ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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インド61~ラーマーヌジャ、ヴァダガライ派・テンガライ派

2020-03-19 10:27:50 | 心と宗教
●ラーマーヌジャ
 
 ラーマーヌジャは、ヴェーダーンタ学派に属するヴィシュヌ宗の哲学者であり、ヴェーダーンタ哲学において人格神を信愛する理論を確立した。それによって、彼の思想は同学派の主流をなしている。生年1017年~没年1137年頃とされる。
 ヒンドゥー教では、ヴェーダの宗教の時代には目立たなかったヴィシュヌやシヴァが段々、大衆の信仰を集め、7~8世紀になると、南インドでバクティ(信愛)と呼ばれる神々への帰依信仰が表れた。それまで、ヴェーダに基づく宗教では、バラモンによる複雑な祭儀の体系が確立し、祭官が神と人間の仲介者だった。だが、バクティによる帰依信仰では、礼拝者個人が神に向かい、仲介なく神に信愛を捧げる。こうした信仰の発達により、10世紀頃には、ヴィシュヌやシヴァは最高神として絶対的・献身的な信愛の対象となった。このような時代にあって、ラーマーヌジャはバクティを中心とする大衆的なヴィシュヌ崇拝をヴェーダーンタ哲学の枠組みで正当化した。
 シャンカラ以後、ヴェーダーンタ学派では、ブラフマンが属性を持つか否かについての議論が続いた。シャンカラはブラフマンは属性を持たず、どのような限定もできないとしたが、ラーマーヌジャのブラフマンは、属性を持ち、属性によって限定を受けた(ヴィシシュタ)ものである。ラーマーヌジャも基本的には不二一元論だが、シャンカラとの違いは、限定を受けたブラフマンと個我及び世界との不二を説く点にある。そこで、彼の所説は、制限された不二一元論(ヴィシシュタ・アドヴァイタ)と呼ばれる。
 ラーマーヌジャにとっての神とは、最高神ヴィシュヌであり、ヴィシュヌはブラフマンと同一である。神は世界の創造・維持・破壊を司り、被造物に内在して、内側から世界を支配する。だが、世界から超越しており、世界の変化からまったく影響を受けることがないとする。
 ラーマーヌジャは、世界を実在するものとし、シャンカラの世界を幻影とする説を退けた。彼によれば、神、個我、世界は、三つとも実在する。個我及び世界は、単なる幻影ではなく実在性を持つ。ただし、神のみが独立した実体であり、個我と世界は神の様相である。神から切り離して存在することはできない。いわば、真の実在と、それに依存する実在とに区別するわけである。
 神と個我は、ともに実在するものであるが、個我は決して神とは同一ではない。神は個我より遥かに優越した存在であり、両者には絶対的な主従の関係がある。個我は神に背いて、迷いの状態にあり、輪廻転生を繰り返している。そこから救われるために必要なのが、神に対する熱烈な信仰である。また、世界は個我に対し、神に近づくための練磨の場を提供している。この説において、解脱は神による救済と等しい。
 ラーマーヌジャは、制限された不二一元論によって、神の救いを求める信仰に哲学的な理論を提示した。これは、不二一元論とバクティという正反対のものを統合したものである。それによって、ラーマーヌジャは、最高神へのバクティを理論的に根拠づけ、当時の下層階級の信仰心を高めることに大いに貢献した。彼によって、多くの民衆がヴィシュヌ宗に改宗した。
 シャンカラは学生期から直ちに遍歴修行の生活に入ってよいとしたが、ラーマーヌジャは四住期の各段階を順次経てから、遍歴行者となると定めた。この生き方が、ヒンドゥー教の基本的な生き方となっている。
 ヴィシュヌ宗は、シヴァ宗ともに、ヒンドゥー教の二大宗派となっており、ヒンドゥー教の大衆化において、ラーマーヌジャの果たした役割は、非常に大きい。

●ヴァダガライ派・テンガライ派

 ラーマーヌジャは、ヴィシュヌ宗のシュリーヴァイシュナヴァ派に属した。彼の死後、この宗派では、バクティのあり方について、意見の相違が起こった。救いにおける神の恩寵と人間の努力の関係をめぐる対立である。その結果、13世紀頃、北方のヴァダガライ派と南方のテンガライ派との二つに分かれた。
 ヴァダガライ派は、神によって救われるためには信仰と修行の両方を必要とするとした。信仰に基づく修行を実践して功徳を積めば、それに応じて神は恩寵を与えると説く。ラーマーヌジャや宗派の伝統に比較的忠実な考え方である。
 一方、テンガライ派は、人は最高神への信仰のみによって救われると説いた。救いは神の恩寵のみによるのであり、信徒の努力には関係がない。必要なのは神への献身的帰依だけで、修行は不要だとした。これは、自力による修行は必要ないとする他力本願の浄土真宗の教えに近い立場である。
 『バガヴァッド・ギーター』は、行為の道、知識の道、信愛の道という三つの道の総合を説いており、ヒンドゥー教の多くの派は、ヴァダガライ派のように、信仰と修行の両方を必要としている。

 次回に続く。

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