●アメリカ建国におけるフリーメイソンの活動
ロックの政治理論は、植民地アメリカでは本国への抵抗権の論拠となり、さらに連合王国からの独立を求める思想へと急進化した。ロックの項目にフリーメイソンとの関係について書いたが、アメリカでロックの政治理論を広めた団体が、フリーメイソンである。
フリーメイソンは、本国のイギリスから植民地アメリカに入って、各地にロッジを開設した。各地に組織されたロッジは情報交換や人材交流の場となり、13に分かれていた植民地を共通の理想のもとに結びつける役割を果たした。独立戦争の導火線となったボストン茶会事件は、「自由の子ら」というグループの仕業だが、そこには多くのメイソンが加わっていた。
アメリカ独立期のフリーメイソンのうち、最も重要なのは、ベンジャミン・フランクリンとジョージ・ワシントンである。
フランクリンは、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、自身の理論の論拠として挙げた代表的なピューリタンである。フランクリンは敬虔なプロテスタントであると同時に、雷が電気現象であることを実験によって明らかにした自然科学者であり、また当時のアメリカの代表的なフリーメイソンでもあった。
フランクリンは、1731年ロンドン滞在中にフリーメイソンに加入した。アメリカ独立革命では、独立宣言の起草委員の一人として、ジェファーソンに協力した。またジェファーソンとともに、植民地アメリカ代表としてフランスに派遣された。独立戦争におけるアメリカの勝利は、フランスの支持が得られるかどうかにかかっていた。フランクリンは、フランスでアメリカ独立運動への理解を得るのに成功し、フランスはアメリカを支援した。フランクリンは、このとき、フリーメイソンの人脈を活用した。フランクリンは、フランスで当時最も有名な「九人姉妹」のロッジに加入した。フランクリンは、代表的な啓蒙思想家ヴォルテールを、このロッジに加入させた。
フランクリンは、「九人姉妹」ロッジを中心としてメイソンに協力を要請した。最大の協力者は、ラ・ファイエット公爵である。ラ・ファイエットは、独立運動に共感し、1777年、アメリカ独立戦争を助けるため、自費で軍隊を率いて渡米し、独立戦争に参戦した。
フランクリンは、植民地時代のアメリカにおいて、当時の最新のメディアである新聞を通して、啓蒙思想とフリーメイソンの理念を訴え、また他の新聞人を経済的に援助して、新聞のネットワークを作った。メイソン関係の書物や冊子の出版もしており、知識人だけでなく、一般大衆にも愛読者を獲得した。
独立軍の総司令官に選ばれたワシントンは、独立軍の兵士に俸給を出し、精神的にも結束させた。軍にはメイソンの軍事ロッジ(軍隊の中のフリーメイソン結社)が作られ、13植民地から来た兵士たちは啓蒙思想とメイソンの理想をともにした。
ワシントンの周辺には、その後のアメリカ政治・経済の中枢を担う人材が集まっていた。その多くがメイソンに加入していた。フランクリンの要請で独立戦争に参戦したラ・ファイエットは、ワシントンの主催する参入儀式を受けて、ワシントンの軍事ロッジに加入した。
大統領府が置かれたホワイトハウスの設計者は、フリーメイソンだった。また、議事堂の礎石を置く儀式は、メイソンのロッジと提携して行われた。ワシントンはメイソンの象徴が描かれたエプロンをつけて儀式に臨んだ。周りの列席者もすべてメイソンの礼服と標章を身に付けていた。メイソンの正装をしたワシントンの肖像画が残されている。
アメリカの独立と建国にいかに深くフリーメイソンが関わっていたか、消しようもないほど確かなものは、アメリカ合衆国の国璽である。国璽の裏には、フリーメイソンの象徴のひとつであるピラミッドが表されているのである。国璽とは、国家を表す印章である。大統領の署名した条約批准書、閣僚や大使の任命書など公式文書などに押印されるものである。それが、1ドル紙幣の裏側に印刷されている。国璽のピラミッドは、13段まで積み上げられた未完成のもので、13は独立時の13植民地を意味する。冠石に相当するところには、三角形の中に書かれた「万物を見る眼」が置かれている。古代エジプトを思わせるもので、ユダヤ=キリスト教発祥以前の文明を象徴している。
ただし、フリーメイソンは、キリスト教を否定するものではない。フリーメイソンの象徴主義の最も古く、最も確実な基礎は、ヨハネ派のキリスト教的秘教主義とされる。ヨハネ派とは、バプテスマのヨハネと福音史家のヨハネを崇拝する宗派である。フリーメイソンはカトリック教会からは何度も弾圧されているが、イギリスでは上流階級の社交クラブのようなものとなり、国王が代々フリーメイソンの名誉会長を務めているという。
ワシントン以後、歴代のアメリカ合衆国の大統領のうち、F・D・ルーズベルト、トルーマン、レーガンなど16人がメイソンだったという。政治的な主張、政策、所属教会等が違う政治家が加入しているということは、フリーメイソンは秘儀集団とか政治結社という性格を失い、緩やかな親睦交流団体となっていることを意味するだろう。
私は、18世紀啓蒙思想を欧米で伝播し急進化させたところに、フリーメイソンの歴史的役割を認める者である。またロックの政治理論の浸透における英米仏のメイソンの活動を強調したい。フリーメイソンの思想は、国家・国民の枠を超える。メイソンの権利は、国民の権利とは異なる。人間の権利を広めることは、メイソンの思想を広めやすい環境を作ることになる。この点で、メイソンの活動は、人権思想の発達を促すものとなったのである。
次回に続く。
ロックの政治理論は、植民地アメリカでは本国への抵抗権の論拠となり、さらに連合王国からの独立を求める思想へと急進化した。ロックの項目にフリーメイソンとの関係について書いたが、アメリカでロックの政治理論を広めた団体が、フリーメイソンである。
フリーメイソンは、本国のイギリスから植民地アメリカに入って、各地にロッジを開設した。各地に組織されたロッジは情報交換や人材交流の場となり、13に分かれていた植民地を共通の理想のもとに結びつける役割を果たした。独立戦争の導火線となったボストン茶会事件は、「自由の子ら」というグループの仕業だが、そこには多くのメイソンが加わっていた。
アメリカ独立期のフリーメイソンのうち、最も重要なのは、ベンジャミン・フランクリンとジョージ・ワシントンである。
フランクリンは、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、自身の理論の論拠として挙げた代表的なピューリタンである。フランクリンは敬虔なプロテスタントであると同時に、雷が電気現象であることを実験によって明らかにした自然科学者であり、また当時のアメリカの代表的なフリーメイソンでもあった。
フランクリンは、1731年ロンドン滞在中にフリーメイソンに加入した。アメリカ独立革命では、独立宣言の起草委員の一人として、ジェファーソンに協力した。またジェファーソンとともに、植民地アメリカ代表としてフランスに派遣された。独立戦争におけるアメリカの勝利は、フランスの支持が得られるかどうかにかかっていた。フランクリンは、フランスでアメリカ独立運動への理解を得るのに成功し、フランスはアメリカを支援した。フランクリンは、このとき、フリーメイソンの人脈を活用した。フランクリンは、フランスで当時最も有名な「九人姉妹」のロッジに加入した。フランクリンは、代表的な啓蒙思想家ヴォルテールを、このロッジに加入させた。
フランクリンは、「九人姉妹」ロッジを中心としてメイソンに協力を要請した。最大の協力者は、ラ・ファイエット公爵である。ラ・ファイエットは、独立運動に共感し、1777年、アメリカ独立戦争を助けるため、自費で軍隊を率いて渡米し、独立戦争に参戦した。
フランクリンは、植民地時代のアメリカにおいて、当時の最新のメディアである新聞を通して、啓蒙思想とフリーメイソンの理念を訴え、また他の新聞人を経済的に援助して、新聞のネットワークを作った。メイソン関係の書物や冊子の出版もしており、知識人だけでなく、一般大衆にも愛読者を獲得した。
独立軍の総司令官に選ばれたワシントンは、独立軍の兵士に俸給を出し、精神的にも結束させた。軍にはメイソンの軍事ロッジ(軍隊の中のフリーメイソン結社)が作られ、13植民地から来た兵士たちは啓蒙思想とメイソンの理想をともにした。
ワシントンの周辺には、その後のアメリカ政治・経済の中枢を担う人材が集まっていた。その多くがメイソンに加入していた。フランクリンの要請で独立戦争に参戦したラ・ファイエットは、ワシントンの主催する参入儀式を受けて、ワシントンの軍事ロッジに加入した。
大統領府が置かれたホワイトハウスの設計者は、フリーメイソンだった。また、議事堂の礎石を置く儀式は、メイソンのロッジと提携して行われた。ワシントンはメイソンの象徴が描かれたエプロンをつけて儀式に臨んだ。周りの列席者もすべてメイソンの礼服と標章を身に付けていた。メイソンの正装をしたワシントンの肖像画が残されている。
アメリカの独立と建国にいかに深くフリーメイソンが関わっていたか、消しようもないほど確かなものは、アメリカ合衆国の国璽である。国璽の裏には、フリーメイソンの象徴のひとつであるピラミッドが表されているのである。国璽とは、国家を表す印章である。大統領の署名した条約批准書、閣僚や大使の任命書など公式文書などに押印されるものである。それが、1ドル紙幣の裏側に印刷されている。国璽のピラミッドは、13段まで積み上げられた未完成のもので、13は独立時の13植民地を意味する。冠石に相当するところには、三角形の中に書かれた「万物を見る眼」が置かれている。古代エジプトを思わせるもので、ユダヤ=キリスト教発祥以前の文明を象徴している。
ただし、フリーメイソンは、キリスト教を否定するものではない。フリーメイソンの象徴主義の最も古く、最も確実な基礎は、ヨハネ派のキリスト教的秘教主義とされる。ヨハネ派とは、バプテスマのヨハネと福音史家のヨハネを崇拝する宗派である。フリーメイソンはカトリック教会からは何度も弾圧されているが、イギリスでは上流階級の社交クラブのようなものとなり、国王が代々フリーメイソンの名誉会長を務めているという。
ワシントン以後、歴代のアメリカ合衆国の大統領のうち、F・D・ルーズベルト、トルーマン、レーガンなど16人がメイソンだったという。政治的な主張、政策、所属教会等が違う政治家が加入しているということは、フリーメイソンは秘儀集団とか政治結社という性格を失い、緩やかな親睦交流団体となっていることを意味するだろう。
私は、18世紀啓蒙思想を欧米で伝播し急進化させたところに、フリーメイソンの歴史的役割を認める者である。またロックの政治理論の浸透における英米仏のメイソンの活動を強調したい。フリーメイソンの思想は、国家・国民の枠を超える。メイソンの権利は、国民の権利とは異なる。人間の権利を広めることは、メイソンの思想を広めやすい環境を作ることになる。この点で、メイソンの活動は、人権思想の発達を促すものとなったのである。
次回に続く。