ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権265~共産主義の犠牲者

2016-02-09 08:53:56 | 人権
●共産主義の犠牲者は1億人

 次に、今日の世界における人権状況を概観する。まず20世紀以降、世界の人権問題で重要な位置を占める共産主義について見ていきたい。
 共産主義運動はロシア革命後、旧ソ連を根拠地として世界各国に広がり、東欧、東アジアを中心に多くの国が共産化され、一時は世界人口の3分の1が共産主義の勢力下に置かれた。だが、旧ソ連は共産主義の理論が描いた国家とは程遠く、共産党官僚が労働者・農民を支配する官僚支配の国家だった。人民の自由と権利は抑圧された。合理主義的な計画経済は生産性が低く、軍事中心で民生は向上せず、矛盾が拡大した挙句、ロシアは革命の70年後に共産主義体制を放棄するにいたった。相前後して東欧諸国も共産主義を脱却し、共産主義は世界的に大きく後退した。ただし、東アジアでは中国及び北朝鮮、ベトナムがなお共産主義の影響を受けた官僚支配国家を保持している。
 共産主義が人類にもたらした災厄は、極めて大きなものである。1997年(平成9年)にフランスで共産主義の犯罪を厳しく検証した『共産主義黒書』が刊行された。編者ステファン・クルトワによると、共産主義による犠牲者は、8,000万人から1億人にのぼる。この数字は、ヒトラーのナチズムによる犠牲者数とされる2,500万人を軽く上回る。
 クルトワは同書において、共産主義体制により殺害された犠牲者数の国・地域別の一覧を提示している。それによると、

 ソ連       2,000万人
 中国       6,500万人
 ベトナム       100万人
 北朝鮮       200万人
 カンボジア     200万人
 東欧         100万人
 ラテン・アメリカ   15万人
 アフリカ       170万人
 アフガニスタン  150万人
 コミンテルンと権力を握っていない共産党   約1万人
-----------------------------------------------------
 総計         約1億人

となっている。
 ソ連と中国における犠牲者が圧倒的に多いが、ソ連に関してはかなり控えめの数字である。兵本達吉(元共産党代議士秘書)によると、1997年(平成9年)11月6日、モスクワ放送は「10月革命の起きた1917年から旧ソ連時代の87年の間に6,200万人が殺害され、そのうち4,000万が強制収容所で死んだ。レーニンは、社会主義建設のため国内で400万の命を奪い、スターリンは1,260万の命を奪った」と放送した。
 このうちスターリン時代に関しては、マーティン・メイリア教授(カリフォルニア大学バークレイ校)が、最低2,000万人という数字を提示している。内訳は、強制労働収容所の死者1,200万人、1937~39年の処刑者100万人、農業集団化の犠牲者600万人~1,100万人などである。
 第2次世界大戦でのソ連の死傷者数は、平凡社『世界大百科事典』によると、1,200~1,500万とされるから、戦争よりも共産主義の方が、ソ連の人々に大きな犠牲を生み出したと見られる。
 中国に関しては、毛沢東が1957年(昭和32年)2月27日、「1949年から54年までの間に80万人を処刑した」と自ら述べている。(「ザ・ワールド・アルマナック」1975年版)。周恩来は、同年6月、全国人民代表大会報告で、1949年以来「反革命」の罪で逮捕された者のうち、16%にあたる83万人を処刑したと報告している。また、42%が労働改造所(労改、強制収容所)に送られ、32%が監視下に置かれたと述べている。毛沢東は、その後もさまざまな権力闘争や失政を続けたが、丁抒らの研究によると、大躍進運動と文化大革命によって、2,000万人が死に追いやられた。
 『共産主義黒書』では、ジャン・ルイ・マルゴランが、ほぼ信頼できる数値として、内戦期を除いた犠牲者の数を、次のように総括的に提示している。

・体制によって暴力的に死に至らしめられた人
 700万~1,000万人(うち数十万人はチベット人)
・「反革命派」としてラーゲリに収容され、そこで死亡した人
 約2,000万人
・1959~61年の「大躍進期」に餓死した人
 2,000ないし4,300万人

●共産主義は全体主義であり、人権を抑圧する

 共産主義は、人民の解放を説いていながら、どうして人民の自由と権利を抑圧するのか。共産主義は、リベラル・デモクラシー(自由民主主義)より、ファシズムに似ている。共産主義とファシズムは、ともに全体主義である。フリードリッヒ・ブレゼンスキーの『全体主義的独裁と専制』によると、全体主義には、次のような6つの特徴がある。

(1)首尾一貫した完成したイデオロギー(世界征服を目指す千年王国論)
(2)独裁者の指導による単一大衆政党
(3)物理的・心理的テロルの体系
(4)マスコミの独占
(5)武器の独占
(6)経済の集中管理と指導

 これらの特徴は、旧ソ連にもナチス・ドイツにも当てはまる。特にスターリン時代のソ連は、ナチス・ドイツとの共通点が多い。違いは、ソ連はマルクス・エンゲルス・レーニン等の思想を掲げるが、ナチスは彼らの思想を敵視するところにある。それを除くと、政治体制・統治方法・行動形式は、よく似ている。また経済体制については、私的所有と社会的所有の度合いの違い、及び政府による経済統制の度合いという相対的な違いに過ぎず、共産主義とファシズムは、ともに統制主義的資本主義と見ることができる。旧ソ連は、それをマルクス、レーニンの用語で粉飾し、ナチス・ドイツはマルクス、レーニンの用語を排除しただけで、本質的な違いはない。
 全体主義の国家では、全体の目的のために、個人の自由と権利が強く制限される。特に最高指導者の個人崇拝が推進されると、その制限は極限的なものとなる。ソ連では、独裁者は政敵に「人民の敵」というレッテルを貼って、粛清した。反対派は弾圧され、恣意的な見せしめの裁判や公開処刑が常態化した。人民の利益や階級の利益ではなく、共産党の利益や指導者個人の利益が追求された。秘密警察と強制収容所で人民を管理・抑圧する自由も平等もない社会だった。政治的に打破することの極めて困難な強固な支配体制だった。そのため、共産主義による犠牲者は、1億人にも上るほどになってしまったのである。
 先に『共産主義黒書』の犠牲者数を揚げたが、そこに含まれていないのが、ソ連が行ったシベリア抑留にる日本人の犠牲者である。大東亜戦争の末期、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して、満州・樺太等を侵攻した。さらに、スターリンは国際法を無視し、日本人を俘虜として抑留し、シベリア等の各地で強制労働を課した。わが国の厚生省援護局の資料によると、抑留者は約57万5,000人、うち死亡者は約5万5,000人とされている。また、ロシア側の研究報告によると、抑留者は約54万6,000人、うち死亡者は約6万2,000人とされている。しかし、実態はさらに大規模だった可能性がある。ロシア人ジャーナリストで、元イズベスチア編集長のアルハンゲリスキーは、著書『シベリアの原爆』(邦題『プリンス近衛殺人事件』)にて、日本人の抑留は軍人・民間人合わせて200万人以上に達し、そのうち40万人が虐殺されたと推計している。酷寒の地で食糧も防寒具もろくに与えられず、重労働を課せられて虐殺された日本人の数は原爆での死者より多かったために、著者は「シベリアの原爆」と名づけたのである。
 共産主義は、人類に途方もない災厄をもたらした。しかし、未だに、共産主義に憧れを持ち、共産主義に新たな可能性を求めている人たちがいる。21世紀を共存調和の世紀とするためには、共産主義の誤りを明らかにし、徹底的に総括しなければならない。そのためには、「発達する人間的な権利」としての人権という観点から、共産主義の人権抑圧を批判する必要がある。

 次回に続く。