【司会】 食育への関心が高まっている中で昨日(註 平成18年12月24日)、政府から初めて『食育白書』というものが出されました。それによると、外食ですとか出来合いの総菜の利用が増大しています。また、朝食を食べない子供たちのイライラや疲れやすい状況がその中でも指摘されています。
そういうことで、また松本の地域の話題に戻させていただきまして、今日会場にお越しの教育関係の方にお話を伺っていきたいと思います。
今、小学校では、食育がどのような状況になっているか、少しお話しいただけますでしょうか。
【来場者B】 小学校の食育について、知っている範囲でお話しします。
私の今いる小学校は、松本市の郊外にあって、周りは田園地帯です。田んぼが結構多いのですが、子供たちはあまり米作りに参加しておりません。家でおじいちゃん・おばあちゃんがお米を作って、お父さん・お母さんがサラリーマンをして、そして機械化の中で、子供たちは土日でも農業を手伝うことがほとんどなくなり、都会の子とほとんど変わらない生活を送っていると思います。
自然は豊かではありますが、その中で田んぼの周りを通ってきても、畑や田んぼでどんなことをしているのか知らなかったのだと、5年生の担任をして思いました。
私の学校は総合学習で5年生が米作りをすることが決まっております。
学校の近くの農協が全面的にバックアップしてくれて、田植えから草取り、収穫をします。そして、収穫祭には臼まで持って来て、餅つきをするところまで世話をしてくれるのですが、そのお陰で楽に学習が進められます。
その中で、子供たちが昔の千歯こき(脱穀農具)とか、唐箕(籾殻と籾を選別する農具)を使って収穫したものを脱穀したり、自分たちで食べたりします。それと並行して、米についての調べ学習といって、インターネットを使ったり、図書館に行ったり、インタビューしたりしながら、自分たちが米についてそれぞれ課題を持って調べたことを、一年間を通してまとめるという学習をしています。
6年生になると、社会科で歴史をやるのですが、今子供たちと歴史をやっていて、米作りの体験が生きていると思うことがたくさんあります。
弥生時代から米作りが始まり、米作りと日本の歴史のかかわりの中で、年貢について調べるとか、日本人の米への執着の強さから起こってくるいろいろな問題などを理解し、学習してこられるのは、米作りの体験ができたからだと思います。
総合的な学習がなかったら、このまま成人してしまうと、地域性を考え理解することや、自分たちの食生活に対する愛着がもっと希薄になってしまうと思いました。
【司会】 ありがとうございます。食物を育て、収穫し自分たちで食べる喜びと、米作りを通して歴史などをどんどん学んでいけるという非常に良い機会ですね。
今日は中学校の先生もいらっしゃっています。お願いします。
【来場者C】 私の勤務している松本市内の中学校では、地域にたくさんあるブドウ園で、総合的な学習として、小グループに分かれて、ブドウのかさ掛けとか袋掛けの手伝いを行っています。
実はブドウ園の園主さんたちが高齢化していまして、子供たちが地域の労働力としてかなり期待されているようです。
小学校からもずっと続けているようですが、そんなことで農業にかかわるような学習をやっています。
食ということでは、先日も保健室の廊下に「朝食を食べてこよう」と養護教諭が書いたものがありました。朝食を食べてこないと低体温であったり、排便が促されなかったり、エネルギーが脳に回らないといったことが書いてありました。
今、私が勤務している学校の様子を見ていると、子供たちは、朝食はそこそこ食べてきているようです。
比較的、市内でも山の近くにあり、地域とつながりがあって、子供たちが、おじいさん、おばあさんと一緒に過ごすことが多く、それが食育になっているような感じはします。
たまに教師の間で話題に出るのは偏食の話です。データを取ったわけではないのでよく分からないのですが、偏食があると人の好き嫌いも出てきて、それがいじめにつながるということです。
学校の中で問題行動が多くなってくると、一つの現象となって現れるのが、給食の残食、正確には残渣というそうですけれども、それが増えるということがあります。
今勤務している学校は以前、そのことが少し多いときがあって、学校の状況が良くなかったことがありました。
嫌いなものは食べないとか、食べること自体あまりしなくなるということもあるかもしれないですが、食事が生徒の気持ちの面につながっているようにも感じています。
偏食のことにしても、学校の中では給食を行っていますが、やはり家庭で小さいときから育てていかないと、どうしても学校だけでは難しい面があると思います。
ある本によりますと、お母さんが食べて「おいしいね」って言ったときに初めて子供もその食べ物をおいしいと思って食べるということを読んだことがあります。
そういった小さいころからのしつけを家庭の中で行っていくことが教育の上で大切なことだと思っています。
【司会】 どうもありがとうございます。
次回に続く。
そういうことで、また松本の地域の話題に戻させていただきまして、今日会場にお越しの教育関係の方にお話を伺っていきたいと思います。
今、小学校では、食育がどのような状況になっているか、少しお話しいただけますでしょうか。
【来場者B】 小学校の食育について、知っている範囲でお話しします。
私の今いる小学校は、松本市の郊外にあって、周りは田園地帯です。田んぼが結構多いのですが、子供たちはあまり米作りに参加しておりません。家でおじいちゃん・おばあちゃんがお米を作って、お父さん・お母さんがサラリーマンをして、そして機械化の中で、子供たちは土日でも農業を手伝うことがほとんどなくなり、都会の子とほとんど変わらない生活を送っていると思います。
自然は豊かではありますが、その中で田んぼの周りを通ってきても、畑や田んぼでどんなことをしているのか知らなかったのだと、5年生の担任をして思いました。
私の学校は総合学習で5年生が米作りをすることが決まっております。
学校の近くの農協が全面的にバックアップしてくれて、田植えから草取り、収穫をします。そして、収穫祭には臼まで持って来て、餅つきをするところまで世話をしてくれるのですが、そのお陰で楽に学習が進められます。
その中で、子供たちが昔の千歯こき(脱穀農具)とか、唐箕(籾殻と籾を選別する農具)を使って収穫したものを脱穀したり、自分たちで食べたりします。それと並行して、米についての調べ学習といって、インターネットを使ったり、図書館に行ったり、インタビューしたりしながら、自分たちが米についてそれぞれ課題を持って調べたことを、一年間を通してまとめるという学習をしています。
6年生になると、社会科で歴史をやるのですが、今子供たちと歴史をやっていて、米作りの体験が生きていると思うことがたくさんあります。
弥生時代から米作りが始まり、米作りと日本の歴史のかかわりの中で、年貢について調べるとか、日本人の米への執着の強さから起こってくるいろいろな問題などを理解し、学習してこられるのは、米作りの体験ができたからだと思います。
総合的な学習がなかったら、このまま成人してしまうと、地域性を考え理解することや、自分たちの食生活に対する愛着がもっと希薄になってしまうと思いました。
【司会】 ありがとうございます。食物を育て、収穫し自分たちで食べる喜びと、米作りを通して歴史などをどんどん学んでいけるという非常に良い機会ですね。
今日は中学校の先生もいらっしゃっています。お願いします。
【来場者C】 私の勤務している松本市内の中学校では、地域にたくさんあるブドウ園で、総合的な学習として、小グループに分かれて、ブドウのかさ掛けとか袋掛けの手伝いを行っています。
実はブドウ園の園主さんたちが高齢化していまして、子供たちが地域の労働力としてかなり期待されているようです。
小学校からもずっと続けているようですが、そんなことで農業にかかわるような学習をやっています。
食ということでは、先日も保健室の廊下に「朝食を食べてこよう」と養護教諭が書いたものがありました。朝食を食べてこないと低体温であったり、排便が促されなかったり、エネルギーが脳に回らないといったことが書いてありました。
今、私が勤務している学校の様子を見ていると、子供たちは、朝食はそこそこ食べてきているようです。
比較的、市内でも山の近くにあり、地域とつながりがあって、子供たちが、おじいさん、おばあさんと一緒に過ごすことが多く、それが食育になっているような感じはします。
たまに教師の間で話題に出るのは偏食の話です。データを取ったわけではないのでよく分からないのですが、偏食があると人の好き嫌いも出てきて、それがいじめにつながるということです。
学校の中で問題行動が多くなってくると、一つの現象となって現れるのが、給食の残食、正確には残渣というそうですけれども、それが増えるということがあります。
今勤務している学校は以前、そのことが少し多いときがあって、学校の状況が良くなかったことがありました。
嫌いなものは食べないとか、食べること自体あまりしなくなるということもあるかもしれないですが、食事が生徒の気持ちの面につながっているようにも感じています。
偏食のことにしても、学校の中では給食を行っていますが、やはり家庭で小さいときから育てていかないと、どうしても学校だけでは難しい面があると思います。
ある本によりますと、お母さんが食べて「おいしいね」って言ったときに初めて子供もその食べ物をおいしいと思って食べるということを読んだことがあります。
そういった小さいころからのしつけを家庭の中で行っていくことが教育の上で大切なことだと思っています。
【司会】 どうもありがとうございます。
次回に続く。
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