ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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インド59~六派哲学の諸派

2020-03-11 09:42:18 | 心と宗教
●六派哲学(続き)

◆サーンキャ学派
 開祖は、カピラと伝えられる。カピラの活躍時期は不明である。根本経典は、『サーンキヤ・カーリカー』。4~5世紀頃のイーシュヴァラ・クリシュナン作とされる。数論学派ともいう。ヨーガ学派と密接な関係がある。
 この学派も世界実在論だが、世界は精神と物質から構成されるとする二元論を説く点が特徴的である。宇宙の根本原理として、精神原理であるプルシャと物質原理であるプラクリティを立てる。
 プルシャは純粋精神である。実体としての個我であり、個我として多数存在する。宇宙の動力因であり、自らは活動せず、ただ観照するだけである。また、それ自体は変化しないとされる。プラクリティは、物質の唯一の源であり、宇宙の質料因である。サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(翳質)という三つの構成要素(グナ)から成る。三つの要素が平衡状態にあるとき、プラクリティは活動せず、世界は展開しない。だが、ひとたびプルシャから観照されると、均衡を失い、世界が展開する。物心のバランスの崩れによって世界が創造されると考えるわけで、このような世界創造説を、展開説という。
この学派は、最高神を認めない。また、原因の中に結果が潜在しているという因中有果論を説く。プラクリティの中にあらゆる結果がたたみ込まれており、世界の創造はそれらが展開する過程にほかならないとする。
 解脱は、プルシャが物質から離れた時に達成されると説く。この学派における解脱は、神との合一ではなく、物質からの精神の離脱を意味する。この点では無神教的だが、仏教と異なり、個我は実体とする。難解な思想を説く一方、解脱のためには、ヨーガの実践が必要であるとする。

◆ヨーガ学派
 開祖は不明である。ヨーガの起源は、インダス文明にまで遡ると考えられる。根本経典は、『ヨーガ・スートラ』。パタンジャリにより2~4世紀頃に成立したと考えられる。
この学派は、学派とは言え、固有の哲学体系を持たず、サーンキヤ学派から多くを借用している。ただし、サーンキヤ学派と違い、最高神を認める。最高神は、多数存在するプルシャの中の特別なプルシャとされる。合一の対象ではなく、信者に恩寵を垂れる救済者でもない。精神が物質に依存せずに独存することを実現するための瞑想や精神集中の対象が、最高神だとする。
 ヨーガ学派は、ヨーガの行法を発達させた。ヨーガについては、概要の実践の儀礼の項目に書いた。ここではそれを踏まえて、ヨーガ学派の行法について補足する。
 ヨーガ学派のヨーガは、心理的・内観的な瞑想によって、解脱を目指す古典的なラージャ・ヨーガである。ヨーガ学派は、8段階を実習するヨーガを説く。修行者は禁戒(ヤーマ)、歓戒(ニヤーマ)、座法(アーサナ)、調息(プラーナーヤーマ)、制感(プラーティヤーハーラ)、凝念(ダーラナ)、禅定(ディヤーナ)、三昧(サマーディ)である。この修行の過程で、輪廻の原因である無明が除かれ、無明による業は結果を生じることがなくなる。それによって、個我(プルシャ)が物質原理(プラクリティ)の中に帰入すれば、生前解脱に至り得る。生前解脱者は、身体の死とともに最終的な離身解脱を達成し得るとする。
 ヨーガ学派が説く行法は、六派哲学の他の学派やヒンドゥー教の各宗派に採り入れられた。仏教もこれを採り入れており、大乗仏教の瑜伽行唯識派はその名に瑜伽(ヨーガ)を冠している。密教でもヨーガが実践された。シナでは禅宗が発達したが、そこにおける座禅も、インドの古典ヨーガの沈思瞑想による修行を継承したものである。

◆ミーマーンサー学派
 開祖は紀元前2世紀ころのジャイミニと伝えられる。根本経典は、『ミーマンサー・スートラ』。100年頃の編纂とみなされるが、作者はジャイミニと伝えられる。
 この学派は、ヴェーダに規定されている祭儀の意義を研究して統一的解釈を与える。
 ヴェーダーンタ学派と密接な関係がある。ミーマーンサー学派とヴェーダーンタ学派は、ヴェーダを聖典とする正統派の中で、最も権威ある位置を占める。前者は祭儀、後者は教義の研究を代表する。
 ミーマーンサー学派は、ヴェーダのうち、祭式の規則や由来・意義を説く祭儀書であるブラーフマナ文献を最も重視する。この学派によると、ヴェーダは宗教的義務としてのダルマを説いている。その義務とは、ヴェーダに規定されている儀礼の実行である。
 この学派は、ヴェーダの祭儀のみが、人を解脱に導くと説く。祭儀の執行の結果は、すぐ得られるのではなく、死後に享受される。祭儀を執行すると、執行者の魂に効力が賦与され、結果として現れる時まで、その効力が維持されるという。
 祭儀を実行した結果は、神がもたらすのではなく、祭儀そのものの効力が結果を生むとした。それゆえ、神や供物はバラモンが行う祭儀の要素に過ぎないとする。ここには、バラモンの祭式至上主義がよく表れている。そのうえ、この学派は、世界の主宰神を認めず、世界は創造されることも破壊されることもないとした。バラモンを自然や神々を動かす人間神と仰ぐ傾向も、またここによく表れている。

◆ヴェーダーンタ学派
 開祖は、紀元前1世紀頃のバーダーラーヤナとされる。根本経典は、『ブラフマ・スートラ』。400年から450年頃の編纂だが、作者はバーダーラーヤナとされている。
ミーマーンサー学派と密接な関係がある。
 ヴェーダーンタ学派は、ヴェーダで最も重要なのは知識を扱った部分だとする。その部分とは『ウパニシャッド』である。『ウパニシャッド』はヴェーダの4部門の終結部(アンタ)に位置するため、別名ヴェーダーンタとも呼ばれる。それが、この学派の名称の由来となっている。
 ヴェーダーンタ学派は、『ウパニシャッド』に記されている様々な学説を統一的に理解することに努めた。その成果である『ブラフマ・スートラ』は、ブラフマンこそ究極的な実在であるとし、現象界の多様性は、すべてそれに基づくとする。宇宙は、ブラフマンの自己展開によって創造される。一切万有はブラフマンによって持続され、最後に、再びブラフマンに戻る。このようにして、宇宙の創造、持続、帰滅が繰り返されると説く。これは、ブラフマンを根本原理とする一元論であり、この学派は、ヒンドゥー教における一元論的傾向を代表する。同時に、万有一切がブラフマンの現れとするから、「一即多、多即一」の論理構造をよく示してもいる。
 ヴェーダーンダ学派では、自然界の諸事象も、個我の人格的な意志やその行動も、すべて虚妄のものとし、人生の目的はブラフマンとの合一による解脱であると説く。『ウパニシャッド』の哲学を発達させたこの学派は、インド思想の主流を形成し、現代のインドでも代表的な哲学となっている。

 次回に続く。

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