文部科学省は18日、「子供の発達と徳育に関する調査研究」のための有識者会議を新年度に設置し、指導法などを検討することを決めた。乳幼児の教育も対象に加え、発達段階に応じた道徳教育のあり方などを幅広く論議する考えだと報じられている。
これは、大変良いことである。ただし、いくら徳育の研究をし、学校や社会で実行しても、親の教育、再教育をしないと、徳育は成功しない。
近年、わが国の公共道徳は、急速に崩壊しつつある。戦後約60年、個人の自由と権利を強調して責任と義務を軽視した現行憲法と、その憲法の精神に基づく教育を行うための旧教育基本法のもとで、わが国の教育は道徳教育を欠いたままきてしまった。
青少年の道徳心・公共心を育てることを怠ってきた結果、自己中心・利己主義が横行している。私利私欲が自由や人権という言葉で粉飾される。そういう世代が親となり、まともな子育てができずに周囲に迷惑をかけるのみならず、子供が食べている給食費を支払わずに、開き直っている。その大人の態度がまた他の純真な子供たちに悪影響を及ぼす。
ここで私が喫緊に振興すべきだと考えるのが、親学である。つまり親となり、親として子育てをするための学問・教育である。
子供の問題のほとんどは、親に問題がある。子育てに自信がなく、子育てがうまくできない。または子供をつくることに関心が無く、育てることにも関心のない若い人たちが増えている。 学校教育・社会教育を挙げて、親学の振興を真剣に行なうことが、日本の教育の改革、そして日本国の再建に欠かせない。
私は、教育再生会議が家庭教育の重要性、親の責任と役割の大きさを掘り下げ、報告書に積極的な形で表現するよう強く要望してきたが、1月31日に出された教育再生会議の最終報告では、親学という文言は消滅した。替わりに「親の学び」というあいまいな言葉が使われている。マスコミや世論の抵抗を恐れた政治家・官僚が抑えたのだろう。そのため、徳育をうたっていながら、一番肝心の親のあり方という核心的な問題を避けた形になっている。これでは、全国の親に真剣に訴えるものとはならない。
徳育の研究・実践は必要だ。大いに進めてもらいたい。しかし、親学の振興なくして、徳育は成功しない。このことに、政治家・官僚・教育者・有識者の方々に、是非気づいていただきたいと思う。
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●産経新聞 平成20年2月18日付
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080218/edc0802182249001-n1.htm
社会全体での徳育研究 文科省が有識者会議設置へ
2008.2.18 22:49
家庭の教育力低下や子供たちの生活・社会体験不足で集団生活できない小学生が増えるなど学校現場が悩むなか、文部科学省は18日、家庭などとの連携を含めた「子供の発達と徳育に関する調査研究」のための有識者会議を新年度に設置し、指導法などを検討することを決めた。学齢に達していない乳幼児の教育も対象に加え、発達段階に応じた道徳教育のあり方などを幅広く論議する考えだ。
道徳教育をめぐって学校教育では新しい学習指導要領で指導充実が盛り込まれた。しかし、「学校の授業が形式化して実効性が上がっていない」「学年が上がるにつれて反応が悪い」などの問題点が指摘されている。
さらに小学校に入学したての新入生が集団生活になじめず、教室内で騒いで授業が成立しない「小1プロブレム」も問題化している。インターネット上の掲示板に悪口を書き込む「ネットいじめ」も相次ぎ、時代に対応した新たな教育が求められている。
「突然、切れる子供」などについて過去に文科省が脳科学などの見地からまとめた報告では、(1)対人関係能力や社会的適応能力の育成には親子の適切な「愛着」形成が重要(2)喜怒哀楽の源となる人間の「情動」は5歳ごろまでに原型が形成される(3)感受性の発達は8歳ごろをピークに20歳ごろまで続く-などを指摘。乳幼児教育の重要性は高まっており、政府の教育再生会議も「親学」の必要性を訴えていた。
自治体では家庭教育を重視し、「1歳児までは集団ではなく家庭で子育てしてほしい」との方針から保育園でゼロ歳児保育を行わず、事情がある家庭に「保育ママ」を派遣している所もある。
中央教育審議会は、1月にまとめた答申で「社会全体で子供たちの生活習慣の確立、規範意識の醸成、道徳的価値観の形成などを推進していくための具体的な諸方策については今後、別途検討を深める」と提言。教育再生会議も、同月の最終報告で「徳育を新たな枠組みで『教科化』し、『社会総がかり』で徳のある人間を育てる」よう求めていた。
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関連掲示
・拙稿「「親学」を学ぼう、広めよう」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion02j.htm
これは、大変良いことである。ただし、いくら徳育の研究をし、学校や社会で実行しても、親の教育、再教育をしないと、徳育は成功しない。
近年、わが国の公共道徳は、急速に崩壊しつつある。戦後約60年、個人の自由と権利を強調して責任と義務を軽視した現行憲法と、その憲法の精神に基づく教育を行うための旧教育基本法のもとで、わが国の教育は道徳教育を欠いたままきてしまった。
青少年の道徳心・公共心を育てることを怠ってきた結果、自己中心・利己主義が横行している。私利私欲が自由や人権という言葉で粉飾される。そういう世代が親となり、まともな子育てができずに周囲に迷惑をかけるのみならず、子供が食べている給食費を支払わずに、開き直っている。その大人の態度がまた他の純真な子供たちに悪影響を及ぼす。
ここで私が喫緊に振興すべきだと考えるのが、親学である。つまり親となり、親として子育てをするための学問・教育である。
子供の問題のほとんどは、親に問題がある。子育てに自信がなく、子育てがうまくできない。または子供をつくることに関心が無く、育てることにも関心のない若い人たちが増えている。 学校教育・社会教育を挙げて、親学の振興を真剣に行なうことが、日本の教育の改革、そして日本国の再建に欠かせない。
私は、教育再生会議が家庭教育の重要性、親の責任と役割の大きさを掘り下げ、報告書に積極的な形で表現するよう強く要望してきたが、1月31日に出された教育再生会議の最終報告では、親学という文言は消滅した。替わりに「親の学び」というあいまいな言葉が使われている。マスコミや世論の抵抗を恐れた政治家・官僚が抑えたのだろう。そのため、徳育をうたっていながら、一番肝心の親のあり方という核心的な問題を避けた形になっている。これでは、全国の親に真剣に訴えるものとはならない。
徳育の研究・実践は必要だ。大いに進めてもらいたい。しかし、親学の振興なくして、徳育は成功しない。このことに、政治家・官僚・教育者・有識者の方々に、是非気づいていただきたいと思う。
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●産経新聞 平成20年2月18日付
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080218/edc0802182249001-n1.htm
社会全体での徳育研究 文科省が有識者会議設置へ
2008.2.18 22:49
家庭の教育力低下や子供たちの生活・社会体験不足で集団生活できない小学生が増えるなど学校現場が悩むなか、文部科学省は18日、家庭などとの連携を含めた「子供の発達と徳育に関する調査研究」のための有識者会議を新年度に設置し、指導法などを検討することを決めた。学齢に達していない乳幼児の教育も対象に加え、発達段階に応じた道徳教育のあり方などを幅広く論議する考えだ。
道徳教育をめぐって学校教育では新しい学習指導要領で指導充実が盛り込まれた。しかし、「学校の授業が形式化して実効性が上がっていない」「学年が上がるにつれて反応が悪い」などの問題点が指摘されている。
さらに小学校に入学したての新入生が集団生活になじめず、教室内で騒いで授業が成立しない「小1プロブレム」も問題化している。インターネット上の掲示板に悪口を書き込む「ネットいじめ」も相次ぎ、時代に対応した新たな教育が求められている。
「突然、切れる子供」などについて過去に文科省が脳科学などの見地からまとめた報告では、(1)対人関係能力や社会的適応能力の育成には親子の適切な「愛着」形成が重要(2)喜怒哀楽の源となる人間の「情動」は5歳ごろまでに原型が形成される(3)感受性の発達は8歳ごろをピークに20歳ごろまで続く-などを指摘。乳幼児教育の重要性は高まっており、政府の教育再生会議も「親学」の必要性を訴えていた。
自治体では家庭教育を重視し、「1歳児までは集団ではなく家庭で子育てしてほしい」との方針から保育園でゼロ歳児保育を行わず、事情がある家庭に「保育ママ」を派遣している所もある。
中央教育審議会は、1月にまとめた答申で「社会全体で子供たちの生活習慣の確立、規範意識の醸成、道徳的価値観の形成などを推進していくための具体的な諸方策については今後、別途検討を深める」と提言。教育再生会議も、同月の最終報告で「徳育を新たな枠組みで『教科化』し、『社会総がかり』で徳のある人間を育てる」よう求めていた。
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関連掲示
・拙稿「「親学」を学ぼう、広めよう」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion02j.htm
確かに他国だと「うまくまわるはずがない」と言われている談合ですが。
早くみないと板自体消えてしまうかもしれませんが...。
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1216767102/
慣習、文化であって、それ自体を美徳とはいえないと思います。社会全体に高い道徳心があり、公共道徳が行き渡っている時は、その慣習、文化がプラスに機能していた。しかし、道徳心が低下し、公共道徳が薄れると、私利私欲や不正の温床に転化する、ということだと思います。