ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

教科書検定で消されたマッカーサー証言

2012-09-03 08:50:55 | 教育
 私は5月22~23日の日記で、マッカーサーが戦後、日本が戦争を始めた目的は「主に安全保障のためだった」と述べた米議会での証言が、公教育の教材に初めて取り上げられたことを書いた。都立高校独自の地理歴史教材の平成24年版に掲載されたものである。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/ac7410077c54fa1cb57f1439e27ca05e
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/4f52c74a24949feb13341bebd44381cc
 その後、マッカーサー証言は、高校教科書「最新日本史」(明成社)の昨23年度検定前の白表紙本に載っていたが、「誤解するおそれのある表現である」との検定意見がついて、執筆者側が削除したことを知った。文部科学省教科書課は「記述が不十分で、誤解を招きかねないと判断した」と説明しているという。産経新聞論説委員の石川水穂氏が伝えているものだ。
 次にその石川氏の記事を転載する。

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●産経新聞 平成24年6月23日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120623/edc12062303070000-n1.htm
【土・日曜日に書く】
論説委員・石川水穂 教科書検定で消えた「マ証言」
2012.6.23 03:07 [土・日曜日に書く]

◆断定を避けた都の教材
 「江戸から東京へ」と題する東京都教育委員会作成の教材が都立高校に配布され、今春から必修となった日本史の授業で使われている。「幕藩体制の成立」から今日の「国際都市・東京」までの400年の歩みが教科書風に書かれ、大人が読んでも勉強になる。
 注目したいのは、「第二次世界大戦と太平洋戦争」のところに掲載された「ハル=ノートとマッカーサー証言」というコラムだ。
 「ハル=ノートの原案を作成した財務省特別補佐官のハリー・ホワイトは、ソ連のスパイの疑いがあるとして非米活動委員会に出席しており、ハル=ノートの作成にソ連が関わっていたとする意見もある」
 「連合国軍最高司令官であったマッカーサーは、戦後のアメリカ議会において、日本が開戦したことについて『in going to war was largely dictated by security.』と証言しており、この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえる意見もある」
 ハル=ノートは1941(昭和16)年11月、日米交渉でハル米国務長官が日本に中国と仏領インドシナからの全面撤退などを求めた最後通告だ。ホワイトは48年、米下院非米活動委員会でソ連のスパイ容疑を否認したが、米側の暗号解読記録などから、ソ連に通じていた疑いが濃厚とされる。
 マッカーサー証言は51年5月、米上院軍事外交合同委員会の公聴会の記録で、小堀桂一郎東大名誉教授がニューヨーク・タイムズ紙の記事を基に入手した。
 教材の英文は、その前に「Their purpose, therefore,」との語があり、「したがって彼ら(日本)が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」(小堀氏編「東京裁判 日本の弁明」から)という意味だ。
 コラムは断定的な表現を避け、生徒に考えさせる内容である。

◆「誤解するおそれ」と意見
 実は、これらの記述は小堀氏らが執筆した高校教科書「最新日本史」(明成社)の昨年度検定前の白表紙本にもあった。しかし、いずれも「誤解するおそれのある表現である」との検定意見が付き、執筆者側は2つとも削除した。
 文部科学省教科書課は「記述が不十分で、誤解を招きかねないと判断した」と説明している。
 米議会でのマッカーサー証言などは、広くは知られていないが、明白な事実だ。これらを知ることにより、生徒は先の戦争をより多角的にとらえることができる。事実を教科書に載せることがなぜ、誤解を招くのか。文科省からは、明快な説明が得られなかった。
 その一方で、事実かどうか疑わしい記述が検定をパスしていた。
 「約70万人が朝鮮総督府の行政機関や警察の圧迫などによって日本本土に強制連行され、過酷な条件で危険な作業に従事させられた」(東京書籍「日本史A」)
 「数十万人の朝鮮人や占領地域の中国人を日本本土などに強制連行し、鉱山や土木工事現場などで働かせた」(山川出版「詳説日本史」)
 外務省が昭和34年に発表した在日朝鮮人の実態調査によれば、日本内地に居住していた朝鮮人は昭和14年末から20年の終戦直前までの6年間で、100万人から200万人に増えた。増えた100万人のうち、70万人は日本に職を求めてきた渡航者と出生による自然増加で、残り30万人の大部分は鉱工業や土木事業の募集に応じて自主的に契約した人たちだ。
 ほとんどの朝鮮人は自由意思で朝鮮半島から日本内地に渡ってきた。すべて「強制連行」だったとする記述は誤りである。
 このほか、日本の占領政策によるベトナムでの餓死者「200万人」、マレー半島での「華人虐殺数万人」といった誇大な数字が今も教科書で独り歩きしている。

◆誤報事件から30年
 昭和57年夏、日本のマスコミは旧文部省の検定によって日本の中国への「侵略」が「進出」に書き換えられたと一斉に報じ、中国や韓国が外交ルートを通じて抗議してきた。しかし、そのような書き換えはなかった。
 にもかかわらず、当時の鈴木善幸内閣の宮沢喜一官房長官は「教科書の記述を是正し、検定基準を改める」とする談話を発表した。この宮沢談話を受け、近隣諸国条項が検定基準に加えられた。
 「侵略」「強制」などの表記に意見を付けることが難しくなり、中国や韓国などに過度に配慮した教科書検定が行われるようになったのは、それ以降である。
 今年は、その教科書誤報事件から30年になる。マスコミの教科書報道や検定のあり方について、改めて再検証が必要ではないか。(いしかわ みずほ)
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