迷った挙句、ついに地区120年余の土蔵の解体に踏み切った。
重機で簡単に・・・とはいかない、瓦をはぎ取り、柱にも使えそうな太い垂木を取り外して
丈夫な天井部分の土壁はつるはしで掘った。
土壁がずり落ちるのを防ぐためだろう、壁の中の細い木には藁縄がぎっちり巻かれ、縄の強さは120年を経ても変わらない強さだ。
さすがの土蔵も重機にはかなわない。 径45㌢余りの棟木は長さは8㍍ほどの一本物の松。
土蔵中心で重い天井を120年支えた檜はさらに一回り太くて長さは4、2㍍
100年物の檜は 柱として使われてから200年後に一番強固になり300年を経て元に戻ると言われるから築120年、これから増々強度が増すはずだった。
更に欅の柱の根元からは巨大な土台石が現れた。
重機をしても吊り上げれずに、掘り上げて庭石に転用
解体の時に見つかった当時の「お手伝申受帖」、職人の他に近所からのお手伝い人夫が100人余、馬を連れて運搬を手伝ってくれた人、土壁に入れる藁を持ってきた人等々。
多くの人たちのお手伝いの模様が記されていた。
我が家の初代が精魂傾け、近所の沢山の人たちのお手伝いで建てた土蔵、それから120年余、5代目が邪魔くさいと解体してしまった。
情けない子孫と嘆いているに違いない。
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