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カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

長生きして見届けたいもの

2016-08-30 | Science & nature

 人工知能やロボットなどが人間を脅かすという話は、古くて新しい話である。子供の頃にはそのような話はごまんと読んだ。漫画だけでなく映画も多い。SFの定番だし、将来的にはそのようなことが現実化するという予想は実に当然のことのように思えた。
 最初の頃は、それでも先の話だった。海外で、チェスのとコンピュータの勝負で人間が負けたと話題になった時も、囲碁や将棋は複雑で、人間が脅かされるのはまだ時間がかかると言われていた。近年になるともうそんなことは本当に過去の話になり、今やプロであっても普通に負かされるようなことが起こっている。特に頭の良い(特殊なものだが)人たちが、コンピュータに負かされる。それは話題としては確かに面白くはある。もうすでに人間が太刀打ちできない領域も発見されているかもしれない。
 さらに最近は、芸術の世界でも人工知能は活躍の場を広げている。レンブラントのような絵をかくAIもいるし、小説を書くものもある。芥川賞の最終選考に残る程度くらいのものは書けるのではないかとも言われている。もっともそれらは模倣がもとで、また、人間がある程度の手を加えているとも言われる。そもそもそのようなものに価値が無いという話もあり、人間の側の心理の複雑さも思わせられる。
 聞くところによると、コンピュータが描いたとは黙っておいて絵を鑑賞させると、多くの人はその素晴らしさを素直に賞賛するという。ところが一転して、最初からコンピュータが描いたものだと教えたうえで鑑賞させると、皆、まだまだ何かが足りないなどと勝手な理由を言うのだという。要するに芸術のレベルであっても、すでに及第点であるのは間違いなかろう。
 将来的には人間の仕事のほとんどを、人工知能などが代替して行えるようになるだろうとは予測がされている。多くの人間はそのことでお払い箱。要するに失業するという話になるのが定番だ。人間しかできないような技能のない仕事にしか就けない人間に、価値などないということなんだろうか。
 まあ、現実的にはそうなるかもしれないという可能性はある。しかしながら経済活動でいうのであれば、そのような人工知能を持つものと利用するもの、さらに消費する兼ね合いにおいて、やはり人間が仲介している関係があることを考えると、時間の空いた人間が、まだまだやることを自由に考えることになるだろうとは思われる。仕事でなく、上手く遊ぶ人間にこそ価値が出てくるとか、そういうことの方が現実的だろう。まあちょっと様子見は必要だろうけど。
 人間を支配する人工知能というホラーもある。しかしながら人間よりも合理的な判断の出来る人工知能であれば、人間を支配したり虐殺したりする合理性は何だろう。人間の側がそのようなプログラムを悪用する可能性は無いではないが、恐らく人間をそれなりに無視した方が、というよりそもそもの問題として、われわれに関心を抱くような可能性の方が低いのではなかろうか。バラ色かどうかは不明だが、そのことが今より悪いとは限らない方が、確率としてははるかに高そうである。まあ、人間の側がどのように反抗するのかは(勘違いが元だろうけど)見ものだろうけれど。
 最大の関心は、その将来が遠いか近いか。何しろ見届けられないことには答えが分からない。まあ、その為だけに長生きしてもつまらないかもしれないが。
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気持ち悪いがいい奴かも

2016-08-15 | Science & nature

 田んぼの周りを散歩していて不快なのは、ユスリカである。いわゆる「蚊柱(かばしら)」を立てて集団で飛んでいる。そういうところに僕の方が突っ込んでしまうのかもしれないが、たくさんの虫にたかられるようなことになってしまい、うへーっとなる。つぶすと黄色い体液が出ることもあり、白い服などに付くのも困る。
 集団で飛んでいるのは交尾のためらしく、彼(彼女)らには消化管なども無いことから、必死で子孫を残すためだけの行動をとっているということらしい。交尾が終わってオスが死に、卵を産むとメスが死ぬ。とにかくあの後はみんな死んでしまう。だから蚊のように人間を刺すこともないし、そのような遭遇さえなければ無害ともいえる。嫌われている自覚は無かろうが、なんとなくはかないことである。
 幼虫は田んぼや川の中でボウフラのように土の上をゆらゆらしている。主に赤く気持ちが悪い。赤色になるのは人間の血液と同じで、ヘモグロビンの色らしい。土ごと食べて、土の中に混ざっている他の生物の死骸などから栄養を摂る。動きも色も気持ち悪いが、そのようなことから、むしろ水中の土をきれいにしているともいえる。天然の掃除人といっていいだろう。嫌われているのにいい奴なのかもしれない。
 もっともそのように役立っているのに嫌っているのは、ぜんぶ人間の側から見た感じ方に過ぎない。知ればそんなに悪い奴じゃなくとも、だからといって好きになるような人も少なかろう。必死に生きて人生(虫の一生)をまっとうしているだけなのに、人間というのは罪な感覚の持ち主というべきではなかろうか。
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犬を見習う

2016-06-14 | Science & nature

 子供の頃から犬は飼われていて、今も当然のように愛犬を飼っている。犬種もいろいろで、チンを飼っていたこともあるし、シェパードだっていた。あまり人には結局馴れなかったけどグレートデーンもいたことがある。大きさで多少の性質の違いはあるけど、基本的に犬は犬で、それぞれに寂しがり屋でかわいいものである。正直言ってあんまりかわいくないようなのもいなくは無かったが、それは人間の側に問題があったように思えなくもない。
 聞くところによると犬というのは、地球上にいる哺乳類の中で、もっとも品種が多いのだという。昔からたくさんの品種があったということでは無く、人間が愛玩犬として飼うようになった数百年(特に300年くらいの間)で、一気に品種を増やしたとされる。マスティフなんかは100キロくらいの体重になることがあるし、グレートデーンは体高が1メートルを超えるものもいる。一方でチワワやヨークシャーテリアなどは、成犬でも1キロ未満という小ささである(マグカップなどに入るサイズ)。人間と象との差より大きく、下手をするとクジラ(種類によるが)と人間くらいの違いがあるわけだ。同じ種だから交配が可能で、しかし場合によっては母体が持たないかもしれない。
 犬のご先祖というか、DNAからすると、オオカミから犬になったことは誰でも知っていると思われる。しかしながらオオカミと犬というのは、まったく異なると言っていいくらいに違う。かの進化論の祖であるダーウィン先生も、犬はオオカミやコヨーテ、ジャッカルなどが交配されてできたものと考えていた。しかし今ではそれは完全に間違いだと分かっている。犬のご先祖はハイイロオオカミのみである。今のように品種が分かれたのは数百年前からだが、ハイイロオオカミと人間との関係は2万年近く前とも考えられている。人間の住んでいる周りで残飯などをあさるなどして棲みつくようなものが現れ、そのようなオオカミは栄養が安定して多産化したとみられる。その子孫の中からさらにだんだんと慣れるものが生き残り小型化していき、ついには人間と共に自然に生活するような個体があらわれた。最初は特殊な個体だったものが、そのような個体同士を選別して掛け合わされるようなことが続いて犬になったものと考えられている。それでも数千年の時間が必要で、途中では犬にも人間にもそれなりに試行錯誤があったものだろう。
 現在ではロシアの国家的な研究で、人間に馴れる個体を選別して掛け合わせて、ヒトに飼われるほど馴れるキツネが登場している。要するに警戒心の強い動物でも、根気よく交配すると、ヒトに馴れる種というのは作り出せるということかもしれない。飼われていながら比較的距離を保っていた猫であっても、近年爆発的に種類を増やしている。増やすだけでなく芸をする猫も現れ出した。ヒトに飼われることが可能になった種は、多かれ少なかれ爆発的に多様化するということなのかもしれない。
 犬に話を戻すと、犬の方から人間に接近してきて自らを変化させたということが大きいのかもしれない。種として人間に近いとされるゴリラやチンパンジーは、いわゆる人の顔色を見たり空気を読んだりはしない。ところが犬というのは、人間のしぐさや表情を読んで、感情を読み取る能力があるとされる。実は人間の進化の途上で、人間の方がこの犬の能力をまねて、相手の感情を読み取る能力を伸ばしたのではないかという説もある。馬でさえもそのような能力があるらしいが、違う種の交流において互いに変化しあうというのが、進化との関係があるのかもしれない。とりあえず誰と付き合うのかというのは、個人的には大切な問題かもしれませんね。
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泳がなければ沈んでしまう

2016-05-26 | Science & nature

 テレビでジンベエザメが出ていた。大きなサメのくせに人間を襲うような恐ろしいことはせずに、プランクトンなんかを大口を開けて食べる。プランクトンは小さいから、本当に食べているのかもよく分からないが、海水ごと呑み込んで、鰓で濾して食べてるという。大きなクジラだってそういうのが多いようだから、プランクトンを食べるというのは、あんがい食いっぱぐれないいい方法なのかもしれない。海流で栄養が豊かな海域が出来ると、たくさんのプランクトンが爆発的に増える。そうしてこれらを食べるために、実に多くの魚などの生き物が群がる。多くの生き物の食べ物の基礎となる為だけにプランクトンがいるわけではなかろうが、それだけ食べられても絶滅しないくらいたくさんいるということなんだろう。偉いものである。
 ところでジンベエザメは大きな体をしているから、とりわけたくさんのプランクトンを食べているようだった。特にたくさんプランクトンが集まっているようなところだと、立ち泳ぎをしてそのまま口の中に流れ込ませるようにして食べている。どれほど食べたらお腹いっぱいになるのかは知らないが、それなりに食べたら動かなくなって、そのまま海底に沈んで行ってしまう。ジンベエザメには浮き袋が無いらしく、泳がなければ比重の関係で海水に沈んでしまうのだという。何もしなければ浮いてしまうのよりも都合がいいのかもしれないが、海だっていつかは底があるし、また深すぎるところまで沈んでしまったら、また浮くために泳がなくてはならないのではないか。まあ、そのあたりは適当に判断しているのだろうけど、大きさを持て余してゆっくり休むところを探すのも大変なのではないか。イルカなんかだと脳の半分ずつ分けて眠ることが出来るらしいから泳ぎながら寝られるというが、ジンベエザメにもそんなことが出来るというのだろうか。まあ、魚だから溺れないというので、安心して沈んでいられるのだろう。
 最近は体重計に乗るだけで体脂肪まで教えてくれる。おかげさまでそれなりの体脂肪をキープしているので、僕が海に入ると余裕で浮くに違いない。現在の体脂肪より少なかったであろう子供時代に海で泳いだが、ごく普通に浮くことが出来た。浮きながら完全に睡眠をとるようなことはしたことが無いが、ある程度のバランス感覚で浮き続けられることも体験的に知っている。僕ら人間の多くは、泳がなければ浮けるのだ。
 もっとも減量をして極端な筋肉質のボクサーだとか、長距離を走るようなランナーなどは、体脂肪が少なすぎて、水に浮くことが無いのだという。要するにジンベエザメといえどもたくさん食べ続けているようで、アスリートたちのように引き締まった体を自然にキープしているということだろうか。いやむしろ、自然の感覚の食事でもっても、適度の食事が出来ているということかもしれない。顔はちょっととぼけたところがあるけれど、なかなかやるなあという感じではないか。
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宇宙からのラブレターはどこにある?

2016-04-18 | Science & nature

 宇宙人はいるのか? という問いに対して答えると、確率上は必ずいる筈である。また宇宙の歴史から考えても、ほぼ間違いなくいるだろう。また僕ら人間の存在を考えても、実際に実例があるということもいえるので、他に居てもおかしくない。もっとも宇宙広しといえども、それなりに奇跡的な偶然が重なって、ほんの一時の時間、地球上に人間のような存在がいるだけのことかもしれないのだが…。
 まあ、それはいいのだが、肝心なのはその宇宙人と地球人はコンタクトできるのか、という問題がある。先に書いてしまったが、地球が安定して人間の住めるような環境でいられる時間は、人類にとってはそれなりに余裕があっても、宇宙の時間としてはほんの一瞬のようなものだ。そういう時間帯にたまたまであるとか、意図的に地球人と出会うような宇宙人が出てくる確率は非常に低かろうと考えられる。物理的に宇宙は広すぎて、光でも何万年も時間をかけて移動するような範囲でなければ、同胞には巡り会えまい。さらに物質として質量のある有機体が、光のような速度で移動することは、今の分かっている物理的な問題としては不可能だ。地球人に会いたいという酔狂な宇宙人があらわれて移動を始めても、恐らく地球に着くころには、人間は滅んでいることだろう。
 しかしながら、人間という存在がまだなかった地球に、すでに宇宙人が来ていた可能性はそれなりにあるんだそうだ。有機体としての生命はまだ育っていなかっただろうが、将来は育つだろうとは予想できるくらいの知能の宇宙人だった可能性もある。来たには来たかもしれないが、地殻の変動の激しい地球に、来たという痕跡を残すのは至難の業だ。しかし、やはり将来の人間のような存在に対して、何か痕跡を残したはずだと考えている学者はそれなりに居る。石のようなものに文字を書いても、地球人は見つけることは出来ないだろう。ならばどのような方法でその痕跡を残したのだろう。
 結構有力だと言われているのは、他ならぬ生命のDNAに何らかの方法で痕跡を書き込んでいるのではないかというのだ。もちろんDNAだって変わっていくのだから荒唐無稽な話なんであるが、他の何かに書き込んだとしても、恐らくのちの世代の知的有機体は、その痕跡を見つけられない。見つけるとしたらやはりDNAが最も有力な記録媒体なのではないかというのだ。
 今のところ人類は、このDNAから宇宙人の痕跡を発見できていない。それが分かるような知的レベルに無いだけのことかもしれない。
 もっともそれが読めるようになったとして、果たしてそれが地球人にとって有益な情報なのだろうか。単に寄ったことがあるよ、程度のことでは無かろうが、例えば宇宙のどこにいるよ、というメッセージだったとしても、会いに行くには時間がかかりすぎるだろう。結局読めても、恋文は片思いのままであろう。
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フラッグスタッフと第9の惑星

2016-03-21 | Science & nature

 生きているうちにアメリカ大陸に行くことがあるのかどうか分からないが、気になる場所というのがある。それは他ならぬ、フラッグスタッフという町である。
 人口は5万人あまり。標高が2100メートルあって、夏は涼しいが、冬にはスキー客でにぎわうくらい雪が降るようだ。アリゾナの交通の要所で、有名なルート66が通っている。東から西への鉄道も通る場所で、人より貨物列車が頻繁に行きかうという。また、グランドキャニオンなどの観光地とも近く、どちらかといえば素通りしてしまうようなところらしいが、もとは宿場町で栄えたという。町に住む人の平均年齢が若いのは(平均26.8歳なんだとか)、アリゾナ大学があるからのようだ。しかし、若者はこの町周辺の自然に魅せられ、そのまま棲みついてしまうのだという。逆に高齢者は冬の雪かきなどの労働が苦になり、町を出ていく。それで平均年齢が極端に若い町になるのだそうだ。
 しかしながら僕がこの町を知っているのは他でもなく、ローウェル天文台があることで有名だからだ。ローウェル天文台で、あの冥王星(プルート)が発見されたという。今は惑星から格下げしてしまったが、この名前は長い間忘れられることは無いだろう。
 天体観測には、このような高地であることで空気が澄んでいるという条件があって適しているということは言える。しかしながら研究用の天文台があるのは、実際にはもっと高い場所ばかりになってしまった。フラッグスタッフが素晴らしいのは、それなりに人が集まって棲む町でありながら、きれいな星空を眺めることが出来るためだ。それというのも星を眺める妨げになる、いわゆる光害が少ない町なのだ。夜間の照明は制限されて、必要な場所にはオレンジの光源が使われている。だから夜になっても暗い町なんだが、星はきれいに見えるという訳だ。
 もともとぼくは田舎暮らしだから、光の少ない場所に暮らしている。そうなんだけれど、やはり生活の中では夜になると光に頼ったものになる。そうしてその光源の豊富さのために、田舎といえども星空はいつもきれいとは言えない。なんだかもったいない話だが、人がいないのは寂しいので、これはこれで仕方のないことだ。でもまあフラッグスタッフみたいな町の取り組みは、ちょっと羨ましいかもしれない。

 ところで、冥王星は惑星の地位から滑り落ちてしまったが、最近では別の第9の惑星候補の星が、太陽系にあるらしいという発表があった。実際にはまだ見つかっている訳ではないが、理論上は存在すると言われている。質量も地球の10倍あるとされ、見つかれば惑星になることは確実だ。しかしながら、海王星までの距離の20倍も遠い軌道を通るとされていて、太陽の公転周期も1万年から2万年という。楕円軌道をえがいて公転しているわけだが、とにかく遠すぎる。いずれ発見されるのかもしれないが、自ら光らない星というのは、なかなか見つけるのが難しいのかもしれない。
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地球の誕生日はいつか

2015-12-14 | Science & nature

 地球の年齢はいくつか、という設問がある。星が生まれた時をいつととらえるかという問題はあるが、基本的に地球が今のような大きさになった時を誕生とするならば、ということになるだろう。星の誕生もいろいろあるらしいが、地球のような岩石の惑星は、チリや小惑星が何度も衝突を繰り返し、段々と大きくなったと考えられている。そうして今のような大きさになる最後らしい比較的同じ大きさくらいの惑星が衝突し、その破片が月として地球の衛星になり一回り大きくなった地球の大きさでほぼ安定したとのことだ。もちろんその後も地球の引力もあって数限りない隕石が落下してきただろうけれど、キリが無いのでその頃を一応地球の誕生と考えようということになろう。
 地球と月が出来上がる惑星同士の衝突はそれなりに激しく、一度ばらばらになりながらも互いの引力でさらに塊をつくった。衝突のエネルギーで灼熱の火の塊のような星だったようだ。そういう状態が長く続き表面の温度が下がるのにも時間がかかる。いまだに地球の内部はマントルなど灼熱世界が地下に眠っているが、冷たい宇宙空間にあって、長期間熱をためられるだけの適当な大きさであるということも言えるのかもしれない。それは人類を含む生物には幸運なことで、後にその重力で大気や水を表面にたたえるちょうど良さもあるのかもしれない。
 ところで地球の年齢を調べるときに、この最初の状態というのが少し厄介なようだ。要するにこの灼熱の環境にある痕跡が、地球表面から分かりえないのだ。その上で地球の表面はプレートテクトニクスという何枚ものプレートでおおわれていることが分かっている。核があってその周りにぶあつくマントルが覆っている。そうして表面を薄く地殻が覆っている。繰り返すがこの地殻はプレートとして表面にいわば浮いているような感じで、ぶつかり合ってマントルに埋もれこんだりする。表面にある古い痕跡は、だから今は地中内部にあって分からない。地球上に残っている古い地層などの研究も進んでいるが、そういう訳で最初の痕跡を探すことが極めて難しいのだ。
 結局地球の年齢は、地球に落ちてきた地球の誕生と同じころらしいとみられる隕石などを分析することで、割り出されている。地球上に最初の痕跡が無いのだから便宜上である。地球が生まれた頃と推測されているところから飛んできて地球に落ちてきた隕石を調べて、そうしてその隕石の状態から年代を割り出す。もちろん比較的古い地球の痕跡とも比較して、おおよそという年代を割り出す訳だ。その計算の仕方には諸説あるにせよ、そうしておおよそ45億5000万年で、誤差は±7000万年といわれている訳だ。7000万年の誤差は人間の寿命から考えるととんでもなく大きなもののように感じられるかもしれないが、そもそもの宇宙スケールの時間から考えると、かなりいい線いっている数値なんだろう。
 45億年という数値が分かる事だけでも大変に素晴らしいことだと思うが、人によっては何の意味の見いだせない時間軸かもしれない。そういう面白さに魅せられる人がいて、ちゃんと精度よく実際に調べられていく人間の歴史がある。もちろん将来的な時間としては、人間はいずれ滅びるわけで、そういう意味では本当に意味は消えてなくなるだろう。今生きている人間はそういうことも感じながら一瞬を生きていくより無いのであろう。
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ホホジロザメは保護の対象らしいが…

2015-11-24 | Science & nature

 近年海水浴場などの沿岸に、サメが出現することが増えていると聞く。海水温の変化などの影響があるのではないかといわれているが、基本的には原因は不明である。凶暴なサメの被害を恐れるということは心情的に理解できるものの、実際上は凶暴な種類のサメは乱獲の対象にされており、数を減らしているという報告もある。その中でも特に大型で凶暴と恐れられるホホジロザメなんであるが、この種も個体数を減らしているとされる。実は生態は謎が多く、実際のところはよく分かっていないのが実情のようだ。基本的に危険であるために観察が難しい為である。
 ホホジロザメが恐れられ、なおかつ人の良く知られるようになったきっかけは、S・スピルバーグ監督の「ジョーズ」という映画のためといわれている。興行的に大成功したのだから、そのインパクトは強かった。それまでも人が襲われるなどの被害はあったが、この映画のためにむやみに殺戮だけの漁の対象にされ、大量に殺されたとみられる。人を襲う例のあることは事実として記録がたくさん残っている訳だが、サメの方がむやみに人を襲うということは、分かっていないながらも、あまり考えにくいとされる。殺された多くのサメは、単なるとばっちりで殺戮されたのだろう。人間を襲うことがあるとはいえ、もともと人間を好んでいるということでは無く、主に捕食対象になっているアザラシなどと誤って襲ってしまうのではないかとも考えられている。また、嗅覚が優れているとされ、怪我などで出血しているとか、海中で排便排尿などをすると寄ってくるのではないかとも言われている。
 特に大型のホホジロザメは、あんがい体の大きさのためか、特に俊敏さに欠ける。漁の精度も低いようで、目の前にいるアザラシの捕獲には、あんがい簡単に失敗している。シャチなどの哺乳動物とは違った知能の高さがあるとされ、失敗や成功などの経験などで学習した方法で獲物を捕らえているといわれている。浅瀬に追い込んで捕えたり、深く潜って気配をけし、安心して泳いでいるところを急浮上して下から襲うなど、テクニックを駆使して獲物を捕らえていると考えられている。そうして空腹が満たされると、まったく獲物を追うことは無い。まさに足るを知る存在なのかもしれない。
 天敵である人間にむやみに嫌われ殺されている存在だが、保護の動きもある。オーストラリアなどでは、サメとの共存を図るなどの取り組みも行われているという。食物連鎖の頂点ある存在であるのは確かで、その数や生態によっては、環境への影響も小さくないと考えられる。むやみに殺すことは処罰の対象になるようだ。
 もっとも調査や娯楽で観たい人は別だが、出来れば出会いたくない存在ではある。僕自身は泳ぎは不得意ではないが、足のつかない場所で泳ぐのは恐怖を覚えることがある。他ならぬサメへの恐怖で、出会ったことが無いのにむやみに恐ろしい。戦争中に撃沈された船から逃れて漂流しているときに、仲間がサメに襲われたという証言も何かの本で読んだことがある。ホホジロサメなどは体の一部を引きちぎって食べるとされ、腕などが引きちぎられたのちに苦しんでまた別の部分を食べられるのなんてまったくごめんである。
 いや、こんなことを書くから罪のないサメがまた、今日も殺されることに繋がるかもしれない。人間の恐怖感というのは、まったく厄介なシロモノである。
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幽霊は夜空に輝く

2015-09-26 | Science & nature

 天文学者ハーシェルは、父ウイリアム、息子のジョンと、それぞれに歴史に名を残すほどの功績があった。
 ジョンが幼いころ父ウイリアムに、幽霊はいるのか訊ねた。
「確かに幽霊はいるかもしれないが、それは人の形をしているとは限らないよ」
 それでは幽霊とは妖怪や化け物のように、様々な姿をしているのだろうか?
 さらに父ウイリアムは星空を指さして、
「この星々はそれぞれ太陽のように大きな星だが、遠くにあってあのように小さく見える。さらにあまりに遠いので、何万年、何百万年、またはそれ以上の時間をかけてその光が地球にやってくる。そうすると、今輝いている星は、すでに寿命を終えて星としては存在していないかもしれない。要するに多くの星は、幽霊みたいなものなんだよ」
 いかにもそれでは息子は天文学者にならねばならない。という気がする。これも教育だが、幽霊がちゃんと形を持って見える世界が科学ということになる。幽霊は科学では証明できないというのは、だからまったくの誤解か嘘である。現に誰しも幽霊は目にしており、そうして希望すれば、かなりのその幽霊の正体まで知ることが出来る。
 オカルト好きはだから、普通に科学になじんでいけば、同じように歴史に名を残せるかもしれない。
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輝くブラックホール(周辺)

2015-08-25 | Science & nature

 ブラックホールというのは強力な重力を持つために、周りにある物質を片っ端から呑み込んでしまう。ブラックホールに吸い込まれたものは、たとえ光であっても外に出ることはできない。X線を使った特殊な観測方法などもあるそうだが、ブラックホールの暗黒部分を観測するのは極めて困難だという。見えないものを見るというのは少し酷な話のようだ。
 ところがブラックホールに吸い込まれていく大量のガスは、その猛烈な吸引の力によって熱を持つ。1000万℃以上にもなると考えられており、そうして強烈な光を放つようになる。つまりブラックホールは視覚では観測しにくいものの、吸い込まれるガス雲が光る様子は観測が可能になる。暗黒のブラックホールの周りには、強烈な光を放つガスが存在してまばゆいばかりに輝いているのだ。
 そうして事実上いくつかのブラックホールらしいものは、すでに確認が出来ている。大変幸いなことに、それらのブラックホールは地球から大変に遠いところにある。天文学者なら近づいてもっとはっきりと確認して見てみたいと思うかもしれないが、それが現時点では不可能なことも同時に知っていることだろう。現実にあることも信じがたい現象が、結局はよく見えないけれど見えている。まったく人間の想像以上に、現実というのは変なものなのである。
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