ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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インド64~イスラーム教のインド文明への浸透

2020-03-26 10:17:43 | 心と宗教
●イスラーム教のインド文明への浸透

 インドの歴史で大きな転機になったのは、イスラーム文明の進出である。これは、多神教の文明に一神教の文明が進出するという人類文明史上で重要な出来事だった。
 北インドでは、7世紀半ばにヴァルダナ朝が滅亡した後、13世紀までラージプートと呼ばれる地域的な諸王朝が興亡する分裂時代が続いた。この時代に、イスラーム勢力が侵入を繰り返した。イスラーム勢力は、8世紀から通商路に沿ってインド西北部に侵入した。10世紀からその動きは拡大した。侵入を繰り返すイスラーム勢力に対して、ラージプート諸侯は抵抗したが、諸侯間に連携がなく、次第にイスラーム勢力に押されていった。
 12世紀末から13世紀の初めに、イスラーム勢力は大きな攻勢に出た。1205年には、ガンディース川の河口まで制圧した。1206年にアイバクが北インドの中心地デリーに奴隷王朝を建てた。一種の征服王朝である。以後、北インドでは、デリー=スルタン朝と総称されるイスラーム政権が続いた。
 イスラーム教徒は、偶像崇拝を激しく嫌悪した。ヒンドゥー教・仏教・ジャイナ教の偶像を見つけ次第、破壊した。各地で仏教の寺院が破壊され、1203年には当時仏教の最後の拠点だった密教のヴィクラマシーラ寺院が滅ぼされた。これを境に、インド仏教は消滅し、ヒンドゥー教に吸収されていった。
 デリー=スルタン朝の第2王朝であるハルジー朝は、14世紀初め頃、南インドに進出した。続くトゥグルク朝はデカン高原以南に出兵し、一時はインドのほぼ全域まで領土を拡大した。この王朝の時代に、モロッコ生まれの大旅行家イブン=バットゥータがインドを訪れ、当時のインドの事情を『三大陸周遊記』に記している。
 トゥグルク朝の政治が乱れ、分裂を生じていたところに、中央アジアからティムールの率いる遠征軍が攻め入り、1398年にはデリーを占領し略奪を行った。その後、トゥグルク朝は滅び、第4王朝のサイイド朝が樹立されたが、インドの統一と安定は回復しなかった。
 1526年、ティムールの子孫であるバーブルがロディー朝を倒し、ムガル帝国を建国した。ムガルはモンゴルに由来する言葉だが、王朝の支配層はトルコ=モンゴル系である。
 ムガル王朝はデリー、アーグラーを中心として支配権を確立し、16世紀から19世紀にかけて、広大な帝国を建設・維持した。その支配は、イギリスがインドを植民地化するまで続いた。
 ムガル帝国のインド支配は16世紀後半、第3代皇帝アクバルの時に確立した。アクバルは、法制・官僚制・軍制・貨幣制度を改革し、強大な帝国を築いた。
 イスラーム勢力の侵攻を受け、仏教が13世紀に消滅したのに対し、ヒンドゥー教は根強く抵抗し続けた。仏教と違って民衆にしっかりと根を下ろしていたからである。イスラーム側は、強制的に改宗を迫ることをせず、ヒンドゥー教徒に「啓典の民」に準じる地位を認め、宗教対立が起るのを避けた。アクバルはヒンドゥー教徒との融和を図り、1564年に人頭税ジズヤを廃止し、ヒンドゥー教徒を官僚に登用した。
 アクバルは皇帝を神とするディーネ=イラーヒーという新たな一神教を創設した。これはイスラーム教においては、異端というべき特異な事象である。だが、定着せずに終わった。その一方、アクバルは、キリスト教イエズス会の宣教師を歓迎し、ジャイナ教やゾロアスター教にも寛大だった。紀元前3世紀のアショーカ王が想起される。アクバルは「礼拝の家」を創って、インドの諸宗教の代表者を招いて討論を行わせた。しかし、この試みは成功せず、やがて実施されなくなった。
 ムガル帝国は、17世紀後半のアウラングゼーブ帝の時に、南インドを征服し、ほぼインド全土を統一した。その治世がムガル帝国の全盛期となった。アウラングゼーブは、イスラーム教に深く帰依し、ヒンドゥー教徒との融和策を止め、ジズヤを復活させた。このことが、ムガル帝国の衰退の一因となった。
 ムガル帝国の支配下においても、デカン高原のヒンドゥー勢力はマラーター王国を中心にマラーター同盟を結成してイスラーム王朝に反抗した。また、16世紀に現れたスィク教は、ムガル帝国の弾圧に反発して反イスラーム化し、帝国と抗争を続けた。スィク教について、詳しくは後の項目に書く。
 これら2件を除くと、ムガル帝国時代のインド文明では、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間の戦いは少なく、20世紀中半以降に見られるような両者の大規模な対立はなかった。民衆の多くや南インドの王朝は、ヒンドゥー教を信奉し続けた。その結果、インド文明では、多神教のヒンドゥー教と一神教のイスラーム教が併存する体制ができ上がった。
 文化的には、ムガル帝国では、インド文化とイスラーム文化の融合が起こり、インド=イスラーム文化が発達した。ミニアチュールを特徴とするムガル絵画、イスラーム様式のタージ・マハル廟等が知られる。

 次回に続く。

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