岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

時給

2023-08-21 15:07:05 | いなか暮し

 暑い夏、昼食後 少し横になろう・・と、思った頃から決まったように近くの大豆畑からあの甲高い特徴ある雉の鳴き声がする。
 友達、恋人探し? 何日か続いた後に今日は二羽並んで歩いている、 ようやく巡り合えたのだろう。
 いつもの鳴き声もなく、胸をはって歩いているような・・めでたしめでたし。

 農業高校を出て家業の農業についたのは昭和37年、もう60年もの昔、まだ東海道新幹線も走っていない頃、花巻近辺では当時、農家の長男は学校出たら就農、2、3男は企業に就職するというのが当たり前、長男は農業を次ぐのが親孝行とも言われた時代。
 疑うことなく就農して両親と一緒に農業をして小遣い銭をもらった記憶も少ない。秋口になったころから「酒屋に行かないか・・」と誘ってくる人が増えてくる。岩手の県南、花巻地方は昔から南部杜氏として全国に酒造りの技術集団を送り出し、秋ごろからその杜氏の勧誘が盛んになる。
 友人と相談し一緒に県外の造り酒屋に出稼ぎに出かけた。蔵で働く人たちは11、12人ほどみんな花巻の人たち、集団のトップ杜氏さんは60代だったがあとはみんな若く平均年齢が30代、食事も仕事も寝るのも一緒の仕事は楽しかったし少々の夜遊びもできる、親元を離れた解放感に浸った。
 当時、出稼ぎ酒造りの賃金は日給430円、月収1万を超えたことにびっくり。1年前の高校3年の時の郵便局の配達アルバイトは一日歩き回って220円だったから出稼ぎ先の酒屋の賃金430円はびっくりするほど高かった。
 賃金をせっせと我が家に送る人あり、中には家から離れた解放感で遊び過ぎて逆に小遣い銭を家から送金させている輩もいた。
 高いと思った賃金も一日の賃金で一升の清酒を買えない額だったように記憶している。ちなみにその年、昭和37年の生産者米価60㌔4800円ほど、米価はこの後数年しては消費量の減退等々で生産調整、米価低迷に移る。 
 1ヶ月の賃金収入が1万円を超え3万になり5万になり10万円も超え賃金は上昇が続く、そういう時代だった。

 先ごろ最低賃金が公表された、時給が初めて1000円を超えたとか、その昔、日給430円、時給にしたら430/8 1時間賃金54円と比べたら雲泥の差 比較には無理がある、比べようもないがその数字には目を見張る。
 食べたいものは何でも食べて、ほしいものは大抵のものが手に入る、
 とやかくは言うが、やっぱり現代は平和、「いい時代」に生きたと感謝する。

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