人工知能やロボットなどが人間を脅かすという話は、古くて新しい話である。子供の頃にはそのような話はごまんと読んだ。漫画だけでなく映画も多い。SFの定番だし、将来的にはそのようなことが現実化するという予想は実に当然のことのように思えた。
最初の頃は、それでも先の話だった。海外で、チェスのとコンピュータの勝負で人間が負けたと話題になった時も、囲碁や将棋は複雑で、人間が脅かされるのはまだ時間がかかると言われていた。近年になるともうそんなことは本当に過去の話になり、今やプロであっても普通に負かされるようなことが起こっている。特に頭の良い(特殊なものだが)人たちが、コンピュータに負かされる。それは話題としては確かに面白くはある。もうすでに人間が太刀打ちできない領域も発見されているかもしれない。
さらに最近は、芸術の世界でも人工知能は活躍の場を広げている。レンブラントのような絵をかくAIもいるし、小説を書くものもある。芥川賞の最終選考に残る程度くらいのものは書けるのではないかとも言われている。もっともそれらは模倣がもとで、また、人間がある程度の手を加えているとも言われる。そもそもそのようなものに価値が無いという話もあり、人間の側の心理の複雑さも思わせられる。
聞くところによると、コンピュータが描いたとは黙っておいて絵を鑑賞させると、多くの人はその素晴らしさを素直に賞賛するという。ところが一転して、最初からコンピュータが描いたものだと教えたうえで鑑賞させると、皆、まだまだ何かが足りないなどと勝手な理由を言うのだという。要するに芸術のレベルであっても、すでに及第点であるのは間違いなかろう。
将来的には人間の仕事のほとんどを、人工知能などが代替して行えるようになるだろうとは予測がされている。多くの人間はそのことでお払い箱。要するに失業するという話になるのが定番だ。人間しかできないような技能のない仕事にしか就けない人間に、価値などないということなんだろうか。
まあ、現実的にはそうなるかもしれないという可能性はある。しかしながら経済活動でいうのであれば、そのような人工知能を持つものと利用するもの、さらに消費する兼ね合いにおいて、やはり人間が仲介している関係があることを考えると、時間の空いた人間が、まだまだやることを自由に考えることになるだろうとは思われる。仕事でなく、上手く遊ぶ人間にこそ価値が出てくるとか、そういうことの方が現実的だろう。まあちょっと様子見は必要だろうけど。
人間を支配する人工知能というホラーもある。しかしながら人間よりも合理的な判断の出来る人工知能であれば、人間を支配したり虐殺したりする合理性は何だろう。人間の側がそのようなプログラムを悪用する可能性は無いではないが、恐らく人間をそれなりに無視した方が、というよりそもそもの問題として、われわれに関心を抱くような可能性の方が低いのではなかろうか。バラ色かどうかは不明だが、そのことが今より悪いとは限らない方が、確率としてははるかに高そうである。まあ、人間の側がどのように反抗するのかは(勘違いが元だろうけど)見ものだろうけれど。
最大の関心は、その将来が遠いか近いか。何しろ見届けられないことには答えが分からない。まあ、その為だけに長生きしてもつまらないかもしれないが。