カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

最初は政治と金問題を考えたかったが……

2024-08-21 | 時事

 政治と金問題と言われるものがある。今の日本の政治のもっとも問題点とされるものなんだそうだ。僕にはその捉え方そのものがよく分からない感覚ではあるのだが、いわゆる政治不信のもっともたるものが、政治と金なのだ、と言われると、ふーんとは思う。
 それで取材がなされていたのだが、政治に金がかかるのは何か、ということで、まずは事務所経費であるということだった。地元にも事務所を置かなくてはならず、固定経費が掛かる。議員の経費だけでは賄えないということのようだ。国会議員の場合、事務所が一つとも限らない。なくせば支障が出るし、地元まわりはこまめに果たす必要がある。人と会えば経費も掛かるし、地元のものを買う必要もある(実際必要なものならできるだけ支持者から買うというのもあるようだ)。おそらくだが、そういう地道さが票につながっているという実感がありそうで、さらに陳情などの受け皿もある訳だから、事務所経費は必要だということを、この議員さんは言っているようだった。
 また当たり前だが、選挙にも金がかかるわけだ。選挙とは選挙期間だけの事ではない。政治家は選挙に負けるとただの人になるのだから、政治家である以上、選挙活動を充実して行っていることは間違いない。それが第一の仕事でもあるという本質的なことがある。やれることは、基本的にすべてやる。選挙は目に見えているだけの事では無かろう。政党の交付金のほとんども、やはり選挙に使われているというようなことも幹事長は語っていた。それがなぜ何億なのかと記者は考えているようだが、全国なのだからそれくらいはかかるのかもしれない。そういう漠然とした疑問ではなく、取材は中身だろう。
 もちろんそれではよくない、という活動をしている政治家も紹介してあった。献金は支持者から継続してもらう。一人数千円を毎月献金している人も紹介されていた。政治家を育てるためにやっているということだった。地元の報告会などは、基本はボランティアを集う。司会者も主婦とのことだった。要は、金のかからない方法はあるのだ、とこの議員さんは言いたいようだった(ちなみにこの人は野党だったようだが、ボランティアがその組織かどうかは明らかにはさせていなかった)。
 そもそも政党交付金は国民一人当たり250円支出して賄う仕組みになっている。これで特定団体や企業などの献金に頼らず、いわゆる利益誘導の無い政治が行われる、という建前ができているわけだ。もちろんこれで小さな政党がたくさんできた時期もあったのだが、小選挙区と比例という選挙制度もあって(中選挙ではなく、与野党なれ合いの55年体制が崩れたわけだ)、結局は小さい政党で選挙を戦うことも、その後連立などで政権与党に加わることも難しくなった。自民党は自ら派閥解体をした時期もあったが、結局は勉強会などで集まらざるを得なくなり、なし崩し的に派閥は再復活した経緯もある。今回もいちおう派閥解散をしているけれど、まとまりのないところに権力闘争は具体化しづらいので、さて、それで政治運動がもつものかは疑問が多い。政治と金問題というが、そういう具体的な仕組みをどうしたらいいのかが未解決なので、うまく行かない方が自然なのではなかろうか。
  自民党が金集めをやめないのは、皆が金を集めるシステムである方が、公平感が強いためであると思われる。政治家になれる椅子が限られているので、事実上誰でも政治家にはなれないが(特に国会議員には)、金集めを禁止して選挙を行うシステムなれば、そもそも金を持っている人間しか政治家にはなれなくなるということになる。ただでさえ二世議員であるとか、一定の権力構造の上に立つ人か、お金持ちが政治家に多いのは事実であって、そこに少しでも食い込もうとする野心のある政治家は、自民党では出て来なくなるだろう。もっとも大負けすると、そういう事にはならないかもしれないが……(今はその可能性が出てきたところではあるが、果たしてほんとにそうなるだろうか)。しかしながら野党であっても、基本的にはそのあたりの事情がもっと厳しい事ではあろう。本当になり手がいるわけでもない訳で(野党で政治を続けていくのはさらに厳しいのだから、一定の権力者の顔がいつまでも変わらないのもそのためである)、基本的にやりたい政策を活かせる場所さえ無いのである。一定の存在意義が無いとはいえないまでも、政治家として本当に活躍する機会は、そうそう生まれてこない現状に苦しんでいるはずである。だから一方的に批判するより仕方が無くなってしまったのである。
 そうではあるが政治家でいる事により、何らかの情報が集まることも確かなことだ。実際に予算を動かすので、そこに利権が生まれるのは間違いが無い。それが無いのであれば、すべて行政が政治家無しでやればいいのである。それはもはや民主主義では無いのだけれど。
 もっともこの国の政治家は、日本国民の平均化した姿でもある。国民とかけ離れた政治家が多いと言われるが、それはまったくの勘違いなのである。日本の国民の一人一人に最も近いシンパシーのある人物像が、そのまま政治家なのである(だから選挙で結果的に勝つのだ)。要するに機会があれば金を欲しがる政治家がいるとすると、それは間違いなくあなたの姿の写し鏡である。だから今はこうなっているだけのことで、あなたが変わらないことには新しい政治家は生まれてこない。本当に国民からかけ離れた政治が行われることは、だから今後もあり得ないことなのである。

※ 岸田首相の総裁選不出馬を受けて、この辺りの問題もだいぶ様相が変わってきた。これはひと月前くらいに書いたので、現状と違うようにみえるところはあるかもしれない。しかしながら基本的なところにおいては、そうそう変わるものではないだろう。気になるのは、そういう論点で総裁選を戦っているようには見えない候補者の姿かもしれない。形上麻生派以外の派閥がなくなったので、10人もの候補者が出る見通しになった。今回以降を見越しているなど、必ずしも今回で勝とうとしているだけの人たちばかりではないのかもしれないが、少なくとも調整だけを図るような人物じゃない可能性を含んでいる。変えるべきところを変えられる、大きなチャンスと期待したいところである。
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