西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

つれづれに ( 平成24年の父の日 )

2012年06月17日 | つれづれに

( 平成24年 )今日6月16日 日曜日は父の日だった・・・・・父親としての自分よりも、なぜか自分の父親のことを想い出す日になっている。 私が20歳になる頃までは ”母の日(カーネーション) ” はあっても ”父の日 ” はなかったように思う。私が24歳になった時に父は死んだ、戦前は陸軍士官学校出の生粋の職業軍人だったから戦争が終わって 「 南方から復員してきてからは公職追放に遭ってろくな仕事には就けなかったんだよ 」・・・・・と母が言っていたものだ。 

戦後しばらくは 「 たくさん死んだんだ、命があるだけで十分だ 」 といっては土地を耕して農業に従事していたそうだ。 私と弟が生まれてからは親しい人に 「 こどんがこめで まだ働らかんといかんと- 」( 子供がまだ小さいから働かないといけない・・・の鹿児島弁 )と言っていたらしい。不器用な生き方しかできなかったようで、単身東京に出て不慣れな会社勤め、自分ではじめた事業も武士の商法みたいなもので失敗の連続で とうとう花開くこともなく散ってしまった・・・・・亡くなった姉と戦後生まれの私達には父の栄光の時代は知りえない。
私が成人した頃に ” 大人になったら孤独に強くならないといけないよ ”・・・とポツリと言ったことがありました、それに耐えられるくらいに自分を鍛えなさい-という意味だったんでしょう・・・・・でも今は父親の気持ちというものがよく分かります。
生きていた時代にもっと色々なことを聴いておくんだった・・・・・今日は親父が大好きだった焼酎とウィスキーを神棚に置いた

写真は陸軍士官学校時代のサーベル ( ただし指揮刀といって斬れないもの ) で 数少ない父の遺品のひとつ。降伏が決まった時、軍刀(日本刀)はアメリカ軍に接収されるのが悔しくて海に捨ててきた・・・と話していたものだ

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