ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権183~理神論と信教の自由の拡大

2015-08-04 09:33:11 | 人権
●理神論と信教の自由の拡大

 啓蒙主義は、自由を要求する。とりわけ宗教に関わる事柄において、自らの理性を公的に行使する自由を要求した。啓蒙思想における宗教思想で代表的なものが、理神論である。理神論は、deismの訳である。キリスト教の神を世界の創造者、合理的な支配者として認めるが、創造された後では、世界は自然法則に従って運動し、神の干渉を必要としないとし、賞罰を与えたり、啓示・奇跡を行ったりするような神の観念には反対する宗教思想である。近代科学が発達し、キリスト教の権威が低下する中で、キリスト教を科学と矛盾しないものに改善しようとした試みであり、信仰と理性の調和を目指し、キリスト教を守ろうとしたものである。自然宗教ともいわれる。この場合は、人間理性に基づく宗教を意味する。
 理神論は、17世紀前半のイギリスに現れた。チャーベリーのハーバート卿は、啓示に依存しない自然宗教を説いた。その基本命題として、神の存在、神を礼拝する義務、経験と徳行の重要性、悔悟することの正しさ、来世における恩寵と堕罪の存在を信じることの5点を挙げた。ロックは、宗教的寛容を説く一方、『キリスト教の合理性』(1695年)で、理性の権威と聖書の権威は両立するという証明を試みた。ロックは、キリスト教徒が絶対に信ずべきものは、神が存在することと、イエスを救世主とすることの二つとし、それ以外の教義や儀式、制度等は否定する。本書でロックは、人間は理性の範囲内でのみ啓示を理解できる、それを超えた部分は信仰の領域である、信仰は理性で論じるべきでない、各派は些末な問題での論争を止め真の信仰を取り戻せ、と説いた。ジョン・トーランドは、『キリスト教は神秘的でない』(1696年)で、ロックのキリスト教の合理的性格の論証を援用して、キリスト教の中には理性を超えた神秘的要素は何ひとつ存在しないと強調した。本書の公刊に際し、国教会の護教論者が攻撃を加えたのを機に、理神論者と国教徒の論争が行われた。言論を通じて、イギリスでは宗教的寛容が進んだ。
 カトリック教会の権威の強いフランスでは、理神論は異端邪説とされた。ヴォルテールは、ロックの宗教的寛容論に甚大な影響を受けた。腐敗したカトリック教会、キリスト教の悪弊を弾劾し是正することに情熱を燃やした。生涯、精力的に、理神論の立場から教会を批判した。キリスト教の様々な伝説・聖物を笑い物とし、キリスト教否定の手前まで行った。晩年は「知的十字軍」を自称して、宗教的狭量に激しく反対する活動を行った。
 ドイツでは、レッシングは理神論に基づき、戯曲『賢人ナータン』(1779年)を書いた。ユダヤ人哲学者モーゼス・メンデルスゾーンをモデルにしたナータンを通して、ユダヤ教・キリスト教・イスラムは、元は一つであり、どの神が本物かを主張してぶつかり合うのではなく、互いに寛容に相手を受け入れ合うべきであるとの主張をした。本書の前に書いた『エルンストとファルク~フリーメイソンのための対話』(1778年)という作品では、自己を高めて自由な世界市民となり、諸宗教が統合された世界国家を目指す思想を述べている。
 ライプニッツ、ヴォルフ等による大陸合理論は、数学的な方法で神の存在や霊魂不滅の証明を試みた。カントは、彼らを感性で経験できる範囲を超えた独断として批判した。理神論に対しても、同様の批判をした。科学的認識を行う理性は、超感性的な神や不死を証明できないとする一方、道徳的実践を行う理性は、その行為が意味あるものとなるために、神や不死を要請するとした。カントは、キリスト教を啓示宗教から道徳的宗教に純化、改善することを企て、科学的合理主義と道徳的信仰の両立を図った。
 理神論は、科学からキリスト教を擁護するとともに、他宗教、特にユダヤ教に対する寛容を促すものともなった。西欧における信教の自由の拡大において、理神論は歴史的な意義を持つ。またその一方、理神論からキリスト教を否定する唯物論・無神論も現われた。前者は有神論、後者は無神論だが、科学的合理主義という点は、共通している。

 次回に続く。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿