者で偏屈な。
 この二人は間違えてやってきた女の子に翻弄されて困惑するばかりなのだが、しかしそのことで本当の人間性(何がほんとなのかは僕にも分らないが)というものを取り戻してゆき、アンを通して人間のしあわせを掴んでゆくという物語なのである。
 僕は少女時代を送った経験がないないし(当たり前だ)、監督の高畑にしてもアンの心情が理解できないと言っていたというエピソードもあるくらいで、この女の子の考え方はほとんど驚異の世界なのだけれど、しかし、少女という存在のリアリティが感じられるのも確かで、驚きながらも感心しながら観ていた。おそらく原作のモンゴメリの少女時代の考え方もふんだんに投影されていることだろうが、ただの作り物のハリボテものでは決して醸し出されるはずのない、真実の物語がそこには広がっているように感じられるのだ。
 少女は段々と成長していき、宿敵ともいえるギルバートと恋に落ちるのだが、この必然さもかなり強情でありながら無理のあるものでもなく、またマリラの過去にギルバートの父親と何かあったらしいことも示唆され、運命として申し分のないラブストーリーなのである。いわゆるロマンチックじゃないのだけれど、皆が納得し、望んでいることなのだ。
 物語そのものは、そのようなそれこそ皆が望んでいるとおりに運ばれていくかに見える。しかしそのような感想は、物語にからめとられた者がいつの間にかそう思わされて望まずにいられなくなるからこそ、そうなってしまうのである。僕は詩の朗読などに感激するような環境はまったく理解できないまま、アンのことが本当に誇らしく、マリラとマシュウのしあわせが手に取るように伝わってくるのだった。
実は既に涙を拭きながらこれを書いている状態になっていて、観なくても泣けるというほどすごい作品であるという証明であろうと思っている。もちろんこれを観た人には当たり前すぎて、いまさら何を言っているということなのかもしれない。
 このアニメは子供が観てもおそらく本当の意味は分からないのではないかと思う。もちろん子供が観て面白くないわけではないのだが、子供の成長を見て大人が本当に人間的に成長するように、アンを取り巻く物語の力と真実は、大人の鑑賞眼でなければ読み取ることが難しいのではないだろうか。赤毛のアンは、少年少女のために紡がれた物語ではなく、人間のしあわせを追求した真実の物語なのだと思う。
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