ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

関東大震災での「朝鮮人虐殺」は謀略宣伝

2013-12-17 08:43:23 | 歴史
 韓国の朴槿恵(パク・クネ)氏は平成25年2月大統領職に就くと、反日的な言動を強めている。今度は11月に韓国政府が日本統治時代の3・1独立運動での鎮圧と関東大震災の「朝鮮人虐殺」の被害者名簿を発表した。これから「朝鮮人虐殺」が国際的に喧伝されるだろう。
 名簿は日韓国交正常化交渉の過程で当時の李承晩大統領が1953年に指示して作成され、東京の駐日韓国大使館に保管されていた。大使館建て替えで今年6月、新築完成に伴う引っ越しの際に倉庫でみつかったという。
 韓国メディアによると、「3・1独立運動事件鎮圧犠牲者名簿」は630人分関東大震災の「朝鮮人虐殺名簿」は290人分、であり、それぞれ名前、住所、殺害の場所や状況が「憲兵に銃殺された」「竹やりで刺され死亡」などと記載されているという。
 3・1事件は日韓併合後、最大の独立運動で、1919年3月1日に起こったデモが全国に波及拡大した。宗教界、民族指導者が主導して「独立宣言」を読み上げ万歳三唱したことから、万歳事件とも呼ばれる。当日のデモ参加者は数万人に上り、事態は数カ月に及んだ。鎮圧には軍・警察も投入されて略奪、暴動事件にも発展した。今回の名簿には「朝鮮のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる女子学生、柳寛順(ユ・グァンスン)の記録が入っており、「17歳で西大門刑務所に収監され、撲殺された」とあったという。だが、日韓併合は日本政府と韓国政府が合意して条約を締結して行われたものであり、その体制を覆そうとする運動は治安維持のため取り締まりを受ける。鎮圧には、韓国人の軍人・警官が多数当たっており、日本人による「虐殺事件」と主張するには、無理がある。
 一方、関東大震災については、一部に「朝鮮人虐殺」説が唱えられてきている。これは、大正12年(1923)9月1日、大震災が起こった際、震災の混乱のなかで「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言飛語が飛び交い、地元の自警団などとの衝突事件が各地で発生した際、日本人が多数の朝鮮人を虐殺したという説である。現在韓国政府は「数十万の大量虐殺」と主張しており、中国における「南京大虐殺」に匹敵する「関東大虐殺」に仕立て上げようとしている。 
 しかし、ノンフィクション作家の工藤美代子氏は、事件を徹底的に調べ、『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版)を出版した。工藤氏は、大震災時の朝鮮人暴動には多数の実話があることを当時の新聞記事等の資料を以て示し、さらに暴動はコミンテルンの指令を受けた朝鮮人テロリストによる皇太子(後の昭和天皇)の暗殺を目的としたものだったことを明らかにしている。当時のわが国の政府は、治安維持を優先して報道規制と「揉み消し」をしたため、事件の全体像は知られていなかった。
 まず言えることは、当時東京及びその周辺にいた朝鮮人は9,800人であり、「数十万の大量虐殺」はあり得ないことである。従来は、虐殺された朝鮮人は2,600人~23,000人とされてきた。だが、この数字も根拠のあるものではない。
 工藤氏によると、各地で朝鮮人暴徒と自警団の衝突が起こる中、政府は善良な朝鮮人を守るため、その9,800人のうち、6,797人を習志野の兵舎等に保護した。戒厳令司令部は事件後、暴動の中で殺害された無辜の朝鮮人を233人と発表している。それゆえ、問題は、残る2,770人である。では、この2,770人は全員が233人以外に殺害された朝鮮人なのか。これまでわが国では、大震災では日本人だけでなく、朝鮮人も被災し、死亡者があっただろうことを考慮してこなかった。工藤氏はそのことに初めて注目した。
関東大震災では、日本人約190万人が被災し、死者93,144人、行方不明者13,275人、計106,419人が犠牲となった。特に被害の大きかった地域では、人口の15%ほどが犠牲になっている。その地域は朝鮮人が集住する地域でもあり、家屋の関係で、朝鮮人が犠牲になった割合は、日本人以上だったと考えられる。工藤氏は、大震災の被災による朝鮮人の死者・行方不明者が人口比20%ほどいたと想定し、これを1,960人とする。そして2,770人からこれを引いた810人が、暴動の中で殺害された朝鮮人のテロリスト・賛同者・付和雷同者と推計している。
 こうした研究により、工藤氏は朝鮮人2,600人~23,000人が虐殺されたという説は、「南京大虐殺」と同類の「謀略宣伝」だと結論付けている。右記のビデオは工藤氏の主張をよくまとめている。
http://www.youtube.com/watch?v=r0bZoEfXl2I
 関東大震災後の朝鮮人暴動事件は、単に反日的な朝鮮人テロリストによるものではなく、背後に日本の皇室を廃絶し、日本を共産化しようとするソ連のコミンテルンの指令があったと考えられる。この点は、虎ノ門事件を合わせて考えるとき、当時の国際事情が浮かび上がるだろう。ロシア革命後、コミンテルンは日本の共産化を重大課題としていた。特に1918年のドイツ革命が共産化に至らず、ヨーロッパにおける革命の展開が困難になっていたため、スターリンは日本革命の機会を虎視眈々と狙っていた。関東大震災が起こるやコミンテルンは朝鮮人を指示して、皇太子を殺害し、革命を起こそうとしたが、失敗に終わった。計画が失敗に終わったわずか約4か月後、同年12月27日に、虎ノ門事件が起こった。この事件は、共産主義者・難波大助が皇太子を殺害しようとした事件である。当時皇太子は摂政つまり天皇陛下の代行者だったから、万が一生命に係る事態となれば、わが国の混乱は必至だった。虎ノ門事件は難波個人の犯行とされているが、大震災後の朝鮮人暴動事件と一連の事件ととらえるべき点は、ともに共産主義による皇室廃絶・日本革命をめざす国際運動を背景にしたものだったことである。ロシア革命から6年後、ドイツ革命から5年後という世界的激動の時期の出来事だった。
 当時の皇太子、すなわち後の昭和天皇は朝鮮人暴動事件、虎ノ門事件でまったく傷害を受けることなく、公務を全うされた。昭和7年(1932)1月8日には、朝鮮人テロリスト、李奉昌(イ・ボンチャン)が手榴弾を天皇の行列に投げつけた桜田門事件が起こった。この時も、昭和天皇は無事だった。戦後、韓国では李を英雄として讃え、独立運動の義士として独立記念館で顕彰し、小学校歴史教科書に掲載して教えている。李は1962年に韓国政府から建国勲章大統領賞を追叙され、1992年には、逝去60周年を記念する郵便切手が発行された。李奉昌を称賛するのであれば、関東大震災で皇太子を殺害しようとした朝鮮人テロリストも賞賛すべき対象ということになるだろう。朝鮮人暴動事件を「関東大虐殺」などと喧伝しようと図るのは、単なる反日ではなく、日本そのものの破壊を謀る極めて危険な動機があるものとして警戒すべきである。
 以下は関連する報道記事。

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●産経新聞 平成25年11月23日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/131123/kor13112312000003-n1.htm
【朝鮮半島ウオッチ】
日韓衝突、次は「朝鮮人大虐殺」?
2013.11.23 12:00

 朴槿恵韓国大統領の対日強硬発言がボルテージを上げるさなか、今度は韓国政府が関東大震災の「朝鮮人虐殺」と日本統治時代の3・1独立運動での鎮圧の被害者名簿を発表した。虐殺・鎮圧名簿には「殺害状況」まで記録されているため「日本の蛮行」が改めて韓国世論を刺激している。これらの事件は、日本統治時代を象徴する韓国でも最も悲惨な差別と抵抗の記憶だ。今年6月に発見されたという名簿が、なぜいま発表されたのか。韓国発の反日メニューの背景が気になるところだ。(久保田るり子)

朴大統領の反日ボルテージはさらに上がっている
 今月の欧州訪問でも仏、英、ベルギー各地で日本批判を展開した朴槿恵大統領。帰国後は訪韓した中国の楊潔●(=簾の广を厂に、兼を虎に)国務委員に伊藤博文をハルビン駅で暗殺した安重根の記念碑建立について「(中韓の)協力でうまく進行している」などと語り、中韓両国の連帯をアピールした。朴大統領の対日発言は日を追って挑発的になっているようにみえる。大統領の意向に沿うようになのか「青瓦台(大統領府)に日本への配慮という発想そのものが見受けられない」(在京の韓国メディア)とされる。
安重根をテロリストと扱ってきた日本が「わが国は『安重根は犯罪者だ』と韓国政府に伝えてきた。このような動きは日韓関係によくない」(菅義偉官房長官)と苦言を呈すると、韓国外交省報道官が即座に「あり得ない発言。犯罪者とは極めて遺憾」と反発した。これに菅氏が「(韓国側は)随分、過剰反応。私はわが国の立場を申し上げただけだ」と反駁する事態で、友好国の政府高官同士とは思えない異例な応酬となっている。
 歴史観も評価も、その立場により異なるのは当たり前という好例だが、日韓世論の感情的対立は深まる一方だ。まさに、この応酬直後に韓国政府が発表したのが関東大震災、3・1事件、元徴用工の3種類の新たな被害者名簿だった。

虐殺と鎮圧の被害者名簿には「殺害経緯」までも詳細に明記
 韓国メディアによると、関東大震災(1923年)の「朝鮮人虐殺名簿」と「3・1独立運動事件(1919)鎮圧犠牲者名簿」の発見はいずれも初めて。虐殺名簿の方は290人分、3・1事件は630人分だ。それぞれ名前、住所、殺害の場所や状況が「憲兵に銃殺された」「竹やりで刺され死亡」などと記載されているという。
 関東大震災の朝鮮人事件は、震災の混乱のなかで「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言飛語が飛び交い、地元の自警団などとの衝突事件が各地で発生した。軍や警察が朝鮮人保護や避難所も設けたが、衝突による殺害事件も起きた。当時の日本政府調査で朝鮮人犠牲者は233人。その後の韓国政府発表は「数十万の大量虐殺」と主張。日本の警察当局が起訴した事件だけで十数件だが、虐殺の実態や被害者数は諸説あって確定していないだけに、今回の名簿は生々しい。
 3・1事件は日本統治時代最大の独立運動で全国に波及拡大した事件だった。宗教界、民族指導者が主導して「独立宣言」を読み上げ万歳三唱したことで万歳事件とも呼ばれる。当日のデモだけで数万人に上り、事態は数カ月に及び、鎮圧には軍も警察も投入されて略奪、暴動事件にも発展した。このとき逮捕収監されて悲劇の死を遂げた女子学生、柳寛順(ユグァンスン)は「朝鮮のジャンヌ・ダルク」と呼ばれるが、今回の名簿には彼女の記録が入っていた。そこには「一七歳で西大門刑務所に収監され、撲殺された」とあったという。

名簿の取り扱い次第では過激な反日ナショナリズムが惹起されると懸念も
 名簿は日韓国交正常化交渉の過程で当時の李承晩大統領が1953年に指示して作成され、東京の駐日韓国大使館に保管されていた。大使館建て替えで今年6月、新築完成に伴う引っ越しの際に倉庫でみつかったという。名簿は3種で22万9000人分の元徴用工名簿も発見された。
 韓国ではこれら名簿こそ「日本の蛮行を示す資料」と、いま政府に日本への責任追及を求める世論が高まっているのだという。
 背景には大法院(最高裁)による「元徴用工の賠償請求権は消滅していない」との判断(昨年5月)がある。このところ徴用工個人請求権を認める賠償判決が続いているため個人請求権問題が注目されているのだという。
 関東大震災の被害者は大部分が民間人同士の暴力事件だった可能性が高いが、3・1事件は憲兵による鎮圧も少なくないとみられる。これら遺族が個別に訴訟を起こせばどうなるのか。「賠償請求権が認められるはず」との期待感があるという。
 名簿に関しての評価、判断を韓国政府は態度保留している。韓国が万一、問題化しても日本は「請求権協定で完全、かつ最終的に解決済み」とするのは確実で、双方の世論だけが興奮する感情的対立激化が予測される。韓国ナショナリズムの急所ともいえる歴史資料をめぐって、はやくも過激な反日を警戒する声が出ている。
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