●文明間の違いと地域的人権条約
文明間の違いとの関係で再度言及しておきたいのが、地域的人権条約である。地域的人権条約については、特殊志向的な人権条約の項目に書いたが、国連で世界人権宣言が採択され、人類共通的な人権思想が広がる一方で、1951年に欧州人権条約、69年に米州人権条約、81年にアフリカ人権憲章等が採択されてきている。欧州・米州・アフリカで地域的な人権条約が作られてきたことは、非西洋文明の諸社会は近代西欧発の人権思想を受容すると、これを自分たちの権利意識に合うように修正しつつ、発展させていることを示している。
その時、欧州に対抗して、ラテン・アメリカやアフリカで独自の人権条約が制定されていることは、単に地域ではなく文明という観点からも見る必要がある。ハンチントンは、主要文明の中に、キリスト教的カソリシズムとプロテスタンティズムを基礎とする西洋文明(西欧・北米)のほかに、カトリックと土着文化を基礎とするラテン・アメリカ文明と、アフリカ文明(サハラ南部)を挙げた。米州人権条約はラテン・アメリカ文明の地域で制定されており、アフリカ人権憲章はアフリカ文明を含むアフリカ地域で制定されているのである。それゆえ、私は、これらの人権条約を単に地域的ではなく、文明圏的な人権条約と考える。
世界で最大の人口を擁するアジアでは、地域的な人権条約は作られていない。このことは、アジアの権利意識が欧米と共通だからではない。逆に違いが大きいためである。欧米に起源を持つ個人中心の人権思想は、共同体と個人の調和を前提とするアジアの社会には妥当でないという主張がある。この点はアフリカ以上にアジアの特徴である。またアジアは、イスラーム文明、ヒンズー文明、シナ文明、日本文明と主要な文明が四つある。ラテン・アメリカ、アフリカと比較すると、アジアではそれぞれの文明ごとに地域的または文明圏的な人権条約が模索されることになるかもしれない。
ここで、アジア、アフリカを中心に世界各地に多くの信者を持つイスラーム教における人権動向を書いておきたい。世界人権宣言の採択の際、サウジアラビアは、イスラーム教の教義から宣言の定める自由と権利の一部は受け入れられないとして、採択を棄権した。その後、イスラーム教諸国会議機構に加盟する中東、北アフリカの国々は協議を重ねた。これらの諸国は、ウィーン会議を前後して、1990年(平成2年)に「イスラーム教における人権に関するカイロ宣言」を採択した。また1994年(平成6年)には「人権に関するアラブ憲章」を採択した。これらの宣言及び憲章は、人権概念とイスラーム教の国家原理との調和を図るためのものである。イスラーム教諸国の側から欧米に向けて発せられた「どのような人権なら受け入れることができるか」を示すメッセージだったとも理解できる。
カイロ宣言では「イスラーム教における基本的権利及び普遍的自由は、イスラーム教の信仰の一部である」ことが確認された。アラブ憲章では、人権が「イスラーム教のシャリーア(イスラーム法)及びその他の神の啓示に基づく諸宗教によって堅固に確立された諸原則」であることが確認された。このことは、イスラーム教諸国は人権が西洋文明の所産であるという見方を否定したことを意味する。移動や居住の自由、表現の自由といった個別的な人権については、シャリーアの優越が強調された。またカイロ宣言は、イスラーム教諸国の地域性を反映して「高利貸しは絶対的に禁止される」とし、アラブ憲章は「アラブ・ナショナリズムが誇りの源泉である」「世界平和に対する脅威をもたらす人種主義とシオニズムを拒否する」等の他地域の人権条約には見られない規定が盛り込まれた。
このように、イスラーム教諸国の人権解釈は、イスラーム教の教義に人権の概念に当たるものを見出して、教義と人権概念の矛盾を解消し、それでもなお矛盾の生じかねない部分、たとえば移動・居住・表現等の自由については、シャリーアの規定を優先させている。ここには西欧発の人権思想を一定程度摂取しながら、それをイスラーム教に固有の概念で置き換えて土着化させるという文明間における主体的な対応が見られる。
国際人権諸条約に定められた個人の自由及び権利が国家の体制のいかんを問わず、実現すべき価値であるという認識は、大局的には深まりつつある。また国際人権規約の自由権規約及び社会権規約は、今日ともに160以上の国が締約国となっている。個別的人権条約についても、締約国が最も多い子どもの権利条約は190以上の国が締約国となっている。また女性差別撤廃条約も締約国は180以上となっている。
それにもかかわらず、人権の思想の根本にあるべき人間観については、人類は未だ共通の人間観を構築できていない。表面的には、人権は一元的・単線的に発達しており、今後も同様に発達し続けると見えよう。だが人権の発達史を文明学的に見ると、人権は一元的・単線的な発達過程ではなく、ある程度の多様性を持って発達してきている。人権は普遍的・生得的な「人間の権利」ではなく、歴史的・社会的・文化的に発達する「人間的な権利」であるから、文明を単位として一定の多様性を持ちながら発達し続けていく可能性がある。
次回に続く。
文明間の違いとの関係で再度言及しておきたいのが、地域的人権条約である。地域的人権条約については、特殊志向的な人権条約の項目に書いたが、国連で世界人権宣言が採択され、人類共通的な人権思想が広がる一方で、1951年に欧州人権条約、69年に米州人権条約、81年にアフリカ人権憲章等が採択されてきている。欧州・米州・アフリカで地域的な人権条約が作られてきたことは、非西洋文明の諸社会は近代西欧発の人権思想を受容すると、これを自分たちの権利意識に合うように修正しつつ、発展させていることを示している。
その時、欧州に対抗して、ラテン・アメリカやアフリカで独自の人権条約が制定されていることは、単に地域ではなく文明という観点からも見る必要がある。ハンチントンは、主要文明の中に、キリスト教的カソリシズムとプロテスタンティズムを基礎とする西洋文明(西欧・北米)のほかに、カトリックと土着文化を基礎とするラテン・アメリカ文明と、アフリカ文明(サハラ南部)を挙げた。米州人権条約はラテン・アメリカ文明の地域で制定されており、アフリカ人権憲章はアフリカ文明を含むアフリカ地域で制定されているのである。それゆえ、私は、これらの人権条約を単に地域的ではなく、文明圏的な人権条約と考える。
世界で最大の人口を擁するアジアでは、地域的な人権条約は作られていない。このことは、アジアの権利意識が欧米と共通だからではない。逆に違いが大きいためである。欧米に起源を持つ個人中心の人権思想は、共同体と個人の調和を前提とするアジアの社会には妥当でないという主張がある。この点はアフリカ以上にアジアの特徴である。またアジアは、イスラーム文明、ヒンズー文明、シナ文明、日本文明と主要な文明が四つある。ラテン・アメリカ、アフリカと比較すると、アジアではそれぞれの文明ごとに地域的または文明圏的な人権条約が模索されることになるかもしれない。
ここで、アジア、アフリカを中心に世界各地に多くの信者を持つイスラーム教における人権動向を書いておきたい。世界人権宣言の採択の際、サウジアラビアは、イスラーム教の教義から宣言の定める自由と権利の一部は受け入れられないとして、採択を棄権した。その後、イスラーム教諸国会議機構に加盟する中東、北アフリカの国々は協議を重ねた。これらの諸国は、ウィーン会議を前後して、1990年(平成2年)に「イスラーム教における人権に関するカイロ宣言」を採択した。また1994年(平成6年)には「人権に関するアラブ憲章」を採択した。これらの宣言及び憲章は、人権概念とイスラーム教の国家原理との調和を図るためのものである。イスラーム教諸国の側から欧米に向けて発せられた「どのような人権なら受け入れることができるか」を示すメッセージだったとも理解できる。
カイロ宣言では「イスラーム教における基本的権利及び普遍的自由は、イスラーム教の信仰の一部である」ことが確認された。アラブ憲章では、人権が「イスラーム教のシャリーア(イスラーム法)及びその他の神の啓示に基づく諸宗教によって堅固に確立された諸原則」であることが確認された。このことは、イスラーム教諸国は人権が西洋文明の所産であるという見方を否定したことを意味する。移動や居住の自由、表現の自由といった個別的な人権については、シャリーアの優越が強調された。またカイロ宣言は、イスラーム教諸国の地域性を反映して「高利貸しは絶対的に禁止される」とし、アラブ憲章は「アラブ・ナショナリズムが誇りの源泉である」「世界平和に対する脅威をもたらす人種主義とシオニズムを拒否する」等の他地域の人権条約には見られない規定が盛り込まれた。
このように、イスラーム教諸国の人権解釈は、イスラーム教の教義に人権の概念に当たるものを見出して、教義と人権概念の矛盾を解消し、それでもなお矛盾の生じかねない部分、たとえば移動・居住・表現等の自由については、シャリーアの規定を優先させている。ここには西欧発の人権思想を一定程度摂取しながら、それをイスラーム教に固有の概念で置き換えて土着化させるという文明間における主体的な対応が見られる。
国際人権諸条約に定められた個人の自由及び権利が国家の体制のいかんを問わず、実現すべき価値であるという認識は、大局的には深まりつつある。また国際人権規約の自由権規約及び社会権規約は、今日ともに160以上の国が締約国となっている。個別的人権条約についても、締約国が最も多い子どもの権利条約は190以上の国が締約国となっている。また女性差別撤廃条約も締約国は180以上となっている。
それにもかかわらず、人権の思想の根本にあるべき人間観については、人類は未だ共通の人間観を構築できていない。表面的には、人権は一元的・単線的に発達しており、今後も同様に発達し続けると見えよう。だが人権の発達史を文明学的に見ると、人権は一元的・単線的な発達過程ではなく、ある程度の多様性を持って発達してきている。人権は普遍的・生得的な「人間の権利」ではなく、歴史的・社会的・文化的に発達する「人間的な権利」であるから、文明を単位として一定の多様性を持ちながら発達し続けていく可能性がある。
次回に続く。