ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

日本史の必修化を支持する

2008-02-19 10:14:10 | 教育
 新学習指導要領案のうち、高校用はまだ発表されていないのだが、日本史の必修化は見送ることが決定されている。これに対し、神奈川県教育委員会は14日、県立高校全校で日本史に関する科目を必修化すると発表した。都道府県立高校の全校で日本史に関する科目を必修化するのは全国初となる。私は、高校では日本史を必修にすべきと考えているので、神奈川県の決定を支持するとともに、この動きが全国に広がることを期待する。
 学習指導要領では、「学校設定科目」というものを独自に設けることが認められている。神奈川県は、この規定を活用し、郷土史を学ぶ科目と、日本を中心に近現代史を総合的に学ぶ科目を新設して、これら2科目と日本史のいずれかを必ず選択することにした。 実は、平成18年9月、神奈川県教育長の提案で、首都圏の1都3県(東京・埼玉・千葉・神奈川)の教育長が連名で、高校での日本史必修化を求める要望書を文部科学大臣に提出した。その後、関東地方知事会も、19年11月同趣旨の要望書を文科相に提出した。要望の趣旨は、以下のようなものである。
 現行の高校学習指導要領では、世界史が必履修科目、日本史・地理が選択必履修科目となっている。次代を担う子どもたちが、国際社会の中で日本人としての自覚をもち主体的に生きていく上で必要な資質や能力等を育成することは、極めて重要である。その基盤として、我が国の歴史や文化、伝統に対する理解を深め尊重する教育が求められている。それゆえ、新学習指導要領において「高等学校における日本史必修化」を検討することを要望する、というのが、その趣旨である。
 私は、この要望の趣旨に全く賛同する。わが国には、自国の歴史や文化、伝統を知らない若者が多い。学校でしっかり教わっていないからである。歴史・文化・伝統のことは、拙稿でいろいろ書いてきたが、自国の歴史や文化、伝統を知らなければ、自分のアイデンティティを深く自覚することができない。青年期にある人が、日本史を学ぶことは、自分のアイデンティティを確立する上でも重要なのである。

 アイデンティティとは、「Aは、Aである」という同一性のことを言う。特に「自分は○○である」という自己同一性のことを、アイデンティティという。
 人は「自分は何であるか」と、自分に対して問いかける。その問いの答えとして、自分は「○○の子」であるとか、「○○の妻」であるとか、「○○会社の社員」であるとか、「○○国民」であるとか、「○○教徒」であるとか、「人間」であるとかという風に、いろいろな自己規定が可能である。これは、アイデンティティには、階層があるということである。
 アイデンティティの階層には、家族的アイデンティティ、社会的アイデンティティ、職業的アイデンティティ、民族的アイデンティティ、国民的アイデンティティ、宗教的アイデンティティ、文明的アイデンティティ、人類的アイデンティティ等がある。これは、自分がさまざまな集団に所属しているということを意味してもいる。アイデンティティとは、自分が何らかの集団に所属しているという客観的事実と、それを基盤とした自己意識のあり方の関係なのである。

 いくつかの階層をなす重層的なアイデンティティの中で、私は、今日、民族的または国民的アイデンティティが非常に重要だと考える。私たちは、国際社会に生きているからである。古代や中世、近世の人々、私たちの先祖にとっては、一族や村、藩への帰属が、大きな意味を持っていた。しかし、現代人は、そうした血縁的地縁的な集団よりも、遥かに広い広がりを持った社会の中で生活している。外国人との会話や異なる文明との接触において、自分が日本人であることに気づき、日本人である自分を意識することが、自己認識において大きな意味を持つことが多い。だから、現代人にとっては、民族的または国民的アイデンティティなくしては、自己を深く自覚することが出来なくなっているのである。
 そもそも「自分は○○である」というアイデンティティは、言葉による認識である。「自分は○○である」ということを、日本人は日本語で考え、日本語で表現する。自分を認識する。「自分は何であるか」「自分は○○である」という思考を日本語で行っているところに、日本語で考える者としてのアイデンティティがある。使用言語と問いの構造を離れて、自己は認識されない。周囲の環境や世界、自分の身体や、自己の連続性なども、すべて言葉で認識される。その言葉は特定の言語である。そして、私たちは、既に特定の言語・日本語によってつくられた自分なのである。
 それゆえ、言語を継承・教育している家族と民族、言語によって統括されている文化の歴史と伝統を自覚することが、自分のアイデンティティの確立には、欠かすことができない。そして、日本人が国際社会で活躍できるには、自分が日本人であるというアイデンティティを胸にしっかり持ってこそ可能であり、日本人ならではの国際貢献も可能になるのである。

 大多数の日本人の場合、民族と国民が一致する。また日本は一国一文明である。そのため、民族的アイデンティティと国民的アイデンティティと文明的アイデンティティが一致する。ここで民族とはエスニック・グループ、国民とはネイションを指す。日本人は、民族的・国民的・文明的というアイデンティティが一致するので、この三層一致のアイデンティティが確立されないと、自己の形成に大きな欠落を生じる。
 この民族的・国民的・文明的というアイデンティティの確立において、重要なのが歴史の学習である。民族とは何かという問題は、定義が難しいのだが、私は、民族とは、共通の自己意識を持つ集団だと考える。民族を分ける要素には、人種、言語、文化、宗教、国籍等の要素があるが、どれも決定的なものはない。その中で、最も支配的な要素は、先祖・歴史・運命をともにしてきたという集団意識だと思う。つまり、自分たちは先祖・歴史・運命をともにしているという意識の有無が、他の集団との最も強い違いとなる。そして、先祖・歴史・運命をともにしているという意識を形成するものが、歴史教育なのである。
 自分たちの発祥、由来、その後の来歴、苦難と栄光、誇りと屈辱。そうしたものを、認識・表現し、教え受け継ぐところに、集団の意識、共通の自己意識が形成される。だから、歴史教育は大切なのである。
 また、その歴史を認識・表現・教育・継承するのは、共通の言語で行われる。そして、この歴史を認識・表現・教育・継承するときにもちいられる言語は、各個人が「自分とは何か」を考え、表現する言語でもある。その言語を教える国語教育と、その言語で先祖・歴史・運命をともにしているという意識をはぐくむ歴史教育には、ここに深い結びつきがある。

 高校での日本史必修化を主張する神奈川県の松沢成文知事は、「しっかりした日本人、国際人の育成に日本史は不可欠」と言う。その通りである。その理由を、日本人のアイデンティティの問題と結びつけるとき、より重要性に重みを増すと思う。
 以下は報道のクリップ。

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●産経新聞 平成20年2月14日付

http://sankei.jp.msn.com/life/education/080214/edc0802142237002-n1.htm
神奈川の県立校で「日本史」必修に
2008.2.14 22:36
 神奈川県教育委員会は14日、平成25年度をめどに、県立高校全校で日本史に関する科目を必修化すると発表した。学習指導要領で独自に設けることが認められている「学校設定科目」を活用し、県の郷土史を学ぶ科目と、日本を中心に国内外の近現代史を総合的に学習する科目の2つを新設して、これら2科目と日本史のいずれかを必ず選択するようにする。都道府県立高校の全校で日本史に関する科目を必修化するのは全国初。
 県教委は、日本史の必修化を国に要望していたが、実現しないため独自で踏み切ることにした。県教育長は「国や他の都道府県に影響を与えることができれば」と話した。
 県教委は今後、有識者などの検討会を設け、新設2科目の教材や、教員向けの指導書を2年間かけて作成。22年度から2科目の履修を一部高校で試行した上で、県の規則に基づき県立全校に設置を義務付ける計画。新学習指導要領が実施されるとみられる25年度をめどに履修を義務付ける。
 地理を選択した場合は、既存の「日本史A」「日本史B」、新設2科目の計4科目の中から、少なくとも1科目を必ず選択することになる。
 松沢成文神奈川県知事の話「(必修化で)愛国心や郷土愛がはぐくまれると思う。しっかりした日本人、国際人の育成に日本史は不可欠。県教委の判断を評価したい」

http://sankei.jp.msn.com/life/education/080217/edc0802170301000-n1.htm
【主張】「日本史」必修 歴史が好きになる教育を
2008.2.17 03:01
 神奈川県教育委員会が、県立高校で「日本史」を必修科目にする。国や郷土の歴史を学ぶ重要性は高まっており、県教委の独自の試みを評価したい。
 学習指導要領では平成元年改定で高校は世界史が必修になった。日本史、地理はどちらかを履修すればいい。小中学校の歴史が日本史中心で、高校では国際化に対応し、世界の歴史を広く学ばせようというねらいからだ。
 だが自国の歴史を学ぶ日本史が必修でないことには異論があった。神奈川県では約3割の高校生が日本史を学ばずに卒業するという。
 指導要領改定で中央教育審議会の論議のなかでも、世界史派、日本史派のほか、世界史・日本史を組み合わせた「総合歴史」のような新科目が必要だとの提案もでた。
 しかし中教審は今回の指導要領改定の答申で日本史必修化は見送ったため、神奈川県教委は平成25年度をめどに世界史必修に加え、日本史か、県の郷土史などの新科目を必修にする。
 同県の松沢成文知事が「しっかりした日本人、国際人の育成に日本史は不可欠」というように、国際化のなかでこそ国の歴史や文化を学び、日本人として自覚をはぐくむ教育が求められている。外国人との交流で自国について聞かれても情報発信できない事態は残念なことだ。
 必修増が生徒の負担増につながるとの意見に対し、文部科学相経験者の町村信孝官房長官は「負担が増えずに学力は向上しない。社会人の基礎を身につけさせるという県の判断であれば尊重すべきだ」とも述べている。
 日本史必修でもっとも懸念されるのは指導内容だ。近現代史を中心に、ことさら日本を悪者にする自虐史観や教師が歴史観を押しつけるような授業がある。歴史が嫌いになるだけだ。
 また年号などの暗記だけでは関心がわかない。学力テストでは明治維新の人物の業績などを知らない子供たちが多いという残念な結果もある。先人の業績に夢や感動を覚えるような面白い授業をする教師は少ない。
 神奈川県教委は課題学習など授業も工夫するという。他の教委を含め、小中学校から歴史が好きになるよう見直す契機にもしてもらいたい。
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4 コメント

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自衛官 (とおりすがり)
2008-11-04 08:49:10
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081103/plc0811032325008-n1.htm

当然ほそかわさんはご存じかと思うのですが。
自衛官の立場がまずかったのでしょうか、私には普通の発言に聞こえてしまいます。いかがでしょうか。

この自虐史観がなくならない限り、日本はどこまでも呪縛から逃れられないような気が致します。
返信する
とおり (ほそかわ)
2008-11-05 19:53:07
 私も田母神氏の論文を読みました。氏の歴史観は、保守系の言論人・知識人の多くに見られる歴史観と大差ありません。文献を丁寧に引用したり、最近の研究をよく取り入れたりしており、特に極端な見解を披露したものでもありません。
 しかし、わが国では、歴代政府の公式見解と異なる歴史観、国家観を述べると、大臣の首が飛んだり、大臣が辞任せざるを得なくなるということが繰り返されきました。マスメディアが騒ぎ立て、その先導で中国・韓国等の政府が非難の声を上げ、反対政党が政府批判の材料に用いるからです。
 こうしたわが国の現状では、田母神氏のような政府高官も同様に攻撃の対象とされます。氏の歴史観が問題なのではなく、問題の根本はわが国の政府の姿勢にあります。
返信する
Unknown (とおりすがり)
2008-11-28 09:56:18
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081128/plc0811280138001-n1.htm

続きの記事です。

何度読み返しても普通な感覚だと思います。
今の日本の風潮がおかしいと思います。

返信する
>とおりすがりさん (ほそかわ)
2008-11-28 11:55:29
>今の日本の風潮がおかしいと思います。<

これは、風潮というような時代の移り変わりによって生じている傾向ではありません。戦後日本のあり方の根本問題の表われです。戦後の日本国政府は、東京裁判、日本国憲法、自衛権、歴史教育等について、独立主権国家として重大な欠陥を抱えたままで来ています。
この件については、私のサイトにいろいろ書いていますので、ご参考にどうぞ。
たとえば、戦後史については
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08b.htm
国防については
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12c.htm
教育については
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion06c.htm
などです。
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