ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

韓国の反日は社会の閉塞感の表れ

2015-08-20 10:34:42 | 国際関係
 朴槿恵大統領の政権下、韓国は反日的な姿勢を強めてきた。その背景には、韓国社会のかつてない閉塞感があることを、拓殖大学総長の渡辺利夫氏が指摘している。渡辺氏は言う。「韓国の反日は社会に深く潜む病理的閉塞の表れなのである」と。
 渡辺氏は、韓国は、鉄鋼や石油化学などの重要産業で、欧米や日本が生産開始から先発国の生産量に到達するまでに要した歴史的時間を「圧縮」する、急速な発展過程をたどった特有の後発国であるとし、韓国の発展を「圧縮型発展」と呼ぶ。圧縮型発展の結果、韓国は所得水準からみれば先進国であり、OECDの加盟国である。しかし、「先進国というにふさわしい内的成熟を経ないまま衰退化に向かい始めた奇妙な先進国」だと渡辺氏は述べている。
 韓国は1970年代からNIES(新興工業経済地域)の一角として急速に発展した。だが、2010年代に入って衰退化への道に踏み込み、成長率3%台が恒常化している。また少子高齢化が他の先進国に例をみない速度で進んでいる。渡辺氏は、この衰退化の速度が先発国を「圧縮」している、と言う。この発展の過程も衰退の過程も「圧縮」されているという表現は、優れた表現だと思う。
 具体的にはどういうことか。

・「合計特殊出生率」が1990年代から急降下し、2005年には1・08という最低水準に達し、同年の日本の1・26を下回った。
・総人口に占める65歳以上人口の比率が7%から14%へと「倍加」する時間が、日本は1970年から94年までの24年間で最速だったが、韓国は2000年から2018年までの18年間となることが確実視されている。
・少子高齢化の問題に対する政府の認識が甘かったために政策的対応が遅れた。
・旧来の財閥系企業主導の成長モデルが機能不全となって低成長となり、政策原資の確保に見通しが立っていない。
・韓国の財閥系企業は、事業所の海外移転によって国内雇用が萎縮し、新興国の景気低迷により事業収益が悪化、国内新規採用の減速は厳しい。
・15~24歳人口の就業率は経済協力開発機構(OECD)加盟の先進国中最も低い水準にある。加えて若年層の失業率が最も高く、しかも就業した若者の34%が非正規労働者である。少子化はその不可避の帰結である。
・高齢者の相対的貧困率(所得分布における中央値の2分の1に達しない貧困層比率)はOECD諸国中で最も高く、現在もなお上昇中である。
・高齢者の10万人当たりの自殺者数は82人に及び、日本の18人を大きく上回る。
・社会保障費の対GDP(国内総生産)比は8%に満たず、OECD諸国中で最低のレベルにある。
・国民医療保険において本人負担は5割に近。
・国民年金制度の導入が遅れたために制度に加入できなかったり、加入年限が短かったりする高齢者が多い。基礎年金は、貧困高齢者を救済できるレベルをはるかに下回っている。

等々である。

 こうした社会の動向が、韓国の社会にかつてない閉塞感を生んでいる。渡辺氏は言う。「長らくこの国を眺めてきた私も、韓国社会の閉塞感がこれほどまでに高まった時期を他に知らない。国民の政治的凝集力を強めて辛くも社会の崩落を免れるには、無謀と知りつつも反日運動というポピュリズムに努めるより他に選択肢はないのであろう」と。
 韓国出身で日本に帰化した呉善花氏は、韓国の朴槿恵大統領への名誉毀損で、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が在宅起訴された問題に関して、昨年10月次のように述べていた。
「韓国では『反日』に対しては右も左もない。朴政権が今、一番恐れているのは支持率の下落だ。国民から朴大統領は反日の手を緩めたと思われると非難される。非難されると大統領の支持率は下落し、支持率が下がれば側近は離れ、政権が危機に陥る可能性が出てくる。国のリーダーは、いくら反日的であっても、自らはそれを表に見せてはいけない。逃げ道がなくなるからだ。だが、朴大統領は自ら反日的な発言をするなど、これまで反日路線を続けてきた。それだけに、今さら反日をやめたと受け止められるような対応はできず、国内外の批判の間で、ジレンマに陥っている」と。
 朴大統領は、このジレンマの中で、反日繋がりの中国への傾斜を深めている。2013年度の韓国の輸出相手国は中国26.1%、アメリカ11.1%、日本6.2%、同じく輸入国は中国16.1%、日本11.6%、アメリカ8.1%だった。既に韓国は人民元建て貿易決済が急速に普及し、「元経済圏」と化しつつある。中国による2050年の東アジアの予想地図では、朝鮮半島は「朝鮮省」と記されている。「省」ということは「四川省」「山東省」等と同じく、中国の一部である。韓国は北朝鮮ともども、中国の一部になっているという予想である。
 近代の朝鮮は、ロシアの勢力圏に入るか、シナの勢力圏に入るか、日本の勢力圏に入るかの選択を迫られた。日本にとっても、朝鮮がロシアやシナの支配下に組み込まれれば、直接これらの大国と領域を接することになり、安全保障上、重大な問題を生じる。そこで、日清戦争、日露戦争は朝鮮半島を巡る戦いとなり、これらの勝者となった日本は韓国を併合した。韓国は日本の統治下でめざましい経済成長をした。それが戦後の韓国の発展の基礎となっている。だが、現在の韓国は、日本の統治時代を全否定し、激しい反日活動を行っている。既に急速な衰退化の過程に入ってしまった韓国が、このまま反日を続けていけば、中国に呑み込まれることは避けられない。その道は、シナの共産党支配による民族滅亡の道だろう。チベットや新疆ウイグルと運命を共にしたくなかったら、これまでの反日を改め、戦前の日本統治時代を再評価し、自由・民主主義・人権・法の支配等の価値を共にする日本や米国との連携に立ち戻るしかないと知ることである。
 以下は、渡辺氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成27年5月27日

2015.5.27 05:08更新
【正論】
韓国衰退化の病理としての反日 拓殖大学総長・渡辺利夫

 韓国は、鉄鋼や石油化学などの重要産業で、欧米や日本が生産開始から先発国の生産量に到達するまでに要した歴史的時間を「圧縮」する、急速な発展過程をたどった特有の後発国である。私はこれに「圧縮型発展」と名づけたことがある。圧縮型発展の結果、韓国の1人当たり所得水準は、各国の国内物価水準で調整された為替レートで測れば日本とさして変わらないレベルにまで達している。

≪就業期待が持てない若者たち≫
 しかし、この韓国も2010年代に入って衰退化への道に踏み込み、成長率3%台の恒常化を余儀なくされている。しかも、その衰退化の速度が先発国を「圧縮」しているのである。少子高齢化問題解決の緊急性を最も強く抱えもつ国が日本だといわれて久しい。しかし、韓国の少子高齢化は日本をさらに「圧縮」しており、政策対応の暇(いとま)もないままに社会は閉塞(へいそく)状況に追いこまれつつある。
 1人の女性が生涯を通じて産む子供の数が「合計特殊出生率」である。この比率が2・1近傍を維持して一国の人口数は長期的に安定する。韓国の同比率は1990年代に入るや急降下し、2005年には1・08という最低水準に達し、同年の日本の1・26を下回った。高齢化の進行も加速度的である。総人口に占める65歳以上人口の比率が7%を超えれば「高齢化社会」、14%を超えれば「高齢社会」と称される。高齢人口比率が7%から14%へと「倍加」する時間をみると、最速の日本は1970年から94年までの24年間であったが、韓国は2000年から2018年までの18年間となることが確実視されている。
 韓国は他の先進国に例をみない速度で少子高齢化が進んでいるにもかかわらず、この問題に対する政府の認識が甘かったために政策的対応が遅れてしまった。加えて旧来の財閥系企業主導の成長モデルが機能不全となって低成長となり、政策原資の確保に見通しが立っていない。
 何よりも一国の将来を担う若者に就業への期待を持たせることができていない。学歴偏重社会の伝統はなお根強く、大学進学率は71%の高さにあって教育費支出はすでに厳しい家計負債を一段と深刻化させる要因となっている。苛烈な受験競争に打ち勝って大学に入っても財閥系企業に就業の場を見いだすことは難しい。

≪劣悪な高齢者の生活保障≫
 韓国の財閥系企業は、中国など新興国を舞台にグローバルな事業展開を推進してきた。しかし、事業所の海外移転によって国内雇用が萎縮し、新興国の景気低迷により事業収益が悪化、国内新規採用の減速は厳しい。高学歴化を反映して韓国の15~24歳人口の就業率は経済協力開発機構(OECD)加盟の先進国中最も低い水準にある。加えて若年層の失業率が最も高く、しかも就業した若者の34%が非正規労働者である。少子化はその不可避の帰結なのである。
 朴槿恵大統領は、選挙戦に際して「65歳以上のすべての高齢者に月額20万ウォンの基礎老齢年金を支給する」と公約して当選した。1世帯の月額平均所得が452万ウォンの社会において20万ウォン程度のバラマキが選挙民の支持の要因となること自体が、韓国の高齢者の生活保障がいかに劣悪な状況下にあるかを物語る。にもかかわらず、この基礎年金制度を公約通りに実施するだけの財政的余力は乏しく、下位所得者のみへの限定支給という修正を余儀なくされている。

≪かつてない社会の閉塞感≫
 韓国の高齢者の相対的貧困率(所得分布における中央値の2分の1に達しない貧困層比率)はOECD諸国中で最も高く、現在もなお上昇中である。高齢者の10万人当たりの自殺者数は82人に及び、日本の18人を大きく上回る。家産の継承者たる長男が同居する両親を扶養するという伝統的な男子単系制社会の家族維持機能は、もはや不全化の過程にある。
 韓国の社会保障費の対GDP(国内総生産)比は8%に満たず、OECD諸国中で最低のレベルにある。国民医療保険において本人負担は5割に近く、国民年金においては、年金制度の導入が遅れたために制度に加入できなかったり、加入年限が短かったりする高齢者が多い。彼らの年金不足に対応するものが基礎年金であるが、貧困高齢者を救済できるレベルをはるかに下回っている。
 韓国は所得水準からみれば先進国であり、現にOECD加盟国である。しかし、先進国というにふさわしい内的成熟を経ないまま衰退化に向かい始めた奇妙な先進国なのである。長らくこの国を眺めてきた私も、韓国社会の閉塞感がこれほどまでに高まった時期を他に知らない。国民の政治的凝集力を強めて辛くも社会の崩落を免れるには、無謀と知りつつも反日運動というポピュリズムに努めるより他に選択肢はないのであろう。
 「明治日本の産業革命遺産」の登録に対するいかにも度量を欠いた韓国政府の反対などには、日本人はもう嫌悪感しかない。韓国の反日は社会に深く潜む病理的閉塞の表れなのである。(わたなべ としお)
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人権189~ルソーの矛盾と言行不一致

2015-08-19 08:48:21 | 人権
●ルソーの矛盾と言行不一致

 ジャン・ジャック・ルソーは、18世紀の西欧で最も急進的な人民主権の思想を説き、多くの知識人に影響を与えた。17世紀以降の人権の思想から、今日世界的に影響を与えているロック=カント的な人間観が生まれたが、ロックとカントを結びつける位置にいるのが、ルソーである。
 ルソーが一貫して主張したのは、人間の本来の姿の回復だった。人間は自然状態では、自由で幸福で善良だったが、自ら生み出した制度や文化によって、かえって不自由で不幸な状態に陥り、邪悪な存在と成り果てている。だが人間は等しく尊い。互いを認め合う自由・平等の秩序こそ、本当の人間の姿であり、それを回復しなければならない、と説いた。
 ルソーは、1755年に出した『人間不平等起源論』で、自然状態を自由で平等な単独者の世界と想像し、それが否定された状態として社会状態を描いた。自然状態から社会状態への移行をもたらした原因は、財産の不平等であり、不平等の起源は私有財産だとした。62年の『社会契約論』では、自由と平等を取り戻すため、社会契約論を独自の論理で展開した。人民主権を主張して法の支配を求め、直接民主政の理想国家を提示した。同年続いて刊行した『エミール』では、当時のフランスの特権階級の教育がいかに人間の自然の発達を歪めているかを告発した。大地の上で額に汗して働く農民の生活こそが教育的機能を果たしていると指摘し、農夫のように働き、哲学者のように思索する人間の育成を教育の目標として示した。
 ルソーが著書に表したことは、絶対王政下のフランスでは危険思想だった。カトリック教会は『エミール』を禁書とし、パリの最高法院は逮捕状を出した。国外に逃れたルソーは、スイス、プロイセン、イギリスを渡り歩いた。お尋ね者の状態でフランスに戻ったルソーは、偽名を使って各地を転々とした。
 ルソーは、同時代及び後世の西洋人に多大な影響を与えた。フランス革命は、ルソーの思想に発奮した市民階級によって遂行された。革命の過程で重要な役割を演じたシェイエス、ロベスピエール、ナポレオンは、ルソーを信奉していた。カントは、ルソーから「人間を尊敬することを学んだ」と書いた。ルソーに啓発されたカントは、人間の研究に向い、ルソーの思想を哲学的に掘り下げ、市民社会や国際社会のあり方を説いた。人権の思想からロック=カント的な人間観が生まれる過程で、カントへのルソーの影響は重要である。
 だが、ルソーの主張には矛盾が多く、言行が一致せず、人格的にも破たんしている。ルソーは、『エミール』で、孤児エミールの成長物語を通して、子どもの本性を尊重して、自由で自然な成長を促すことが教育の根本であると主張した。だが、ルソーは自分が作った5人の子供をすべて孤児院に棄てている。『エミール』は教育理論の古典となっているが、酷薄非情な父親が高邁な子育て論を書いた偽善の書なのである。また、ルソーは、自然状態における人間の善良さを描き、人民の一般意志 volonte generale は常に共通の利益を目指すと強調した。だが、ルソー自身は猜疑心が強く、被害妄想の傾向が顕著だった。そのため、イギリス滞在時に世話になったヒュームと感情的ないさかいをし、非難合戦を繰り広げて、喧嘩別れした。それでフランスに戻ったのだが、その後もヒュームに殺害されるという妄想に取りつかれたまま、最後は悶死した。

●不平等の起源を考察し、文明化を批判

 次に、人権に係る点を中心に、ルソーの思想について、具体的に見てみよう。
 『人間不平等起源論』の主題は、文明社会における様々な害悪は不平等によるとし、不平等の起源を考察し、文明社会を根底的に批判することである。
 ルソーは、自然状態を想定し、それを基準として文明社会を批判する。もっともその自然状態は「もはや存在せず、おそらくは少しも存在したことがなく、多分将来も決して存在しないような状態」だと言う。だが、その「単に仮説的で条件的な推理」による自然状態を基準に、ルソーは激しく文明社会を批判した。
 自然状態における人間、すなわち自然人は、孤立した生活を送る原始人である。その意味で自由と平等と独立を享有していた。ルソーの自然状態は、ホッブスの考えた利己心による戦争状態でも、ロックの考えた人々が理性に従って平和に暮らす状態でもない。自然人は、言葉もなく無知で理性も良心も発達していないから、善悪の観念もない。ただ「自己愛」と「憐憫の情」のみで行動している。ルソーはそこに人間の自然の善性の根拠を置いた。18世紀半ば、西欧には非西洋文明の「未開人」に関する報告がされていたので、ルソーは、そこから未開社会の人間を想像したのだろう。
 やがて自然状態は終結し、人間は社会状態に移行する時を迎えた。その決定的な原因は、私有財産の成立だとルソーは考えた。この点は、ロックと同じである。ルソーは、最初に土地を囲い込み、それを自分のものだとした者が「政治社会の真の創立者」だったという。土地の私有に注目した点も、ロックに通じる。ただし、ロックは、貨幣の発明による変化を重視した。一方、ルソーは、知力の発達と欲求の拡大が大きな役割を果たしたとする。人々が生産技術を高めたことが、忌まわしい富と欲望の増加へ導いたとし、文明化を問題視する。ルソーは、次のように書いている。「冶金と農業とは、その発明によってこの大きな革命を作り出した二つの技術であった。人間を文明化し、人類を滅ぼしたのは、詩人によれば金と銀であるが、哲学者によればそれは鉄と小麦とである」と。ルソーは、その結果、道徳的かつ政治的な不平等が生じたとする。そして、社会状態の最後の段階は専制政体であり、「不平等の最後の到達点」にある現在、もはや主人と奴隷の関係しかないとして、文明社会を激しく弾劾した。
 ところで、ルソーの主張には矛盾が多いと書いたが、それほど文明社会を批判するルソーは、「自然に帰れ」と訴えたのではない。「自然に帰れ」はルソー自身の言葉ではない。文明嫌いのはずのルソーは、文学や芸術を愛し、都市の生活に執着を示した。

 次回に続く。

■追記

本稿を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第2部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-2.htm

「中国は株バブルが破裂し、人民元を切り下げた」をアップ

2015-08-18 18:45:52 | 経済
 中国経済は、不動産バブルの崩壊に続いて、株バブルの破裂が起こり、政府がなりふり構わず通貨の切り下げを行うほど、悪化しています。わが国は、今後、中国経済が深刻な危機に陥ることを予測し、しっかりとした対策を立てて防備を行うことが必要です。8月1日から17日にかけてブログとMIXINに書いた拙稿をまとめて、マイサイトに掲載しました。通しでお読みになりたい方は、下記へどうぞ。

■中国は株バブルが破裂し、人民元を切り下げた
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12Z.htm

なりふり構わず中国が人民元切り下げ

2015-08-17 10:31:25 | 経済
 中国では、6~7月にかけて株バブルが破裂し、上海株式市場では約30%暴落した。共産党政府が異例の介入を繰り返しても、株の下落を止められなかった。そうした中で、中国政府は人民元を8月11~13日に3日連続で切り下げた。3日間で対ドルは約4・5%の基準値引き下げとなった。
 中国は、人民元の対ドル相場に基準値を設け、相場の変動幅を一定範囲に抑える「管理変動相場制」を採用している。人民元は対ドル取引の基準値に対し、1日当たり上下2%ずつ許容される変動幅で取引される。中国人民銀行は、11日に新たな基準値の算定方法を発表した。そして同日から3日間営業日ごとに独自に決定する基準値を引き下げて、人民元を強引に切り下げた。

●切り下げの理由

 昨年秋以降、中国政府は、利下げや預金準備率の引き下げなど、景気へのテコ入れ策を次々に打っている。だが、株価下落など景気回復への十分な効果が得られていない。
 中国製造業の生産実態などを示す7月の鉱工業生産は、前年同月比6.0%増と前月から0.8ポイント低下した。7月は発電量が2.0%減で、工業用需要の鈍さを示した。中国の公式な国家統計は、実際よりかなり高い数字を出していると見られるから、経済情勢がもっと落ち込んでいるだろう。国家統計局は「輸出不振」を最大の原因とした。そこで、中国政府は、元切り下げというなりふり構わぬ刺激策に踏み切ったものだろう。
 通貨を切り下げると国際的な信用は下がる。だが、そういっていられないほど、中国は経済が悪化しているのだろう。経済成長率は年率7%と発表されているが、中国政府の数字は粉飾されている。発表されている数字の半分くらいではないかという見方もある。今回のなりふり構わぬ切り下げを見ると、実際はもっと悪いのではないかと推測される。
 人民銀行は、切り下げの理由の一つとして、貿易黒字の確保を挙げた。通貨の切り下げは、輸出品の価格を下げる。今回の切り下げは、元安に誘導し、特にアメリカでもっと中国製品が売れるようにして、それで景気を刺激しようとしているものだろう。米国政府は、これまで中国は人民元を不当に安くする為替操作で輸出攻勢をかけていると、中国政府を批判してきた。今回の切り下げは、まさにその方法である。
 中国政府は、年7・0%の経済成長を死守しようとしている。この政策を「保七」という。本来は「保八」でなければ、政権を維持できないほどの社会的影響が出るといわれてきたが、8%は無理なので、7%を死守しようとしている。今後、元安誘導に続く措置として、追加利下げなどの金融緩和策、公共投資の積み増しなどの景気対策が打ち出されると予想される。だが、不動産バブルが崩壊し、株バブルが破裂し、「影の銀行」の不良債権がさらに増大しつつある中で、そうした景気対策がどれほど効果を生むかは、大きな疑問である。
 中国の中枢部では、活発な権力闘争が行われている。今回の人民元の切り下げは、習近平政権に長老たちが圧力を加えたものと見られる。長老派の最有力者は江沢民だろう。江沢民は2年後の共産党大会に向けて巻き返しを図っている。習近平を追い込むために、人民元の切り下げを求めたのだろう。習政権は権力基盤が弱くなってきており、頼むのは経済である。だが、その経済が悪化している。長老たちは、経済問題で習政権を追求し、権力の奪還を図っていると見られる。

●人民元国際化という狙いも

 中国の人民元切り下げの狙いは、景気対策の他にもう一つ考えられる。中国はIMFに人民元を国際通貨にすることを要請している。人民元の切り下げは、IMFに対して通貨の変動に関する柔軟な姿勢を見せ、国際通貨の認定を求めるという狙いがあると考えられる。
 IMFは8月4日に、「特別引き出し権」(SDR)の構成通貨の変更時期について、2016年1月の予定から10月に先送りを提案する報告書を公表した。SDRの構成通貨への人民元採用を見送るということである。採用を却下したのではなく、来年の9月に改めて見直すとしている。
 中国は2005年に固定相場制を廃止し、人民元の国際化、将来的な基軸通貨化を目指してきた。IMFは今年4月に「人民元は経済実勢に近い」と高い評価をした。だが、中国政府は、株式や為替市場に国際社会では異例の介入をし、今度は元安への誘導を行っている。
 中国共産党政府が本気で人民元の国際化を望むなら、共産党政府が為替レートを管理していることを止め、変動相場制に移行すべきである。中国政府は、8月11~13日に人民元の切り下げをした。主たる狙いは、輸出拡大による景気回復だが、副次的にIMFへのアピールという効果を狙っていると考えられる。IMFはこの切り下げについて、13日「実質的に変動通貨制に移行できるのではないか」という見解を出した。これも非常に高い評価である。14日には、中国に対する年次審査報告書を公表し、通貨人民元の相場自由化に向けた改革の加速を要請し、2~3年以内に実質的な変動相場制に移行するよう求めた。人民元の切り下げをするほど、中国の経済状況が悪いのであれば、国際通貨の仲間入りはさせられないと考えるべきだろう。だが、IMFには人民元を国際通貨に加えようと考えている者たちがいる。IMFには、中国のエージェントが多くいるといわれおり、中国寄りに偏向した政策が出てくる環境があるのだろう。

●日本への影響とこれへの対策
 
 人民元切り下げで、日本経済に及ぼす影響としては、中国に輸出する企業の競争力の低下、現地の日本企業の円建て利益の減少、日本で「爆買い」する中国人観光客の減少などが考えられる。もっと深刻な影響が考えられるのは、通貨安競争である。
 アメリカ市場には、中国製品だけでなく、ベトナム、インドネシア、タイ等の製品が多く輸出され、しのぎを削っている。中国の人民元の切り下げに続いて、ベトナムが通貨の切り下げをした。輸出競争のためである。露骨な元安誘導は各国の通貨安競争を誘発し、アジア通貨の切り下げ競争が続く恐れがある。
 通貨安政策は自国の競争力を高める一方、他国の輸出産業に打撃を与える。それだけに、自国の利益だけを追求する誘導は自制すべきである。だが、自己中心で利己的な中国共産党政府には、対外協調の姿勢は見られない。通貨安競争が広がると、日本の円だけが円高になる。すると日本製品の輸出に不利になる。安倍政権は、この影響を考慮し、すでに消費税の増税見直しを始めているようである。10%への増税を凍結する可能性がある。私は、消費増税中止のよいきっかけになると思う。
 中国経済は、いよいよ1~2年のうちに本格的な危機に進み、デフレに陥ると予想される。社会不安がいっそう深刻化し、政権はますます不安定になり、対外的に覇権主義的な軍事行動を起こす可能性が高まる。その国際的な影響を想定し、わが国はしっかりとした備えをすべきである。経済的にはアベノミクスを完遂する一方、追加の消費増税を絶対やってはならない。安全保障的には、法制の整備とそれによる装備・訓練の推進、そして憲法の改正による本格的な国家再建が急務である。

人権188~仏啓蒙主義から市民革命が始動

2015-08-16 08:37:42 | 人権
●フランス啓蒙主義から市民革命が胎動

 啓蒙主義は、フランス市民革命の原動力となった。フランスでは、モンテスキュー、ヴォルテール、ディドロ、ダランベール、ルソー等が啓蒙思想を発展させた。
 フランス啓蒙思想の成果の一つが、「百科全書」である。科学や学問が発達しているイギリスでは、1728年に「チェインバーズ百科事典」2巻が刊行された。この事典には、フリーメイソンが関わっていた。編纂者も版元もメイソンだった。フランスの「百科全書」は、この事典を仏訳するという計画から始まった。途中から、ただ翻訳を出すのではなく、独自のものを作ることへと話が発展し、ディドロとダランベールが編集を担当した。「百科全書」は、1751年に第1巻が刊行され、72年まで続いた。総執筆者184人、当時のフランスの知識人が結集した。本文、図版合わせて全28巻となる大事業だった。
 編集者のディドロは哲学者・文学者で、イギリス経験論、特にホッブスの影響を受けて、理神論から唯物的無神論に転じた。「隠れたる神は無用の神」とするその考え方は、キリスト教的な神の啓示や現実を超越したものを否定し、人間の理性に一切の根拠をおく思想を産み出した。盟友のダランベールは数学者・物理学者で、剛体運動の理論を整え、ダランベールの原理を立てた。哲学的には感覚論者で、不可知論的傾向を示し、神の存在を疑った。ディドロは不明だが、ダランベールはメイソンだった。百科全書派にはメイソンが多くいた。
 執筆者の一人、モンテスキューは、ロックの政治理論を継承し発展させた。イギリスに2年間滞在して政治制度や社会制度を見学し、とりわけ深い関心をもって議会政治を学んだ。帰国後20年間かけて、思索と研究を重ね、イギリスの議会制度を模範にしながら近代政治の原理となる三権分立や両院制による権力の抑制理論を説いた理論書『法の精神』(1748年)を発表した。モンテスキューはメイソンだった。
 別の執筆者であるヴォテールは、イギリス滞在期に、ホッブスやロック、F・ベイコン、ニュートン等の書を読破し、イギリスの啓蒙思想家たちと親しく交わった。彼が最も刺激を受けたのが、リベラル・デモクラシーの政治制度だった。ヴォルテールの思想は、アメリカの独立運動やフランス市民革命に多大な影響を与えた。ヴォルテールは、晩年、フランクリンの導きで、「九人姉妹」のロッジに加入した。「九人姉妹」には、ラ・ファイエット、シェイエス、メーヌ・ド・ビラン、コンドルセらが属していた。百科全書派が多く、「百科全書家のロッジ」とも呼ばれた。
 ルソーも百科全書に執筆した。ルソーは、当時最も急進的な思想を提唱し、多くの知識人に対してとともにフリーメイソンに対して大きな影響を与えた。1750年半ばから60年代初めに、かけて、『人間不平等起源論』(1755年)、『社会契約論』(1762年)、『エミール』(1762年)を発表したルソーは、人間の自然・本性の回復を目指して人民主権に基づく政治体制を主張した。
 「百科全書」の執筆者には、他にコンディヤック、エルベシウス、ドルバック等がいた。百科全書派の多くは理神論を主張し、カトリック教会の権威に強く反発した。コンディヤック、エルベシウスは徹底的な感覚論者であり、ドルバックは唯物論者で無神論を唱えた。唯物論的傾向を強めるディドロらに対し、ルソーは異議を唱え、百科全書派から離れた。「百科全書」によって、かつてない規模での知識・情報の集積が進んだ点では画期的な大事業だったが、それを統合する世界観の違いから、百科全書派は分裂していった。

●革命を主導したメイソンが争い合った

 「百科全書」の項目には、自然状態、自然法、政治的権威、主権者等、政治・社会思想を書いた者がある。百科全書派の政治・社会思想には、ロックの影響が強く見られる。絶対王政下のフランスでは、ロックの政治理論は、王政の打倒を目指すものへと急進化した。ロックの思想が、革命前のフランスで広まったのは、フリーメイソンによるところが大きい。アメリカではメイソンの活動は顕著であり、国家象徴にも定着した。フランス市民革命でフリーメイソンがどの程度まで関与したかは、よく解明されていない。ただ言えることは、啓蒙思想とフリーメイソンは分かちがたく融合して、フランス市民革命の思想的推進力になったということである。
 フリーメイソンは1738年カトリック教会から破門されたため、フランスではカトリック教徒はメイソンの結社を脱退し、残った者は無神論者の政治的結社として潜伏した。そこで結成されたのが、フランス大東社(グラン・トリアン)である。ド・シャルトル公爵が中心となり、後のオルレアン公ルイ=フィリップを長とした。大東社は、イギリスの組織から1756年正式に独立した。以後、フランスのメイソンは独自性を強め、また急進化した。
 百科全書派にメイソンが多くいたが、「百科全書家のロッジ」とも呼ばれたのが、「九人姉妹」ロッジである。1969年に結成され、ラ・ファイエット、シェイエス神父、メーヌ・ド・ビラン、コンドルセらが属していた。訪仏したフランクリンも所属し、ヴォルテールを加入させた。
 彼らのうち、ラ・ファイエットは、アメリカ独立戦争から帰国後、フランスの市民革命運動に参加し、人権宣言の起草に加わった。また国民議会が結成した国民軍の司令官となった。
 大東社系のロッジは、1789年には700近くに増え、パリだけでなく、各地に広がっていた。国民議会の代表者には、多くのメイソンがいた。特にジャコバン・クラブに集った者には、フリーメイソンが多かった。ジャコバン・クラブより急進的なコンドリエ・クラブには、ダントン、マラー等が属していた。ロベスピエール、ダントンは不明だが、マラーはメイソンだった。
 「ラ・マルエイエーズ」を作曲したルジェ・ド・リールもメイソンだった。この歌を歌いながらマルセイユから来た義勇軍の隊長もメイソンだった。断頭台にその名を留めたギロチン博士もメイソンだった。
 フランス市民革命でフリーメイソンは活動した。しかし、団員の中には、さまざまな人物がいた。個々に思想や立場が異なっていた。メイソン同士が意見の違いから対立・抗争した。大東社の中心的存在だったド・シャルトル公爵はギロチンで処刑された。急進派のマラーは暗殺され、穏健派のコンドルセは服毒自殺した。
 それゆえ、18~19世紀のフリーメイソンを強固に団結した陰謀団体と見るのは、不適当である。参加者はフリーメイソンの教義や規約よりも、各自の抱く思想や利害で行動した。ロシア革命を遂行したボルシェヴィキ、後のソ連共産党や、ワイマール共和国で権力を掌中にしたナチス等に比べ、フリーメイソンはもっと緩やかな集団と見るべきである。
 フランス革命において、思想の面で重要な役割を果たしたのが、ルソーとシェイエスである。ともに主権・民権・人権の歴史において大きな影響を与えた思想家なので、項目を改めて書く。

 次回に続く。

8・15靖国神社の集会報告

2015-08-15 14:19:40 | 時事
 8月15日午前、私は、国民の一人として、靖国神社に参拝し、英霊に感謝と慰霊の誠を表した。続いて、午前10時半から靖国神社の参道で行われた第29回戦没者追悼中央国民集会に、今年も友人たちとともに参列した。今年は、戦後70年を迎えた。集会には、「終戦70年、今こそ英霊の名誉回復を!」という副題が掲げられた。
 開会の辞に続いて、国歌を斉唱し、本殿に向かって全員で拝礼。主催者を代表して、英霊にこたえる会会長・寺島泰三氏が挨拶し、その後、いったん主催者挨拶を中断して、自民党政調会長である稲田朋美衆議院議員が提言を行った。続いて主催者側に戻り、日本会議会長・田久保忠衛氏が挨拶した。その後、昭和天皇による「終戦の詔書」を当時の録音により拝聴した。
 続いて、各界代表として、脚本家の井澤満氏、拓殖大学教授の呉善花氏が提言を行なった。それぞれ感銘深い提言だった。さらに、予定になかった櫻井よしこ氏が登壇し、主張を行った。
 前日の8月14日安倍晋三総理大臣が、戦後70年の首相談話を発表した。集会では、この首相談話に言及する発言が多かった。各氏の発言は、Youtube 等に動画が掲示されることと思う。ぜひ視聴をお勧めしたい。

 集会に参加した国会議員は、衆議院議員の石川昭政氏、田畑裕明氏(ともに自民党)、松原仁氏(民主党)、参議院議員の衛藤晟一氏、佐藤正久氏(ともに自民党)と報告された。

 正午の時報に合わせて、全参列者で戦没者に黙祷を捧げた。続いて、日本武道館での政府主催式典の実況放送にて、今上陛下のお言葉を拝聴した。
 靖国神社の集会では、声明文が朗読され、満場の拍手をもって採択された。声明は本稿の後半に掲載する。
 参加者は1600名超と発表された。最後に全員で、英霊への尊崇と感謝の念を込めて、「海ゆかば」を斉唱し、集会は終了した。

 次に集会で採択された声明を掲載する。

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●「声明文」

声 明

 大東亜戦争終結より七十年の歳月を経た今日、戦争の真実も戦後の苦難の歩みも知らない世代が国民の大半を占めるにいたった。しかしながら、現在の国民が享受する平和と繁栄は、国家存亡の危機に際会して尊い一命を捧げられた、ここ靖国神社に鎮まる二百四十六万余柱の英霊の殉国の誠心の上に築かれたものである。
 にもかかわらず、敗戦後の日本には、東京裁判がもたらした自虐史観をいつまでも払拭せず、英霊の名誉を冒涜する、事実関係を無視した過去のわが国の歩みを断罪する風潮が横行してきた。こうした一部の日本人およびマスコミが作り上げた虚構の歴史は、いわゆる「従軍慰安婦強制連行」など中韓両国が対外宣伝に利用することで、国際社会に広く浸透する結果となっている。
 幸いにも終戦七十年を迎えて、わが国にようやくかかる風潮と決別し、いわれなき非難を拒否し、正しい歴史的事実を世界に発信しようとする動きが生まれてきている。昨日、安倍総理が発表した戦後七十年談話もまた、「村山談話」や「小泉談話」で示した「植民地支配と侵略」を認め、「おわび」と「謝罪」を要求する内外からの執拗な圧力にもかかわらず、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」として、日本が謝罪の歴史に終止符をうち未来志向に立つことを世界に対して発信したことを高く評価したい。
 周知のように、中国による国際法無視の傍若無人な海洋進出によって、アジアの安全保障環境は激変した。そうした中で、積極的平和主義を掲げる安倍内閣の安全保障政策に対して、今や欧米ならびにアジア諸国は強い支持を寄せており、わが国に対するいっそう積極的な世界平和の推進への貢献を期待している。
 しかし、未だにわが国内部には、「平和主義」、「平和憲法遵守」等の美名のもとで、安保法案を戦争法案と決めつけ、わが国の安全保障政策を発展させることを拒否しようとする勢力が存在している。彼らは過去のわが国の歴史を一方的に糾弾し、あわせて安全保障政策を批判することで、中国の代弁者となっている。
 わが国が国際社会の期待に応え、国際社会の平和に貢献する国家となるためには、それをよしとする国民の覚悟が不可欠である。そのために肝要なのは、健全な国民精神の確立である。それには、国際社会に対する正しい歴史事実の情報発信を政府を挙げて進めるとともに、英霊の慰霊・顕彰の中心的施設である靖國神社に対して、首相が政府・国民を代表して参拝し、英霊に対して深甚なる感謝と追悼の意を表することからはじまるといって過言ではない。
 終戦七十年の年を迎え、我々はあらためて、安倍総理に靖國神社参拝を継続し「総理参拝の定着」を要望するとともに、英霊の御前において、憲法改正の早期実現を中心とする諸課題に取り組み、誇りある国づくりを目指す国民運動を一層力強く展開することを誓うものである。
右、声明する。

平成二十七年八月十五日
第二十九回戦歿者追悼中央国民集会
 英霊にこたえる会
 日本会議
http://www.nipponkaigi.org/activity/activity-05/archives/7611
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 靖国神社に、まだ参拝したことのない人は、是非一度参拝されることをお勧めする。靖国神社とは何か、参拝することにどんな意味があるのか、基本的なことを知りたい方は、下記の拙稿を参考にお読みください。

関連掲示
・拙稿「慰霊と靖国~日本人を結ぶ絆」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08f.htm
・拙稿「安倍首相の靖国参拝――意義と反響」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08o.htm

人権187~米国建国におけるフリーメイソンの活動

2015-08-14 08:51:39 | 人権
●アメリカ建国におけるフリーメイソンの活動

 ロックの政治理論は、植民地アメリカでは本国への抵抗権の論拠となり、さらに連合王国からの独立を求める思想へと急進化した。ロックの項目にフリーメイソンとの関係について書いたが、アメリカでロックの政治理論を広めた団体が、フリーメイソンである。
 フリーメイソンは、本国のイギリスから植民地アメリカに入って、各地にロッジを開設した。各地に組織されたロッジは情報交換や人材交流の場となり、13に分かれていた植民地を共通の理想のもとに結びつける役割を果たした。独立戦争の導火線となったボストン茶会事件は、「自由の子ら」というグループの仕業だが、そこには多くのメイソンが加わっていた。
 アメリカ独立期のフリーメイソンのうち、最も重要なのは、ベンジャミン・フランクリンとジョージ・ワシントンである。
 フランクリンは、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、自身の理論の論拠として挙げた代表的なピューリタンである。フランクリンは敬虔なプロテスタントであると同時に、雷が電気現象であることを実験によって明らかにした自然科学者であり、また当時のアメリカの代表的なフリーメイソンでもあった。
 フランクリンは、1731年ロンドン滞在中にフリーメイソンに加入した。アメリカ独立革命では、独立宣言の起草委員の一人として、ジェファーソンに協力した。またジェファーソンとともに、植民地アメリカ代表としてフランスに派遣された。独立戦争におけるアメリカの勝利は、フランスの支持が得られるかどうかにかかっていた。フランクリンは、フランスでアメリカ独立運動への理解を得るのに成功し、フランスはアメリカを支援した。フランクリンは、このとき、フリーメイソンの人脈を活用した。フランクリンは、フランスで当時最も有名な「九人姉妹」のロッジに加入した。フランクリンは、代表的な啓蒙思想家ヴォルテールを、このロッジに加入させた。
 フランクリンは、「九人姉妹」ロッジを中心としてメイソンに協力を要請した。最大の協力者は、ラ・ファイエット公爵である。ラ・ファイエットは、独立運動に共感し、1777年、アメリカ独立戦争を助けるため、自費で軍隊を率いて渡米し、独立戦争に参戦した。
 フランクリンは、植民地時代のアメリカにおいて、当時の最新のメディアである新聞を通して、啓蒙思想とフリーメイソンの理念を訴え、また他の新聞人を経済的に援助して、新聞のネットワークを作った。メイソン関係の書物や冊子の出版もしており、知識人だけでなく、一般大衆にも愛読者を獲得した。
 独立軍の総司令官に選ばれたワシントンは、独立軍の兵士に俸給を出し、精神的にも結束させた。軍にはメイソンの軍事ロッジ(軍隊の中のフリーメイソン結社)が作られ、13植民地から来た兵士たちは啓蒙思想とメイソンの理想をともにした。
 ワシントンの周辺には、その後のアメリカ政治・経済の中枢を担う人材が集まっていた。その多くがメイソンに加入していた。フランクリンの要請で独立戦争に参戦したラ・ファイエットは、ワシントンの主催する参入儀式を受けて、ワシントンの軍事ロッジに加入した。
 大統領府が置かれたホワイトハウスの設計者は、フリーメイソンだった。また、議事堂の礎石を置く儀式は、メイソンのロッジと提携して行われた。ワシントンはメイソンの象徴が描かれたエプロンをつけて儀式に臨んだ。周りの列席者もすべてメイソンの礼服と標章を身に付けていた。メイソンの正装をしたワシントンの肖像画が残されている。
 アメリカの独立と建国にいかに深くフリーメイソンが関わっていたか、消しようもないほど確かなものは、アメリカ合衆国の国璽である。国璽の裏には、フリーメイソンの象徴のひとつであるピラミッドが表されているのである。国璽とは、国家を表す印章である。大統領の署名した条約批准書、閣僚や大使の任命書など公式文書などに押印されるものである。それが、1ドル紙幣の裏側に印刷されている。国璽のピラミッドは、13段まで積み上げられた未完成のもので、13は独立時の13植民地を意味する。冠石に相当するところには、三角形の中に書かれた「万物を見る眼」が置かれている。古代エジプトを思わせるもので、ユダヤ=キリスト教発祥以前の文明を象徴している。
 ただし、フリーメイソンは、キリスト教を否定するものではない。フリーメイソンの象徴主義の最も古く、最も確実な基礎は、ヨハネ派のキリスト教的秘教主義とされる。ヨハネ派とは、バプテスマのヨハネと福音史家のヨハネを崇拝する宗派である。フリーメイソンはカトリック教会からは何度も弾圧されているが、イギリスでは上流階級の社交クラブのようなものとなり、国王が代々フリーメイソンの名誉会長を務めているという。
 ワシントン以後、歴代のアメリカ合衆国の大統領のうち、F・D・ルーズベルト、トルーマン、レーガンなど16人がメイソンだったという。政治的な主張、政策、所属教会等が違う政治家が加入しているということは、フリーメイソンは秘儀集団とか政治結社という性格を失い、緩やかな親睦交流団体となっていることを意味するだろう。
 私は、18世紀啓蒙思想を欧米で伝播し急進化させたところに、フリーメイソンの歴史的役割を認める者である。またロックの政治理論の浸透における英米仏のメイソンの活動を強調したい。フリーメイソンの思想は、国家・国民の枠を超える。メイソンの権利は、国民の権利とは異なる。人間の権利を広めることは、メイソンの思想を広めやすい環境を作ることになる。この点で、メイソンの活動は、人権思想の発達を促すものとなったのである。

 次回に続く。

株の暴落が続けば、中共政権は崩壊する~石平氏

2015-08-13 10:13:15 | 経済
 6月から7月にかけて、世界経済はギリシャの債務返済不履行と中国株のバブル崩壊で大きく揺れ動いた。
 このうち中国・上海では、1か月ほどの間に株が約3割暴落した。その後も激しい動きが続いている。
 本件について、シナ系評論家の石平氏は、7月16日の産経新聞の記事で、株価の暴落は中国共産党の「政権の崩壊」につながりかねない、それゆえ「必死になって」「暴落を食い止めようとした」、だが株式市場との戦いで共産党政権に「勝ち目」はない、「自らの作り出した市場経済によって首を絞められる事態」になっている、と指摘している。
 石氏は、本年4月2日の記事で「習近平政権は今アジアインフラ投資銀行を創設したりしてアジアへの経済支配を強力に進めているが、気がついてみたら、その足元の経済と財政の土台が既に崩れ始めているのである」と書いた。その理由として、不動産バブルの崩壊を挙げるとともに、シャドーバンキングの問題を挙げる。石氏は、次のように述べた。「今まで、中国の各地方政府は乱開発のために国有銀行やシャドーバンキング(影の銀行)から莫大な借金をつくった」「地方政府の財政事情が悪化していくと、彼らは当然、借金を返すことができなくなる。同じ財政難に陥っている中央政府もその肩代わりができるはずはない。そうすると、日本円にして数百兆円規模の地方債務が焦げ付くことになりかねないが、その結果、一部の国有銀行とシャドーバンキングの破綻は避けられない。場合によっては、中国経済の破滅を招く金融危機の発生が現実のものとなるのである」と。詳しくは、拙稿「AIIB創設の中国は、既に土台が崩れ始めている~石平氏」に書いた。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/9eda2cfde0035dbb06b33bb1b1ce97c1
 今回の上海株の暴落は、石氏の言う「中国経済の破滅を招く金融危機の発生」の発端となるかもしれない。
 石氏は7月16日の記事で次のように述べる。「中国政府は政治、経済、公安、外交などの全ての力を総動員して必死になって上海株の暴落を食い止めようとした。そのことは逆に、北京の政府が株の暴落を何よりも恐れていることの証拠となった。ただでさえ経済が沈滞して国民の不平不満が高まっている中で、株の暴落が引き起こしかねない騒動や暴動が大規模な社会的動乱に発展する恐れがあるからだ。そうなると共産党政権が命脈を保てないのは明白である。だからこそ政権が「防備戦」と称し、株暴落の食い止めに躍起になっているのだ。そのことは逆に、政権の運命が気まぐれな株価の変動に左右されていることを意味している。株価の変動に翻弄され、株価の暴落が政権の崩壊につながりかねない現実こそが中国共産党政権のもろ過ぎる実体なのである」と。
 小平の改革以来、「共産党政権は『市場経済』を何とかうまく利用してきた。そして、経済の成長に成功し、政権を維持してきた」。だが、「株式市場は市場の論理に基づいて自律的に動くものだからいつでも政権の思惑通りになるとはかぎらないし、政権が株価の暴落を防ぐのに99回成功したとしても一度失敗しただけで大変なことになる」「今になって、政権は自らの作り出した市場経済によって首を絞められる事態になっている」と石氏は書いている。
 習政権が株式市場の統制に失敗するならば、先に石氏が予想したような、数百兆円規模の地方政府債務の焦げ付き、それによる一部の国有銀行とシャドーバンキングの破綻といった段階に進んでいく可能性がある。
 以下は、石氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成27年7月16日

http://www.sankei.com/column/news/150716/clm1507160010-n1.html
2015.7.16 11:03更新
【石平のChina Watch】
暴落で政権崩壊…「株」に握られる習体制の命運

 今月3日までに上海株が約30%も暴落したという緊急事態を受け、中国政府はその翌日から、なりふり構わずの「株価防衛総力戦」を展開した。その結果、上海株は徐々に回復する方向へ転じたものの、この原稿を書いている14日時点では再び下落した。
 今後の行方は依然、油断できない。注目すべきなのはむしろ、中国政府が展開した「株価防衛総力戦」のすさまじさである。
 まずは4日、休日にもかかわらず、大手証券21社は緊急声明を発表し、共同で1200億元(約2・4兆円)以上を投じて株価を下支えすることを明らかにした。それほどの迅速さで歩調を合わせ集団行動に出たのは当然、政府当局の命令の結果であろう。
 翌日の日曜日、中国証券監督管理委員会は新規株式公開を抑制する方針を発表する一方、中国人民銀行が証券市場に資金を大量に供給すると宣言した。そして、全国の国有大企業には6日の月曜日から株を買い支えするよう中央政府から指示が出された。
 これほどの必死の巻き返しでもすぐには効果が出なかった。6日と7日に上海株は何とか持ちこたえたが、8日には再び約6%の急落に見舞われ、当局は力任せの強硬手段に訴えることにした。
 9日、公安省は孟慶豊次官を証券監督当局に派遣し「悪意のある株式や株価指数先物の空売りを厳しく取り締まる」と発表した。普通の株式市場で空売りは合法的な市場行為であるが、中国政府は結局、警察力をもって市場行為を封じ込めるという前代未聞の暴挙に出た。
 その前日の8日に「中国株」をめぐるもう一つの奇妙な動きがあった。ロシアのプーチン大統領が報道官を通して「中国株に絶対の信頼を置いている」とのコメントを発表したのである。一国の元首が他国の株価についてコメントするのはいかにも異様な光景だ。
 実はその前日の7日、プーチン大統領は中国の習近平国家主席と会談したばかり。要するに、ロシアの大統領までが引っ張り出され中国の「株防衛戦」に助力させられたというわけである。
 このように中国政府は政治、経済、公安、外交などの全ての力を総動員して必死になって上海株の暴落を食い止めようとした。そのことは逆に、北京の政府が株の暴落を何よりも恐れていることの証拠となった。
 ただでさえ経済が沈滞して国民の不平不満が高まっている中で、株の暴落が引き起こしかねない騒動や暴動が大規模な社会的動乱に発展する恐れがあるからだ。そうなると共産党政権が命脈を保てないのは明白である。
 だからこそ政権が「防備戦」と称し、株暴落の食い止めに躍起になっているのだ。そのことは逆に、政権の運命が気まぐれな株価の変動に左右されていることを意味している。株価の変動に翻弄され、株価の暴落が政権の崩壊につながりかねない現実こそが中国共産党政権のもろ過ぎる実体なのである。
 習政権は今後も株式市場との果てしない戦いを継続していかざるを得ない。このような戦いでは、さすがの共産党政権も勝ち目はないだろう。株式市場は市場の論理に基づいて自律的に動くものだからいつでも政権の思惑通りになるとはかぎらないし、政権が株価の暴落を防ぐのに99回成功したとしても一度失敗しただけで大変なことになる。
 トウ小平改革以来、共産党政権は「市場経済」を何とかうまく利用してきた。そして、経済の成長に成功し、政権を維持してきたが、今になって、政権は自らの作り出した市場経済によって首を絞められる事態になっている。「株」に握られる習近平政権の余命やいかに。
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人権186~米独立宣言の背後にあるもの

2015-08-12 10:23:26 | 人権
●フランス革命にイギリス人ペインが参加

 ペインは、アメリカ独立の思想をフランスに伝えるとともに、外国人でありながらフランス市民革命に参加もした。1789年秋、革命の最中にあるフランスに渡り、革命の高揚を目撃した。翌年、友人のバークがイギリス議会でフランス革命を激しく批判し、『フランス革命の省察』(1790年)と題して出版すると、ペインはイギリスに帰国し、バークに反論して『人間の権利』(1791年)刊行した。バークはフランス革命がイギリスに波及して共和主義が高揚することを防ごうとしたが、ペインはフランス革命を擁護し、バークを徹底的に批判して、熱烈に共和主義を唱導した。そのため、著書は発禁処分となった。ペインは逮捕寸前のところ、フランスに脱出した。
 バークについては後に書くが、ペインについては、『人間の権利』は、91年までのフランス革命を過度に美化している。その後の混乱や悲惨を全く予想していない。ましてや自分がフランスで捕囚の身となるとは、思ってもみなかったのだろう。
 『コモン・センス』は、刊行されたその年の内にフランス語に訳され、フランスでも広く読まれ、大きな影響を及ぼした。ペインは、フランスでも著名人だった。ペインは市民権を与えられ、国民公会の議員に選出された。ジロンド派に協力して、ジロンド派の憲法草案作成に参加した。アメリカ独立革命の扇動家がフランス革命を推進したのである。ペインはルイ16世の処刑には反対した。だが、フランスの急進共和主義者は、過激だった。ロベルピエール等がジロンド派を追放すると、ペインは孤立し、93年12月、「共和国に対する反逆」という罪状で投獄されてしまった。
 テルミドールの反動後も出獄できないでいたが、駐仏アメリカ大使モンローの奔走で、ようやく94年11月に釈放された。その後、ペインはナポレオンに請われて、統領政府の会議に出席した。意見を求められたペインは、たとえイギリス軍には勝てても、イギリス人民を支配することはできない、と答えた。ナポレオンから呼ばれることは二度となかった。
 フランスに居場所のなくなったペインは、1802年に再びアメリカに渡った。だが、『コモン・センス』の著者で独立戦争の英雄は、民衆から忘れ去られていた。ペインはフランス仕込みの過激な思想家と見られ、孤独の中で惨めな最期を遂げた。ペインがアメリカ独立を訴えた『コモン・センス』、フランス革命を擁護した『人間の権利』は、ペインの生涯の全体を踏まえて読まれるべきである。
 ところで、ペインについては、もう一つ見逃せないことがある。それは、「フリーメイソン団の起源」という論文があることである。ペイン自身がフリーメイソンに加入していたかどうかは不明であるが、メイソンとの関係は濃厚である。ペインは、フランクリンの紹介でアメリカに渡ったが、フランクリンはメイソンの活動家だった。ペインは、フランクリンが関与した独立宣言の作成に協力した。『コモン・センス』の共和主義・人民主権の思想は、「自由・平等・友愛」というメイソンの思想に通じる。独立戦争の司令官ワシントンも同書を読んだ。ワシントンは有力なメイソンであり、フランスから援軍に来たラ・ファイエット公爵をメイソンに加入させた。そのラ・ファイエットに、ペインは『人間の権利』第2部を献呈している。フランス革命期には、ペインは外国人でありながら国民公会の議員になったが、革命は多くのメイソンによって指導されていた。メイソンは国境を超える思想・運動であり、イギリス、アメリカに人脈を持つペインは、歓迎されただろう。このように、ペインはメイソンと多くの関係を持っている。
 私は、人権の思想の発達には、ホッブス、水平派、ロック、ルソー等とともに、フリーメイソンが関わっていると見ている。拙稿「西欧発の文明と人類の歴史」に書いたように、アメリカ独立革命、フランス市民革命は、メイソンを抜きに理解することはできない。独立宣言、人権宣言には、フリーメイソンの思想が何らかの形で反映されていると私は考えている。

●独立宣言の思想の背後にあるもの

 独立宣言の思想については、第5章に書いたが、ここでその要約を示すとともに、新たな点を補いたい。
 独立宣言は、ジェファーソンが草案を作成、ベンジャミン・フランクリンとジョン・アダムスが若干の加筆修正を行って成案した。ペインも作成に協力した。
 独立宣言は、前文で、圧政下にある植民地の人民が自由独立の国家を建設することを公言し、自然権、社会契約思想、「合意の支配」、革命権を謳った。そこには、ロックの思想が色濃く反映されている。ジェファーソンは、ロックを信奉していた。彼が起草した独立宣言は、「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主(Creator)によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、その中に生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる」とあるが、「生命、自由及び幸福の追求」は奪いがたい天賦の権利と書いているのは、ロックが説いた生命・自由・財産の所有権のうち、最初の二つをそのまま取り入れ、最後の財産を幸福の追求に置き換えたものである。また、アメリカ合衆国は、ロックが市民社会の発生段階に想定した社会契約を、絶対王政下の植民地が独立して新たな国を建設するという全く異なる条件において、実現したものである。米国憲法は、前文に「われわれ合衆国の人民は(We the people of the United States)」と書いており、契約をした主体は、アメリカ人民である。人民が相互に契約を結んで作ったのが、合衆国である。ロックの社会契約論は、既存の国家の起源には当てはまらないが、新たな国家の建設には、有効な理論となったのである。
 独立宣言は、権利の根源を「造物主」に置く。ここにおける「造物主」は、基本的にユダヤ=キリスト教的な神である。ただし、この「造物主」は、理神論に立てば、ユダヤ教・キリスト教・フリーメイソンに共通する宇宙の創造者となる。アメリカを建国した指導者たちは、ピューリタンまたはキリスト教を信奉するフリーメイソンだった。独立宣言に署名した56人うちフランクリンを含む9人から15人がメイソンと見られる。独立宣言は、建国の指導者たちが共有し得る世界観に立って、すべての人間は平等に造られ、造物主によって、一定の不可譲の権利を与えられているとしたものだろう。人民の権利は、歴史的・社会的に形成されたイギリス臣民の「古来の自由と権利」ではなく、天賦の権利であるという論理が打ち出された。人民の権利から、権利の歴史性が否定され、権利の根拠として、造物主によって与えられたものということが強調された。この造物主は、単にユダヤ=キリスト教的な神ではなく、ユダヤ教・キリスト教・フリーメイソンに共通する神の理念ととらえたほうがよいだろう。
 独立宣言には、ロック、ピューリタニズム、フリーメイソンという3つの要素が融合していると私は見ている。これらのうち、フリーメイソンについて、次に書く。

 次回に続く。

中国は沖縄を狙っている~H・S・ストークス氏

2015-08-09 08:42:08 | 国際関係
 最近マックス・フォン・シュラー・コバヤシ氏、トニー・マラーノ氏、マイケル・ヨン氏、ケント・ギルバート氏、ジェイソン・モーガン氏ら、日本の立場を弁護してくれる米国人が続出している。米国人だけではない。英国人ジャーナリストのヘンリー・S・ストークス氏もまたそうである。
 ストークス氏は、著書『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)で「南京大虐殺」は事実ではない、中華民国政府が捏造したプロパガンダだった、と主張している。氏の発言については、拙稿「南京・慰安婦等の真実を世界に伝えよう3」で紹介した。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/b78cafec6087f158348737dd5cb03259
 ストークス氏は、最近沖縄に関して発言した。「日本人が本気で、沖縄などから米軍基地を撤退させるというなら、相当の覚悟と戦略が必要だ」「米軍基地撤退には、『自由』『民主主義』『人権』『法の支配』といった普遍的価値観を共有する米国との同盟関係が壊れる懸念や、自国の防衛力を強化するために、現状をはるかに超える防衛経費の捻出を覚悟しなければならない。日本経済にもかなりの負担となる。当然、『戦力の不保持』を定めた憲法の改正も不可欠だ」「単に『基地反対』『非武装地域化』と唱えているだけでは、沖縄や日本の平和と安全を守ることはできない」とストークス氏は主張する。そして、次のように述べている。
 「現に、中国は沖縄・尖閣諸島周辺に艦船を連日侵入させて、『尖閣は中国領』『琉球独立を支持する』と主張している。チベットや東トルキスタン(新疆ウイグル)などの周辺国を自治区として取り込んだように、沖縄をも狙っている。フィリピンでは猛烈な反米運動を受けて、1991年に米軍基地が撤退した。この直後、中国軍はフィリピンが領有権を主張していた南シナ海・ミスチーフ礁などを軍事占拠した。フィリピンでの反米運動は中国に近い華僑が中心になっていたという話もある。こうした歴史的事実を忘れてはならない」と。
 発言の最後に、「フィリピンでの反米運動は中国に近い華僑が中心になっていたという話」に言及しているが、日本の場合、中国は沖縄県民が独立運動を進めるように工作している。石平氏が伝えたように、平成24年7月中国で、人民解放軍の幹部と国防や日本研究の学者らが、「琉球は中国領だが、日本がそれを不法占領している」と説き、「政府・学界・メディア」の「連携」による「沖縄工作」の展開を具体的に提案した。そして、「琉球人民に十分な民族自決権を行使させよう」という、赤裸々な「沖縄県民離反工作」を公然と語った。中国の場合、こうした発言が行われ、またそれが報道されるのは、共産党政権の容認または指示があるに違いない。軍の幹部や学者が公然と発言するということは、既に工作が進められてきて、公然と発言する段階になったと見るべきだろう。それが約3年前である。沖縄の政治家・学者・メディア、また本土の左翼団体・市民団体等に、着々と働きかけをしており、それが知事選や基地移転反対運動等に相当の影響を与えてきていると見るべきだろう。
 以下は、ストークス氏の発言の全文。

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●産経新聞 平成27年5月14日

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150514/dms1505141140007-n1.htm
沖縄非武装論 宮崎駿氏らに覚悟と戦略はあるのか H・S・ストークス氏緊急激白
2015.05.14

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する動きが目立っている。国内外に移設反対を発信する「辺野古基金」の共同代表に、アニメ映画監督の宮崎駿氏らが就任。沖縄県の翁長雄志知事は今月末から、ワシントンを訪問して米政府に反対意向を直接伝えるという。米紙ニューヨーク・タイムズや、英紙フィナンシャル・タイムズの東京支局長を歴任した、英国人ジャーナリスト、ヘンリー・S・ストークス氏が緊急激白した。

 辺野古基金の共同代表に、あの有名な宮崎氏が就任したというニュースを聞き、私は「なるほど…」と思った。宮崎氏は「沖縄の非武装地域化こそ、東アジアの平和のために必要です」との直筆メッセージを寄せたというが、まさに空想アニメか小説次元の絵空事でしかないからだ。
 安全保障を少しでも学んだ者なら、沖縄の地政学的重要性は簡単に理解できる。沖縄から半径2000キロ以内に、東京や北京、上海、ソウル、台北、香港、マニラといった東アジアの主要都市が入る。日本を筆頭に、東アジア諸国のエネルギー確保に死活的な「シーレーン」にも近い。
 「極東最大の空軍基地」である米軍嘉手納飛行場をはじめ、米国にとって、アジアから中東までの安全保障のベースが沖縄にある。日本のシーレーンは主に米軍が守っている。米軍の沖縄駐留は日米同盟の実効性を確かなものにし、日本の抑止力を高めている。「防衛義務」と「基地の提供」。これが、日米安保条約の双務性だ。
 ただ、戦後70年経っても米軍が駐留し、日本の国防を米軍に依存していることが、本当に独立主権国家として日本のあるべき姿なのか、本質的な議論が求められる。占領の呪縛を克服し、日米の同盟をより強化するうえでも必要なプロセスだ。
 日本人が本気で、沖縄などから米軍基地を撤退させるというなら、相当の覚悟と戦略が必要だ。米国には、沖縄の基地について「若い米国兵士が血を流して獲得した」という思いがある。映画監督や地方の知事が反対したぐらいで、簡単に手放すとは思えない。
 米軍基地撤退には、「自由」「民主主義」「人権」「法の支配」といった普遍的価値観を共有する米国との同盟関係が壊れる懸念や、自国の防衛力を強化するために、現状をはるかに超える防衛経費の捻出を覚悟しなければならない。日本経済にもかなりの負担となる。当然、「戦力の不保持」を定めた憲法の改正も不可欠だ。
 宮崎氏や翁長氏らに、そうした覚悟と戦略があるのか。単に「基地反対」「非武装地域化」と唱えているだけでは、沖縄や日本の平和と安全を守ることはできない。
 現に、中国は沖縄・尖閣諸島周辺に艦船を連日侵入させて、「尖閣は中国領」「琉球独立を支持する」と主張している。チベットや東トルキスタン(新疆ウイグル)などの周辺国を自治区として取り込んだように、沖縄をも狙っている。
 フィリピンでは猛烈な反米運動を受けて、1991年に米軍基地が撤退した。この直後、中国軍はフィリピンが領有権を主張していた南シナ海・ミスチーフ礁などを軍事占拠した。フィリピンでの反米運動は中国に近い華僑が中心になっていたという話もある。こうした歴史的事実を忘れてはならない。 (取材・構成 藤田裕行)

■ヘンリー・S・ストークス 1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年に英紙『フィナンシャル・タイムズ』入社。64年、東京支局初代支局長に着任する。以後、英紙『タイムズ』や、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者としても知られる。著書に『英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)、共著に『目覚めよ! 日本』(日新報道)など。
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関連掲示
・拙稿「中国は沖縄に独立宣言をさせる~恵隆之介氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/04d54eddda25a619aab628d9be7cca9a
・拙稿「中国で沖縄工作が公言~石平氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/a3ac2550ec7308d805acfe732eb25d4a
・拙稿「尖閣を守り、沖縄を、日本を守れ」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12o.htm