ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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イスラーム9~宗派の発生・対立、ウラマー、礼拝施設

2016-02-03 09:37:42 | イスラーム
3.組織

●後継者問題と二大宗派の発生

 ムハンマドは、632年に自分の後継者を指名することなく死んだとされる。ただし、シーア派ではこの説を否定する。
 ムハンマドが死亡した時。彼の子供のうち男子はみな死亡し、娘のファーティマだけが健在だった。
 ファーティマは、ムハンマドの従弟アリーと結婚した。彼らの支持者は、アリーがムハンマドの後継者にふさわしいと考えた。しかし、その他の信者多数は、ムハンマドの妻ハディージャの父で、信者の信頼の篤いアブー・バクルを指導者に選出した。後継者をアリーとするか、アブー・バクルとするかの違いは、血統で選ぶか能力で選ぶかの違いだった。
 選出された指導者の役職名をハリーファという。英語読みでは「カリフ」である。言葉の原義は「代理人」である。カリフは「神の使徒の代理人」とされるイスラーム共同体の最高指導者である。
 第2代カリフは別の義父のウマル、三代目カリフは別の娘婿のウスマーンが選ばれた。ウスマーンは、その統治に反対する兵士に殺害された。そこでアリーが4代目となったのだが、彼も内紛のなかで刺客によって殺害された。その息子も殺害された。
 これ以降、アリーの血筋を引く者こそが正統な後継者と主張する者たちは、「アリーの党派」(シーア・アリー)と呼ばれた。アラビア語で党派は、シーアという。それが単にシーアと呼ばれるようになったのが、シーア派の由来である。
 一方、血筋とは関係なく、能力で後継者を決めるべきだと考える人々は、『クルアーン』と預言者ムハンマドの言葉と行為とによって確立された慣行すなわちスンナを参考にすべきだとし、スンナに関する情報を収集した。彼らはスンナ派と呼ばれるようになった。ここに、イスラーム教の二大宗派が誕生した。
 イスラーム共同体の最高指導者を「イマーム」ともいう。スンナ派では、イマームはカリフの尊称とする。スンナ派は、カリフは預言者ムハンマドが併せもった宗教・政治の両権限のうち、政治的権限だけを継承したとする。立法および教義決定にかかわる宗教的権限を認めない。
 これに対し、シーア派は、イマームはアリーの血統を継ぐ者でなければならないとする。イマームはムハンマドの併せもった宗教・政治の両権を継承するとした。シーア派は、アリー以前の三代のカリフはマホメットの正統な後継者アリーがいるのに、その地位を横取りした簒奪者とする。アリーが登場してようやく正しい後継者ができたとする。その正しい後継者がイマームだとする。イマームには立法権と教義決定権があるとする。スンナ派のカリフでは、このような教義決定権や立法権はない。
 二つの宗派に分かれたのは、ムハンマドの死後、約30年たった660年代の出来事だった。9世紀にはシーア派が担いだアリーの血統は絶えてしまった。この時点で、両派の対立は、現実的な根拠を失った。だが、いったん分かれた宗派は解消することなく、今日まで対立を続けている。
 イスラーム教における宗派の起源は、後継者の選出は血統によるべきか、能力によるべきかの対立に発する。キリスト教には、正統と異端があるが、これは教義上の違いによる。古代では公会議における神学論争の結果、裁定された教義と異なる主張をする者が、異端とされた。また中世では確立されたローマ・カトリック教会の権威や公認された教義に服従しない者が、異端とされた。これに対し、イスラーム教にはローマ・カトリック教会のような宗教的権威を持つ聖職者の集団がなく、また宗教会議もないので、宗派の一方を正統、他方を異端と断定することはできない。

●宗派の違いと対立

 現状としては、世界のイスラーム教徒のうち約85%がスンナ派、約15%がシーア派である。それ以外の宗派が1%弱である。スンナ派にはワッハーブ派、シーア派には十二イマーム派・イスマーイール派・アラウィー派等がある。他にハワーリジュ派、カルマト派、ドルーズ派等がある。
 サウジアラビアは、ワッハーブ派というスンナ派の中でも特殊な、かなり過激な宗派を国教とする。ワッハーブ派はシーア派を諸悪の根源とする。
 シーア派の最有力国は、イランである。イランはシーア派のうちの十二イマーム派を国教とする。イランの隣国イラクもシーア派が人口の約60%で多数派を占める。バーレーンは約70%、レバノンは40%以上がシーア派である。パキスタンにも多い。
 シリアの山岳部には、分布するアラウィー派というシーア派系の少数宗派があり、アサド政権の支持母体となっている。
 スンナ派は、意見の相違は信仰の内容を豊かにするもので、むしろ神の恩寵であるとする寛容さを特徴とする。逆に言うと、シーア派等の諸宗派を統合する力を持っていないということである。
 スンナ派とシーア派を除く宗派は、どれもごく少数派だが、ムハンマドは「自分の死後、イスラーム教は73派に分裂するであろう。そのうちの一派に属する者を除いて、残りの72派の信者は地獄に堕ちる」と予言したという伝承がある。その真偽には異論があるが、伝承を信じる人々がおり、イスラーム教徒は、宗派の対立を間違いと考えず、自分たちこそが正しいと主張して譲らない傾向がある。

●聖職者は存在しない

 イスラーム教は、「神の前ではすべての人間は平等」と説く。神を主権者と認めるイスラーム共同体の成員は、理念的にはすべて平等であった。ただし、8世紀後半までは、アラブ人が特権を持っていた。その特権を廃止した後、イスラーム教では、あらゆる民族は、アダムとイブの子孫として平等だとし、血筋、階層、皮膚の色、言語等の相違によって人間を差別しないという原則を保持した。
 また「神の前ではすべての人間は平等」という考え方から、イスラーム教には、信者と神を媒介するものとしての聖職者は存在しない。キリスト教の神父・牧師にあたる聖職者はいない。信者はその信仰心によって直接神へとつながれると考える。
 イスラーム教の社会で、宗教上指導的な役割を担っているのは、ウラマーである。「法学者」または「宗教法学者」と訳される。元の意味は、宗教的知識を持った人々のことである。訳語に法の文字を使うが、イスラーム教では宗教・法・道徳等が渾然としており、法の文字で集約することはできない。そこで本稿では、ウラマーを主として表記する。
 ウラマーが果たす役割は、(1)宗教的諸施設の維持管理、(2)礼拝などの宗教儀式の指導、(3)信徒の指導、イスラーム教の教理に関する信徒の疑問に答えること、(4)信徒の教育、(5)異端の教えや他宗教の攻撃からイスラーム教を護ること、(6)シャリーアの解釈と適用などとされる。
 ウラマーの多くは、信者の援助で生活を賄っているが、世俗的な職業を持ちながら務めている者もいるという。実際のウラマーの職業は、学者、宗教教育機関(マドラサ)の教師、イスラーム法廷の裁判官)、モスクの管理者などという。
 ウラマーは、『クルアーン』や『ハディース』を勉強し、さらに法的な手続きを学習する。宗教教育機関で学ぶ場は、ウラマーの資格を得るためにはおよそ12年間の勉強が必要であるとされる。
 ウラマーは、新たに発生した問題について、『クルアーン』や『ハディース』等の法源に照らして判断し、合意を形成していく。一般の信者は『クルアーン』や『ハディース』に通暁しているわけではないから、ウラマーの見解に従って生活しないと神の意思に反することになるので、ウラマーの指導に従うという関係にあるという。

●礼拝施設

 礼拝施設をモスクという。その中には、メッカの方向を示す壁龕(へきがん、ミヒラーブ)という壁のくぼみがある。その横には説教壇(ミンバル)が設けられている。またムハンマドのための玉座があるが、これには誰も座ることがないという。
 モスクは、礼拝の場所だけでなく、信徒の交流の場としても重要な機能を果たしてきた。200世帯ごとに設置されるという。
 1日5日の礼拝のうち、金曜日の正午過ぎの礼拝には、地域の住民がモスクに習合して一斉に礼拝するのがよいとされている。

 次回に続く。