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カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

鹿児島2 海の側を歩く

2022-10-16 | 散歩

 目が覚めて、窓の外には桜島。確かにこれは絵画のような美しさですね。鹿児島の人にこれが影響しないわけがない存在感であります。


 という事で朝ご飯。けっこうな人が宿泊していたらしく、7時前から行列ができてました。


 そうして食後のお散歩です。


 何となく時代を感じさせられる娯楽施設。


 海から見える桜島。釣りしてる人とか、体操している人とかもいました。


 散歩にはいいコースでしょうね。


 でもまあ民家は少ないんでしょうね。人はまばらであります。


 企業のビルとか役場の建物なんかもあります。


 天保山シーサイドブリッジだそうです。橋のたもとでタバコを吸ってる青年が居りました。喫煙者も肩身が狭い世の中になりましたね。もっと海を観ながらふかしてみてもよさそうなものですけどね。そうもいかないのかもしれません。


 甲突川(こうつきがわ)という川の河口です。なかなかに広い。上流に上ると桜並木なんかもあるということです。


 適当なところで曲がってみます。


 漁船が数隻係留してました。


 後で調べたら、天保山公園というところのようです。少年野球ができるくらいの広さがあります。 


 薩英戦争の号砲跡だそうです。この戦争で薩摩藩は最新の軍備の必要性を学んだとされています。一つの藩が英国と戦争をするというのも驚くべきことですが、負けた後にすぐに英国に留学生を送り、素直にそれを学んだという合理性も薩摩藩の凄さという気がします。つまるところ明治維新は、薩長の軍備で脅しまくったために倒幕できた、というのが実情のようですしね。今の日本はこの経験が無ければ、現在のようにもならなかったかもしれません。



 しかし、見ても何がどうだかよく分からないです。


 なんか砂っぽい土が多いとは感じていましたが、桜島の灰なんでしょうね。大変だな。


 共月亭。中国長沙市との友好都市記念碑なんだそうです。写真では松林であんまり見えませんでしたね。失礼しました。


 道の反対側になんかあるな、とは思ったんですが写真には撮りませんでした。あとで調べると、坂本龍馬新婚の旅碑というのがあったようです。何でも龍馬が凄いというのは誤解も多いこととは思いますが、新婚旅行のようなことをしたのは事実らしく、よくまあ奥さんを連れて遠くまで歩き回ったものであります。お金も時間もかかったでしょうけれど、当時はどんな感じだったんでしょうね。


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鹿児島1 桜島との再会

2022-10-14 | 散歩
 今回は結構朝早かった。5時前には起きて、すぐにご飯を食べて、新聞読んだりしてたけど、本当はトイレ問題があったんだけど、あえなく時間切れで、新幹線に乗ったのでした。


 快適なのはいいんだけど、前回紹介した通り、絵にはならないので、リレーかもめに乗ったあたりから、車窓の風景はいい感じになります。
 そんでもって乗り換えて、トイレも都合なんとか二回くらいで済みまして、鹿児島入りすることが出来ました。めでたし、めでたし。
 

 朝から出発して、鹿児島での10時の会議に出席できるなんて、まるで夢のような話ですよね。長生きしてると、いろいろと感慨深いものがあります。以前は飛行機や、自家用車でしか行ったことない土地ですからね(いや、考えてみるとそれ以外もあったみたいだけど)。


 そうやって会議して、リハーサル見学して、ともかくどういう訳か時間がたくさんあって、ものすごく雑談が長くなって、いろいろとお友達が増えました。話せば長くなるけど、僕の場合種別が基本的には違うので、そもそも知り合いは少ない分野なのですので、会う人会う人新しいお友達であります。


 それから缶詰の研修受けて、失礼ながら必死で眠気と戦って、後半の発表は素晴らしかったので感銘を受けたりして、やっとチェックインであります。このホテル、廊下が膨らんだように曲がってるんですよね。このからくりは後程。


 ずいぶん格式がある様子も分かりますが、それなりに歴史も感じます。


 部屋からは当然のように桜島。確かに絵画のように素晴らしいです。


 後で聞いたんですが、この辺り一面は埋め立て地らしくて、かなり平坦な感じが広がっておりました。


 大規模な娯楽施設なんかもたくさんあるようです。


 改めて外に出て、ほぼ同アングルの桜島。


 実は十階の部屋でありながら、バルコニーに出ることが出来るのです。誤って落ちたら間違いなく死ぬでしょう。そういう宣伝のためではありませんが、勇気あるホテルであり、やはり歴史があるのでありましょう。





 下界に下って散歩いたします。


 あれが泊りのホテルですね。


 実はこの辺り、PTAできたことがあるんですよね。もう十年くらい前になるんだろうか。懐かしいと言えば、そんな感じですかね。あの時も、いろいろ脱線した覚えがあるけど、楽しい思い出かもしれません。


 ともかく、店舗の余裕のある街並みって感じでしょうか。


 秋になって多少気温が下がってますが、しかし、西日が当たるとやはり暑いです。


 この辺りの様子が、なんとなく違います。


 たぶんですけど、この川のようなところを境に埋め立てたのだろうと推察いたします。川というより引き込みの海なんでしょうね。



 おそらくヘリポートのある立派な病院がありました。


 だんだんと次の会合の時間が近づいてきましたね。


 何となくウェストコーストの雰囲気があるような。行ったことないですけど。


 中にまでは入りませんでしたが、通路の感じは歩いてみます。


 駐車場もたくさんの車で、思ったより人が入っているのかもしれません。


 帰ってきたよ。外から見ても反ってるの分かりますよね。



 あの真ん中あたりが泊ってる部屋なんだけどな。

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宮崎3 やっとリレーかもめ体験致しました。

2022-10-06 | 散歩
 ゆったりした朝時間を満喫して、さて、そろそろ移動しなくては。


 宮崎は同じ九州だけど、北側にある長崎より南国感が強いのです。朝なのに日差しが強い感じだもんね。昨夜聞いた話だと、これでもだいぶ涼しくなったらしいですがね。まあ、そのあたりはおんなじようなところはあろうものの、感覚としてはこっちのほうが暑いです。


 忽然とある空き地。日本たばこのものらしい。落書きはヤンキー文化なんでしょうか。
 

 この辺りは官庁街みたいで、その周辺で働く役割のお仕事の関係者の事務所なんかも多いようです。

 

 別段住んでいるわけではないですが、こうした役場というのは建て替えとか高層化が進んでいるように思います。これは宮崎に限らずというところでしょうか。


 でもまあ朽ちていく建物もあるわけで、そのコントラストがまちとしては面白いですね。


 これに民家が混ざると、さらに混沌としてきます。


 ひとには生活の場があり、働く場があるってことですかね。


 この日はオンラインでの研修なんですが、僕らはリアルで集まってますので、ホテルの会場でオンラインの画面を眺めてお勉強です。世の中なかなかにシュールなことになってきました。

 午前中の研修を終えて、昼ご飯。自然食のようなものを大切にしたビュッフェの店でした。ごちそうさま。


 午後も頑張って研修受けてたんですが、他県の役員の方は次々次の予定とかで退席され、なんと会場でモニター見ながら研修受けた人は、僕一人になってしまいました。皆さん忙しいのは分かるけど、そりゃないよ、って感じっすかね。まあ、一人で会場の部屋独占して、おやつまで頂きながらお勉強いたしました。


 そうして夕方無事研修会終了。宮崎の皆さんにお礼を言って退出致しました。後は帰路にたつのみ。外は熱気の圧力がありました。


 できるだけ日陰を歩きます。


 バスだと二つ停留所くらい。歩くと20分くらいかな。だとしたら、やっぱり普通歩きますよね。暑くなければ、ってことだけど。


 で、宮交シティ。着きました。
 実はここで結構時間があって、着信に気づいてなかった電話の返信や来週の予定の打ち合わせなど、せわしなくやり取りしてました。金曜日だったもんね。汗だくのままショッピングセンターの中で電話しながら歩いてる後期中年男性というのは、たぶん異質だったんじゃなかろうか。それにしても冷房の設定温度、宮崎は高すぎるんじゃなかろうか。汗がなかなかひかなくて、困りました。


 後はバスに乗って帰ります。
 車窓からは宮崎霊園。


 そうして暗くなって新八代に到着。何となくわくわく感があります。


 やっぱり新幹線の座席のゆったり感は格別ですね。
 で新鳥栖に着きました。



 今度は帰りなのでリレーかもめ体験ができます。まあ、その前の待ち時間があるわけですが。


 僕にも佐賀の知り合いはそれなりに居りまして、長崎新幹線の影響で、佐賀の特急電車は減ることになって、かなり不便になって困っているそうです。佐賀は事実上福岡圏のベッドタウン化しているところでもあって、そういう立地上の利点が損なわれるという事なのかもしれません。期待している地区もあるにせよ、世論は分断されているという事かもしれません。確かにそれなりに乗客の乗った電車が通りますので、通勤通学にはいいのかもしれませんね。


 でもリレーかもめ。これは快適でした。というより、すぐ武雄温泉について、同じホームですぐ乗り換えて、すぐに新幹線発車です。


 新幹線に乗ると十数分で大村に着いちゃいます。ゆったりしている暇さえない、って感じっすかね。


 新大村駅の五色塀。
 ただいま。


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宮崎2 泊りのホテルと会場の関係で散歩三昧

2022-10-04 | 散歩
 シャワー浴びたら夕方になってました。
 懇親会場まで、また歩きます。


 せっかくだから、少し違う道を行きましょう。


 有名になった県庁(裏)ですね。


 新しい建物も県庁関係みたいだな。


 あ、ここにもレタス巻き元祖の店が。大村の人にとってはデジャビュ感が……。行ってみたいけど、また今度という事で。


 うーん、まだ早すぎるんだよね。着いちゃったけど。


 ちょい遠回りすると、なにやら怪しいことがたくさん書いてある建物がありました。なんでもそのスジでは有名な精神科クリニックみたいですね。信念がありすぎて、こうなったのかもしれません。


 妙なお寺もありますな。浄土宗のお寺さんだそうです。


 人生の分かれ道。あなたはどっち行く(実は向こうから来たんだけど)。


 という事で、改めて会場に着きました。
 ずっとコロナで会えなかった面々。三年ぶりくらいなのか。それと今回準備をしてくれた宮崎の皆さん。ちょうど一緒に話をしていた人は、もう定年なんだそうです。まあ、僕も業界人として長くここにいすぎていて、若輩者なのに、そういう立場の人たちと一緒に仕事をすることばかりになりました。出会いあり別れあり、ってことでしょうか。


 終わって外は雨でした。傘買って、ぼちぼち歩きます。


 でもまあやることないし、かといって一人でスナック行って呑み直す気分でもないしな。だいたい一人でバーで飲むような人でも、ないのですよ。飲んでもいいけど、かっこつけてる自分に失笑するような、変な自意識があるのです。


 だから繁華街をぶらぶらして、店探すふりして、素通りするだけなのです。


 散歩なんてそんなものですから、これでも楽しんでるんでしょうね。


 ということで、やっぱりコンビニでつまみを買って飲み直すのでありました。本読んでもいいし、テレビ見てもいいし、これはこれで楽しいのでありました。


 12時前には寝たとは思うんですが、何故だか急に目覚めたのが5時20分ごろ。寝直そうと思って真っ暗な中、ごろごろしてたんですが、やっぱり寝られない気がして、結局起きて携帯いじったりして余計に目が覚めて、はっと思ったらいつの間にか6時過ぎてて、そういえば朝飯! と思ってビュッフェに行きました。



 僕は朝ごはんには納豆なのに、宮崎のビジネスホテルには納豆が無いのかな? 見つからないのは仕方ない。でもまあおいしい朝ごはんだったので、それはそれでいいのです。
 という事で、食後のお散歩。


 朝の飲み屋街というのは、なかなかにいい気分の散歩コースなんですよ。


 昨夜の喧騒は何だったのか、という感じならいいですけど、たまにすれ違うおじさんが、早起きでなく、飲んだくれという場合があります。写真には撮りませんでしたが、階段で寝ている人もいたようですね。そういうのを含めて、楽しいのかもしれません。


 こういう感じが、夜には良かったりするんですよね。昼だとちょっと歩きづらいですよね。


 何年も前ですが、この辺り連れて行ってもらったことがあります。入ったのどこだったかな?


 丸万もあるんだな。


 あっちに行けばだんだんとビジネス街になっていくのかな。このコントラストも繁華街の醍醐味ですね。


 という事で朝の散歩終了。
 またコンビニで新聞とコーヒー買って、部屋でゆっくりしますかね。これがまた、出張の楽しみといいますか、なんといいますか。では、みなさんごきげんよう。


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宮崎1 新幹線乗りましたよ!

2022-10-02 | 散歩
 今、マイホームタウン近辺では大変に盛り上がっている新幹線。僕もやっと乗ることが出来ました。
 今だから言うけど、建設中立ち入り禁止だったけど、何度もふらふらと入り込んで見物してました。日曜は人がいないので誰にも注意されなかったんだよね。あたらめて完成品を見ると、立派になられました。


 ちょっとピンボケになっちゃったけど、駅のホームは初体験です。


 でね、あまりにあっという間に武雄に着いちゃって、写真撮る間もなかったよ。トンネルばっかりとは噂には聞いてたけど、ほんとにそうだった。さらに囲いが高くて風景も山の上の方の木々くらいしか見えない。これは単に乗ったってだけの体験だな。僕は指定席だったけど、自由席はかなり余裕があったんで、経営大丈夫かな、とも思いました。まあ、ぎゅうぎゅうで乗れないってこともなさそうなんで、今後も快適に乗れていいですけどね。また後で書くことになると思うけど、新幹線のポテンシャルはやっぱり凄くて、ほかの乗り物とは格段に違う快適さは素晴らしかったですけどね。

 ふつうはリレーかもめですぐ乗り換えられるんだろうけど、僕は博多に行くわけではないので、乗り換えに時間がありました。なので武雄温泉駅周辺探索です。

 お、空になった交番があるよ。


 駅の風貌はこんな感じ。


 向かい側に新しい交番がありました。移転したんだね。お巡りさんがパトカー掃除してました。ちょっとのどかですね~。
 何故か僕はおばあちゃんから道聞かれたりして、結局バス停までご案内いたしました。この辺りの事情は知らないけど、一緒には探せますんで。


 乗り換えで、みどりって特急に乗ったんだけど、元かもめじゃん。 


 でも外の風景はちゃんと見えるし、乗ってて楽しいのはこういう列車ではありますね。本は読んでたけど、外眺める時間のほうが長かったですね。汽車(電車だけど)の旅はやっぱりこれだな。


 そんで新鳥栖で乗り換えて、鹿児島新幹線に乗るのです。


 この新幹線はトンネルばっかりじゃないんです。高架で走る新幹線は、やっぱり風景がなくちゃね。



 で、これもまあ、ほとんどあっという間に新八代。また乗り換えです。


 ここにもくまモン居た。


 これ、なんだろね。よくわからんが、アートなのか。


 ここからはバスで移動です。けっこう乗ってましたね。以前は長崎からも宮崎行のバスはあったんですが、たぶんコロナのせいで今は休止中のようです。飛行機もあったんだけど、これもなくなったのかな。そういうことでなのか、新八代は新しい交通網のハブになってるみたいですね。八代亜紀さんは八代出身だそうだけど、どのあたりなんだろ。松中信彦ミュージアムもあったんで、彼もここらあたり出身なんだろうね。子供のころに「やつしろ」じゃなくて「やっちろ」って発音で聞いた覚えがあるんだけど、さてほんとはどうなんだろうね。

 教会じゃなくて、結婚式場だろうな。なかなかに立派です。


 バスの旅も又良し。本読んだり風景見たり、またウトウトしたりしてると、宮崎着いちゃいました。
 今回下車したのは宮交シティ。イオンのショッピングモールにもなってます。


 一瞬昼飯でも食おうかと思ったんだけど、まあ時間も時間だし、会場まで歩いていきます。
 南宮崎駅。とにかく外に出ると暑いです。この暑さで歩くのは、ちょっと失敗したかな。


 マックもあるし、並木も南国ですね。


 大淀川渡ります。
 九州ではあんまりない風景ですよね。暑いけど風があってなんとかなりました。


 あそこに見えるホテルが目的地です。


 屋根の破れた休憩場所。


 ここで階段降りて、橋のたもとをくぐります。



 それで汗びっしょになりましたが、会議は無事に終了。余分な発言しかしなかったのが反省点。すぐに忘れますが……。

 この日はせっかくだから懇親会があるんです。でも僕は、泊りのホテルが違うんですよね。こういうのは事務局に任せてるんで、僕の意向ではありません。しかし、日ごろ繁華街に近い方がいいかもっては言ってたかも。忖度してくれたのかもしれませんが、おそらく宿泊料金を勘案した予算の関係でしょうね。


 まあ歩いても行けるはずなんで、ぼちぼちと。


 実際宮崎って何度も来てますもんね。この道もカンで何となくでも行けてしまいます。


 あっちの方が繁華街ではありますね。


 でも、思ったより遠かったな。結局汗だくになったので、シャワーして整えて参加することになったのでした。


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猫の集会はバレている?

2022-09-25 | 散歩

 そんなに猫の多い町に住んでいるわけではないが、猫とはすれ違う。ほとんど僕を意識している猫ばかりではないが、まったく無視しているわけではなさそうだ。時々おっ、というような表情をする奴もいるけれど、僕が近づいていくような方向である場合は、ちっ、面倒な奴だな、といった風に足早やに姿を消したりする。そういう態度を取られると、なんだか少し悪かったかな、という気分になる。僕が歩いているのなんて勝手なことだが、猫に影響を与える歩き方をするのは、なんだかすまない思いを喚起させるのかもしれない。
 町道の一番大きな通りのちょっと上の方のお宅に、猫の集まるところがある。おそらくその家で数匹は確実に飼っておられるのだろうと推察するが、それ以外のご近所の猫も、ついでに集まっているのではないかとも思われる。年に二度くらいは、子猫が増えているような気がしないではない。そういう猫が道に飛び出すとヒヤッとするが、ひかれているのかどうかまでは知らない。僕は線路も時々歩いているが、線路そばで猫が死んでいるのは数回見たことがある。でも、翌日には死体は消えている。誰が片付けたのかまでは知らないのだが、この辺りで田んぼを作っている誰かではないかとは思っている。もしかするとあの猫の多いお宅当たりのおじいさんではないかとも思うのだが、それはそのあたりの数人のおじさんたちを含む人々が、線路そばの田んぼも作っているらしいことを知っているからだ。田んぼから線路が見えて、猫が死んでいるのも確認できるはずだ。そうして片付けてくれているのではないか、と勝手に思っているのである。
 それで、いつもではないが、その猫の集まるお宅の猫を写真に収めてみようかなんて気を起こすことがある。猫の集会というのがあるのはよく知られていることだが、そのような集会が行われているようなときに、写真を撮れば面白いのではないか。猫の集会は何故行われているのかという目的は謎だが、定期的に開催されていることは間違いが無くて、それに僕は確かにこの辺りで集会があることを、何度も目撃しているのである。猫たちは思い思いに集まりはするが、じゃれあったり、実際に話をしたりしている様子はない(当たり前だ)。集まりはするものの、一定の距離間のようなものがあって、ただ、皆で佇んでいる。いつも何匹かいるお宅の玄関の前のこともあるし、農具倉庫の影の時もある。一段下がったところに小さな田んぼとのすきまに柿の木があって、そこの三角の空いたスペースがある。そこでも見たことがあるし、その田んぼの先にコンクリートの坂道の途中で縦長に集まっていたりもした。ともかくここいらの近辺での集まりに意味があるに違いない。
 それで今日はどうかな、という感じで時々覗いているのだが、そう思っているときには、なかなか本格的な集会は行われないものである。数匹はいるのだが、若い猫はすぐににげてしまい、集まりの形態が簡単に崩れる。年配らしい茶の少し太ったやつは顔だけは動かすが、本当に近づかない限りは逃げたりはしない。皆もその茶に見習ってほしいものだが、一匹が反応すると、数匹はすぐに連動して動いてしまう。僕が集会に興味があることがすでに知れ渡ってしまったのだろうか。仕方がないので、あきらめて、別の道を行くしかない。いづれは何らかの形で、集会に出くわすこともあることだろう。
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青森その2

2022-09-19 | 散歩
 会場までのシャトルバスはあるんですが、歩いていこうと思ってロビーに行くと、顔を知った先輩がおられて、一緒にタクシーに乗せてってくれるという事で、お供しました。しかし大会が始まるまで一時間以上あったんで、結局外に出て散歩しました。(まるで僕の人生そのもののようだ)

 いきなりいい感じの床屋さんがあって、ちょっと感動しました。



 バイク屋さんがあって、ほとんど除雪車売ってました。すごいな。


 文化会館前に「若き日」と題されるブロンズがありました。女子師範学校の跡地なんだそうです。


 式典やら基調報告やらを聞いて、おおすじ今回の方向性を把握して午前終了。

 分科会前にお弁当食べました。


 そのあとも夕方までお勉強して、懇親会があって、ものすごく大きな法人の方とお話出来たりして、なるほどなあ、と思いました。ウチとはスケールが違いすぎます(数百億円規模だって! そんなところ、ほんとにあるんですね)。でもまあ、凄いところは凄いなりの歴史があるようで、戦争やらいろんなことを体験して、行政や政治の前に、いろいろやってこられたんだ、ということのようです。やっぱり凄いところは、何かが違うんだなあ、という感じでありました。
 そうして二次会、三次会まであって、詳細はまた別に……。先輩もおられたのに、ほんとに元気いいですね。


 
 
 2時前に帰ってきて6時過ぎに起きてシャワー浴びました。ちょっとくらくらする感じはあったんですが、朝ご飯も美味しかったです。


 ということで、かなりつらい状況に陥りながらも午前中なんとか勉強いたしまして、これも多分別の枠で語ることもあるとは思うのですが、福祉の現状とぼくのやっている事業所のことなども改めて考えたりして、きついとはいえ寝ることもなく、頑張って勉強をそれなりの枠でやりぬいたのでありました(偉い!)。



 でもですね、帰らないといけないのです。
 携帯で調べてみると、わざわざ駅まで戻らなくても、空港行のバスには乗れるようです。


 そういうことで、バス停めがけて歩きます。




 市役所前です。



 そういう感じでバス停まで来てみると、なんとまだ40分以上時間があるんですよ! 余裕持ち過ぎました。


 仕方ないので、また来た道戻ってぶらぶらしました。


 さびれたというか、公園があるんですね。本町公園というらしいです。緑があっていいなあ、と思ってましたが、犬の糞が2メートルに一つくらい転がってまして、あんがい凄まじいところでありました。



 また市役所に戻ってきたよ。


 それで僕以外にもえらく髪が乱れたおじさんと一緒にバスに乗ることが出来ました。めでたしめでたし。

 青森空港は人がごった返してまして、なんとご飯はほとんど20分以上待ち。で、またご飯は抜きましょうかね。助かります。
 行きと同じで伊丹乗り換えで、しかしこの乗り換え待ち時間が2時間あって、空港内ぐるぐる歩いて8000歩、ばかみたいでしたね。歩けてよかったですけど。
 伊丹でも知った人が何人かいて、こういう会があったからかな、と思ってたら、全然違う用事だったそうです。世間って狭いですよね。みんな忙しいってことですか。いや、忙しい人は忙しいってことでしょうね。ほっといてくれたらいいのに、そういう人に何かが集中するんですよね。



 抜け道があってですね、JALとANAと売店をうろうろしてました。おみやげはあんまり買いませんでしたが……。




 大村帰ってきて、さすがにホッとしましたね。けど、結構疲れてて、この夜はさらにつらかったです。
 こういうことがあって、改めて考えることが結構あって、そういうことも今後まとめて語りたいと思います。だいたいこういうブログを書いている事でも、皆さん察してくださっているものとは思うのですが、僕という人間は、何かを系統だてて考えないと落ち着かないところがあるようなのです。しかし、何かを考えるにしても、ひとところにいるよりも、移動することによって、その外的な刺激によって、さらに考えるというのが、自分に合ったスタイルなのかな、と思うのです。ま、誰だってそうかもしれないですけどね。
 大いに刺激を受けて、疲れたけれど、もっと違う事も考えられるかな、と思っております。僕のやっている業界というのは、先行きはあまり良くはありません。しかし、やるべきことはあるのかな、とも思うのです。かっこつけて言いますと、それが僕の使命のようなものかなと、言うことができるのかもしれません。とりあえず、頑張ります。

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青森その1

2022-09-18 | 散歩

 飛行機での出張なんて、実に何年ぶりでしょうね。長かった。
(※これを読んだつれあいに指摘されましたが、春には東京行ってますね。昨年もどこか行ったと言ってますね。単に忘れっぽかっただけのようです。すいません)

 でもさすが空港ですね。すでに知った人とも数名立ち話になりました。出張は必要ですもんね。お互い頑張りましょう。


 今回は伊丹空港で乗り換えて、向かったのは青森でした。


 青森空港は山の上にあって、バスで下界に下ってきて、着いたのは青森駅。まだ9月なんで、雪も無し。とにかく日差しも強くて暑いのでした。


 実は昼飯食って無くて、どうしようかなと思いながら歩いてたんですが、なんとなく思うような店もなく、ぶらぶらと泊りの予定のホテルまで歩いたのでした。




 ホテルの前にあったのは一念寺。ねぶたの飾りのような雰囲気のあるお寺でした。今年の夏は盛り上がったんでしょうね。



 とりあえず部屋からの風景。もう昼はいいかな。というか、普段はあんまり昼食ってるわけでは無いんですよね。でも体重減らないですけど。


 外に出ると、世界で一番美しい水のモニュメントがありました。なんじゃそりゃ、って感じがいいですね。


 青森は何年か前にも来たんで、街の雰囲気はよく覚えてます。というか、碁盤の目のように整然と区画整理された並びになってて、どこを歩いてるのか分かりやすいのです。


 飲み屋さんもたくさんあって、そうして何となくちょっと古くて、いい感じですけどね。


 ただ歩いてて、すぐに信号が変わるのがめんどくさい感じですね。冬の雪のことを考えてのことなんだろうか。謎であります。


 この日は総会があって、主催者の晩餐会があって、浅虫温泉ってところに行ったんですよ。近くにいる人とずっと話をしてて、写真撮るの忘れてました。
 料理もいろいろ豪華だったんですが、アワビしか撮ってませんでした。これものすごく旨かったです。


 帰りのバスが泊まりのホテルまで送るという事だったんでそのまま乗ってましたら、ほかの人はぞろぞろ降りてしまって、残ったのは二人だけ。その方も別のホテルで帰るという事でしたんで、コンビニ寄って、シャワー浴びて、チューハイ呑んで、ワイン飲みました。


 そうしたら5時過ぎには目が覚めちゃって、6時前から並んで朝飯食べました。


 ちょっと時間あるんで散歩です。空気は少しは冷たいかな、とは思うけど、寒いわけではありません。


 6時過ぎって言っても、それなりに陽は上がってて、もうまぶしくてたまりません。


 抜け道飲み屋街通りました。


 ネットでも確認できるんですが、帰りのバス停と時間を確認しておきました。後でまったくの無駄になることになるんですが、まあ、それはそれとして。


 いわゆる表通りは整然とキレイなのですが。



 ちょっと路地に入ると、かなりぼろくさくなります。裏まで手が回らなかった、って感じっすかね。



 僕としては、そういう表裏のある方が人間臭くて好きではあるのですが……。



 道路にはあちこちにこのようなひっかき傷があります。


 いわゆる除雪の跡なんでしょうね。大変だよね、ほんとに。


 あの三角の建物が物産館で、手前に泊まりのホテルがあります。



 コンビニ寄って新聞買って帰りました。


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散歩には向かない毎日

2022-08-15 | 散歩

 こう暑くては、とても散歩などやってられない。それでも何とか歩こうとはしているが、実際は正気の沙汰とは思えない。我ながら、本当に馬鹿なのではないか、と考えてしまう。単なる我慢比べというか、マゾ的な苦行である。しかし、歩かねばならない。そういう定めなのだ。
 いろいろ都合があって、6月末ごろから歩けなくなった。一日8,000歩を目標にしていて、約一週間とちょっとロスしたせいで、6万歩ばかり不足した計算になったようだ。一日ではとても挽回できる数字ではないし、やはりコツコツやるしかない。そう思って一日歩く歩数の設定を10,000歩に設定し直した。それでひと月で挽回できる計算だ。
 しかしこの時期は、やはりそう簡単な設定ではない。すでに暑くなっていて、着替えが必要だし、昼休みにそれなりにまとまった時間歩いても届かないし、夕方再度時間を取る必要がある。数日は何とか上手くいくが、やはりできない日もある。葛藤があるが、焦っても仕方がない。毎日の積み重ねが大切なのだから、やはりコツコツ歩くよりほかに方法が無いのだ。
 そういう感じだったのだが、今度は痔の調子が悪くなって、手術のために入院してしまった。結局自宅療養でもいいだろうということになって二泊三日で出てきたが、やはりあまり歩くコンデションではない。またまた歩数の借金が増えてしまった。これは精神的にかなりつらい。ひと月での挽回が難しいと、心が簡単に折れそうになる。いわゆる前向きな気分になれないのだ。でもそうして歩かないでいると、ますます道は険しくなる。腐らず目の前の目標に向けて、歩くより仕方ない。一日千歩余分に歩けたら、ひと月で3万歩余分が出る。借金の半分近くまで返せるではないか。そうして継続して来月も頑張ればいいじゃないか。
 そういう風に考え方を変えて歩こうとするのだが、とても日中は歩けるような状態ではなくなってしまった。そうすると朝早く起きて時間を作り、昼は建物の中を徘徊し、夕方着替えをするくらいに歩いてはどうだろう。
 しかしこのプランも現実的ではない。朝は早く起きるのは嫌なものだし(早起きすると、体調が狂うのである)、昼は相変わらず暑すぎる。それに建物の中では、昼寝をする人もいて、邪魔ができない。近くにショッピングセンターなんかがあるといいが、田舎なのでそう簡単ではない。それにわざわざ車で移動してそういうところに行って歩くなんて言うのが、ちょっと変な感じがしないではない。そうして夕方になっても陽は簡単に沈んでくれない。雨が降る日もあったりする。言い訳の材料はたくさんあるのに、条件のいい日なんてそうそう無いのだ。
 そうやって、またグダグダとぼちぼちが混ざった散歩を断続的にやっている。8,000歩達成も苦労する問題だが、そんなに借金を増やすことなく、だましだまし時間をやりくりしている感じだ。そもそもなぜ歩かなければならないか、目的もあやふやになってきているが、歩かなければ、そもそも始まることではない。だからこそ、そういう定めなのである。
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上野2.帰路に就く

2022-06-06 | 散歩
 階段上るのはしんどそうだけど、日照りの道を行くよりましかも。


 だんだんと雰囲気出てきました。


 五重塔も見えるよ。

 上野東照宮であります。



 震災や戦災にも焼失を免れた神社として、強運の神様ともいわれてるんだって。それはあやからねば。




 精養軒。でも何か食いたいわけでもないしね。見るだけです。


 トーテムポール。上野ライオンズクラブのものらしいです。


 時折涼しい風が吹きますが、気温が高いのでほんの気休めのような感じですか。


 不忍池が見えますが、日当たり良さそうなのでパス。


 清水観音堂。


 一週回ってきた。


 最初に撮り忘れた西郷どん。やっぱり上野だよな。



 翼の像。体操選手のフィニッシュみたい。


 中央改札。上野駅も古くなったけど、新旧ごったまぜって感じですかね。僕は中学生の時に初めてここにきて、いわゆるルンペンを初めて見て感動したんですよね。今回も何人か見たけど、都会は豊かなのでそうやって暮らしてる人がちゃんといるって感じでしょうか。田舎だと許されないでしょうからね。



 という事で、帰りましょうか。


 こっちからだとモノレールでもよかったんだけど、新橋で空港行きに乗り換えました。


 羽田に着いた。


 もうほとんど帰ってきた気分だよ。


 西に向かって飛ぶ飛行機の窓では、いつまでも日が沈まないのでした。



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雨がやんで、上野に行ってみた

2022-06-04 | 散歩
 見た目ではそんなに降ってないように見えますが、少し風もあって傘で歩くには不都合な天気です。


 ちょっと考えましたが、やっぱり一駅地下鉄で行きます。
 虎ノ門の出口がいろいろ整理されてました。二年の歳月を感じさせられますね。


 外はもう大雨の様相。これじゃ歩いてくるのは完全に無理でした。


 会議場は37階で風景も霞んでました。


 国会中継やってたけど、あの中でやってるんだよな。実感ないですけど。


 一通り審議済んで、つぎの会が始まった。食べながらでいいんだそうですが、人が話してるときには何となく食べにくいです。すでに13時過ぎてますけどね。


 全部終わって外に出ると、すっかり雨が上がって気温が急上昇してました。ネクタイ外して上着をバッグに詰め込んで、飛行機の時間まで中途半端に時間があります。さて、どこ行こうかな。


 で、ほとんど何も考えずについた先が、上野でした。


 ちょっと前に読んだ小説が上野を舞台にしてたんですよね。悲しい話だったな。


 アメ横。修学旅行だろうか? 中学生か高校生か、そんな人々がたくさんいました。


 鞄をロッカーに入れて、しかし暑いんで、木の多い上野公園でも散策しますか。



 正岡子規記念球場。


 上野に降りたのは動物園か博物館にでも行けば時間つぶせるな、と考えたからでした。でも暑すぎて動物見るのも疲れそうです。



 陶器展の準備してました。


 木の多い方に行こう。だんだん学生風の人々が増えてきたなと思っていると。



 東京芸大があるんだな。



 来たことないけど、散歩だからいいのです。



 護国院、て書いてありました。



 上野高校だそうです。



 風情ある建物だけど、倉庫か何か?



 右手のホテルは、森鴎外居住の跡だそうです。


 両側が上野動物園になりました。


 子供たちの歓声も聞こえます。楽しんでますか~。
 とにかく暑いんで、ほとんど苦行という感じになってしまいました。夏になったら東京には行けないな、こりゃ。まあ、どこに行っても暑いんで、どこにも行けなくなるかもしれませんが……。


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久しぶり出張。調布と。

2022-06-02 | 散歩

 さて、出発は仙川駅だったけど、アプリを見るとここからだと行こうと思っている場所には都合が悪いみたい。


 じゃあいったん下ってみて、調布に行きましょう。


 もっと写真撮っておけばよかったんだけど、この辺りでは格段に都会になってます。そうしてすぐにバスが来て乗り込みました。よくわからなかったけど運転手さんは親切で、それに後で考えると案外単純な路線だったので、間違えずに乗れました。さらに電子カードが便利ですよね。田舎のバスも、全部統一して欲しいです。


 で、着いたのは深大寺。僕はですね、人間として本当に尊敬しているのは、水木しげるさんが筆頭といっていいのですよ。そうして鬼太郎の茶屋がある深大寺を、嫌いなわけがないじゃないですか。


 そうして入り口からいきなり素晴らしかったんですが、ほかの店は夕方になっててすでに閉店らしいです。まあ仕方ないですね。うるさくないのでいいのですが……。



 境内も閑散としてて、あとでわかるけど、何かお坊さんのお勤めがあるようで、お堂など戸が閉まってて閉店でした。まあ僕には宗教心がないし、お参りはしないではないけど、願い事なんてするわけないし(これは僕を知っている人には説明不要でしょうけど)、中を詳しく見られないのは残念だけど、それはそれでパラダイスです。











 まあでも、終わりは終わり。僕の後についてくるようにして見学しているお姉さんがいたんですが、つまらなそうでした。僕にはどうしようもないことだけど、なんとなく申し訳ないような気分にもなりました。
 そうしてせっかくの鬼太郎茶屋ですけど、おみやげ買ってもどうせ家人は喜ばないし、ひやかして帰るだけです。まったくファンのくせにつまらない客です。特に物欲は無いのです。


 そうして戻ってきたのは、調布でなくてつつじが丘。北口なんで新鮮な感じがしますね。




 さらばつつじが丘。もうだいたいの感じは覚えたよ。また多分来るでしょう。


 そうして乗り継いで戻ってきて部屋の感じはこんなもの。ちょっとレトロでかっこいいホテルだけど、部屋はビジネスなんですね。何の不満もないですけけどね。このくらいの狭さがくつろげます。


 この時点で息子と会える機会は逸したとあきらめてたんで、一人飯にシフトして店を探します。まあ、どこでもいいんですけど、そうなると焦点が定まらずぶらぶらしてました。


 結局ガード下に戻って文庫本読みながら一杯やってました。


 そうやってぼちぼち飲んでたら電話があって、息子が都合ついたという事で、河岸を変えて飲み直しました。どういう訳か写真は無し。けっこういろいろ話をして、もんじゃ食ってバーでヤンキーのマスターと話したりもしましたよ。これはプライベートなんでご勘弁を、って感じっすかね。
 僕もいつの間にか50代の中ごろになって、おそらくだけど今は死んだ父と一緒に出張に行って呑んだようなような感じの逆の立場になったのかもしれないな、と考えたりしました。必ずしも同じものではないのかもしれないけど、僕も若かったし、その当時見た東京という場所に来て、時間が違うにせよ自分の息子と吞んでいるという事に、非常に感慨深いものを感じました。僕は立場上のこともあり、二十代の後半から毎年数回ではあるけど東京には出張をしていて、三十年近くこのまちと馴染んでいます(初めて来たのは十代だから40年以上前だけど)。住んだことは無いけど、こういうバランスでここにきていて、本当に身近に肌感覚としてこの場所を感じることが出来ました。こういう感覚であらためてこのまちを捉えられたのは、やっぱり息子の影響なのかな。こういうのもいいですね。


 翌日窓の外はこんな感じ。耐震の補強かな。改めて確認して朝食を。


 思ったよりいい朝飯で食い過ぎました。いや、これは旨かったです。


 さて外は雨のようですが、やっと本番の仕事であります。

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久しぶりの出張 つつじが丘・仙川

2022-05-31 | 散歩
 大村は朝から曇りから雨脚が……。そういう中でのフライトであります。
 雲ばっかりで面白くないのでミステリ読んだり、ウトウトしたりしてたんですが、ふと窓の外を見ると。


 なんだか儲かった気分。やっぱり偉大な山ですね。

 という事で、二年半ぶりですかね。羽田到着。


 この時点でどこに行くかはっきり決めてなくて、交通手段もどうすっかな、と。でもまあ、バスは楽でも電車の方が安いんですよね、都心というのは。


 だから結局は新橋まで、って感じっすか。


 それと今回はどういう訳か、というか、パックの関係でしょうか。一応銀座のホテルですよ。見た感じもいいんですよね。チェックインにはさすがに早いんで、上着と荷物を預けることに致しました。


 そうやってアプリを開いて移動します。新橋だから銀座線、丸の内線、そうして京王線に乗ることになります。なんかいつもとあんまり変わりないけど、いつもとは行き先が違うのです。




 で、着いたのはつつじが丘。理由はおいおい。



 基本的に住宅街。後でわかるのだけど、住むにはいいところみたいですね。


 一応目的の場所は見ることが出来て、そのついでに案内板があって、武者小路実篤記念館がそばにあると書いてあるので、行ってみました。


 ここだよな。


 でも館内は残念ながら撮影禁止。実篤の戯曲である「人間万歳」を中心とする展示がありました。生原稿がさりげなくいくつも展示してあって、悪筆というか、かなり癖のある文字の羅列を見るだけでも迫力ありました。作家ってこんな感じに原稿書くんだな。編集の人、仕事大変だったでしょうね。


 最後にマンホールに書いてある実篤の作品。なかなかに素晴らしいです。実篤のこうした絵画と一言の色紙というのは、いくつか見たことがあったけど、おそらくここらあたりで書かれたというのがいいですね。


 記念館を出てすぐに通路があって、公園になってます。


 住宅街の中にうっそうと茂る森。という感じ。いったいここはなんだろう?




 この小さな森に小さな公道が通っているようで、また地価を下って次の森へ。


 そうして実篤の家にたどり着くのです。実はこの森の公園は、実篤の家の後を調布市が譲り受けて管理しているらしいのです。そうしてこの辺りは調布の断崖になっていて、仙川とつつじが丘の堺に実篤の家があったという事のようです。当時のことは知らないけど、こういうところに住んで創作活動をやろうと思った実篤というのは、それなりにやっぱりセンスがあるように感じますね。





 抜け出して仙川の方に出たらしくて、じゃあどこにあるかわからない駅に向かおうかな、という気になってきました。




 だんだん駅そばらしくなってきました。



 あった。これが駅でしょう。これは上手く言えないんですけど、だいたいの地図は頭の中にあったのは確かですが、あえてアプリとか見ずに駅を探すスリルが楽しいんですよね。ときどき大失敗しますけど。


 さて、これからどうしましょうか。

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久しぶり3

2022-05-04 | 散歩
4日

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山菜を持ち帰るべきか

2022-04-09 | 散歩

 散歩していて山菜などに目が留まると、レジ袋のようなものを持ってきていれば良かったな、と思う。畔や水路脇、斜面などに蕗や蕨・野蒜などが目に入る。ちょっと開けた場所なんかには、伸びた枝にタラの芽が出ていたりする。こういうのは車から降りて取っていく人も結構いるので、早い者勝ちの争奪戦めいている。僕はあくまで歩く範囲での戦場だけど、そういう意味では細かく見ていく戦略を取るよりない。しかしながら取ったものを手に持っていくというのが、何となくはばかられる思いがする。そうしてレジ袋なんかがあればよかったのにな、と思うわけだ。
 そういうことだから、実際問題としては山菜をとる習慣がない。今取っても仕方ないな、と毎回思うだけである。以前は水路をさらう作業などにも出ていたが、今は担当の人が行く場合と、欠席で出払いで済ませてしまっている。そういう時には周りも山菜取りをしながら作業をすることが多かったので、一緒になって取っていた。一人で散歩しているときは、そういう感じにはなかなかならないものである。その上に散歩だから道のそばに限定されているし、そういうところは誰かのお宅の土地であろう。今は山中の道はあまり散歩コースにはなっておらず、どこか遠くから眺めている人がいないとも限らない(田舎ってそういうところです)。ちょっとした泥棒には違いなく、やはり躊躇してしまうのだろう。
 しかしまあそうであっても、ときどき道行く近所の人に、あいさつがてら山菜を分けてもらうことがある。出勤してくる職員が、取ってきたからと分けてくれることがある。こういうありがたいことが田舎ではよくあることなので、あえて自分で取らなくても、春の山菜にはありつけることになっている。
 こういうものは持ちつもたれつなんだが、やはりもらうばかりでは心苦しい。お返しのためにも、見つけた山菜は持って帰ってわけるべきなのではないかとも考える。頂いたものと似たようなものを返すということを考えると、何か別のものを買って返すという行為が、ちょっと相手に重たいものを感じさせないではない。田舎暮らしで一番つらいのは、そのような非対称性の豊かさのようなものかもしれない。土地が無いからと思っても土地はいくらでも貸してくれるわけで、そういうやり取りのためだけにも、やっぱり何か作るべきなのかな、と考えてしまうのであった。
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