岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

百姓一揆」

2016-03-01 17:16:37 | いなか暮し

  弥生3月の1日 今にも咲きそうになったクロッカスだがここ数日の寒さで中々咲けない。今年の開花は記録的に早そうである。

 いまから180年前の天保7年(1836) 連年の凶作と厳しい年貢の取り立てに苦しむ農民が 中央小高い山が陣ヶ森 花巻市矢沢の陣ヶ森(花巻市清掃センター付近)付近に、近在の多くの百姓が集まり過酷な政治を改めるよう強く訴える一揆をおこし盛岡に出た。
 一揆は成功とは言えなかったが後の大一揆へとつながる。
 そして、藩による一揆の首謀者は罰しないという約束は破られ、多数の指導者は捕えられた。

 その一人、下小山田村の医師、吉田宗恕は天保14年6月24日に処刑された。
 処刑された場所とされるのが釜石線小山田駅から北に向かって数分、 関口街道と交わる変形6差路付近の三方塚(地元では首切り松長根と言われたという)付近と言われる。
 この付近は10年前の合併以前は和賀郡東和町小山田と稗貫郡八重畑村、花巻市矢沢の境でもある。
 一揆を指導した吉田宗恕は見せしめのために、この村境ともいえる小高いこの場所で処刑されたに違いない。
 もっとも場所を特定できる塚や石碑はない。

 お侍の歴史より、飢饉と闘い逞しく生きた農民の歴史に興味をひかれるようになってきた折、稗貫・和賀の百姓一揆を語る会発行の「百姓一揆の跡を訪ねる」と同会の会誌「響くはら貝」が手に入り熱中して読ませてもらった。

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