目が覚めて、窓の外には桜島。確かにこれは絵画のような美しさですね。鹿児島の人にこれが影響しないわけがない存在感であります。

という事で朝ご飯。けっこうな人が宿泊していたらしく、7時前から行列ができてました。

そうして食後のお散歩です。

何となく時代を感じさせられる娯楽施設。

海から見える桜島。釣りしてる人とか、体操している人とかもいました。

散歩にはいいコースでしょうね。

でもまあ民家は少ないんでしょうね。人はまばらであります。

企業のビルとか役場の建物なんかもあります。

天保山シーサイドブリッジだそうです。橋のたもとでタバコを吸ってる青年が居りました。喫煙者も肩身が狭い世の中になりましたね。もっと海を観ながらふかしてみてもよさそうなものですけどね。そうもいかないのかもしれません。

甲突川(こうつきがわ)という川の河口です。なかなかに広い。上流に上ると桜並木なんかもあるということです。

適当なところで曲がってみます。

漁船が数隻係留してました。

後で調べたら、天保山公園というところのようです。少年野球ができるくらいの広さがあります。

薩英戦争の号砲跡だそうです。この戦争で薩摩藩は最新の軍備の必要性を学んだとされています。一つの藩が英国と戦争をするというのも驚くべきことですが、負けた後にすぐに英国に留学生を送り、素直にそれを学んだという合理性も薩摩藩の凄さという気がします。つまるところ明治維新は、薩長の軍備で脅しまくったために倒幕できた、というのが実情のようですしね。今の日本はこの経験が無ければ、現在のようにもならなかったかもしれません。


しかし、見ても何がどうだかよく分からないです。

なんか砂っぽい土が多いとは感じていましたが、桜島の灰なんでしょうね。大変だな。

共月亭。中国長沙市との友好都市記念碑なんだそうです。写真では松林であんまり見えませんでしたね。失礼しました。

道の反対側になんかあるな、とは思ったんですが写真には撮りませんでした。あとで調べると、坂本龍馬新婚の旅碑というのがあったようです。何でも龍馬が凄いというのは誤解も多いこととは思いますが、新婚旅行のようなことをしたのは事実らしく、よくまあ奥さんを連れて遠くまで歩き回ったものであります。お金も時間もかかったでしょうけれど、当時はどんな感じだったんでしょうね。
