●六派哲学の見解
インド文明では、ヴェーダの権威を認め、バラモン階級の社会的優位を肯定する思想が、正統派(アースティカ)である。これに対し、ナータプッタや釈迦は、ヴェーダの権威に異を唱えたので、非正統派(ナースティカ)とされる。
ヒンドゥー教の正統派には、様々な学派がある。それらは、紀元前後に現れ、4世紀頃に確立し、ヒンドゥー教の古典哲学を形成した。
哲学は論理的な思考であり、論理に対する自覚的反省である論理学が発達することによって、はじめて成立する。古代において、体系的な論理学を生み出したのは、世界でインド人とギリシャ人のみである。
インド人とギリシャ人は、ともにインド・ヨーロッパ語族に分類される言語を使用する。それらの言語のもとは同じである。彼らは数千年前に別れて離れた地域で生活し、異民族との混血、異文化との混淆があったにもかかわらず、共通の根源に発する文化的資産を持ち続けた。その資産をもとに生み出されたのが、それぞれの哲学と考えられる。
古代インドで発達した哲学は、古代ギリシャの哲学と比較されるべき水準にあり、東西の双璧をなす。
◆ダルシャナ
ヒンドゥー教正統派の哲学は、ダルシャナと呼ばれる。ダルシャナは「見ること」を原義とし、そこから転じて「見解」を意味する。哲学的にいうダルシャナは、真理に関する見解であり、実在観・世界観・人間観や認識論・論理学等を含むものである。インドの諸言語では、西洋のフィロソフィ(哲学)を「ダルシャナ」と訳すという。
インド文明では、真理について様々な見解があり得ると考え、異なる見解の併存を認める。インド文明では異なる宗教に対して寛容であり、ヒンドゥー教の中においても互いの宗派や信仰に対して寛容である。そうした姿勢が哲学においても現れているものだろう。
ヒンドゥー教の代表的なダルシャナは六つあり、それらの哲学体系を六派哲学と呼ぶ。ニヤーヤ学派、ヴァイシェーシカ学派、サーンキヤ学派、ヨーガ学派、ミーマーンサー学派、ヴェーダーンタ学派である。これらは、歴史的及び教義的なつながりから、二つの学派づつ三つに分けられる。ニヤーヤ学派とヴァイシェーシカ学派、サーンキヤ学派とヨーガ学派、ミーマーンサー学派とヴェーダーンタ学派である。
哲学といっても、インドの哲学は、宗教と別のものではなく、輪廻からの解脱を究極の目標とする。哲学はこの目標を達成するための手段であり、宗教と深く結びついている。
六つの学派は、解脱を目指すための理論と方法を探求した。それぞれ基本的な文献を持ち、またそれに対する注釈文献が多数残されている。この点で、六派哲学は、仏教における部派仏教の部派や大乗仏教の宗派と比較し得るし、仏教の部派や学派をダルシャナと呼ぶことも可能である。また、仏教の哲学的な理論は、六派哲学と相互に影響を与え合った。結果として、仏教の哲学の一部がヒンドゥー教の哲学の中に採り入れられている。
◆ニヤーヤ学派
開祖は、1世紀末のガウタマと伝えられる。根本経典は、3~4世紀に編纂された『ニヤーヤ・スートラ』。正理学派ともいう。ヴァイシェーシカ学派と密接な関係がある。
苦しみは誕生に、誕生は活動に、活動は貪欲・嫌悪等の欠点に、欠点は誤った知識に基づくとする。そこから、正しい知識を得て、誤った知識が除かれれば、苦しみからの完全な自由である解脱が達成されると説く。
この学派は、解脱のためには正しい知識が必要であるとし、正しい知識を得るために、認識論と論理学を発展させた。基本的には、心から独立した外界が存在するという世界実在論に立つ。認識論としては、直接知、推理、類比、証言の四つを有効な認識手段とし、これらの手段によって、解脱を目指すために有効な知識が得られるとする。第四の手段である証言は、信頼できる者の言葉を意味する。その究極はヴェーダであり、ヴェーダの言葉は完全で誤りのないものとする。その一方、第三の手段である推理を詳しく論じ、論理学を発達させた。その論証方式は、論争から生み出されたもので、命題・理由・実例・適用・結論と進む。その論理学や論証方式は、多くの学派に採り入れられた。仏教もこれを採り入れ、独自の改良を施し、因明という仏教論理学を発達させた。
知識を重視しつつヴェーダ聖典を絶対のものとするニヤーヤ学派は、次第に徹底した有神論を唱えるようになり、シヴァ宗に近づいた。そして、論理を駆使して最高神の証明を試みた。
◆ヴァイシェーシカ学派
開祖は、紀元前1~2世紀頃のカナーダと伝えられる。根本経典は『ヴァイシェーシカ・スートラ』で、カナーダ作とされる。ニヤーヤ学派と密接な関係がある。
この学派は、ニヤーヤ学派と同じく世界実在論に立つ。精神と物質はどちらも多数あるとし、精神から独立した数多くの実在物を認める多元論を説く。
また、ニヤーヤ学派と同じく解脱のためには正しい知識が必要であると説き、正しい知識を得るためにカテゴリー(範疇)論を発達させた。世界を実体・属性・運動・普遍・特殊・内属の六つのカテゴリー(六句義)によって説明する。実体としては、地・水・火・風・虚空・時間・方角・アートマン・マナスを挙げる。これら9種の実体は、それぞれ属性、普遍及び特殊を持つ。実体のうち虚空・時間・方角・アートマン以外のものには、運動があるとする。これらのカテゴリー間には、内属と呼ばれる不可分の関係があるとする。また、こうしたカテゴリー論のもとに、原子論を唱える。物体は地・水・火・風の四つの原子(アヌ)が寄り集まってできており、物体の大きさや質の違いは、集積する原子の数と種類に由来するとした。このような主張から、ヴァイシェーシカ学派はインドの自然哲学を代表するものとされる。
因果関係については、原因の中に結果が潜在しているとする因中有果論を否定する。原因と結果は全く別のものであり、後者は前者に依存しないと説く。糸とそれを紡いでできた布とは別物であるように、全体は部分の集合ではなく、全く異なるものとする。これを因中無果論という。
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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インド文明では、ヴェーダの権威を認め、バラモン階級の社会的優位を肯定する思想が、正統派(アースティカ)である。これに対し、ナータプッタや釈迦は、ヴェーダの権威に異を唱えたので、非正統派(ナースティカ)とされる。
ヒンドゥー教の正統派には、様々な学派がある。それらは、紀元前後に現れ、4世紀頃に確立し、ヒンドゥー教の古典哲学を形成した。
哲学は論理的な思考であり、論理に対する自覚的反省である論理学が発達することによって、はじめて成立する。古代において、体系的な論理学を生み出したのは、世界でインド人とギリシャ人のみである。
インド人とギリシャ人は、ともにインド・ヨーロッパ語族に分類される言語を使用する。それらの言語のもとは同じである。彼らは数千年前に別れて離れた地域で生活し、異民族との混血、異文化との混淆があったにもかかわらず、共通の根源に発する文化的資産を持ち続けた。その資産をもとに生み出されたのが、それぞれの哲学と考えられる。
古代インドで発達した哲学は、古代ギリシャの哲学と比較されるべき水準にあり、東西の双璧をなす。
◆ダルシャナ
ヒンドゥー教正統派の哲学は、ダルシャナと呼ばれる。ダルシャナは「見ること」を原義とし、そこから転じて「見解」を意味する。哲学的にいうダルシャナは、真理に関する見解であり、実在観・世界観・人間観や認識論・論理学等を含むものである。インドの諸言語では、西洋のフィロソフィ(哲学)を「ダルシャナ」と訳すという。
インド文明では、真理について様々な見解があり得ると考え、異なる見解の併存を認める。インド文明では異なる宗教に対して寛容であり、ヒンドゥー教の中においても互いの宗派や信仰に対して寛容である。そうした姿勢が哲学においても現れているものだろう。
ヒンドゥー教の代表的なダルシャナは六つあり、それらの哲学体系を六派哲学と呼ぶ。ニヤーヤ学派、ヴァイシェーシカ学派、サーンキヤ学派、ヨーガ学派、ミーマーンサー学派、ヴェーダーンタ学派である。これらは、歴史的及び教義的なつながりから、二つの学派づつ三つに分けられる。ニヤーヤ学派とヴァイシェーシカ学派、サーンキヤ学派とヨーガ学派、ミーマーンサー学派とヴェーダーンタ学派である。
哲学といっても、インドの哲学は、宗教と別のものではなく、輪廻からの解脱を究極の目標とする。哲学はこの目標を達成するための手段であり、宗教と深く結びついている。
六つの学派は、解脱を目指すための理論と方法を探求した。それぞれ基本的な文献を持ち、またそれに対する注釈文献が多数残されている。この点で、六派哲学は、仏教における部派仏教の部派や大乗仏教の宗派と比較し得るし、仏教の部派や学派をダルシャナと呼ぶことも可能である。また、仏教の哲学的な理論は、六派哲学と相互に影響を与え合った。結果として、仏教の哲学の一部がヒンドゥー教の哲学の中に採り入れられている。
◆ニヤーヤ学派
開祖は、1世紀末のガウタマと伝えられる。根本経典は、3~4世紀に編纂された『ニヤーヤ・スートラ』。正理学派ともいう。ヴァイシェーシカ学派と密接な関係がある。
苦しみは誕生に、誕生は活動に、活動は貪欲・嫌悪等の欠点に、欠点は誤った知識に基づくとする。そこから、正しい知識を得て、誤った知識が除かれれば、苦しみからの完全な自由である解脱が達成されると説く。
この学派は、解脱のためには正しい知識が必要であるとし、正しい知識を得るために、認識論と論理学を発展させた。基本的には、心から独立した外界が存在するという世界実在論に立つ。認識論としては、直接知、推理、類比、証言の四つを有効な認識手段とし、これらの手段によって、解脱を目指すために有効な知識が得られるとする。第四の手段である証言は、信頼できる者の言葉を意味する。その究極はヴェーダであり、ヴェーダの言葉は完全で誤りのないものとする。その一方、第三の手段である推理を詳しく論じ、論理学を発達させた。その論証方式は、論争から生み出されたもので、命題・理由・実例・適用・結論と進む。その論理学や論証方式は、多くの学派に採り入れられた。仏教もこれを採り入れ、独自の改良を施し、因明という仏教論理学を発達させた。
知識を重視しつつヴェーダ聖典を絶対のものとするニヤーヤ学派は、次第に徹底した有神論を唱えるようになり、シヴァ宗に近づいた。そして、論理を駆使して最高神の証明を試みた。
◆ヴァイシェーシカ学派
開祖は、紀元前1~2世紀頃のカナーダと伝えられる。根本経典は『ヴァイシェーシカ・スートラ』で、カナーダ作とされる。ニヤーヤ学派と密接な関係がある。
この学派は、ニヤーヤ学派と同じく世界実在論に立つ。精神と物質はどちらも多数あるとし、精神から独立した数多くの実在物を認める多元論を説く。
また、ニヤーヤ学派と同じく解脱のためには正しい知識が必要であると説き、正しい知識を得るためにカテゴリー(範疇)論を発達させた。世界を実体・属性・運動・普遍・特殊・内属の六つのカテゴリー(六句義)によって説明する。実体としては、地・水・火・風・虚空・時間・方角・アートマン・マナスを挙げる。これら9種の実体は、それぞれ属性、普遍及び特殊を持つ。実体のうち虚空・時間・方角・アートマン以外のものには、運動があるとする。これらのカテゴリー間には、内属と呼ばれる不可分の関係があるとする。また、こうしたカテゴリー論のもとに、原子論を唱える。物体は地・水・火・風の四つの原子(アヌ)が寄り集まってできており、物体の大きさや質の違いは、集積する原子の数と種類に由来するとした。このような主張から、ヴァイシェーシカ学派はインドの自然哲学を代表するものとされる。
因果関係については、原因の中に結果が潜在しているとする因中有果論を否定する。原因と結果は全く別のものであり、後者は前者に依存しないと説く。糸とそれを紡いでできた布とは別物であるように、全体は部分の集合ではなく、全く異なるものとする。これを因中無果論という。
次回に続く。
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『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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