12月4日から10日は人権週間であり、最終日の12月10日は世界人権デーである。私は本稿「人権、その起源と目標」をブログに連載中だが、本日の掲示は人権週間の期間中の掲示となる。
世界人権デーは、1948年(昭和23年)12月10日に第3回国際連合総会で世界人権宣言が採択されたことを記念して設けられた日である。この日は国連を中心に記念行事が行われる。わが国では、法務省と全国人権擁護委員連合会が1949年(昭和24年)から毎年12月4日から10日まで)を人権週間と定めている。この期間中、世界人権宣言の趣旨及びその重要性を広く国民に訴えかけるとともに、人権尊重思想の普及高揚を図るため、集中的な啓発活動が行われる。
国際的な人権保障と国家主権は、一面で依存的、半面で対立的な関係にある。個人の権利のみを追及すれば、国家主権は侵害される。逆に集団の権利のみを追求すれば、個人の権利は保障を失う。人権は、普遍的・生得的な「人間の権利」ではなく、歴史的・文化的・社会的に発達する「人間的な権利」である。また集団の権利あっての個人の権利である。そのことを確認したうえで、個人の権利を尊重するものでなければならない。
だが、わが国の左翼や個人主義者は、国際機関を通じて、市民の権利を追求し、国家主権を弱めようとする。その動きは、中国・韓国・北朝鮮による反日攻勢に連携するものとなっている。また国連や各国のNGO等には、国際的な左翼がおり、わが国の左翼人権主義者と連携しているものと見られる。
本稿「人権、その起源と目標」は、人権について新たな視点から考察するものであり、人間、自由、権利、権力、国家と論を進めてきた。本日の掲示は、国家論の中で主権に関する基礎的な検討を行うものである。
●「主権」という訳語
「主権」という漢字単語は、英語 sovereignty、独語 Souveränität、仏語 souverainite 等の訳語である。これらの西欧単語は、もともと「神の完全な自由とすべてを支配する力」を意味する。もとは「~の上に」「君主に属する」を意味するラテン語からきている。それが古フランス語で soverain となり、各国語で語形が変化した。英語で言えば、sovereignty は神の sovereignty であり、the sovereignty of God という文言がある。sovereignty の語幹の reign は、「君主の地位にあることやその期間」「君臨、統治、支配」を意味する名詞である。動詞も同形で、「君臨する、統治する、支配する」を意味する。sovereign は人を表す名詞で、「君主、主権者、統治者、支配者」を意味する。形容詞も同形で、「人が君主である、主権を有する」「権力が最高の、絶対の」を意味する。こうした背景を持つ sovereignty 等の西欧単語に充てるために、「主権」という漢字単語が創られたのである。
「主権」という漢字単語は、「主」と「権」で成り立つ。「権」は、重さを量る物の意味から、バランスに影響する重さや重さを担う力を意味するようになり、さらに社会関係に作用する人や団体が持つ勢力や資格をも意味するに至った文字である。これに「主」の文字を組み合わせた。主権に当たる西欧単語の翻訳に、「主」の文字を用いたのは、見事な工夫である。主権という観念は、ユダヤ=キリスト教の唯一男性神つまり「主(the Lord)」が持つとされる「完全な自由とすべてを支配する力」に由来する。即ち、創造主の自由と権力である。ここで自由とは、自由に創造できる能力であり、一種の権利である。「主権」という訳語は、「主」としての神に由来することを含意したものだろう。「主」の権利と権力を地上において人間が代行するとしたものが、主権だからである。
わが国では、室町時代の1549年にキリスト教が伝来し、西欧人宣教師が伝道を行った。江戸時代初期に刊行された日葡辞書では、キリスト教の神を「天主」と訳した。天の主、宇宙の造物主である。キリスト教の唯一神(ヤーウェ)に充てるには、人間の霊魂や天神地祇を意味する漢語の「神」より、ぬし、かしら、あるじを意味する「主」の方が適切だった。主権を意味する西欧単語を訳すのに「主」の文字を用いたのは、キリスト教と日本文化の深い理解に基づいていると私は思う。
「主」の文字に絡めて書けば、主権は「天主」としての神の権利と権力が、「君主」としての国王の権利と権力に移り、さらに「民主」としての人民の権利と権力に移行してきたものである。英語で表すと、the sovereignty of God が the sovereignty of King に、さらに the sovereignty of people に移ったわけである。
●主権の実態は統治権
主権の実態は、統治権である。一定の領域・人民を統治する権利である。通説では、主権の概念には、三つの意味があるとされる。①国家固有の統治権、②国権の最高性、③国権の最高機関である。これらの三つの意味の中心は、統治権にある。うち①は、統治権が国家に固有のものであることを意味する。②は、統治権が国内的・対外的に最高の権利であることを意味し、③は、それが同時に統治権を行使するための最高の機関をも意味する。主権は、近代西欧国家における統治権の固有性、最高性、またその機関を一語で表しているのである。
近代西欧では、1648年のウェストファリア条約によって、神聖ローマ帝国内の諸侯が完全な領土主権を認められた。また同時に諸国の主権も認められた。それによって、従来の封建制国家とは異なる主権国家が出現した。主権国家は、互いに国境で接する政治団体である。主権とは、国境で区画された領域内における最高の統治権である。「主権」が定訳になっている sovereignty 等の西欧単語は、「最高統治権」とも訳し得る。
私は、権利の相互作用を力の観念でとらえたものが権力と考えるのだが、近代西欧では実際、主権は「最高の力(puissance souveraine、the highest power)」と呼ばれてきた。主権は統治する権利であって、同時に権力である。権力の最小規模は、集団の最小規模である家族における権力すなわち家族的な権力である。権力の最大規模は、集団の最大規模である国家における権力すなわち国家的な権力である。この中間に、さまざまな集団における社会的な権力が存在する。社会的な権力は、一定の領域の統治に関わることによって、政治的権力となる。政治的権力とは、集団や国家の統治機構において、統治者の持つ権利を力の観念でとらえたものである。国家権力は、政治権力の最高のものである。この国家における最高の権力を sovereignty 等という。その訳語が「主権」である。それゆえ、「主権」という漢字単語において、「主」が持つ「権」とは、権利と権力を同時に意味するのである。
次回に続く。
世界人権デーは、1948年(昭和23年)12月10日に第3回国際連合総会で世界人権宣言が採択されたことを記念して設けられた日である。この日は国連を中心に記念行事が行われる。わが国では、法務省と全国人権擁護委員連合会が1949年(昭和24年)から毎年12月4日から10日まで)を人権週間と定めている。この期間中、世界人権宣言の趣旨及びその重要性を広く国民に訴えかけるとともに、人権尊重思想の普及高揚を図るため、集中的な啓発活動が行われる。
国際的な人権保障と国家主権は、一面で依存的、半面で対立的な関係にある。個人の権利のみを追及すれば、国家主権は侵害される。逆に集団の権利のみを追求すれば、個人の権利は保障を失う。人権は、普遍的・生得的な「人間の権利」ではなく、歴史的・文化的・社会的に発達する「人間的な権利」である。また集団の権利あっての個人の権利である。そのことを確認したうえで、個人の権利を尊重するものでなければならない。
だが、わが国の左翼や個人主義者は、国際機関を通じて、市民の権利を追求し、国家主権を弱めようとする。その動きは、中国・韓国・北朝鮮による反日攻勢に連携するものとなっている。また国連や各国のNGO等には、国際的な左翼がおり、わが国の左翼人権主義者と連携しているものと見られる。
本稿「人権、その起源と目標」は、人権について新たな視点から考察するものであり、人間、自由、権利、権力、国家と論を進めてきた。本日の掲示は、国家論の中で主権に関する基礎的な検討を行うものである。
●「主権」という訳語
「主権」という漢字単語は、英語 sovereignty、独語 Souveränität、仏語 souverainite 等の訳語である。これらの西欧単語は、もともと「神の完全な自由とすべてを支配する力」を意味する。もとは「~の上に」「君主に属する」を意味するラテン語からきている。それが古フランス語で soverain となり、各国語で語形が変化した。英語で言えば、sovereignty は神の sovereignty であり、the sovereignty of God という文言がある。sovereignty の語幹の reign は、「君主の地位にあることやその期間」「君臨、統治、支配」を意味する名詞である。動詞も同形で、「君臨する、統治する、支配する」を意味する。sovereign は人を表す名詞で、「君主、主権者、統治者、支配者」を意味する。形容詞も同形で、「人が君主である、主権を有する」「権力が最高の、絶対の」を意味する。こうした背景を持つ sovereignty 等の西欧単語に充てるために、「主権」という漢字単語が創られたのである。
「主権」という漢字単語は、「主」と「権」で成り立つ。「権」は、重さを量る物の意味から、バランスに影響する重さや重さを担う力を意味するようになり、さらに社会関係に作用する人や団体が持つ勢力や資格をも意味するに至った文字である。これに「主」の文字を組み合わせた。主権に当たる西欧単語の翻訳に、「主」の文字を用いたのは、見事な工夫である。主権という観念は、ユダヤ=キリスト教の唯一男性神つまり「主(the Lord)」が持つとされる「完全な自由とすべてを支配する力」に由来する。即ち、創造主の自由と権力である。ここで自由とは、自由に創造できる能力であり、一種の権利である。「主権」という訳語は、「主」としての神に由来することを含意したものだろう。「主」の権利と権力を地上において人間が代行するとしたものが、主権だからである。
わが国では、室町時代の1549年にキリスト教が伝来し、西欧人宣教師が伝道を行った。江戸時代初期に刊行された日葡辞書では、キリスト教の神を「天主」と訳した。天の主、宇宙の造物主である。キリスト教の唯一神(ヤーウェ)に充てるには、人間の霊魂や天神地祇を意味する漢語の「神」より、ぬし、かしら、あるじを意味する「主」の方が適切だった。主権を意味する西欧単語を訳すのに「主」の文字を用いたのは、キリスト教と日本文化の深い理解に基づいていると私は思う。
「主」の文字に絡めて書けば、主権は「天主」としての神の権利と権力が、「君主」としての国王の権利と権力に移り、さらに「民主」としての人民の権利と権力に移行してきたものである。英語で表すと、the sovereignty of God が the sovereignty of King に、さらに the sovereignty of people に移ったわけである。
●主権の実態は統治権
主権の実態は、統治権である。一定の領域・人民を統治する権利である。通説では、主権の概念には、三つの意味があるとされる。①国家固有の統治権、②国権の最高性、③国権の最高機関である。これらの三つの意味の中心は、統治権にある。うち①は、統治権が国家に固有のものであることを意味する。②は、統治権が国内的・対外的に最高の権利であることを意味し、③は、それが同時に統治権を行使するための最高の機関をも意味する。主権は、近代西欧国家における統治権の固有性、最高性、またその機関を一語で表しているのである。
近代西欧では、1648年のウェストファリア条約によって、神聖ローマ帝国内の諸侯が完全な領土主権を認められた。また同時に諸国の主権も認められた。それによって、従来の封建制国家とは異なる主権国家が出現した。主権国家は、互いに国境で接する政治団体である。主権とは、国境で区画された領域内における最高の統治権である。「主権」が定訳になっている sovereignty 等の西欧単語は、「最高統治権」とも訳し得る。
私は、権利の相互作用を力の観念でとらえたものが権力と考えるのだが、近代西欧では実際、主権は「最高の力(puissance souveraine、the highest power)」と呼ばれてきた。主権は統治する権利であって、同時に権力である。権力の最小規模は、集団の最小規模である家族における権力すなわち家族的な権力である。権力の最大規模は、集団の最大規模である国家における権力すなわち国家的な権力である。この中間に、さまざまな集団における社会的な権力が存在する。社会的な権力は、一定の領域の統治に関わることによって、政治的権力となる。政治的権力とは、集団や国家の統治機構において、統治者の持つ権利を力の観念でとらえたものである。国家権力は、政治権力の最高のものである。この国家における最高の権力を sovereignty 等という。その訳語が「主権」である。それゆえ、「主権」という漢字単語において、「主」が持つ「権」とは、権利と権力を同時に意味するのである。
次回に続く。