●民衆を扇動しながら独裁者にも仕えたシェイエス
シェイエスは、神父だった。ルソーの影響を受けていた。フリーメイソンのロッジ「九人姉妹」に所属していた。ルイ16世が1789年に三部会を召集したとき、会議は議決方法をめぐって紛糾した。シェイエスは『第三身分とは何か』(1789年)を著し、「第三身分はこれまで無であったが、これからは権力を持つべきだ」と訴えた。
シェイエスの言う国民は、第三身分のみを意味した。第一身分・第二身分は国民ではないとし、国民から除外した。国家の政治権力は第三身分のみに属すべきであると説いた。それゆえ、国民主権を説いても、国民全体の主権ではなく、第三身分による主権の奪取と独占を説くものである。シェイエスに呼応した第三身分は、独自に国民議会を結成した。マルクス=レーニン主義は、労働者階級によるプロレタリアート独裁を標榜したが、シェイエスは国民主権の名のもとに、第三身分という集団による独裁を煽動したのである。
国民議会が発した人権宣言は、第3条に「あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する。いずれの団体、いずれの個人も、国民から明示的に発するものでない権威を行い得ない」と定めた。ここに明確に国民主権の原理が提示された。
国民主権の原理は、シェイエスの思想に負うところが大きい。シェイエスは、国民主権の原理を次のように述べた。「国民(nation)はすべてに優先して存在し、あらゆるものの源泉である」「その意思は常に合法であり、その意思こそ法そのものである」「国民がたとえどんな意思をもっても、国民が欲するということだけで十分なのだ。そのあらゆる形式はすべて善く、その意思は常に至上至高の法である」と。
これは明らかにルソーの論理を踏襲している。ただし、国民主権は、ルソーの人民主権と同じではない。人権宣言における主権者は、第三身分という集団であって、国民全体ではない。国王・貴族・聖職者は「国民」ではなく、よって主権者ではないという論理である。「国民」を自称する一部の集団が、権力を掌握したものである。そしてシェイエスは、国民すなわち第三身分の民衆を神のごときものへと理想化している。こういう理想化のもとで、国民主権の考え方が生まれ、国民主権を標榜する政府が誕生したのである。
16世紀のボダンは、主権論で、「主権的支配者」である君主の上に立つ「世界中のすべての支配者に対する絶対的支配者」である神の存在を強調した。絶対君主は自らの自由意志に基づいて「法律」を作ることはできても、神法・自然法に合致しないものは、法律としての有効性を持たないとした。ところが、シェイエスの国民主権論は、主権者を君主から第三身分に置き換えるだけでなく、第三身分の意思は「常に至上至高の法である」として、もはや規制するものが、なくなっている。
ルソーの一般意志は、人民全体が主権者であるときの、その人民全体の意思の意味である。ルソーは、一般意志は、常に公の利益を目指すものとし、一般意志に導かれる「主権者」の行為は、「すべての国民のための政治」を実現するものとした。ただし、ルソーは、一般意志が常に正しいと言えるには、「公衆の啓蒙」が不可欠だと主張した。正しい政治的決断を行うには、理性の働きが必要である。集団の一人一人が、自らの意思を理性に一致させるようにすることによって、はじめて一般意志を論じ得るとした。シェイエスは、ルソーの一般意志を自分の「共同意思」という概念に取り入れた。だが、各人が「その意志を理性と一致させる」というルソーの考えを排除した。「公衆の啓蒙」や各自の道徳的な努力もなしに、民衆が欲するものは、すべて善く、常に正しいとしてしまう。ルソーは、一般意志を実現するには「神のような立法者」が必要だとし、民主政について「これほど完璧な政体は人間には適さない」と説いた。しかし、シェイエスはありのままの民衆を神格化した。
シェイエスは、ジロンド派に属していた。1789年の人権宣言を改定した93年のジロンド権利宣言の起草に当たった。ジロンド宣言は、第25条に「人権の社会的保障は、国民主権の上に基礎を置くものである」、第27条に「主権は、本質的に人民全体に存し、各の市民は、その行使に協力する平等の権利を有する」と盛り込んだ。ジロンド派は、ロベスピエールらのモンターニュ派によって、国民公会から追放・粛清された。シェイエスは、ギロチンを免れたが、幾人ものが断頭台の露と消えた。民衆は、公開処刑に喝さいを送った。
ロベスピエールは、国民主権ではなく、人民主権を打ち出した。ルソーを信奉し、ルソーの一般意志論をシェイエスよりも徹底した。人民は people である。モンターニュ派憲法における権利宣言では、第25条に「主権は人民に存する。それは単一かつ不可分であり、消滅することがなく、かつ譲渡することができない」と定めた。主権は単一かつ不可分、譲渡不能というのは、その現れである。先に指摘したように、人民主権論では、主権を掌握した権力者は、人民の名において独裁を行うことができる。ロベスピエールは、恐怖政治を行った。人民主権論は、個人独裁の理論に転じ得る。この「人民」を「労働者階級」や「被抑圧人民」に置き換えれば、レーニンや毛沢東が出現する。
シェイエスは、恐怖政治を生き延びた。1795年に穏健派によって総裁政府が出来ると総裁に指名された。ナポレオンと結んでクーデタを起こして統領政府を樹立すると、統領の一人となった。統領政府のもとで行った国民投票で、国民はナポレオンを終身の第一統領に選んだ。シェイエスは敗退した。国民は、さらにナポレオンを皇帝に選んだ。賛成357万余票、反対わずか2579票。シェイエスは、国民の意思は「常に至上至高の法」だとしたが、国民は選挙によって権利・権力を託した独裁者を、皇帝の座に就かせた。民衆を神格化したシェイエスは、集団の心理のダイナミズムを全く予測することができなかった。
ロベスピエールとナポレオンは、革命の激動の中で命運尽きた。だが、シェイエスは、革命の初期から王政復古・七月革命の後まで生き延びた。このような人物の説いた国民主権や人権を無批判に受け継いではならない。
次回に続く。
シェイエスは、神父だった。ルソーの影響を受けていた。フリーメイソンのロッジ「九人姉妹」に所属していた。ルイ16世が1789年に三部会を召集したとき、会議は議決方法をめぐって紛糾した。シェイエスは『第三身分とは何か』(1789年)を著し、「第三身分はこれまで無であったが、これからは権力を持つべきだ」と訴えた。
シェイエスの言う国民は、第三身分のみを意味した。第一身分・第二身分は国民ではないとし、国民から除外した。国家の政治権力は第三身分のみに属すべきであると説いた。それゆえ、国民主権を説いても、国民全体の主権ではなく、第三身分による主権の奪取と独占を説くものである。シェイエスに呼応した第三身分は、独自に国民議会を結成した。マルクス=レーニン主義は、労働者階級によるプロレタリアート独裁を標榜したが、シェイエスは国民主権の名のもとに、第三身分という集団による独裁を煽動したのである。
国民議会が発した人権宣言は、第3条に「あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する。いずれの団体、いずれの個人も、国民から明示的に発するものでない権威を行い得ない」と定めた。ここに明確に国民主権の原理が提示された。
国民主権の原理は、シェイエスの思想に負うところが大きい。シェイエスは、国民主権の原理を次のように述べた。「国民(nation)はすべてに優先して存在し、あらゆるものの源泉である」「その意思は常に合法であり、その意思こそ法そのものである」「国民がたとえどんな意思をもっても、国民が欲するということだけで十分なのだ。そのあらゆる形式はすべて善く、その意思は常に至上至高の法である」と。
これは明らかにルソーの論理を踏襲している。ただし、国民主権は、ルソーの人民主権と同じではない。人権宣言における主権者は、第三身分という集団であって、国民全体ではない。国王・貴族・聖職者は「国民」ではなく、よって主権者ではないという論理である。「国民」を自称する一部の集団が、権力を掌握したものである。そしてシェイエスは、国民すなわち第三身分の民衆を神のごときものへと理想化している。こういう理想化のもとで、国民主権の考え方が生まれ、国民主権を標榜する政府が誕生したのである。
16世紀のボダンは、主権論で、「主権的支配者」である君主の上に立つ「世界中のすべての支配者に対する絶対的支配者」である神の存在を強調した。絶対君主は自らの自由意志に基づいて「法律」を作ることはできても、神法・自然法に合致しないものは、法律としての有効性を持たないとした。ところが、シェイエスの国民主権論は、主権者を君主から第三身分に置き換えるだけでなく、第三身分の意思は「常に至上至高の法である」として、もはや規制するものが、なくなっている。
ルソーの一般意志は、人民全体が主権者であるときの、その人民全体の意思の意味である。ルソーは、一般意志は、常に公の利益を目指すものとし、一般意志に導かれる「主権者」の行為は、「すべての国民のための政治」を実現するものとした。ただし、ルソーは、一般意志が常に正しいと言えるには、「公衆の啓蒙」が不可欠だと主張した。正しい政治的決断を行うには、理性の働きが必要である。集団の一人一人が、自らの意思を理性に一致させるようにすることによって、はじめて一般意志を論じ得るとした。シェイエスは、ルソーの一般意志を自分の「共同意思」という概念に取り入れた。だが、各人が「その意志を理性と一致させる」というルソーの考えを排除した。「公衆の啓蒙」や各自の道徳的な努力もなしに、民衆が欲するものは、すべて善く、常に正しいとしてしまう。ルソーは、一般意志を実現するには「神のような立法者」が必要だとし、民主政について「これほど完璧な政体は人間には適さない」と説いた。しかし、シェイエスはありのままの民衆を神格化した。
シェイエスは、ジロンド派に属していた。1789年の人権宣言を改定した93年のジロンド権利宣言の起草に当たった。ジロンド宣言は、第25条に「人権の社会的保障は、国民主権の上に基礎を置くものである」、第27条に「主権は、本質的に人民全体に存し、各の市民は、その行使に協力する平等の権利を有する」と盛り込んだ。ジロンド派は、ロベスピエールらのモンターニュ派によって、国民公会から追放・粛清された。シェイエスは、ギロチンを免れたが、幾人ものが断頭台の露と消えた。民衆は、公開処刑に喝さいを送った。
ロベスピエールは、国民主権ではなく、人民主権を打ち出した。ルソーを信奉し、ルソーの一般意志論をシェイエスよりも徹底した。人民は people である。モンターニュ派憲法における権利宣言では、第25条に「主権は人民に存する。それは単一かつ不可分であり、消滅することがなく、かつ譲渡することができない」と定めた。主権は単一かつ不可分、譲渡不能というのは、その現れである。先に指摘したように、人民主権論では、主権を掌握した権力者は、人民の名において独裁を行うことができる。ロベスピエールは、恐怖政治を行った。人民主権論は、個人独裁の理論に転じ得る。この「人民」を「労働者階級」や「被抑圧人民」に置き換えれば、レーニンや毛沢東が出現する。
シェイエスは、恐怖政治を生き延びた。1795年に穏健派によって総裁政府が出来ると総裁に指名された。ナポレオンと結んでクーデタを起こして統領政府を樹立すると、統領の一人となった。統領政府のもとで行った国民投票で、国民はナポレオンを終身の第一統領に選んだ。シェイエスは敗退した。国民は、さらにナポレオンを皇帝に選んだ。賛成357万余票、反対わずか2579票。シェイエスは、国民の意思は「常に至上至高の法」だとしたが、国民は選挙によって権利・権力を託した独裁者を、皇帝の座に就かせた。民衆を神格化したシェイエスは、集団の心理のダイナミズムを全く予測することができなかった。
ロベスピエールとナポレオンは、革命の激動の中で命運尽きた。だが、シェイエスは、革命の初期から王政復古・七月革命の後まで生き延びた。このような人物の説いた国民主権や人権を無批判に受け継いではならない。
次回に続く。
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