ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

インド60~シャンカラ

2020-03-16 10:25:30 | 心と宗教
●シャンカラ

 六派哲学の哲学者たちの中で、随一の存在がシャンカラである。シャンカラは700~750年頃のバラモンで、ヴェーダーンタ学派の巨頭であり、インド最大の哲学者といわれる。

◆不二一元論
 シャンカラの思想は、不二一元論(ふにいちげんろん、アドヴァイタ)と呼ばれる。
不二一元論は、ブラフマンのみが実在するという説である。不二と呼ぶのは、ブラフマンだけが唯一で不二の実在であると説くことによる。
 仏教では、4世紀に唯識説が発達した。ヒンドゥー教にはない極めて精緻な理論であり、ヴェーダーンタ学派は次第にその影響を受け、一切の現象は識の顕現と解釈するようになった。仏教は実体を否定するが、ヴェーダーンタ学派はブラフマンの実在を認める。また、前者はアートマンを否定するが、後者はアートマンをブラフマンと同一とする。そのため、この違いを踏まえた理論的な総合が必要になった。その総合を成し遂げ、唯識派的な世界幻影論を採り入れつつ、『ウパニシャッド』の梵我一如の思想を徹底したのが、シャンカラである。それゆえ、シャンカラの不二一元論は、世界幻影論的ブラフマン一元論と言い換えることができる。
 シャンカラについて、『ウパニシャッド』の思想に仏教的要素を取り入れ、『ウパニシャッド』を仏教化したと見る者は、彼を「仮面の仏教徒」と呼ぶ。逆に、彼は仏教化していたヴェーダーンタ哲学を純化したと見る者は、正統派最高の哲学者と仰ぐ。
 シャンカラの先駆者に、7世紀後半の哲学者ガウダパーダがいる。クシティ・モーハン・セーンによると、ガウダパーダは厳密な一元論者で、外界は幻影であり、ブラフマンのみが唯一の実在であるとした。また外的対象は純粋に主観的であり、夢は覚醒時の経験とほとんど異ならず、世界は巨大な幻覚で、ブラフマン以外にはなにものも存在しないと説いた。一方、シャンカラは、ブラフマンとアートマンの同一を主張し、最高実在以外の世界の存在を否定しながらも、世界を純粋な幻影とするガウダパーダの説は認めなかった。覚醒時の経験は、夢の中とは異なり、外的対象は単なる個人意識の産物ではないとした。それゆえ、シャンカラの世界幻影論は、世界は幻影ではあるが、個人個人の迷妄ではなく、集団において一定の実在性があるという理論になる。一種の共同幻想論だろう。

◆ブラフマンの一元論
 シャンカラが生きた8世紀のインドでは、バクティ(信愛)と呼ばれる神々への帰依信仰が盛んになり、ブラフマンを大衆が救いを求める人格神と仰ぐ傾向が強まっていた。シャンカラは、『ウパニシャッド』に基づいてその風潮を批判し、根本原理としてのブラフマンを強調した。
 シャンカラによると、ブラフマンは世界の根本にある絶対の原理である。ブラフマンは、どのような限定もできず、部分を持たず、絶対無差別であり、不変不滅の実在である。そうしたブラフマンは、最高我でもある。
 彼によると、実在するのはブラフマンのみであり、現象界のあらゆるものは幻影である。だが、すべてのものの存在を否定しても、それらを否定する自己の存在を否定することはできない。これこそが自己の本質であり、アートマンである。個我としてのアートマンは、限定や条件を離れており、根本においては、最高我であるブラフマンと一致する。シャンカラのこの思想は、『ウパニシャッド』の梵我一如の思想を発展させたものである。
 不二一元論は、ブラフマンの一元論ゆえ、バクティの対象となるような人格神を信仰の対象とするものではない。それゆえ、シャンカラの思想においてバクティは、解脱を目指すために重要な役割を占めるものではない。

◆二種類のブラフマン
 『ウパニシャッド』には、ブラフマンについて二つの見解が書かれている。属性を持たないブラフマン(ニルグナ・ブラフマン)と属性を持つブラフマン(サグナ・ブラフマン)である。この違いは、言わば、理法にして原動力である神性(godheit)と、人格化された神(god)との相違である。ヴェーダーンタ学派は、これらブラフマンの二つの面をどのようにして整合的に解釈するかを課題とした。
 シャンカラは、この課題を絶対的観点と相対的観点を区別することで解決しようとした。絶対的観点から見ると、ブラフマンは一切の相対的な関係を超越した唯一無二の実在である。ブラフマンは、存在(サット)、精神(チット)、歓喜(アーナンダ)である。ブラフマンはこれらを属性として持つのではなく、本質としている。ブラフマンは、存在そのものであり、精神そのものであり、かつ歓喜そのものであるとシャンカラはいう。だが、現象界にある者の相対的観点から見ると、ブラフマンは属性や人格を持つ唯一神として映る。それが、主宰神として信徒が崇めているものであると説く。それゆえ、シャンカラの説では、属性を持たないブラフマンがブラフマンそのものであって、属性を持つブラフマンは前者の現れに過ぎない。
 ブラフマンは絶対的な原理であって人格的な主宰神ではないとするならば、その理論は無神教に近づく。そこからシャンカラの思想を、無神教的一元論と解釈する見方が成り立つ。仏教に近い思想と理解する見方である。だが、シャンカラは、属性を持たない高次のブラフマンから属性を持つ低次のブラフマンが発生するとして、その限りで主宰神を認めるから、あくまで有神教である。
 ここで私見を述べると、主宰神を最高のブラフマンの現れとする一方で、高次のブラフマンの本質の一つとして歓喜を挙げることは、ブラフマンを人格化することになっており、ブラフマンが本来、非人格的な原理であることと矛盾する。
 シャンカラは、属性を持たないブラフマンから、属性を持つブラフマンがどのようにして発生すると説くのだろうか。彼は、前者に無明が加わると後者の主宰神が現れ、宇宙が展開するという。無明は無知ないし正しい知識の欠如を意味する。だが、私は、ブラフマンが無明の影響を受けるとするのは、ブラフマンを人間に似た不完全なものとらえるものであり、ブラフマンは絶対者ではないことになると考える。また、無明がブラフマンに影響を与えるとすれば、無明を根本原理とは異なる一種の原理とみなすことになる。これは、光に対する闇を立てるような二元論的な思考になり、ブラフマン一元論と矛盾する。それゆえ、私はこれらの矛盾点から、シャンカラの思想は破綻していると思う。

◆無明の消滅による解脱
 シャンカラは、梵我一如論を徹底して世界は幻影であることを力説し、無明を消滅して解脱を目指すべきことを唱えた。
 無明は、真実を覆い隠すだけでなく、虚妄を作り出す。自己は本来、無限定で永遠不滅の存在である。だが、暗い所に落ちている縄を蛇と見間違えるように、我々は自己を幻影にすぎない身体や心理作用等と誤認し、それを自己と思い込んでいる。そのため、自己が身体と結びつき、行為とその結果によって輪廻に陥ってしまっているとシャンカラは説く。
 シャンカラによると、無明は個我(アートマン)の本質を知ることによって滅ぼすことができるとする。個我は最高我(ブラフマン)と同一であり、世界は無明が生み出した虚妄のものであることを知り、自己について正しい知識を得れば、解脱に至ることができる。さらに、シャンカラは、自己はもともと解脱しているのだが、無明のため、そのことが自覚されていないと説いた。正しい知識が得られた時、自己は本来の自己に目覚める。それが解脱であり、解脱は達成されるものというより、再認識されるものだという考え方である。この考え方は、大乗仏教の一部が煩悩即涅槃と説くのと似ている。
 シャンカラは、ヒンドゥー教徒の四住期のうち、最初の学生期から直ちに遍歴修行をしてよいとした。この点では現世否定的であり、ここにも仏教の影響が認められる。
 シャンカラの不二一元論は、インド文明を代表する思想として、後世に大きな影響を与えた。シャンカラは、正統派で初めて僧院を建立した。これは明らかに仏教の影響である。今日もシャンカラ派の僧院がインド各地に存在し、総本山は南インドのカルナータカ州シュリンゲーリにある。
 シャンカラ派は、ヴィシュヌ宗でもシヴァ宗でもなく、どの宗派にも属していない。だが、シャンカラの思想は、シヴァ宗に影響を与えた。これに対し、ヴィシュヌ宗は、シャンカラの思想を批判する哲学者を輩出した。その代表的な存在がラーマーヌジャとマトヴァである。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************

激動する世界を生き抜くため、日本再建を急げ4

2020-03-15 11:57:23 | 時事
●ウクライナの二の舞になるな

 ナザレンコ・アンドリーという青年がいる。ウクライナ生まれで24歳である。
 ウクライナは、旧ソ連の一部だった国で、ロシアの西側にある。2014年(平成26年)3月、ロシアはウクライナの領土であるクリミアに侵攻して一方的に併合した。この年夏、アンドリー氏は、日本の大学に留学するために来日した。その直後、アンドリー氏の故郷であるウクライナ北東部の都市、ハリコフの行政機関が親ロシア派のテロ組織の手に落ちた。アンドリー氏は、そのニュースを聴いて、衝撃を受けた。その後、ハリコフはウクライナが奪還したが、ウクライナの国内では、戦闘が続いて、多くの犠牲者が出ている。
 アンドリー氏は、昨年5月3日、櫻井よしこ氏らによる「美しい日本の憲法をつくる国民の会」等が主催する「公開憲法フォーラム」で、意見を発表した。
 「(日本に来て)改憲に反対している方々の主張は、ウクライナが犯した過ちと非常に似ているので、強い危機感を覚えました。簡単に言えば、自称『平和主義者』は何と言っていますかというと、それは『軍隊を無くして隣国にとって脅威にならなければ攻められないと。どんな争いでも平和を訴え、話し合いさえすれば解決できると。そして集団的自衛権を認めたら他国の争いに巻き込まれるから危険だと』(言っている)」
 だが、「1991年にソ連から独立した時にウクライナには沢山の核兵器と100万人の軍隊がありました。しかし、維持費がかかるし、隣国に警戒されてしまうし、危険なのでウクライナは全ての核兵器を譲りました。代わりに『ブダペスト協定書』という国際条約を結び自国の防衛を他国に委ねてしまいました。そして、100万人の軍隊を20万人に。つまり、5分の1まで軍縮しました。しかも、大国の対立に巻き込まれないようにNATOのような軍事同盟にも一切加盟しませんでした。
 日本共産党の考える平和主義は、まさにこれではないでしょうか。こんな政策は素晴らしいと考えている方を是非、今、ウクライナの前線に連れて行きたいです。戦禍で燃え尽きた村の廃墟、ミサイルが落ちている中で学校の地下に隠れている子供、20歳までさえ生きられなかった戦没者のお墓を見せて聞きたいです。『あなたが望んでいる日本の未来はこれなのか? 戦争は言葉によって止められるものなら、その言葉を教えてくださいよ。安全な日本にいる時だけでは戦争のことばかり話しているのに、どうして実際の戦地に一度も平和の精神とやらを伝えに行ったことが無いのですか?』  そう聞きたいです」
 「憲法改正されていない状況を隣国はどう受け止めるのでしょうか。『日本人って武力を持って攻撃したら、いつまでも押し付けられたルールに大人しく従うんだ。日本の領土を奪っても国民を拉致してもミサイルを飛ばしても国際条約を破っても何度も領土侵犯しても全く動こうとしないんだと。日本の国会に決断力がなくて、どんなに危機に直面しても行動を取らずに中身の薄い議論を続けるばかりなんだと』
 こういうふうに思われてしまうことこそは、戦争を招かざる得ない事態だと私は思います」
 「実はウクライナ人だって2014年まで皆そういうふうに考えてきた訳なんです。しかし、今、平和ボケしてた時期を振り返ってみると、戦争が一切起こらないと考えさせることも、敵の戦術の一つだったと私は分かりました」
 この戦術は、スイス『民間防衛』では、第4段階に当たる。日本は、それ以上の第6段階が進みつつある。
 アンドリー氏は、「日本はウクライナの二の舞になるな、憲法を改正して日本を守れ」と訴えている。ユーチューブに録画がアップされているので、お勧めする。

●結びに~憲法改正で日本の再建を

 憲法改正に関することとしては、昨年7月に参議院議員選挙があった。結果は与党が過半数を維持したものの、残念ながら憲法改正に必要な、いわゆる改憲勢力は3分の2以上の議席を割ってしまった。参院は3年ごとに半数が改選だから、この状態のままでは、次の令和4年(2022年)7月の参院選で3分の2以上を確保するまで憲法改正はできない。
 だが、この間、憲法改正への取り組みが止まってしまったら、ますますわが国は国際情勢に対応できなくなる。残り2年4カ月ほどの間に、日本人は真剣に、国家と国防のあり方を考え、できるだけ早く憲法改正ができるように進めていかねばならない。
国会では憲法に関する議論の場である衆参の憲法審査会が、この2年、機能不全に陥っている。改憲の手続きを定めた国民投票法改正案は立憲民主党など野党の遅滞戦術により採決が見送られ、5国会連続で継続審議となっている。国民は国会での憲法審議を要求し、憲法改正を目指す動きが進むように求めていく必要がある。
 本年1月20日通常国会冒頭で、安倍首相が令和初の施政方針演説を行った。その中で、首相は衆参憲法審査会で具体的な憲法改正案を示すことが「国会議員の責任」だとし、「歴史的な使命を果たすため、憲法審査会の場でともに責任を果たしていこう」と与野党議員に呼びかけた。
 安倍首相は「自らの手で改憲を成し遂げる」と明言しているが、安倍氏の自民党総裁の任期は来年9月末までである。任期中に憲法改正を成し遂げるのは、今国会で国民投票法改正案の成立、改憲原案の国会提出までこぎつける必要がある。衆参両院で3分の2以上の賛成を得て今秋召集の臨時国会で発議し、5~6カ月間程度の周知期間を経て国民投票を行うという日程になる。これは、非常に厳しいスケジュールなので、自民党には、総裁4選を可能性にしようという動きがある。それを可能にするには自民党規約の改正が必要である。
 わが国は、戦後、戦勝国から憲法を押しつけられ、国防に規制がかかられ、自国の存立を他国に委ねさせられている。国民には、国家への忠誠や国防の義務がない。自衛隊は法律上の機関で、憲法に確かな根拠を定められていない。そのため、日本は独立主権国家としての要件を欠き、日本人には自ら国を守る意思が失われている。
 冒頭に述べたように、新型コロナウイスに対しても、緊急事態条項がないため、他国のように緊急事態宣言を出すことが出来ず、後手後手に回った。1990年以降、つくられた104の国の憲法のすべてに緊急事態条項がある。ネパールやトルコは、そこに感染症への対応も定めている。日本の憲法は、個人の権利を重んじるあまり、公益のために個人の権利を一時的に制限することができない。緊急事態の時には国民全体の利益を優先して、不測の事態に対応できるように憲法に定めるべきである。
 新型コロナウイルスは、コウモリのコロナウイルスが自然に変異したものではないと、世界の多くの感染症・遺伝子等の専門家が指摘している。ロシア政府の衛生部長は、新型コロナウイルスは中国が人工的に造ったものだと発表した。つまり中国が生物兵器として開発したウイルスが管理ミスで漏れ出てしまった。いわば自爆事故だと見られる。新型コロナウイルスは、武漢人工ウイルスと呼ぶべきものである。わが国は憲法の規制により国防力が弱く、中国の軍事力を恐れて、このことを非難できない。逆に親中派の政治家は、国民の健康と生命より中国のご機嫌取りが大事になっている。わが国は中国の精神的な属国状態である。これも憲法で国防を規制され、緊急事態条項もないことによっている。
 日本の安全と繁栄のためには、この欠陥だらけの憲法を改正して、国のあり方を根本から立て直すことがどうしても必要である。激動する世界を生き抜くために、憲法の改正を急ぎ、日本の再建を急がなくてはならない。(了)

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************

ドキュメント「2020年武漢“人工”ウイルス・パンデミック」をアップ

2020-03-14 08:52:05 | 時事
 私は、1月末から、武漢発の新型コロナウイルスの問題に関して、SNSに様々な掲示をしてきました。WHOは、3月12日ようやく世界的なパンデミックと認めました。この段階に至るまでに、私がインターネットや新聞・テレビ等から得た情報と自分が書いた文章を主題別に整理して、マイサイトに掲載しました。ご参考にどうぞ。

■ドキュメント「2020年武漢“人工”ウイルス・パンデミック」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12.htm
 
目次からB48へ

激動する世界を生き抜くため、日本再建を急げ3

2020-03-13 09:40:17 | 時事
●スイスに学ぶ国防のあり方

 わが国の国防のあり方を考えるには、スイスが参考になる。スイスと言えば、アルプスのハイジ、美しい自然と平和を愛する人々というイメージを持っている人が多いだろう。スイスは、平和愛好国・永世中立国として有名である。だが、スイスは、国民皆兵であり、国防は、国民の義務となっている。スイスでは、若者も老人も、男性も女性も、侵略や災害などに対し、不断の備えを怠らない。平時から戦時に備えて2年分位の食糧・燃料等の必要物資を蓄え、国民の95%を収容できる核シェルターをつくるなどして、常に体制を整えている。
 スイス政府は、『民間防衛』という本を作って全国の家庭に1冊ずつ配っている。戦争のみならず自然災害などあらゆる危険に備えるためのサバイバル教本である。日本語版が出ており、阪神淡路大震災の後にベストセラーになった。
 この本は、戦争について、核兵器、毒ガス、細菌兵器が使用された場合、占領下のレジスタンスの場合など、さまざまな状況を想定している。そして、国民は何をなすべきかを具体的に示している。特に注目すべきは「心理的防衛」がいかに重要かが、強調されていることである。私は、わが国の国防を考える際、この点が今日最も大切と考える。
 『民間防衛』の序文に、次のように記されている。
 「…戦争は武器だけで行われるものではなくなりました。戦争は心理的なものになりました。作戦実施のずっと以前から行われる陰険で周到な宣伝は、国民の抵抗意志をくじくことができます。精神ー心がくじけたときに、腕力があったとて何の役に立つでしょうか…」
 同書は「心理的な国土防衛」という項目でも、繰り返し次のように述べている。
 「軍事作戦を開始するずっと前の平和な時代から、敵は、あらゆる手段を使ってわれわれの抵抗力を弱める努力をするであろう。敵の使う手段としては、陰険巧妙な宣伝でわれわれの心の中に疑惑を植え付ける、われわれの分裂を図る、彼等のイデオロギーでわれわれの心をとらえようとする、などがある…」
 『民間防衛』は端的に、「国防とはまず精神の問題である」と説いている。自ら国を守ろうという気概が、国防の根本である。そしてその気概のあるところ、外国のさまざまな働きかけに対する「心理的防衛」が自覚される。
 ところが我が国では、憲法の前文に、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれている。この憲法の下で、自ら国を守るという気概が薄れ、「心理的防衛」という意識が低下している。今日では外交・報道・教育などあらゆる面で、外国の対日宣伝に対し、ほとんど無防備に近い状態となっている。
 『民間防衛』には、外国による侵略はどのように行われるかが書かれている。次の6段階を踏んで行われるとする。

 第1段階 工作員を送り込み、政府上層部の掌握、洗脳
 第2段階 宣伝、メディアの掌握、大衆の扇動、無意識の誘導
 第3段階 教育の掌握、国家意識の破壊
 第4段階 抵抗意志の破壊、平和や人類愛をプロパガンダとして利用
 第5段階 教育や宣伝メディアなどを利用し自分で考える力を奪う 
 第6段階 国民が無抵抗で腑抜けになった時、大量植民

 日本の現状はどうか。第4段階まで既に完了していると言わざるを得ない。さらに、森友・加計問題、「桜を見る会」の問題等を通じて、第5段階が猛然と進行中である。野党多数や偏向したマスメディアによって、国民の多くは、意識を操作され、自分で考える力を失っている。
 その中で、最後の第6段階が、見えない形で進行している。国民が中国の進出に対して、無抵抗になっているところへ、中国人の移民が増加している。昨年話した外国人材受け入れ拡大は、それを加速している。北海道での土地取得は、中国人を移住させて、北海道の人口の半分以上にし、それによって北海道を領有するための動きと見られる。なぜ北海道が新型コロナウイルスの感染者が一番多くなっているのか。冬の観光シーズンで中国人観光客が多数入っていることが指摘されるが、北海道には労働者、行方不明者等の中国人が多く入って定住していることが要因だろう。
 中国は孫子の兵法で、戦わずに勝つことを上策とする。宣伝・謀略を用いて、相手に戦う意志をなくし、自分で考える力をなくし、無抵抗にしてしまって国を奪う。その計画が、じわじわと進んでいると見てよい。
 ただし、中国がどこかの段階で、隙を見て、武力を用いて侵攻する可能性もある。武力侵攻の場合については、ウクライナの例が参考になる。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************

インド59~六派哲学の諸派

2020-03-11 09:42:18 | 心と宗教
●六派哲学(続き)

◆サーンキャ学派
 開祖は、カピラと伝えられる。カピラの活躍時期は不明である。根本経典は、『サーンキヤ・カーリカー』。4~5世紀頃のイーシュヴァラ・クリシュナン作とされる。数論学派ともいう。ヨーガ学派と密接な関係がある。
 この学派も世界実在論だが、世界は精神と物質から構成されるとする二元論を説く点が特徴的である。宇宙の根本原理として、精神原理であるプルシャと物質原理であるプラクリティを立てる。
 プルシャは純粋精神である。実体としての個我であり、個我として多数存在する。宇宙の動力因であり、自らは活動せず、ただ観照するだけである。また、それ自体は変化しないとされる。プラクリティは、物質の唯一の源であり、宇宙の質料因である。サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(翳質)という三つの構成要素(グナ)から成る。三つの要素が平衡状態にあるとき、プラクリティは活動せず、世界は展開しない。だが、ひとたびプルシャから観照されると、均衡を失い、世界が展開する。物心のバランスの崩れによって世界が創造されると考えるわけで、このような世界創造説を、展開説という。
この学派は、最高神を認めない。また、原因の中に結果が潜在しているという因中有果論を説く。プラクリティの中にあらゆる結果がたたみ込まれており、世界の創造はそれらが展開する過程にほかならないとする。
 解脱は、プルシャが物質から離れた時に達成されると説く。この学派における解脱は、神との合一ではなく、物質からの精神の離脱を意味する。この点では無神教的だが、仏教と異なり、個我は実体とする。難解な思想を説く一方、解脱のためには、ヨーガの実践が必要であるとする。

◆ヨーガ学派
 開祖は不明である。ヨーガの起源は、インダス文明にまで遡ると考えられる。根本経典は、『ヨーガ・スートラ』。パタンジャリにより2~4世紀頃に成立したと考えられる。
この学派は、学派とは言え、固有の哲学体系を持たず、サーンキヤ学派から多くを借用している。ただし、サーンキヤ学派と違い、最高神を認める。最高神は、多数存在するプルシャの中の特別なプルシャとされる。合一の対象ではなく、信者に恩寵を垂れる救済者でもない。精神が物質に依存せずに独存することを実現するための瞑想や精神集中の対象が、最高神だとする。
 ヨーガ学派は、ヨーガの行法を発達させた。ヨーガについては、概要の実践の儀礼の項目に書いた。ここではそれを踏まえて、ヨーガ学派の行法について補足する。
 ヨーガ学派のヨーガは、心理的・内観的な瞑想によって、解脱を目指す古典的なラージャ・ヨーガである。ヨーガ学派は、8段階を実習するヨーガを説く。修行者は禁戒(ヤーマ)、歓戒(ニヤーマ)、座法(アーサナ)、調息(プラーナーヤーマ)、制感(プラーティヤーハーラ)、凝念(ダーラナ)、禅定(ディヤーナ)、三昧(サマーディ)である。この修行の過程で、輪廻の原因である無明が除かれ、無明による業は結果を生じることがなくなる。それによって、個我(プルシャ)が物質原理(プラクリティ)の中に帰入すれば、生前解脱に至り得る。生前解脱者は、身体の死とともに最終的な離身解脱を達成し得るとする。
 ヨーガ学派が説く行法は、六派哲学の他の学派やヒンドゥー教の各宗派に採り入れられた。仏教もこれを採り入れており、大乗仏教の瑜伽行唯識派はその名に瑜伽(ヨーガ)を冠している。密教でもヨーガが実践された。シナでは禅宗が発達したが、そこにおける座禅も、インドの古典ヨーガの沈思瞑想による修行を継承したものである。

◆ミーマーンサー学派
 開祖は紀元前2世紀ころのジャイミニと伝えられる。根本経典は、『ミーマンサー・スートラ』。100年頃の編纂とみなされるが、作者はジャイミニと伝えられる。
 この学派は、ヴェーダに規定されている祭儀の意義を研究して統一的解釈を与える。
 ヴェーダーンタ学派と密接な関係がある。ミーマーンサー学派とヴェーダーンタ学派は、ヴェーダを聖典とする正統派の中で、最も権威ある位置を占める。前者は祭儀、後者は教義の研究を代表する。
 ミーマーンサー学派は、ヴェーダのうち、祭式の規則や由来・意義を説く祭儀書であるブラーフマナ文献を最も重視する。この学派によると、ヴェーダは宗教的義務としてのダルマを説いている。その義務とは、ヴェーダに規定されている儀礼の実行である。
 この学派は、ヴェーダの祭儀のみが、人を解脱に導くと説く。祭儀の執行の結果は、すぐ得られるのではなく、死後に享受される。祭儀を執行すると、執行者の魂に効力が賦与され、結果として現れる時まで、その効力が維持されるという。
 祭儀を実行した結果は、神がもたらすのではなく、祭儀そのものの効力が結果を生むとした。それゆえ、神や供物はバラモンが行う祭儀の要素に過ぎないとする。ここには、バラモンの祭式至上主義がよく表れている。そのうえ、この学派は、世界の主宰神を認めず、世界は創造されることも破壊されることもないとした。バラモンを自然や神々を動かす人間神と仰ぐ傾向も、またここによく表れている。

◆ヴェーダーンタ学派
 開祖は、紀元前1世紀頃のバーダーラーヤナとされる。根本経典は、『ブラフマ・スートラ』。400年から450年頃の編纂だが、作者はバーダーラーヤナとされている。
ミーマーンサー学派と密接な関係がある。
 ヴェーダーンタ学派は、ヴェーダで最も重要なのは知識を扱った部分だとする。その部分とは『ウパニシャッド』である。『ウパニシャッド』はヴェーダの4部門の終結部(アンタ)に位置するため、別名ヴェーダーンタとも呼ばれる。それが、この学派の名称の由来となっている。
 ヴェーダーンタ学派は、『ウパニシャッド』に記されている様々な学説を統一的に理解することに努めた。その成果である『ブラフマ・スートラ』は、ブラフマンこそ究極的な実在であるとし、現象界の多様性は、すべてそれに基づくとする。宇宙は、ブラフマンの自己展開によって創造される。一切万有はブラフマンによって持続され、最後に、再びブラフマンに戻る。このようにして、宇宙の創造、持続、帰滅が繰り返されると説く。これは、ブラフマンを根本原理とする一元論であり、この学派は、ヒンドゥー教における一元論的傾向を代表する。同時に、万有一切がブラフマンの現れとするから、「一即多、多即一」の論理構造をよく示してもいる。
 ヴェーダーンダ学派では、自然界の諸事象も、個我の人格的な意志やその行動も、すべて虚妄のものとし、人生の目的はブラフマンとの合一による解脱であると説く。『ウパニシャッド』の哲学を発達させたこの学派は、インド思想の主流を形成し、現代のインドでも代表的な哲学となっている。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************

激動する世界を生き抜くため、日本再建を急げ2

2020-03-10 10:54:01 | 時事
●国際情勢は厳しさを増している(続き)

 中東ばかりではない。日本を取り巻く国際環境は厳しさを増している。特に東アジアは大きく揺れ動いている。
 香港では、昨年逃亡犯条例への反対運動が高まり、中国共産党政府は、民主化運動を厳しく鎮圧している。警官が市民に殴りかかったり、至近距離から拳銃で撃ったりして、多くの犠牲者が出ている。本年9月上旬頃に香港で立法会選が行われる。民衆と警察の衝突が続くことが予想される。香港を対岸の火事として他人事のように見ていてはならない。もし日本が中国に支配されることになったら、日本も同じようになる。
 その恐怖を最も強く感じているのが、台湾の人びとだ。台湾では、もし台湾にも「一国二制度」が導入されれば、今の香港のようになると危機感が強まった。中国から台湾の自由や民主主義を守ろうという人々が増え、本年1月11日の総統選では、蔡英文氏が再選された。ひとまず台湾が中国の影響下に置かれることは避けられた。だが、中国は、軍事力で台湾の支配を図る意志を繰り返し表している。アメリカの専門家たちは今年から数年のうちに実行される可能性があると予想している。
 もし台湾が中国に支配されたら、日本に石油等を運ぶシーレーンが中国に抑えられ、日本は中国の意思に従わざるを得なくなる。
 すでに中国は、沖縄や北海道に着々と支配の手を伸ばしている。特に北海道では、中国資本による土地の買収が進んでいる。わかっているだけでも東京23区の広さが買われている。実際は1割ほどが既に買われているのではないかと見られる。水資源、農地だけでなく、レアアース等の鉱物資源のある土地に目が付けられている。土地買収を規制する法律の制定が進んでおらず、買われ放題である。このままいけば、中国によって合法的に、北海道を支配されてしまう。
 次に北朝鮮は、昨年九州北部まで届く新型の短距離弾道ミサイルの発射を繰り返した。金正恩朝鮮労働党委員長は、昨年末の党中央委員会総会で演説し、米韓合同軍事演習や制裁を理由に「これ以上、一方的に公約に縛られる根拠はなくなった」と述べた。その上で「世界は遠からず、わが国が保有することになる新たな戦略兵器を目撃するだろう」と威嚇した。これまで控えてきた核実験や大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験の再開を示唆したものと理解される。
 そうした北朝鮮と連携し、統一国家を目指しているのが、韓国の文在寅大統領である。昨年文政権は、日米の側から中国・北朝鮮の側にはっきりと軸足を移した。そのため、日韓関係は、過去最悪の状態になっている。いわゆる徴用工判決、戦略物資の横流し、ホワイト国除外等の問題から、韓国は昨年8月GSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄を宣告した。日米の働きかけによって、GSOMIAの破棄は避けられたが、日米韓の連携は、ぎくしゃくしたものとなっている。これを喜んでいるのが、中国であり、北朝鮮である。
 来月4月15日には、韓国で国会議員選挙が行われる。この選挙は、文在寅政権がさらに左傾化し、中朝寄りに固まるか、それを韓国内の自由民主主義の勢力がそれを防ぐことができるかの分かれ目となる。
 また、本年は11月3日に米国で大統領選が行われる。トランプ大統領が再選され、これまでの政策が継続されるのか、民主党の大統領に替わって、大きく政策が変わるのか、重要な選挙である。大統領選の結果は、日米関係、米中関係をはじめ、世界全体に大きな影響を与える。
 本年行われる台湾、韓国、香港、米国の選挙に共通するのは、中国の存在である。中国は、ますます覇権主義を拡大している。これに対して、今どう対処するか。その結果は、早ければ数年後、遅くとも30年後には決定的な形で日本の運命を左右する。日本人はそうした危機感をもって、日本の再建を急ぐ必要がある。
 そこで重要なのが、日本人が団結して自ら国を守る意志を持ち、国を守るための体制を整えることである。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************

インド58~六派哲学、ダルシャナ

2020-03-09 16:18:45 | 心と宗教
●六派哲学の見解

 インド文明では、ヴェーダの権威を認め、バラモン階級の社会的優位を肯定する思想が、正統派(アースティカ)である。これに対し、ナータプッタや釈迦は、ヴェーダの権威に異を唱えたので、非正統派(ナースティカ)とされる。
 ヒンドゥー教の正統派には、様々な学派がある。それらは、紀元前後に現れ、4世紀頃に確立し、ヒンドゥー教の古典哲学を形成した。
 哲学は論理的な思考であり、論理に対する自覚的反省である論理学が発達することによって、はじめて成立する。古代において、体系的な論理学を生み出したのは、世界でインド人とギリシャ人のみである。
 インド人とギリシャ人は、ともにインド・ヨーロッパ語族に分類される言語を使用する。それらの言語のもとは同じである。彼らは数千年前に別れて離れた地域で生活し、異民族との混血、異文化との混淆があったにもかかわらず、共通の根源に発する文化的資産を持ち続けた。その資産をもとに生み出されたのが、それぞれの哲学と考えられる。
 古代インドで発達した哲学は、古代ギリシャの哲学と比較されるべき水準にあり、東西の双璧をなす。

◆ダルシャナ
 ヒンドゥー教正統派の哲学は、ダルシャナと呼ばれる。ダルシャナは「見ること」を原義とし、そこから転じて「見解」を意味する。哲学的にいうダルシャナは、真理に関する見解であり、実在観・世界観・人間観や認識論・論理学等を含むものである。インドの諸言語では、西洋のフィロソフィ(哲学)を「ダルシャナ」と訳すという。
 インド文明では、真理について様々な見解があり得ると考え、異なる見解の併存を認める。インド文明では異なる宗教に対して寛容であり、ヒンドゥー教の中においても互いの宗派や信仰に対して寛容である。そうした姿勢が哲学においても現れているものだろう。
ヒンドゥー教の代表的なダルシャナは六つあり、それらの哲学体系を六派哲学と呼ぶ。ニヤーヤ学派、ヴァイシェーシカ学派、サーンキヤ学派、ヨーガ学派、ミーマーンサー学派、ヴェーダーンタ学派である。これらは、歴史的及び教義的なつながりから、二つの学派づつ三つに分けられる。ニヤーヤ学派とヴァイシェーシカ学派、サーンキヤ学派とヨーガ学派、ミーマーンサー学派とヴェーダーンタ学派である。
 哲学といっても、インドの哲学は、宗教と別のものではなく、輪廻からの解脱を究極の目標とする。哲学はこの目標を達成するための手段であり、宗教と深く結びついている。
 六つの学派は、解脱を目指すための理論と方法を探求した。それぞれ基本的な文献を持ち、またそれに対する注釈文献が多数残されている。この点で、六派哲学は、仏教における部派仏教の部派や大乗仏教の宗派と比較し得るし、仏教の部派や学派をダルシャナと呼ぶことも可能である。また、仏教の哲学的な理論は、六派哲学と相互に影響を与え合った。結果として、仏教の哲学の一部がヒンドゥー教の哲学の中に採り入れられている。

◆ニヤーヤ学派
 開祖は、1世紀末のガウタマと伝えられる。根本経典は、3~4世紀に編纂された『ニヤーヤ・スートラ』。正理学派ともいう。ヴァイシェーシカ学派と密接な関係がある。
苦しみは誕生に、誕生は活動に、活動は貪欲・嫌悪等の欠点に、欠点は誤った知識に基づくとする。そこから、正しい知識を得て、誤った知識が除かれれば、苦しみからの完全な自由である解脱が達成されると説く。
 この学派は、解脱のためには正しい知識が必要であるとし、正しい知識を得るために、認識論と論理学を発展させた。基本的には、心から独立した外界が存在するという世界実在論に立つ。認識論としては、直接知、推理、類比、証言の四つを有効な認識手段とし、これらの手段によって、解脱を目指すために有効な知識が得られるとする。第四の手段である証言は、信頼できる者の言葉を意味する。その究極はヴェーダであり、ヴェーダの言葉は完全で誤りのないものとする。その一方、第三の手段である推理を詳しく論じ、論理学を発達させた。その論証方式は、論争から生み出されたもので、命題・理由・実例・適用・結論と進む。その論理学や論証方式は、多くの学派に採り入れられた。仏教もこれを採り入れ、独自の改良を施し、因明という仏教論理学を発達させた。
 知識を重視しつつヴェーダ聖典を絶対のものとするニヤーヤ学派は、次第に徹底した有神論を唱えるようになり、シヴァ宗に近づいた。そして、論理を駆使して最高神の証明を試みた。

◆ヴァイシェーシカ学派
 開祖は、紀元前1~2世紀頃のカナーダと伝えられる。根本経典は『ヴァイシェーシカ・スートラ』で、カナーダ作とされる。ニヤーヤ学派と密接な関係がある。
 この学派は、ニヤーヤ学派と同じく世界実在論に立つ。精神と物質はどちらも多数あるとし、精神から独立した数多くの実在物を認める多元論を説く。
 また、ニヤーヤ学派と同じく解脱のためには正しい知識が必要であると説き、正しい知識を得るためにカテゴリー(範疇)論を発達させた。世界を実体・属性・運動・普遍・特殊・内属の六つのカテゴリー(六句義)によって説明する。実体としては、地・水・火・風・虚空・時間・方角・アートマン・マナスを挙げる。これら9種の実体は、それぞれ属性、普遍及び特殊を持つ。実体のうち虚空・時間・方角・アートマン以外のものには、運動があるとする。これらのカテゴリー間には、内属と呼ばれる不可分の関係があるとする。また、こうしたカテゴリー論のもとに、原子論を唱える。物体は地・水・火・風の四つの原子(アヌ)が寄り集まってできており、物体の大きさや質の違いは、集積する原子の数と種類に由来するとした。このような主張から、ヴァイシェーシカ学派はインドの自然哲学を代表するものとされる。
 因果関係については、原因の中に結果が潜在しているとする因中有果論を否定する。原因と結果は全く別のものであり、後者は前者に依存しないと説く。糸とそれを紡いでできた布とは別物であるように、全体は部分の集合ではなく、全く異なるものとする。これを因中無果論という。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************

激動する世界を生き抜くため、日本再建を急げ1

2020-03-07 08:46:43 | 時事
 3月はじめ、私は静岡で「激動する世界を生き抜くため、日本再建を急げ」と題した講演を行った。新型コロナウイルス、中東・東アジア情勢、国防と緊急事態等の問題から憲法の欠陥を述べ、憲法改正による日本の立て直しを訴えるものである。その大意を掲載する。

●はじめに

 わが国の新型コロナウイスへの対応は、後手後手に回った。台湾、フィリピン、アメリカ等が早い段階で中国人の入国禁止等の厳しい措置をとったのと対照的である。感染が広がってから慌てて公立小中学校等の臨時休校を決めたりしている。だが、まだ中国人が個人で入って来るのは規制していない。中国人観光客や中国人労働者の減少による経済への影響、中国で活動する日本企業への影響等、経済への影響を国民の健康や生命より優先している。また、自民党にも多数いる親中派が中国の機嫌を損ねないようにおもねっていることも原因である。また、原因の一つに、こういう緊急事態の時にどのように対応するかが、憲法に定められていないことがある。憲法に緊急事態条項がないため、中途半端な対応になってしまう。
 緊急事態条項とは、外国の武力攻撃、内乱、騒擾、大規模自然災害等が起こった時には、どうするかを定めるもの。わが国の憲法にはそれがない。現行憲法の大きな欠陥である。
 平成23年東日本大震災が発生した後、憲法に緊急事態規定を設けるべきという意見が多く出た。大震災の影響で首都圏や南海トラフ等で巨大地震が起こる可能性が高まっている。だが、憲法改正の議論が進んでいないので、実現には至っていない。
 また、憲法について、より大きな問題は、現行憲法は国防に規制をかけているため、今日の激動する世界で日本が生き抜けるようになっていないことである。このままでは、日本は亡国に至る恐れがある。そこで、本日は、激動する世界を生き抜くために、日本の再建を急ぐ必要があることをお話しする。

●国際情勢は厳しさを増している

 昨年当地で行った講演では、外国人の受け入れ拡大を始めたことで、日本の再建がいよいよ急務になっており、憲法の全面的な改正を急ぎ、国のあり方を根本から立て直さなくてはならないということを話した。だが、残念ながら、以後1年間、憲法改正については前進がない。
 野党の多くは、首相が主催する「桜を見る会」の参加や費用を問題視し、昨年後半、国会でほとんどその問題の追及に終始した。また、IR(統合型リゾート施設)をめぐる収賄問題が起こり、与野党の国会議員が中国の企業から献金を受け取っていたとして、大きな問題になっている。また、公職選挙法違反の疑いで大臣が二人辞任するという問題も起こった。わが国の国内がこうした問題でごたごたしている間にも、わが国を取り巻く国際情勢は、ますます厳しさを増している。
 新年早々、アメリカとイランの間で、大きな動きが生じた。1月3日米国は、イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を無人機による攻撃で殺害した。これに対し、イランは、米軍が駐留するイラク軍基地2か所を地対地ミサイルで攻撃した。イランは、攻撃を実施するとともに米国に書簡を送り、戦争をする意思はないことを伝えており、また基地攻撃は人命損傷を避けた仕方だったと見られ、トランプ政権はさらなる報復攻撃をせず、経済制裁を強化することを表明した。当面事態の拡大はなさそうである。ただし、イランでは2月21日の国政選挙で強硬派が圧勝したので、今後アメリカへの態度を硬化すると見られる。
 わが国は、石油の88%を中東からの輸入に依存している。中東は近年、非常に不安定な情勢になっており、日本のタンカーがホルムズ海峡を安全に航行できることが求められている。政府は、中東へ海上自衛隊の護衛艦1隻を派遣し、ソマリア沖で活動中のP3C哨戒機を2機振り充てた。情報取集活動だけゆえ、全く不十分である。いざという時に自国の船舶は自国で守る態勢を取れるようにしなければならない。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************

インド57~『マヌ法典』、グプタ朝の滅亡、先住民族の文化の強さ

2020-03-06 10:01:00 | 心と宗教
●『マヌ法典』
 
 二大叙事詩と並んで、『マヌ法典』等の宗教的・道徳的・慣習的・法律的等の規範をまとめた法典群が成立したことが、ヒンドゥー教の確立において重要な意味を持つ。
 『マヌ法典』は、紀元前200年から後200年頃に現在の形になったと推定されている。教義の項目に本書について書いたが、ここでその歴史的な意義を補足する。
 『マヌ法典』は、12章2684条からなる。全篇が韻文で書かれており、辻直四郎は「法典というより、むしろ一大教訓詩と見なし得る」と述べている。
 内容は、宇宙の根本理法(ダルマ)に基づく人間のあり方や生き方を定め、宗教、道徳、法律、生活の仕方等を総合的に説いたものである。単なる法律書ではない。法律的な規定は、全体の4分の1程度にすぎない。
 構成は、宇宙の開闢、万物の創造から説き起こしている。次に、人生における様々な通過儀礼(サンスカーラ)、日々の行事、祖先の祭祀、ヴェーダの学習、飲食物、四住期(アーシュラマ)、国王の義務等が盛られている。法律的な規定としては、民法・刑法に相応する規定が18の部門に分けて定められている。続いて、種姓の義務や贖罪について記し、最後は輪廻、業、解脱について説いている。
 こうした構成における中心的課題は、種姓法と生活期法である。前者は生まれついた身分的な集団に関する規範であり、前者はカースト制に関わる。後者は、人生の各段階に関わる規範であり、四住期に関わる。ヒンドゥー教徒に対し、これらの規範を実行し、各自に課せられた義務を事の成否や利害を考えずに実践することを求めている。そのうえで、人生の最後には解脱を目指すように教えている。
 作者は、人間の始祖マヌに帰せられている。実際には、数世紀あるいはそれ以上の長年月にわたって、インドの社会で受け継がれてきた慣習法を集大成し、成文化したものと見られる。権力者が制定して、民衆に公布したものではなく、民衆の生活に目指した慣習に基づくものであるので、今日まで人々が遵守してきたと考えられる。
 『マヌ法典』の中の宗教的な内容は、『バガヴァッド・ギーター』の説くところとよく一致しており、相補的である。本書の成立は、ヒンドゥー教を、バラモンによるヴェーダの宗教でも、非アーリヤ民族の諸部族の宗教でもなく、一個の民族宗教として確固たるものとして成立せしめたといえよう。

●グプタ朝の滅亡

 ヒンドゥー教は、インド古典文化が完成期を迎えたグプタ朝の時代に、民衆に定着した。また、民衆の心をとらえて勢いを増し、仏教やジャイナ教より優位に立った。そして、インドの民族宗教としての基盤ができた。
 だが、グプタ朝は、5世紀中頃から宮廷内の不和や中央アジアの遊牧民族エフタルの侵入等によって、急速に衰退した。アッティラのもとで大帝国を創ったフン族は、西ローマ帝国に侵入してヨーロッパ人に恐れられたが、西方から撤退すると、インドに480年頃から侵入し、インドの文化を破壊した。これによって、グプタ朝はさらに衰え、6世紀には地方領主が群立して滅亡した。
 だが、グプタ朝が滅亡しても、ヒンドゥー教は衰えることなく、今日まで民衆の信仰として持続している。

●先住民族の文化の強さ
 
 インド文明は、アーリヤ人の文化、とりわけバラモンの文化を主要な文化とする文明である。だが、先住民族の非アーリヤ人の文化が、この主要文化と融合し、部分的には被支配民族の文化が支配民族の文化より優位に立っているところに、顕著な特徴がある。
 例えば、先に書いたように、『マハーバーラタ』はバーラタ族の戦争を語る叙事詩であり、その中の『バガヴァッド・ギーター』は、ヒンドゥー教の精髄ともいえる文献である。内容は、宗教的にはヴィシュヌ信仰に基づいており、ヴィシュヌの化身とされる英雄クリシュナが活躍する。バーラタ族はアーリヤ人の部族だが、クリシュナは肌が黒いとされている。すなわち、主人公が肌の白いアーリヤ人ではなく、肌の黒い非アーリヤ人になっているのである。
 ヴィシュヌは、アーリヤ人の神話に出てくる神々の一人だが、ヒンドゥー教の成立過程で、それまでの主要な神々だったインドラ、ヴァルナ、ミトラに代わって台頭し、主神の座に上った。ヒンドゥー教でヴィシュヌと並ぶシヴァも、アーリヤ人の神々の一人であり、ヒンドゥー教の成立過程で主神の座に就いた。シヴァはインダス文明以来のリンガを象徴とし、インダス文明に由来するヨーガの王と呼ばれる。その点では、非アーリヤ的な性格を強く持っている。
 このようにインド文明においては、先住民族の文化がアーリヤ人の文化の基層にあって、強い影響力を持っている。外から来たアーリヤ人の文化を下から変質させ、一部は取って代わるほどの強力なエネルギーを発している。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************

インド56~『バガヴァッド・ギーター』

2020-03-04 10:17:21 | 心と宗教
●『バガヴァッド・ギーター』
 
 二大叙事詩の膨大な詩文のうち、最も重要なのは、『マハーバーラタ』の一部をなす『バガヴァッド・ギーター』である。『バガヴァッド・ギーター』については、ヒンドゥー教の教義と実践の項目に宗教的な内容の概要を書いた。ここではヒンドゥー教の歴史という面から補足する。
 ヒンドゥー教の歴史において、『バガヴァッド・ギーター』の成立は、非常に大きな意味を持つ。ヒンドゥー教がバラモンを中心としたヴェーダの宗教から、インドの民衆の宗教であるヒンドゥー教となったのは、『バガヴァッド・ギーター』の成立によるといっても過言ではない。
 『マハーバーラタ』の中心的な部分は、先に書いたように、バーラタ族の戦争の物語である。バーラタ族はアーリヤ人の部族である。王位継承をめぐって、パーンダヴァ軍とカウラヴァ軍とが18日間にわたって戦い、クリシュナが参謀を務めたパーンダヴァ軍が勝利を収めたことが書かれている。実際にあった戦争が終結した後、その出来事を壮大な叙事詩に描いたものだろう。
 この戦争は、アーリヤ人がインドに侵入し東進していった時代の早い時期に起こったと考えられる。だが、ヴェーダ文献では黙殺されており、考古学の研究によっても未だ解明されていない。ホメロスが書いたトロイの遺跡は、シュリーマンによって発掘され、イーリアスが単なる創作ではなく、史実を伝えるものであることが明らかになった。『マハーバーラタ』の戦争についても、今後、事実の裏付けがなされる可能性がある。
 『バガヴァッド・ギーター』は、『マハーバーラタ』の第6巻に挿入されている。全体の中心である戦争の決戦の場面に当たる。
 バーラタ族の部族内の戦争において、クリシュナは、参謀としてパーンダヴァ軍を勝利に導くために、王子アルジュナに奸計を進言する。だが、アルジュナは、敵軍の中に血族や親しい者たちがいるのを見てたじろぐ。人を殺す罪を犯すより、自らの死を選ぶべきではないかと苦悩する。そのアルジュナに対して、クリシュナは、大意次のように説く。
 戦士にとって、義務によって命じられた戦いを行うこと以上の善は、存在しない。人間には普遍的な理法としてのダルマがあるとともに、戦士には戦士の義務としてのダルマが、商人には商人の義務としてのダルマがある。戦士はその義務に従って戦うのが本分である。ひたすらその義務を実行すべきであり、その結果を求めてはならない。アートマンとしての個我は不変不滅である。殺したり殺されたりというのは、肉体に関することに過ぎない。殺すという行為によって、真に殺される者も殺す者も存在しない。神を全面的に信頼して、失敗や成功などの結果を考えず、一切を神に委ね、自己の義務を果たす者に対して、神は救いをもたらす。
 このように語った後、クリシュナは、宇宙の主宰神ヴィシュヌとしての姿を、アルジュナの前に示現する。肌の黒い策士が、実は神の化身だったというのだから、驚くべき展開である。
 神の化身とされるクリシュナは、物語では非業の最期を遂げる。もともとそういう死に方をした普通の人間を神格化したものだからだろう。キリスト教においては、罪人として磔刑に処されたイエスが、死後、神の子とされ、神そのものともされている。クリシュナの場合も、偉大な人間を超人化し、神格化する集団的な心理の働きによるものいえよう。
さて、クリシュナ=ヴィシュヌが説く思想は、バラモン階級が解脱を目指すために説く思想とは、全く異なる。クシャトリヤなどバラモンより下位の階級に対して、身分的な義務を全うすることによって、神の救いが得られることを説くものである。これは、ヴェーダの宗教にはない、新しい思想である。
 『バガヴァッド・ギーター』も解脱を目標としており、ここでの神の救いは解脱を意味する。本書が解脱への三つの道を説いていることは、教義の項目に書いた。三つの道とは、行為(カルマン)の道、知識(ジュニヤーナ)の道、信愛(バクティ)の道(ヨーガ)である。これらのうち、知識の道(ジュニヤーナ・ヨーガ)は、ヴェーダの宗教で説かれてきた道である。『バガヴァッド・ギーター』は、後の二つを新たに示した。
 アルジュナに対してクリシュナが説くのは、行為の道(カルマ・ヨーガ)である。この道の提示は、仏教における出家中心の教えから、在家中心の教えへの転換に比較できる。民衆は、自らの家庭・職業における義務を果たすことで解脱を得られるという希望を得た。
 これに加えて、『バガヴァッド・ギーター』は、信愛の道(バクティ・ヨーガ)を説いている。『バガヴァッド・ギーター』は、クリシュナはヴィシュヌの化身であるとし、この神に対する熱烈な信愛を強調する。ヴィシュヌは最高神であり、世界の創造・維持・破壊を司る主宰神である。自らへの帰依者に対して、ヴィシュヌは、恩寵を恵み、救済を行うとする。
 その神の化身としてクリシュナは、次のように説く。「たとえ極悪人であっても、ひたすら私を親愛するならば、彼はまさしく善人であるとみなされるべきである。彼は正しく決意した人であるから」(9・30)。「速やかに彼は敬虔な人となり、永遠の寂静に達する。アルジュナよ、確信せよ。私の信者は滅びることがない」「実に、私に帰依すれば、生まれの悪い者でも、婦人でも、ヴァイシャ(生産業者)でも、シュードラ(従僕)でも、最高の帰趨に達する」(9・31、上村訳)
 こうして『バガヴァッド・ギーター』は、信愛の道を説くことにより、身分、階級、性別に関わりなく解脱を得られるという道を示した。これは、いかなる者でも神を心から信仰し敬愛することによって、救済されるという希望を与えるものである。厳しい修行や教義の体得のできない大衆にも救済の道が開かれた。これによって、ヒンドゥー教は民衆に広く受け入れられるものとなったのである。
 神への信愛によって神に救済されるという考えは、それ以後、今日までヒンドゥー教の中心思想となっている。中村元は、「インド人に向かって、たった一つの書物でインド精神を代表するようなものを示してくれといえば、まずたいていの人が「それは『バガヴァッド・ギーター』だ」と答える」と書いている。(『ヒンドゥー教史』」)
 『バガヴァッド・ギーター』の中心思想は、『ウパニシャッド』の梵我一如論を民衆化したものである。そこには大乗仏教の影響がうかがわれる。在家信者が、仏や如来、菩薩等を信じることによって、誰もが救われると説く大乗仏教から、信者を改宗させるためには、大乗仏教と同じような救済の道を説く必要があったからだろう。ここで実際にその道の実践によって解脱が得られるかどうか、すなわち救いの実証があるかどうは、別の話である。あくまで教義上のことである。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************