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カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

小屋を見せてもらう

2022-04-07 | 散歩

 散歩してたら、この地区のおじさん(とはいえおそらく七十代のお爺さん)が交差する道を歩てきたので、挨拶を交わす。最近畔をコンクリートで固める作業を進めていた。一段落されている様子だったので「きれいに仕上がったですね」とお声がけをした。
 それでこの地区の主に田植えの苦労話を一通り聞かされて、そういえば、というような顔をして、ついて来いというような手招きをしながら元来た道を戻っていく。行きがかり上付いていくしかあるまい。おじさんは手にワンカートンの煙草を掴んでいて、それを新しくできた白いコンクリートの畔の上において、そばにある小屋まで僕を連れていくのだった。線路わきにあるその小屋は、主道路を十時に横切る一番端の突き当りにあって、僕の散歩道からは見えはするものの、どん詰まりというのは容易に見て取れることと、こういう小屋に近づいていって、泥棒と間違われてもつまらないので、あえて近距離に寄るのを避けていたかもしれない。
 間近に見るとこの小屋は、鉄筋で組まれた立派なもので、コンクリートを敷き詰めた土地に直に鉄骨を埋め込んで柱にして、新建材などを壁にしてちょっとした要塞めいた形をしていた。重たい鉄のレールの扉をゴリゴリ押して開いてみると、中にはトラクターやコンバインなどの乗用農業機械が三台ばかり並べられていて、その脇にもアタッチメントでトラクターに接続されるさまざまな農機具が備えられていた。壁側に肥料が高く積まれストックされている。別部屋に仕切られた空間には、プラスチックの大きな水桶が三つばかり並んでいて、水路からの水が自然に蓄えられる仕掛けになっていた。これは消毒液などを中和するのにつかわれるのだろう。また、扉の手前にもう一つ別の空間があって、そこにコンクリートの枠板などの建築資材が詰め込まれていた。真ん中が空いているが、それは小型のパワーショベルがふだんは入っているもので、今は修理に出していて留守にしているのだという。この小屋は、すべておじさんが一人で手作りした代物で、自分が死んでも、誰かが引き継いで使うだろう、と言っていた。場所的に線路わきで一段低いところになっていて、水路から水があふれてこないように、これもコンクリートの擁壁が組まれている。もちろんこれもおじさんの手作りなのだった。小屋には三つばかりサッシの窓が付いていて、おじさんは実は建設業の折に、その窓枠のようなものを作るのを特に得意としていた職人だったのだという。隣町の今もある建設会社の名前を出して、そこに勤めていたということらしい。
 まあ、良いものを見せてもらったとはいえるが、実はすでにお昼休みは過ぎてしまっていた。急いで戻るべきだったかもしれないし、そもそも時間的には見せてもらうのを固辞すべきだったのかもしれないが、それは人間づきあいとして非礼でもあろうかとは思われる。何よりおじさんは、自慢話には違いないが、素人の僕に、実に熱心に建物の建造工程を含め詳しく紹介してくれたのだった。
 またガラガラと重たそうな扉を引き、閉めた後に畔に戻ってワンカートンの煙草を手に取り、僕と一緒に十字路の道まで戻っていった。そうして僕は左に折れて事業所方面へ、おじさんはまっすぐに十字路を登って行って別れた。これからは、こんにちは、の挨拶だけでは済まない関係になったかもしれないな、と帰りながら考えてしまった。
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近所のサウンドスケープ(音風景)

2022-03-24 | 散歩

 歩いていると様々な音が耳にはいって来る。たまに学校のそばを通ると、チャイムの音が聞こえる。最近の傾向なのかどうか知らないが、何かちょっとした短いメロディが流れている学校もある。新幹線なんかでも短いメロディが流れるが、ああいうたぐいのよく知らない曲である。
 学校に限らず、さまざまな施設で大きな合図の音を流しているところがある。やはり近くの集配センターでは、かなり大きな電話の着信音のようなものが鳴る。その後、誰それに電話です、とアナウンスがある。
 田舎に住んでいるので、あちこちにスピーカーがある。これがサイレンや防災や案内の放送をする。地震の時は携帯の奴とも似ている不気味な警告音である。あれはもう犯罪的に嫌な感じである。火事の時は、以前はカランカランと消防車が何かのアナウンスをするときのような音だったが、今は長い警告のサイレンが鳴るようになった。これもやっぱり不安があおられるのか、嫌な感じである。
 夕方と正午にも音楽がなる。正午がシューベルトの「野ばら」。夕方6時が「夕焼け小焼け」のようだ。これは散歩でなくうちの自宅の近所で鳴るので、ひどくうるさく迷惑である。あんなに大きな音で鳴らないで欲しい。ほんとに嫌な感じだ。
 で、自宅だとうるさすぎて単に不快なのだが、たまに外で聞くと、場所によってということかもしれないが、妙に音程がずれて聞こえる。こんなに音痴なメロディだったかな、と思う。そうして鳴りやむときに、あちこちの場所から残像のように音が消えていくのが聞こえる(消えるのが聞こえるという表現は変だが)。いろいろな場所から時間差でメロディが流れるので、音程がずれて聞こえるのかもしれない。そうしてこの微妙な音の外れ方が、妙なおかしみを生んでいる。変な感じなので本当に鳴りやんで欲しいと思う。
 近所に住んでいる独身のお兄さんの部屋から、よくギターと歌声が聞こえていた。何年も聞いているとなんとなく愛着のようなものがわくものである。そうして努力の甲斐あってか、だいぶ上達して上手くなっていた。また、ちょっと前くらいに、女の人が立ち寄っているようなことがあるような気配がしていた。時々女の人の笑い声が混ざって聞こえる。そりゃよかったね~、と思って通り過ぎていたのだが、なんだかしばらくして、今度はステレオから流れる大きな音楽だけになっている。女の人の声は、混ざってはいないようだ。そうして、もう彼は歌わなくなってしまったのだろうか。
 杏月ちゃんと散歩していたころ、ある通りを行くと、必ずクラシックの大音量をながしているお宅があった。杏月ちゃんが死んで、なんだかつらくなって、その通りをその時間帯に歩くということをしなくなった。でも先日久しぶりにそこを通ってみると、やっぱり大音量でクラシックの音楽が流れていた。やっぱりこれは近所迷惑なんじゃなかろうか。まあ、田舎っていうことで、これでいいのかもしれないが。
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大分朝散歩

2021-12-26 | 散歩
 最近は朝は抜くようにしてるんですが、そうするとなんとなくだらだらしてしまって、ちょっと遅めにホテルを後にしました。


 あの金色の集団はなんだ?


 ラグビーのワールドカップが大分でも開催されたことを記念して、作られたものだそうです。先頭の人にちなんで、ライオンマンと言われているようです。
 なかなか不気味でいい感じです。


 大分城址が見えてきた。


 お堀の中ではアオサギが魚を狙っている様子でした。


 木下郁 上田保 先生像。 県知事なんかをした人たちのようですね。


 そこから見える大分県住宅供給公社の建物。こういうの大好物です。古くてかっこいいな。


 でも近づいて裏か見ると、たいしたことなかった。


 時計台のある家。残念ながら時間合ってませんでしたけど。


 こういう側溝溝が好きなんですよね。いい感じです。



 あっちに抜けていくわけね。行先知らんけど。


 長浜神社。婦人病平癒などのご利益があるとか。僕に関係あるんだか無いんだかよく分かりません。



 牛もいた。もう一頭境内にいたけどマスクしてて、そうして目の前に僕を見ているおじさんがいたんで、なんだか写真撮りそびれてしまった。


 あれ、行き止まりかな。と思ったら小学校がありました。


 脇道があってよかったよ。


 来迎寺。


 そのまた前にも寺。万寿寺。


 禅寺らしいですね。


 こういう寺町の近くには、やっぱり小さい路地が在るもので……。


 しばらくぶらぶらいくと、大手町通りに出てきました。ここまでくると計算出来てきますね。


 ふと見ると、ビルの上に何かあるな。


 なんかの宗教なのかな? 


 ここまでくると、まだバスの時間まで間があることが分かりました。


 でも無茶苦茶余裕があるわけでもないので、やっぱりこの辺りをひとまわして散歩終了。バスに乗り込みました。


 帰りの由布岳、少し雪が降ったあとがありました。


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ひさびさ大分市

2021-12-24 | 散歩
 (※実際の日時はひと月近く前のことです。ブログの記事が多すぎて、後回しになってしまいました。というか、もともと僕のブログは時系列でなかったりしますので、悪しからずご了承のほどを)
 久しぶりのリアル出張。高速道路の県外移動も久しぶりって感じです。



 それなりに車も増えているような感じもありますね。一時期は少なかったはずだという、勝手な印象に基づくものですけど。




 この日は、あんまり天気が良くなさそうだったんですよね。


 で、やってきたのは大分市内。中央通りで降り立ちました。ここも久しぶりで、懐かしや~って感じなんですよ。雨が降った後はありますが、ちょうど止んでて助かりました。前の晩にコンビニで折り畳み傘買ってもらってたんで、心に余裕もあります。


 有名な大分銀行赤レンガ館。大正時代の建物なんだとか。東京駅みたいなデザインですが、それもそのはず、同じ辰野金吾の設計なんだそうです。


 ガレリア竹町。江戸時代から賑わっている通りなんだとか。変遷はあるんでしょうけど広く立派です。


 大分市内にはあちこちに彫刻があるのです。そういう芸術にふれる精神をもって配置されているということらしい。で、「レオタードの女」。うん、そうですか。


 一度宿泊予定のホテルに荷物をあづけることにして、ちょっと時間があるんで歩くことにします。


 都町は、夜の繁華街なんで昼間はほとんどの店は閉まってるんですが、そういう昼は目覚めてない感じの場所は、歩くにはいいんです。壁にヒョウだかライオンだか分からないのがいたりします。


 前に来た時朝散歩してたら、ここらの通りに高校生くらいの生徒さんがたくさん通学で歩いてて、ちょっとびっくりしたことがあります。学校への通り道に夜の街ってのがちょっとシュールなのかもしれません。まあ昼間には車も少ないし、安全なのかもしれませんけどね。


 何やら芸術的な人が集うのだろうか? 変な顔の人たちが待っているようだと、なんだか嫌だな。


 まちの案内版も芸術的です。


 とにかくでたらめに歩きたかったんで、目標にしていた建物。近づくとパチンコ屋さんみたいですね。


 なんとなく道が盛り上がってるな、と思ったら橋が架かってまして、住吉川というのが流れてました。



 住吉川改修記念碑。もうちっと説明書きが欲しいな。


 あんまりきれいな川ではないようだけど、暗渠にせず残したんでしょうね。海も近いようだし、何か防災上の意味があるのかもしれません。




 ちょっと歩いていくと念記ってのがあって(後で気づいたけど、記念と読むのかも。それだけ古い?)、大分市が東九州の要衝の地であることとかが書いてあるようでした。確かにおっしゃるとおりでありまして、ここらあたりから瀬戸内方面へ抜けていく航路が歴史的に重要だったことは間違いありません。


 川なんで蛇行して海まで通じているのでありましょう。



 川とは違って人間の作る道はまっすぐに行きたい気持ちが現れております。



 でも何となく曲がった道になるには訳がありまして、それは人間なりの無秩序と歴史の所為というか、予感がします。


 大分念法寺。朱色でちょっと変わってますね。




 さて、時間的には戻らねば。その後は会議でありました。


 そして夜にはフグいただきました(写真はキモです。僕は今も生きてます。たぶん)。



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ルーティンも時間作りから

2021-12-20 | 散歩

 日常の散歩は、わざわざ時間をやりくりして行っている。だから、どうしても忙しくて時間を作れない日がある。ずっと人と一緒で、行動が制限される日もある。そういう日は、歩数に関してはあきらめるよりない。トイレに行き来するくらいでは、何千という歩数になることはあり得ない。よっぽど移動する会議などで、相手も歩くのを厭わないという場合があればいいが、そんなケースはめったにない。むしろ気を使って、タクシーを拾ったりする。まだ時間もあるし歩ける距離なのに、何だかもったいないし、口惜しい。でも相手のためである。少なくとも、そう自分に言い訳している。本当は相手の人も、歩きたかったもしれないけれど……。
 それで結果的に一日目標にしている歩数に達しない日が生まれると、自分の言い訳にしてきた理由などを思い出し、ふがいなく思う。ちょっと用事を思い出した風にして席を立ち、10分くらいフラフラ歩いても良かったのかもしれない。やはり移動時に、さっと一人だけ目的地に歩いて行っても良かったかもしれない。トイレに行くのにワンブロック遠くの建物を選んでも、良かったかもしれない。まあ、それでも焼け石に水だったかもな……。そうも思うが、結局諦めたのは確かだ。僕は敗北したのだ。
 歩く時間が比較的取れそうな、なんとなく余裕のある日だってある。そういう日は逆に、歩こうという意欲が減退するような気がする。せっかく時間があるから、あれも検討しておこうとか、少し丁寧に片づけてみるか、とか。本当に部屋の掃除を始めてしまったりする。書類の下に思わぬ文庫本を見つけて読みふけってしまったり……。いかんいかん。その時間に30分くらいは歩けたかもしれない。そうしてまた夕方になって時間に余裕がなくなったことに気づく。少なくともこれを片づけてから帰るとすると、帰る前に15分くらいしか散歩できない。目標数に2000歩ほど足りないかもしれない。ああ、どうしてこうやりくりが下手なんだろう。夕方かかってきたあの電話が大きかったな。今から片づけられる案件じゃなかったのだ。なんも言ってこないから、放って置いた僕も悪いが、そんなに重要なら、もっと早くからどうにかしてくれたら良かったのだ。
 計画通りにはなかなかいかないので、昼食の後、そうして帰る前の一定時間。必ず外に飛び出して歩けるだけ歩く。雨が激しかったり、そうして別の予定が詰まると、やはりこれもかなわないが、できるだけ決まった時間を確保したい。ささやかだが、強くそう思いたい。
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松山あたりと新空港通り

2021-12-14 | 散歩
 旧長崎街道に出てきた。空地は確か製麺所があったところ。津田板金との間の道を行きます。




 左手がスーパーなどの駐車場。


 右手がラーメン屋さんです。匂いも漂ってますね。



 国道なんで信号で渡らなきゃならないですね。田舎もんにはめんどくさいです。




 で、渡ってきて、左手ビルが連れ込みラブホテル。


 そこから青果市場の方に曲がります。


 で、そのホテル脇の道を行きましょう。幹線道路と並行して通る細い道です。


 いわゆる抜け道と、住宅住民だけが通る道という感じでしょうか。


 松山の県営バスのバス置き場になってます。たくさん停まってて壮観です。


 今は障害者の就労支援施設になっているようですが、以前は大村市の青年団事務所なんかが入ってました。僕は所属してはいなかったんですが、他団体として交流があって、ここでの総会なんかにもお邪魔した記憶があります。二十年以上前のことですけどね。


 で、そういうときの料理や、あの時は弁当だったかな、そういうのをお隣のこのお店から今でいうケータリングしてたんではなかったでしょうか。当時もこんな店があるんだ! と驚いたものですが、さすがに今はやってない様子ですね。


 松山団地。今はちょっとカラフルになって、エレベータが後付けされています。





 そのまま海岸線に出られると思っていたのに、金網で出られませんでした。迂闊でした。この海岸線にはたくさんのカモが飛来してくるので、ちょい有名です。


 仕方なく、元の道に戻らねば。


 でもまあそんなに車が通る道でもないし、ぶらぶら散歩するにはいい道です。 


 こういう路地がいくつか縦横に通っています。


 一応サンセット通りと言われているらしい大通りに出てきました。以前は空港に行くには工業高校前の通りがメインだったんですが、この通りが取って代わって、その後大きく交通量が増えました。



 実はLの会でこの通りの空き缶拾いをする予定なんですが(※この時は実施前に歩いたのですが、すでに現在は実施済みであります)、肝心のごみがほとんど落ちてないですね。わざわざ汚す必要は無いのですが、さて、本番はどうなるんでしょうか。



 以前はこのパチンコ屋さんの一階にうどん屋さんがあって、ウチで取れた米を買ってもらってたんですよね。当時はありがとうございました。



 大衆寿司屋さんの前でお迎えが来ました。今回の散歩も無事終了です。



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水田の路地から、杭出津住宅へ

2021-12-12 | 散歩

 以前は小料理屋というか割烹屋というか、ものすごく古いお店があった。友人がここで飲んでいて意外に思った記憶があるが、僕がその時一所に飲んだ記憶はない。そもそもなんていう名前の店だったったけ?


 奥に元和菓子ケーキ屋さんビル。


 ここも駄菓子を売っていた。ゲーム機なんかもあったかもしれない。


 こっちに行くと見せかけて、素直に歩かない方法を選ぶ。


 自宅を建て替えるときに、一時だけこの辺りのアパートを借りて住んでいたことがある。


 その時にぶらぶらしていて見つけた路地を、ときどき歩きたくなるのだ。


 生活感があって、ここのあたりに住んでいる人しか歩かないだろうこの路地が、いいんですよね。


 こういうカーブになると、車じゃちょっと無理でしょう。




 でも車があるんで、逆方向から入って来るんだと思います。



 猫も居ました。


 以前はこんな風な畑だったのだろうけど、その畑の畔に住宅が立ち並んだのではないかと推察いたします。


 農家というのは田んぼや畑を中心に、その周辺に家を建てるので、昔ながらのところは、車ではちょっと不便です。だからこそ、いい感じの路地が残るのですけどね。


 とにかく対向車が来ないことだけを祈って運転するよりないでしょうね。



 ということで、間もなく比較的表の通りに出ます。


 新しい家が建っていましたが、以前は小さなお寿司屋さんがあったあたりじゃなかったかな。ここのあたりじゃ珍しい江戸前だったような気もしますが、寿司屋に行くような年頃では無かったので(今も基本的には行きませんけど)、あやふやな記憶です。



 その間を抜けていくと、


 小さな公園があります。


 多分もう開いてないだろう商店もありました。


 駐車場向こうの、以前は消防署通りと言っていた通りを越えていきます。


 プロテスタント系の大村教会。


 山崎食料品店。
 この辺りは杭出津住宅と言っていたような気がする。先ほどの水田の住宅地と同じく、おそらく戦時中あたりに区画整地された住宅地だと思われる。駐車場を考えずに住宅が建ち並んでおり、航空廠へは歩いて通う人向けだったのではあるまいか。僕の子供のころは砂利道が多くて、数人で歩くと大きな音がした。



 中尾理容院。


 この辺りはちょっと朽ちてきてる。


 来た道を振り向くとこんな感じ。


 そっち行くと川添竹材の方だが、


 そのまま車が通らないだろう路地に入ります。




 もう方向感覚を失うような細い道が縦横に続く。


 一応出た、という感じだが、路地は続いている。



 まっすぐ突き抜けずに左手の路地に曲がる。




 この先に行くと国道に出ていくことになるのであります。


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本堂川を下る。乾馬場。

2021-12-10 | 散歩
 自宅そばから眺める本堂川(大上戸川)周辺の田圃。



 ここから下に下ることができます。


 急な階段があるのです。


 マックスバリューの裏側。


 コンクリートの隙間から延びるたくましい木。


 世界中から嫌われているグリーンモンスター(くず)。日本の植物は外来種としては脅威であるようですが、日本でも猛威をふるっております。


 川べりに降りてきました。


 子供のころにこの辺りで鯉釣りしてました。そういえば鯉も海外では外来種として驚異的に増殖する嫌われものです。日本のブラックバスやブルーギルみたいなものですかね。


 子供のころにはまったく家の無かった通りでしたが、今は違いますね。そしておそらく右手斜面にも、将来的には家が建つのでは、という気がします。


 橋を渡ると、



 狭い抜け道があります。




 久原梶ノ尾線の道路を渡ると、さらに川沿いに続きます。



 ここは以前は丸太でしたが、コンクリの小さな橋ができました。



 ここは大きな人工的な飛び石がいくつも並んでたんですが、大雨で、なんと流れてしまいました。川の流れの形状も変わり、その後一人のおじいさんがコツコツと石を運んでわたりができています。これも雨のたびに崩れて流されるんですが、またおじいさんが積み上げてくれます。あの人何者なんだろう?


 ここからいったん少し上の道に上がっていって、新しく整備された遊歩道を行きます。


 一応自転車と歩道が分かれているんですが、そんなに人が歩いている様子はないですね。


 藤の川とぶつかるところがちょっとした溜りになってます。


 鯉がたくさんいるんですよ。錦鯉もいるんで、人が放したのもいるのかもしれません。


 カモもいます。


 長久寺橋を渡ります。


 で、車は通り抜けられない道に入ってゆきます。


 線路を渡ります。


 脇道も魅力的ですね。


 子供のころサッカー部の先輩が自転車で飛び出して車にはねられた交差点。それから試合の時は、保護者が配車する規則ができました。僕はよく後輩のお母さんに乗せてもらってたような気がします。その節はありがとうございました。


 乾馬場線を下っていきます。


 この路地も駅方面への抜け道です。あんまり近道でもありませんが……。


 計屋眼科前交差点。


 あっちにある諏訪線の信号と連動して色が変わります。


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諏訪公民館、帰り道

2021-11-24 | 散歩
 諏訪駅前の広めの空間。以前は花壇なんかもあったような気もするけど、高架が掛かるときに無くなってしまった。


 この辺りも戦前戦中にできた住宅街です。


 赤司歯科脇のたぶん赤道。


 諏訪公園。なんか工事中かな。



 説明版には、長崎市の諏訪神社の元のようなことが書いてありますな。一度キリシタンの焼き討ちでなくなったけど、跡地にこのように再興されたもののようです。さらに元々は長野県諏訪郷の旧官幣大社が本社なんだとか。調べて書かれてあることなんでしょうけど、ここがそうなのか、というのは、にわかには信じがたい感じもしますね。




 以前はここに選挙の投票に来てました。おふくろが一番乗りで投票したいっていうので、時間前から来てた頃もあったけど、同じような考えの高齢者って多いようで、結構人がたむろしてた記憶があります。だから一番乗りにはなれなかったんじゃないでしょうか。正確に覚えてないくらい残念な記憶です。



 以前はこっちにお好み焼き屋がありました。社会人とヤンキーが一緒になって飯を食う、稀有な社交場でもありました。




 池田郵便局。



 いわゆる諏訪線に出てきました。僕は子供のころに郵便バイクにはねられたことがあります。まあ、おおらかな時代で、頭打ったけど、他に怪我無かったので大丈夫ね、ということで家に帰ったと思います。ウチでも問題視しなかったようで、車じゃなくて良かったね、という感じだったんじゃないでしょうか。



 ここらあたりに少年キングを毎週とってる友達のウチがあったんだけどな。二度も落雷にあって火事になったりしてるようなところだったけど、跡形もなく分からなくなってしまいました。






 支流にあたります。




 田圃への取水跡でしょうね。新道あたりの住宅地は、以前は広く田んぼが広がっていて、電柱もなく冬場は格好の凧揚げ場所になってました。今は田圃はすべてなくなってしまいました。



 保育園裏の公園。


 シーソー。以前はふつうにどこの公園にもありましたが、怪我して危険だとされ、多くの場所で撤去されていきました。残ってるだけでもえらいもんです。






 タクシーには、ここで曲がるって合言葉みたいになってます。



 坂道横に残る抜け道。こういうところもほとんどなくなってしまいました。


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自衛隊周辺、以前からあるんだろう路地を行く

2021-11-22 | 散歩
 急カーブ途中の住宅の、


 間に抜け道があります。



 陸上自衛隊に出ます。


 何故かナンバーの無い車が多数。


 あっちはハローワーク方面(それにしても変な名称だよね。職安で何が悪いんだろう)。


 突き当り児童養護施設。


 ここも楠並木があります。




 ハマーがたくさん。かっこいいなあ。


 木が高いなあ。


 色違いハマーもかっこいいな。



 この道は自衛隊の敷地の間を抜けるような感じになってます。


 なんだか枝ぶりのかっこいい木がありました。



 自衛隊を囲むまっすぐな道。いかに区画がきっちり分けられていたか分かります。当時の軍の力もあって住宅なども整備されたものと思われます。その前はどんな感じの風景だったんでしょうね。今となっては分かりえないですが……。



 というわけで、区画整備から外れた可能性のある路地に入ります。


 車が行き交うには不便だろうけど、歩く分にはいい散歩道です。



 区画割りされた地域と明らかに違うのは、畑などの形状に沿って、おそらく道ができ家が建てられただろうということが、このような無秩序な路地の入り組みようでよく分かると思います。一見まっすぐに行くような道の先が予見できない曲がり方をしたりします。でもまあこの辺りは子供のころに自転車でウロウロしまくったので、結構知ってるんですけどね。





 でもまあアパートが建ってたり家が建て替わってたりして、子供のころとはやっぱり違うようです。世代も入れ替わったのかもしれません。


 以前は線路わきぎりぎりまで野菜が植えられていたり、そうして勝手にわたる道があったものですが、今は危険防止もあるんでしょうけど、金網にさえぎられて行けなくなっているようです。なんとなく面白くはないです。







 狭いし車が出るには確認が必要なんでしょうね。


 ジャングルのような畑もあったりします。


 丸い石垣は、川から運んだからですが、近くに川なんてないので、わざわざ運んだという富の象徴なのかもしれません。だいたいこういう石垣に囲われたお宅というのは、古い農家や地主さんが多いのではないでしょうか。





 ちょっと広めの道路に出てきた。


 南天みたいだけど違う赤い実がたくさんついてました。



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桜馬場、卜沈 並松、開楽新地

2021-11-20 | 散歩
 かっこいいバイクが停まってますね~。ここはバイクショップってわけではないのかもしれないけど、いわゆる娘さんが女優さんで有名な店の大村店です。事実上ここにお父さんは住んでおられるんでしょう。お父さんは有名なバイク乗りさんで、お客さんはそういう仲間なのかもしれません。


 ここの押しボタン信号長いんだよな。




 車が多くて、警備の人が車の誘導整理をしてました。100均の店がリニューアルしてたんですね。



 向かいが、中古車屋さんとドラモリ。


 コンビニと横断歩道。


 ケーキ屋があって眼鏡屋さん。


 向かいの奥に胴塚があるはずです。


 でも今日はそっち行かず反対側の道を行きます。


 菜園がありますね。


 細長い畑が残ってます。


 きれいに耕された畑、何作られるんでしょうね。


 で、その先が墓所です。


 この中に千葉卜沈の墓があるのです。




 説明掲示板にあるとおり、卜沈さんがここらあたりの地域を開拓させた功績により、何もなかったところが開けた、ということのようです。たくさん植えられた桜があったということで(今もたくさんありますが、あとからの時代のものでしょう)、地名も桜馬場となったようですね。しかしながら並松宿だったところが、どうしてひっくり返って松並になったんでしょうね。卜沈さんとは関係ないかもしれないですけど、気になるところです。



 桜馬場保育園。


 Aプライス横から国道に出ます。ここは以前トヨタカローラだったですね。



 九州教具があって、


 お向かいがドンキです。ここはパチンコ屋さんだったり、居酒屋さんだっけ? 鍋かなんかの店があったよな。それに駐車場通り抜けられるところだったんだけど、今は奥がふさがれております。


 新生電気。


 うちだ屋うどん。


 移転した大村塗料跡。


 ガソリンスタンドがあって、中古車屋さんです。


 黒木医院から自衛隊さん方面へ。


 自衛隊さんの門の側なんで、飲み屋さんもそれなりにあります。


 ここは二十数年前に一度行ったことがあるような気が……。なんてお店だったっけ? 思い出せません。



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放虎原の楠、自動車教習所の裏

2021-11-18 | 散歩
 大村には戦時中第21海軍航空廠という軍事工場がありました。とにかく広い敷地面積だったようで、飛行機の滑走路の街路樹なのに楠のような大木になる木が植えられました。自衛隊の敷地にも楠は多いので、日本の軍隊には楠にちなんだ何かゆえんがあるのかもしれませんね。




 市民病院。訳あって何年も通っております。いつもお世話になっておりますです。何年か前に立派になってよかったです。


 向かい側に太陽食品大村工場。海苔を作っているようです。


 同じ敷地内に長崎冷蔵という会社もあります。直売所もあります。



 で、その向かいに新しくなったうえに移転してきた中地区公民館があります。以前は市民病院の駐車場と大村市の備品倉庫なんかがあった場所です。椅子とか大量に借りに来たりしてた頃が懐かしいです。
 何度かここで会議の予定があったんですが、コロナの関係ですべて中止になったりして、まだここの中に入ったことはありません。まあ、いつかは機会が訪れることでしょう。


 ここにも確かに大楠が植わってたんですよね。多分それの根っこがこれなんじゃないでしょうか。



 お弁当屋さん。


 そのお隣の食堂。お弁当屋さんの娘さんがやっておられるという話は聞いたことがあります。


 斜め前に消防署。その先が警察署。
 消防署にはお孫さんを連れたおじいさんが(たぶんですが)、消防車見学に来てました。署員さんが丁寧に解説している様子でしたよ。
 ここの消防署ではないのですが、つれあいも子供を連れてよく消防車見に行っていたそうです。消防車ってかっこいいですもんね。


 広い敷地に自動車試験場。


 ここの交差点の信号って、点滅してから赤に変わるの早すぎるんですよね。そうして横の信号はすぐに青になります。黙って見てると結構信号無視ともとれる車が出てしまいます。また、信号が変わっても交差点内に高い確率で車が残ってしまいます。ものすごく危険度が高い交差点の一つだと思います。警察署や試験場の前がこれなので、何かの陰謀ではないかとさえ勘繰られても仕方ありません(まあ、考えすぎですが)。


 試験場前は道が細めで、歩道も片側にしかありません。こういうところも区画割の計画性の無さを露呈してます。当時の人たちの事情なんでしょうけど、もう少し考えたらよかったのにね。


 郡岳がよく見えます。


 少し背の高い旅館が二軒見えますが、長崎県には離島が多いので、そのようにはなれた場所から来る人が運転免許の試験を受ける場合などに、主に宿泊するようです。


 写真ではわかりにくいですが、経ヶ岳、多良岳、五家原の電波塔なんかも見えますね。という事は、あちらからもここが見えるはずです。すぐに確かめられませんが。



 ここも事故の多いといわれる小さな交差点前を渡って。


 自動車教習所側にもわたります。


 で、通りたかったのはここの細い路地です。


 教習所にあるニセの線路横断。何となくかわいいです。


 で、路地は続きます。


 レンタルビデオ屋さん、やよい軒、写真屋さん、自動車整備屋さんの裏を抜けていきますと。


 空港通りに出てきました。



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杭出津から協和町

2021-11-14 | 散歩
 杭出津公園。ここで遊んだことは無いな。


 お隣は消防第五分団詰所。いつもありがとうございます。


 旧大村マート跡地。当時はちゃんとした地元スーパーだったけど、今のスーパーの規模を考えると、やっぱり小さかったんだな。車も停めにくいし。


 で、今回の目的の路地とも言っていい通りに入ります。子供のころには自転車でたまにここ通ってました。校区からいっても、あんまり友達の住んでないところなのに、なんで通ってたんでしょうね。謎だ。


 ちょっと怪しい雰囲気が残ってて、いいんだなこれが。今も住み続けてる人がいるんでしょうね。


 古いのは少しずつ取り壊されていっているようではあります。(そうして新しい家が建つわけだし)


 当時の区画整理された場所、って感じかもしれません。


 そうしてお墓のある四つ角に来ます。


 こういうところにひっそりと「妻子別れの石」があります。江戸時代に隠れキリシタンが大勢見つかって、そのうち拷問などで亡くなった人以外で、正式に処刑されることになった116人が、処刑前にここで家族とお別れ接見を許された場所、ということのようです。これから北に数百メートル先のところに処刑場があったようで、彼らはその後首と胴とに分けられ、首は塩漬けにして20日間さらし首になったとされています。その後いまだに胴と首は分けて埋葬されたとされて、一応首塚、胴塚と別の史跡が残されています。暗い歴史の跡であることと、これが当時のだいたいの場所に後から史跡化したようなところがあって、実物はたいへんに質素です。特に胴塚は車で探すには少し込み入った場所にあるので、あまり知られていないかもしれません。 


 ※そういえば、数か月前に桜馬場を散歩していた写真があったな、と思って探してみたら、胴塚の写真撮ってました。今回とは場所が違いますが、参考までに張り付けておきます。(※首塚の方は、原口のかとりストアの裏にあります。今回写真は見つけきれませんでした)




 少し行くと国道に出ます。新しく回転寿司屋ができるらしいですね。新旧激戦の時がやってくるのでしょうか? 大変ですが、食べる分には楽しみですね。頑張ってください。


 近い方の信号で渡って、協和町をのぼっていきます。


 ここ、以前小さい寿司屋だったんですよね。若いご夫婦だったけど、どこに行ったんでしたっけ?


 自販機が憩いの場なのかな。


 石材屋さんの石の跡。



 最近高級食パン戦争が大村市で勃発してたんですが、今はいくぶん落ち着いてるんでしょうかね。その中の一つのある店舗であります。巷間の話題に疎い僕でも知っている範囲でいうと、こういう感じの食パンをプロデュースする人がいて、それをもとにネーミングしているのだそうです。でもまあ訳わからんですけどね。こういう恥ずかしい感じが、キュートでおしゃれで楽しいのでしょう(そうじゃないかもしれないけど)。


 だいちゃんもあります。


 ここの交差点は昔からの抜け道って感じがします。今はどうなんだろう。


 買ったことないけどたこ焼き屋さん。


 今は閉店した協和飯店。息子が小さいとき店で大泣きして、つれあいは何にも食べられなかった(あやすために店外に連れて出たために)悲しい思い出の店でありました。


 工業高校。大鍋とかバーナーとか一式お借りしたものです。当時はありがとうございました。


 そうして自動車教習所。
 これ、なかなか他の地区では信じてもらえないことがあるんだけど、大村市の若者の多くは、自動車学校ではなく自動車教習所で車の運転の訓練をして、そうして試験場で一発試験(実際は何発かする人が多いかもしれないけど)を目指すのです。自動車学校では運転実技をパスすることができますが、試験場なんだから、実技試験もやっているわけです。若くて要領のいいひとなら、わずか数万円で免許を取った、という話はザラです。けっこう女の子でもそういう人はいるんで、やっぱりこういう技能は若いうちが有利なんでしょうね。もちろんそれなりの技能を習得しなければ試験を受けるレベルでないことは明確ですので、教習所の先生が太鼓判押すまでは、試験を受けさせてくれないかもしれませんけどね。
 車が無いと、なかなか生活が厳しい世の中にあって、人生でもっとも真剣に勉強する場所、ともいわれています。学科で落ちても免許もらえませんもんね。
 皆さん、頑張ってください。そのあとの安全運転もよろしくお願いします(お互いに、ですね)。


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古町、本教寺

2021-11-12 | 散歩
 

 当時交通センターって言ってた自転車等の教育施設が、今は放課後学童クラブになってました。 


 校舎前の砂利で敷き詰められていた土地は、以前は給食センターでした。給食当番の時だけ入れる、秘密の場所って感じだったけど、実際の中身はどうだったかほとんど記憶にありません。更地になると、大して広くなかったんだな。


 いわゆる裏門。昔はここからも車が入って、中庭にも車停めたりしてた記憶があるんだけど、当時は児童も多かったしね。


 よく見ると池田小学校当時の門柱と書いてあるみたい。明治のものか? 日付は分かりませんでした。


 幼稚園から外は市民菜園が広がっております。


 こういった溝を見つけては潜って遊んだもんです。


 自転車屋さん、すっかり風格が……。もうやってないんだろうね。


 焼肉屋さんの前を渡って。


 なんか古い家だよ。


 ここは一時期パン屋さんだった。


 本教寺前を下ります。


 脇門。奥が社務所。


 正門。奥が本堂。子供のころなんかの合宿したことがあるけど、あれは何だったっけ? 子供会かなんかの行事だったのだろうか。内容はまったく忘れてしまったよ。


 保育園前の標識。これはもう役立ってませんね。


 石碑があるけど、とても読めない。


 こども園にはウルトラマンがいた。あの頭は、何ていうウルトラマンなんだろう。僕はこういうのは詳しくないのです。今の園児はどう思ってるんですかね。蹴って遊んだりするんだろうか?


 家の軒下の井戸。この井戸まだ使ってるのかな。


 道にこのような石碑があったりして、何かの案内とか目印だったのかもしれません。(長崎街道あとらしい)


 微妙に段の団のあるカーブになってます。まっすぐではならない理由が、当時にはあったのでありましょう。(つづく)



コメント (2)
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子供のころの通学路をたどる(西小まで)

2021-11-10 | 散歩
 以前は、出張の折などに、そのまちを歩いた写真で、僕のお散歩を紹介しておりました。でもまあ、コロナ禍という事で、毎月上京していたような生活が一変してしまいました。それでもいつかは戻るだろうな、と漠然と思ってたんですが、なかなかそうはなりませんでした。戻るには戻るでしょうけど、そのうち僕の立場も変わりそうなので、結局もとには戻らないようですね。


 そういうことで、別段散歩をしなくなったわけでもないので、普段のご近所の散歩風景をたどってみるものもいいかもな、と思ったわけです。


 この辺りは移転する前の床屋さんがあったところ近辺。僕は爺さんお父さん息子さんと三代にわたり頭を刈っていただきました(感謝)。
 また、僕が子供のころには、戦争か何かの事情で一人暮らしをしているおばさんが住んでました。さらに時を下ると、僕が赤ん坊のころに、一時期家族で住んでいた時期もあったのだそうです。今、母に聞いたところで噓を言うに決まってますから、正しいことはもうわからなくなってしまいました。


 池田の堤あたりから流れてくる川の支流。ほとんど排水溝みたいに思ってたけど、子供のころには降りていってクサガメとかスッポン捕まえてました。登校時に夢中になって遊んで、気が付いたらすでに3時限目というのがあって、学校行ったら叱られて面白くないので(それに服が濡れてたし)、そのまま帰ったりしてました。小学生の頃の僕は自由人でしたね。



 川を渡した水道管。以前は遊ばないように有刺鉄線でぐるぐる巻きにしてた頃もあったな。今も現役なんだろうか。


 元々はもっと粗末な木の橋だったと記憶するのですが、建て替えがあって、さらにコンクリートの橋もできたように思いますが、そのあたりの時系列には自信がありません。木の橋の方は、かなりみしみし軋みがあって、それなりに危険な状態になりつつあります。まあ、軽い子供が渡るくらいは、耐えられるのかもしれませんが。




 で、この川の際の細い道は、元は砂利道で、さらに手すりはありませんでした。ふざけながら歩くと、何度も落ちそうになるスリルがありました。ひょっとすると本当に落ちた子もいたのかもしれませんね。


 この辺りの家の中から大声で電話する人の声がダイレクトに聞こえてきたりしました。それも二軒も。住んでおられる方の高齢化率が高い地域なのかもしれません。


 年季の入った自動販売機。


 年季の入ったバス停留所。


 子供のころにはなかった諏訪駅。高架が新幹線。


 小さい駅ですが、ホームは長くとってます。一時期は工事のために、これより100メートルくらい奥に駅が一時移転されてたこともありましたが、また元の位置に戻ってきました。


 少し歩いていくと出口小児科のわきに細い道が伸びています。



 これは西小児童の通学路なのです。たまに中学生も通りますが、いわゆる赤道なのか、抜け道になっているのです。


 出てきた。



 ご成婚記念樹(大正天皇?)のものらしいですね。



 聞くところによると、運動場の方にあるひときわ大きな学校のシンボルでもある楠は、大正天皇即位(1915)に植えられたものだそうです。(つづく)
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