ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権119~国民国家とそれに関連する概念

2014-10-25 10:30:05 | 人権
●国民国家とそれに関連する概念

 第8章となる本章では、これまで書いた市民革命までの主権・民権・人権の展開を踏まえ、国民国家の形成・発展の時代から帝国主義の時代への展開における人権思想の発達について述べたい。
 人権思想の発達は、リベラリズム、デモクラシーだけでなく、国民国家の形成・発展やナショナリズムの発生・発達とも深い関係がある。人権は主に「国民の権利」として発達したからである。
 西欧では、絶対王政の下で中央集権化が進み、1648年のウェストファリア条約をきっかけに、主権国家体制が生まれた。絶対王政における国王の主権は、17世紀半ば以降、市民革命によって、貴族・新興階級と共有するものとなったり、新興階級に簒奪されたり、または国民全体が所有するものへと変化したりした。この過程で、17世紀末から19世紀にかけて、絶対王政国家に代わって登場したのが、国民国家である。
 最初に国民国家とそれに関連する概念について概術しておきたい。
 国民国家とは、他国と領域を区別する国境を持ち、領域内の全住民を国民という単位にまとめ上げて成立した国家をいう。領域内の住民は、政治的・文化的に共通の意識を持つ集団へと形成され、国民としての自己意識を持つにいたった。
 国民国家の原語nation-state は、nationとstateが複合した言葉である。ネイションは、「国家」「国民」「民族」「共同体」等と訳される。一方、ステイトは、「政府」や統治機構、または政府や統治機構を持つ政治的共同体としての「国家」を意味する。これらのnationとstateという二つの語を組み合わせたnation-stateを、nation(国民)によるstate(国家)として、国民国家と訳している。日本語の「国家」は家族的共同体を連想させるが、国民国家は「国民(nation)の政府(state)」とも訳しうることに留意したい。
 後に詳しく述べるように、私は、最初の国民国家は17世紀末にイギリスで誕生したと考える。だが、多数説では18世紀末にフランスで誕生したとされる。また、政治学者ベネディクト・アンダーソンは、ヨーロッパではなく新大陸で18世紀末から19世紀初めに誕生したという。何に重点を置くかによって説が異なる。
 絶対王政国家から国民国家への変化の過程で、君主政治は君民共治政治または民主政治へ移行した。国民国家の政治形態は、共和制とは限らない。国民国家には、君主制の国民国家と共和制の国民国家がある。国民のうち、君主制の国家の国民を臣民(subject)という。君主制の国家においては、臣民は同時に国民である。共和制の国家の国民は、「公民(英語citizen、仏語citoyen)」という。citizen、citoyenは、「市民」とも訳す。市民は、一般的には都市民のことだが、歴史的には市民革命や市民社会の担い手となったブルジョワジーや商工業者を指す。市民革命はbourgeois revolutionの訳語である。西洋語では、citizen revolutionとは言わない。
 絶対王政で確立した主権は、国王一人の権利から、国王と国民が共有する権利または国民が所有する権利へと変化した。統治権者の数は、中世の封建制国家では少数、近代初期の絶対王政では単数、それ以降の国民国家では多数と変化した。
 国民国家における「国民」としてのネイションは、古代ローマ帝国において用いられた「生まれ」「同郷の集団」を意味するラテン語ナチオ(natio)を語源とする。ナチオは本来、郷土を同じくする集団だった。そのナチオが、17世紀の西欧において、近代的な国家・国民(nation)の観念と結びつけられた。共通の対象が、郷土から国家・国民へと拡大された。
 西欧の封建国家は、国境が明確でなく、住民の多くには帰属意識がなく、一定の統治権を持つ集団だった。これに対し、近代主権国家は、他国との明確な国境、国家に所属する国民、領域における主権を持つ集団である。ウェストファリア条約の成立時点で、それぞれの主権国家は、国境で区切られた領土を持ち、その区域内の住民は、法理論的にはその国家の国民となったと考えられる。だが、まだ国民としての意識は発達しておらず、国民は形式的な存在だった。そうした形式的な国民が、国民としての集団的な自己意識を持ち、一体性が生まれていったことを、私は、国民の実質化と呼ぶ。絶対王政の主権国家が国民国家となると、政府が国民の意識の統合と文化的な均一化を進め、国民の実質化が一層進んだ。
 政治学者アンソニー・スミスは、ネイションとは「歴史上の領域、共通の神話と歴史的記憶、大衆的・公的な文化、全構成員に共通の経済、共通の法的権利・義務を共有する、特定の名前のある人間集団」と定義している。この定義におけるネイションは、国家形成過程の集団をいう場合は民族を意味するが、国家形成後の集団をいう場合は国民を意味する時と民族を意味する時がある。前者の国民としてのネイションは、国家の総構成員または国籍の所有者の総体をいう。後者の民族としてのネイションは、次に述べるエスニック・グループと重なり合う。
 近代的なネイションが形成される過程では、しばしばそのネイションのもとになった集団が存在した。それが、エスニック・グループ(ethnic group)である。エスニック・グループは、しばしば「民族」と訳される。血統・出自・言語・文化・宗教・生活習慣等によって、「われわれ」意識を持ち、自己の集団と他の集団を分ける集団である。そうしたエスニック・グループが核になって、ネイションが形成され、政府を樹立し、独自の国家を持つようになった場合が多い。
 ネイションは、必ずしも一つのエスニック・グループが発達したものとは限らない。複数のエスニック・グループが併存し、複数の言語・文化・宗教等が存在している場合がある。それゆえ、ネイションの形成において重要なのは、言語・文化・宗教等が統一されることより、自分たちは一個の集団であるという集団的な自己意識の確立である。この集団的自己意識は、個人におけるアイデンティティの一部ともなる。
 国民国家の統治機構は、国によって異なる。国民国家には、単一国家と連邦国家がある。単一国家は、一つまたは複数のエスニック・グループが中央集権的な政府によって統治されている国家である。これに対し、連邦国家は、複数の州または国家等と呼ばれる政治組織が、連邦政府によって統治されている国家である。連邦を構成する国家は、独立主権国家ではないが、一定の自治権をもつ。連邦国家の国民をネイションと捉える時は、その下位の政治的な集団をサブ・ネイションと呼ぶことにする。
 エスニック・グループ、ネイション、国民国家に関係する概念に、ナショナリズムがある。社会人類学者アーネスト・ゲルナーは、ナショナリズムを「政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければいけないと主張する一つの政治的原理」と定義している。ゲルナーのこの定義における「民族的」はナショナルの訳である。だが、私は、これはナショナルではなくエスニックとすべきと考える。このことは、エスニック・グループとネイションをどのようにとらえるかに関わる事柄である。ナショナリズムに対し、エスニック・グループが独自に示す現象をエスニシズム(ethnicism)という。エスニシズムは、ある集団がエスニック(民族的)な特徴を積極的に維持・発揚しようとする思想・運動である。
 ナショナリズムには、国家形成段階のものと国家発展段階のものがある。国家形成段階のナショナリズムには、国内において市民革命によって権力を奪取または権力に参加しようとする市民革命型、一つのネイションにおいて植民地人民が本国政府から独立しようとする独立建国型、自民族の統一を目指し、民族統一的な国家を作ろうとする民族統一型、国内において自治権を獲得・拡大しようとする自治拡大型がある。国家発展段階のナショナリズムには、自国・自国民の国内的発展を目指したり、文化的同化や思想の共有による国民の実質化を図ったりする内部充実型、他国・多民族を支配またはそれらを併合して発展しようとする対外拡張型がある。こうした理論的な検討を通じて、ナショナリズムとは何かを明らかにしなければ、人権について深く論じることはできないと私は考える。
 以上、簡単に国民国家とそれに関連する概念について書いた。国民国家、ネイション、エスニック・グループ、エスニシズム、ナショナリズムは互いに関係し合っている。これらについて論じるに当たり、まずエスニック・グループとネイションの関係について考察し、次に国民国家の形成・発展の過程について書く。そこでは、国民国家の各国における展開を述べる。その後に、ナショナリズムについての理論的な検討を行う。こうした記述を通じて、国民国家の形成・発展の時代における人権思想の発達を明らかにしたい。

 次回に続く。