ほそかわ・かずひこの BLOG

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サンダース英国陸軍参謀総長「われわれは今、1937年と同じ状況にいる」

2022-06-30 13:19:50 | 国際関係
 イギリスのサンダース陸軍参謀総長は「われわれは今、1937年と同じ状況にいる」と述べ、ロシアのウクライナ侵攻が大規模な戦争に発展する可能性を警告したと伝えられます。

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●時事通信
 令和4年6月29日

 【ロンドン時事】英国のサンダース陸軍参謀総長は28日、英シンクタンクの王立防衛安全保障研究所(RUSI)での講演で、「われわれは今、1937年と同じ状況にいる」と述べ、ロシアのウクライナ侵攻が大規模な戦争に発展する可能性を警告した。第2次世界大戦は1939年、ドイツのポーランド侵攻で始まった。
 サンダース氏は「われわれはまだ戦争をしていない。しかし、(ロシアの)領土拡張を抑えるのに失敗して戦争に巻き込まれることがないよう、迅速に行動しなければならない」と指摘。さらに「ウクライナ侵攻がどのように終結するかは分からないが、その後のロシアは欧州の安全保障にとってさらに大きな脅威となる」と分析した。
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 1937年は、ドイツがポーランドに侵攻して第2次世界大戦が開始される2年前です。サンダースが1937年の状況をどのようにとらえて、今の状況がそれと同じだと言っているのかは、上記の記事からは分かりません。はっきりしているのは、1937年当時、ヨーロッパはスペイン内戦の真っ最中だったことです。
 スペイン内戦は、前年の1936年に始まり、39年まで続きます。「国際的内戦」と呼ばれるように、ヒトラーやムソリーニなどのファシズムと、ソ連の共産主義という左右の全体主義の台頭に対し、欧米の自由民主主義諸国がどのように対抗していくかという、世界的な政治的対立が投影された事件でした。スペイン内戦が、「第2次世界大戦の前哨戦」といわれる所以です。
 サンダース陸軍参謀総長が注目する1937年において、スペイン内戦に関しては、1月に米議会がスペインへの武器輸出禁止決議案を可決、スペインの反政府軍が領海に機雷を敷設し海上封鎖、2月にフランコ将軍がマラガを占領、4月にナチス・ドイツ空軍がゲルニカを空襲、5月に英国でチェンバレン内閣が成立し、対独宥和政策が本格化します。
 ヒトラーは、翌年の38年9月、チェコのズデーテン地方の併合を要求。英仏は戦争回避のためと称して、独伊との4カ国でミュンヘン会談を開き、同地方の独への割譲を決定。ミュンヘン会談は、対独宥和政策の頂点となりました。スペイン共和国政府は、英仏の対スペイン政策の変更、独の侵略政策への断固たる態度を望んでいましたが、その期待はこれで消えました。
 39年に入り、スペイン内戦が終結すると、ヒトラーはプラハに侵攻し、ムッソリーニもアルバニアに進駐。スターリンは、外交政策を方向転換し、列強の紛争には中立を保つ政策に転換しました。英仏の自由民主主義勢力は、不干渉・宥和政策が裏目に出て、ファシズムの躍進を許してしまいました。そして、1939年9月1日ドイツは、電撃的にポーランドに侵攻。これによりヨーロッパは第2次大戦に突入しました。
 スペイン内戦への自由民主主義勢力の対応のまずさが、第2次世界大戦の勃発につながったのです。その分かれ道は、1937年にありました。
 我が生涯の師にして神とも仰ぐ大塚寛一先生は、戦前に発行した「大日本精神」と題した建白書において、スペイン内戦の時期に、日本にとって大きな岐路があったという独創的な見方を述べています。当時の世界情勢は、大塚先生によれば、我が国にとって「最大の天祐による絶好機会」だった、しかし、日本の指導者はそのことに気付いていなかった、そのためこの絶好の機会を逸し、かえって窮地に陥ってしまったというのです。
 我が国にとっての1937年(昭和12年)は、7月に盧溝橋事件、8月に第二次上海事変、日本政府が国民政府の断固膺懲を声明し全面戦争へ、11月に日独伊防共協定成立、12月には首都南京を占領という展開となりました。こうしてシナ事変は泥沼化していきました。
 しかし、大塚先生は、スペイン内戦の時に、日本がヒトラーの野望を見抜き、ドイツと防共協定を結ぶ道を取らず、ソ連とは中立を厳守していれば、39年より早くヨーロッパで英ソ対独の大戦が勃発し、これに米も参戦。日本は欧米の干渉を受けずにシナ問題を早期解決し、日中協同で共存共栄の道に進むことができたと説いています。
 大塚先生は、ドイツのポーランド侵攻の10日後となる9月11日に、「大日本精神」の建白書の送付を開始しました。先生は、欧米諸国の動向とアジアの情勢を一括し、国際情勢を大局的に把握して、我が国が取るべき政策を、時の指導層に提言しました。先生の建白書は、日本精神復興促進会発行の冊子で読むことができます。残念ながら、現代史の研究者や国際関係論の専門家で、先生が建白書で分析・洞察・提案したことの偉大さを理解できている人は未だ出ていないようです。今後の研究に期待します。
 1937年(昭和12年)当時の我が国の国家指導者を振り返ると、世界情勢の大局がとらえられず、先が読めず、その場しのぎの対応に終始し、日本の針路を誤らせていったことが分かります。それに比べて、現在の日本はどうか。当時より優秀な指導者が国のかじ取りをしているとは思えません。むしろ、器が小さく、腹が座っていない政治家が目立ちます。うそ寒い限りです。

■1937年(昭和12年)の出来事

●ヨーロッパ

1月6日 スペイン内戦: 米議会がスペインへの武器輸出禁止決議案を可決
1月13日 スペイン内戦: 反政府軍が領海に機雷を敷設し海上封鎖
1月16日 独政府が外国軍艦のキール運河自由航行を禁止
2月8日 スペインのフランコ将軍、マラガを占領
3月14日 ローマ教皇ピウス11世、ナチスによる教会弾圧とユダヤ人差別を批判する回勅「ミット・ブレネンデル・ソルゲ」を発表
4月26日 スペイン内戦中、ナチス・ドイツ空軍がゲルニカを空襲
5月28日 英 チェンバレン内閣成立(宥和政策が本格化)
8月27日 ローマ法王庁がスペインのフランコ政権を承認
9月23日 蔣介石が中国共産党の合法的地位承認を発表
11月6日 日独伊防共協定成立
12月11日 イタリア王国が国際連盟を脱退
12月15日 スペイン内戦: テルエルの戦いはじまる

●日本・シナ

7月7日 盧溝橋事件。これが発端となり日本国と中華民国間に、日中戦争が勃発
7月29日 通州事件。華北各地の日本軍留守部隊や日本人居留民が虐殺される 日本の対中感情悪化
8月9日 上海で大山勇夫海軍中尉と斎藤與蔵水兵が狙撃される(大山事件)
8月13日 第二次上海事変。上海で海軍陸戦隊と中国軍が交戦開始
8月15日 日本政府が国民政府の断固膺懲を声明し全面戦争開始
11月2日 ドイツを仲介役とした日中間の和平交渉始まる(トラウトマン工作)
11月6日 日独伊防共協定成立
11月12日 日本軍、上海を占領。
12月13日 日本軍が南京城を陥落、以降、中国の首都であった南京を占領する(南京事件)。

以上

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