長らく空を飛ぶことを夢見てきた人類はやがて羽根(飛行機)を手に入れる。その羽根は科学技術の進歩等はあったものの、基本的にもともと“あった”ものと、“あった”ものの結合。そこに空への情熱という原動力が加わった...。で今、羽は身近な存在であり、いつでも海外に行く事が出来る....。ハイブリッドカーは確か電気と水素で動く。これまた“あるもの”と“あるもの”の結合によって出来上がる。そこに環境とか、燃費(資源の有効利用)とか、必要に迫られる“何か”や、これまた情熱が原動力になる。必要に迫られないと“あるもの探し”に熱が入らないのも事実。それが都会ではなく地方で盛んなのは必要に迫られているから....。実際、東京に17年いたって、物珍しさからあちこち回ったのは最初の数年のみ。あとは面倒くさくて.....。離れてみて、あそこも行って見たかったな、あそこも....。まあ銚子から2時間ですからいつでも行けるのですが、その場にドップリ浸かってしまうと動けなくなりますね~。さて、あるもの探しの手法として、因数分解だな~。という事を良く感じます。共通項をカッコでくくる。右辺と左辺を移項しながら整理する....。複雑に見える現象も、スッキリとし始め、おぼろげながら先が見えてくると俄然張り切れるものです。これまた根拠のない自信に基いているのですが....。昨日の秋山参謀。海軍大学で教鞭を取っていた時も、作戦の丸暗記などは絶対させず、生徒の意見が自分と食い違っても落第点などは付けなかったとか。作戦は各自確立せよ。基礎を徹底的に学び、状況を分析。おのずから道は見えてくる。試験の優等生など実践で応用が効かず、何の役にも立たない....。地方都市や地場産業で発生している諸問題。その共通項をカッコでくくってみると....。なるほど色々なものが見えて参ります。
快刀乱麻(かいとうらんま)の活躍なんて言葉を良く聞きます。超人的なヒーローがバッタ、バッタと閉塞感を打ち破り、状況を好転させていく.....。庶民はそんなヒーローの出現を心待ちに....。で、益々依存心が強くなり、また頭が良くなって具体的に行動する事をためらうようになる...。自営業者にそんな余裕は有りませんが....。さて、因数分解。突然何だ?と思われるでしょうが....。これ中学の数学でしょうか。試験に必ず出るヤツです。試験に出るから勉強したのでしょうが、数学は試験に出るから勉強するのではなく、その論理や筋道立てた考え方を養うためにある。恩師の言葉です。中学時代にそんなことは分かりませんでしたが、皆が嫌いな数学を楽しくさせてやろうと、当時の恩師があの手この手で考え出した授業の数々....。図形カードを作ったり、円周率の暗誦大会したり....。大人になって突然思い出し、自らの閉塞感を破る一助になったりしている....。で、因数分解。共通項をカッコでくくる。右辺を左辺に移項して...。そうするとあら不思議。複雑怪奇に見えた数字が、イコール・ゼロになってX、Yの値が自然と導き出される....。こんなヤツです。“共通項をカッコでくくる”これなんです。共通項をカッコでくくってみたら、問題山積で前に出る意欲が失せていた状況がちょっと好転した。私の狭い経験則ですが、そんな場面が多々有ります。目の前に起こる様々な現象から共通項を探し出し、その中に法則性のようなものを導き出す事を論理学で帰納法(きのうほう)と言います。秋山の天才は物事を帰納していく力だ...。日露戦争・日本海海戦の参謀。その後の世まで天才と賞賛され続けた秋山真之に向けて発せられた言葉。自らの数十倍の相手と戦い、しかも負けることは許されない。そんな状況で彼が編み出した戦法は、洋の東西を問わず過去の海戦と、日本の海賊、水軍戦法の折衷だったとか。それに徹底的な自軍・敵軍の戦力分析。凡人の私にはその極意は分かりませんが、何か新しいものは、古いものと古いもの、“あるもの”と“あるもの”の折衷から起こることが多い。ハイブリッドカーもしかり、自らの仕事もそうなんじゃないかと...。続きは明日。
バブル期には日本人全員が株長者になって、連日・連夜ディスコでバカ騒ぎしていたのか? 全くそんなことは有りません。でも、そんな“雰囲気”になっていた事は確か。たまたまその時代を東京で過ごしていたのでそう感じるだけ、銚子で生活していたら別の感想を持ったかも。ただ地価の話などを聞くと、地方都市までバブルの雰囲気は蔓延していたようですが....。日本のカネで買えない物はないとか、アメリカなるものの象徴、ロックフェラー・センターを日本企業が買収したとか...。そんな時に“大国の興亡”なる書籍が出されました。歴史を振り返り、驕れるものは久しからずを説く...。話題にはなったものの、その教訓は一顧だにされなかったような....。で今、日本の上場企業の殆どで外国人投資家の比率が半分近くになり、経済はアメリカ、中国はじめ外国頼み....。年金だ、格差だ、モラル崩壊だ....。日本人としての自信喪失を嘆く声があちらこちらから聞こえて参ります。さて、ではバブル期。浮かれた雰囲気の中で地に足を付け、農畜水産業に汗を流していた人はいなかったのでしょうか?という事なんですが、当然の如く沢山いた訳です。何も時代の雰囲気に抗(あらが)うとか、そんな理屈は抜きにして、黙々と仕事にいそしんでいた方々がおります。大局的に見て、食糧を自給していくという事は自立した国として当然の事。浮かれた雰囲気の中で農業などを継ぎ、黙々と食糧生産に励んでいた人がいる。それが結果として食糧自給に寄与している。でも39%....。年金受給額が増えたとしても、その対価として購入する食糧品の値段が上がっていけば、相対的に受給額は下がったも同然。おカネではなく、その対価としての労働とか衣食住に関わるモノとか、そういう部分に目を向けないと....。さらに生き方。考えが変わると行動が変る。惰性で過ごしてしまった習慣はすぐには改まらないけれど、諸般の事情を鑑み、あたかも胎児が動き始めるが如く、考え方を改め、ちょっとした勇気を持って一歩前へ。良くも悪くも胎動の予感がする今日この頃であります。
1月になって魚市場のカモメの数がグッと増えました...。一昨年も、昨年も、1月になると本当に空一面と言わんばかりのカモメ、カモメ、カモメ....。漁協の屋根に見える白い物体。これもすべてカモメです。毎年同じような風景を見ているな~と思いつつ、何かが違っている銚子生活3回目の1月。今月・来月は同窓会とか、バスケットの日本リーグ銚子大会とか、イベントごとが多いです。自分では全く同じことを3年続けているつもりなんですが、何かが変わってきたと思える瞬間が多い。これ全く根拠のない自信で恐縮なんですが....。さて、胎動という言葉があります。母親の胎内で胎児が動くから転じて、世の中が動き出す。新しい時代が動き出す。などに通じるようです。良くも悪くも胎動の予感...。世の中も自分自身も、そんな気がしております。ちょっと前までデフレだ、デフレだと言われてました。モノの値段が下がっていくんですよ....。で、価格形成のキーワードは“はじめに売価ありき” 下がり続けた売価がまずあって、そこから逆算してコスト計算が行われ、無理に無理が重なる...。で、制度疲労が起こる。現在、スタグフレーションと呼ばれる現象が懸念されております。物価上昇にも関わらず景気が減速する。ますます格差が広がると....。バブル時代は貧乏学生で、その恩恵にあずかるなんて無縁の生活、失われた10年と呼ばれた時代に社会人生活スタート。デフレ、価格破壊....。そして現在。続きは明日。そんなことより、日々の慌しさにかまけて、頂いた年賀状に返信すらお出しできていないわが身の非礼。誠に申し訳なく思っております。逐次投函させて頂いておりますので何卒ご容赦を。この場をお借りして御礼並びにお詫び申し上げます。
昨年末、花のお師匠様は紅白歌合戦を見たいと言っておりました。粋な作品を作られる方、そういう庶民的なTV見るんですかね~。と思っていたところ、歌が、何がというより、衣装を見て、来年の流行色や形の参考にするんだとの事。さすが、達人は漠然と物事を見ない....。じゃあ私も。と、凡人の私にはそんな感性有りませんが、自分なりに探して見ました。年末年始は時代劇が多いです。私は無類の時代小説好きでありますが、小説好きでなくとも、お正月というと、何故か和の雰囲気になり、時代劇見ながら一杯...。至福のひと時であります(実際は飲みすぎて殆ど見ていられないんですが...) 今年の年末年始、篤姫、鹿鳴館、天と地と....。時代の変換期とか、生き様とかそんなキーワードが潜んでいるように思います。TVは時代を映す鏡。あるいはその反対で、強い願望などを表す場合が多い...。篤姫....、幕末期に薩摩から将軍の正室として嫁ぎ、官軍となった故郷・薩摩の軍勢の江戸城総攻撃を前に、総大将・西郷隆盛に書をしたためる。私の一命に代えて、総攻撃を中止して欲しい。私の一命に代えて....。鹿鳴館...、西洋なるものの“形”だけ真似し、連夜の晩餐会...。大きな制度転換の産物。多くの犠牲の上に成し遂げられた維新。鹿鳴館、そこには西郷も、晋作も、竜馬もおらず、その次の世代が先人の築いた枠組みの中で、限られた人間のみが束の間の異文化を堪能する。東洋と西洋の融合。新しい文化を拓いたという側面も否定できませんが...。天と地との上杉謙信。天下を取ることなど小事に過ぎず、人として義に生きることこそ重要と説く。謙信の辞世、四十九年・一睡夢・一期栄華・一杯酒。自ら生きた49年など一睡の夢に等しく、一期の栄華は一杯の酒の如く....。目の前の欲得に執着せず、もっと大所から“大局観”を持ちなさい。という事かと。本年初のマグロのセリ。最高値は香港の飲食店だったとか。世界は人口爆発、資源戦争....。カネさえ有ればと言っていたのにあちらこちらで“買い負け” 今日、明日に資源(食糧など)がなくなることはないんでしょうが、その時になってから“大局観”を持つなんて到底不可能であります。一葉落ちて天下の秋を知る....。変化の兆しはあちらこちらで見えているようです。
語尾に念を押す言葉...。~でしょ。広島で、そうじゃろ。大阪で、そうやろ。名古屋で、そうだがや。静岡で、そうずら。そうだら。銚子を含め千葉・茨城で、そうだっぺ....。東京時代、そうじゃろ~、そうやろ~。という言葉には市民権を感じておりましたが、そうだっぺ~。とやると白い目で見られたような....。でもそれぞれ歴史を持つお国言葉。卑下する事は全くなく、正々堂々使えばいい....。さて、銚子の新年にも帰省者だけでなく、各地から沢山のお客様がお越しになりました。綺麗な風景を見て、美味しい魚を食べて、銚子電鉄に乗って、しばし都会の喧騒を忘れ、癒された。などと聞くと嬉しくなりますが、一方ではクレームも。多いのが銚子言葉について。銚子言葉は銚子が紀州・和歌山の移民の末裔である事、黒潮・親潮交流により太平洋沿岸から移り住んだ方々が多いことなどから、関西弁や東北弁などが複雑に混ざり合った、ちょっと難解な単語やイントネーションが多い。また港町。言葉が荒い....。みんな気はいいんだけど、口が悪くてね~。これ、何度か会っている人同士では使えるんでしょうが、一期一会の観光の場で通用するんでしょうか? むろん、おもてなしの心を理解し、丁寧な接客を心掛けているホテル、旅館、飲食店が殆どなのですが、何か喧嘩を売られているようで、気分を害した。とおっしゃられる方、以外に多いです。道を聞いたら怒られているように感じたとおっしゃっていた方も...。銚子人の名誉の為に...、みな本当は大歓迎しているんです。でもそれを上手く表せない。気さくに、で、つい調子に乗って、普段着の言葉を出すと....。知らない方は喧嘩売られた、怒られた...とお感じになられるようです。私も含めて、銚子人、猛反省であります。昨日、本日の写真は茨城県の霞ヶ浦(北浦)から眺めた筑波山。銚子から車で40分くらいのところでは、こんな風景に出逢えます。
本日は更新が遅れ申し訳有りません....。本日から本格始動のところ、多いと思います。色々なところで、年頭所感など訓示が行われていることでしょう。私の周りでも沢山拝聴しました。会社の経営者はじめ、数々の苦難をくぐり抜けて来た方々のお言葉、非常に重いのですが、問題は聞き手の姿勢かと。うるせえな~、そんな事いったって....。という姿勢ではせっかくのお言葉の有り難味など到底理解する事はできません。かくいう私もそうなんですが、自分が恵まれた境遇にいると、その有り難味に気が付かない。給料が、待遇が....と不平を言っていても、当時は何も分からない訳です。サラリーマンを辞めて、初めてその有り難味に気付く。“気が付く”と行動が変る...。今年の所感を拝聴していると、その“変わる(変える)”、一歩前へ、勇気を持って....。こんなキーワードが出て参ります。様々な制度疲労が噴出している昨今、今まで、そうは言ってもね~。と言っていた事にシッカリと対峙していかねばならなくなった。そもそも経営者は先を見ている。そんな事心配してんのか?とサラリーマンの方々が言っても、経営者は考えて、考えて、不安で不安で眠れなくなる。この苦悩を分かれと言ったところで、そもそも感覚が違いすぎる...。そういう場面に遭遇した本年初頭でありました。経営者の苦悩を社員が知り、一丸となってという会社は強いに決まっておりますが....。そうは簡単に行かないのよ。それも分かってきた今日この頃であります。サラリーマンと経営者、あるいは、自営業者。都会と地方、男と女、日本人と外国人.....。今までそういう対立軸が有ったかと思います。ただしこれからはそんな軸や尺度も意味を為さず、共通項である“人間”として如何に生きるか。それが問われる時代になっているんですよ...。数々の所感を拝聴してそう思った次第であります。
お山体育館の名物。テラスの出入り口からの眺め。利根川を見下ろす春日台(かすがだい)の上にそびえ立つこの体育館からは眼下に利根川河口の絶景が見えます(木が邪魔なんですが...) まさに心の原風景であります。目を閉じると往時が鮮明に蘇ってくるようでありました。往時...。20年前ってどんな時代だったでしょうか? 平成元年、バブル....。建物や風景は不変....、変わるのは人の心だけなのかもしれません....。故に、心の持ちようで目の前の風景は如何様にも見える。高校生の時はどんな気持ちでこの風景眺めていたんでしょうか。早くこの街から出たい...。そう思っていたような。水産業?冗談でしょ。そんな感情すらあったかも。でも今、銚子にいて、水産業に従事しております。東京の17年間で出会った人、そこで見た風景、考えた事、銚子に残っていた仲間....。すべてが複雑に絡み合い、今ここにいる。時には母校に行ってみるものですね。何故今、ここにいるのか深く考える契機になったりします。
市立銚子高校(愛称:お山)の体育館。20年前。ここで青春時代を過ごした者として、この体育館が取り壊される事、とても悲しく思います...が、世の中の流れ...。最近、水産加工場とか、体育館とか、学校とか、銚子の建造物の取り壊しの際に良く言われる事。最新の設備から見たら見劣りするけれど、これらの建造物を30年前、40年前に有していた実力には驚嘆する....。お山の体育館も、40年近く経過しているようですが、当時としては破格の大きさであり、充実の設備。2階が体育館、一階が体育教官室や部室、武道場、地下が体操場、卓球場....。高校入学の時に驚いたのを覚えております。昔の事を言っても始まりませんが、当時としては破格のモノを沢山有していた銚子。その後、時間が止まってしまったのでしょうか?お山卒業生の殆どは銚子を離れる....。“市立”高校なのに...、もっと地元に貢献を!と引退された先生方から良く言われてました。かくいう私も17年間の逃亡生活を送っており、OB会などは一人のお客様....。来月、学年同窓会がありますが、参加者は200名近くと聞いております。幹事は東京在住者。東京から銚子を応援しようと、様々な活動をされております。こんな人もいるんです。OB会に遠くから毎回参加する人、参加できないけれど..と毎回寄付してくる人...地元にいなくても関わり方は沢山有ります。早稲田・都の西北の3番に、集まり散じて人は変われど、仰ぐは同じき理想の光~という一節があります。今回のOB会、年長は75歳から、現役の16歳まで、様々な年代の方々、それぞれの思いを抱きつつ、母校体育館に参集致しました。市立高校の合併や象徴的なお山の建造物の建て替え....。往時を懐かしむだけに終始せず、新たな歩みを始めましょう。そんなメッセージが込められているような気がします。真理の光に雲も開けて、若き希望の湧くや胸に、漲る喜び新たなり(お山校歌の一節)....建物や人は変わっても、精神は永久に不滅...。という事であります。
本日から仕事始めのところ、多いと思います。銚子の魚市場も本日からでありました。また“日常”が戻って参ります。帰省が義務感になってしまった方も、楽しいイベントの方もおられると思いますが、世の中には正月休み無関係の方も多い。本日も九州・四国船籍のマグロ延縄船が水揚げを行っておりました。正月は海の上だったようです。元旦営業のスーパーも増えました。当然休みなく社員の方々は働いております....。物事は一方向だけから決して見てはいけない。昨年末にそんな事を書いたかと思います。同じ正月と言っても、みなそれぞれ。自分達と違う生活を送っている方々もいる訳です。で、こういう方々のお陰で便利で豊かな生活が維持されている...。皆さん家庭があったり、予定があったりするのに....。お疲れ様です、ご苦労様、有り難う....。こういう言葉が出てきて当然かと思いますが、自分の生活パターンと違う生活をしている方々を認めない人がおります。元旦に働いているやつなんかいない...!仕事じゃない遊んでるだけだ...。お気の毒な考え方であります。スーパーの経営者の方々、本当のところは社員にも家族がいるし、正月くらいゆっくり休ませてあげたい。と思っております。これ本音。ただ日本人の生活様式が変わってきた。変化対応業と呼ばれる流通業。対応せざるを得ない。それに合わせるようにメーカーも運送業者も、みな歩調を合わす。スーパーのわがままで。ではなくて、日本人の生活様式の変化であります。10年くらい前までは、元旦営業は稀で、大晦日の売り場など、買い洩れの無いようにと、それこそ戦場のような様子でありました。商品を売り場に並べに行こうとする途中ですべて売れ切れる。今は元旦営業が常態化しており、何も大晦日に買いだめしなくたって....。年末“らしさ”正月“らしさ”が年々なくなっていく。という声を良く聞きますが、要するに日本人の生活様式の変化がそうさせている。戦後体制の枠組みが崩壊を始め、躁(そう)の時代から鬱(うつ)の時代へと突入。大きな不安の時代に、ますます自己中心的で独善的な方々が増えていくことは歴史を見れば明らかであります。そこで他者を認め、許せる寛容さを持ち得るかいなか?これからの時代は経済的な価値のみによる格差よりも、人間力の格差が一段と激しくなっていくものと思います。かつて17年間過ごした東京。その東京の方々の帰省の様子を3年間見て参りました。収入その他、こちらから見れば恵まれているな~。と思っている方々の口から出るのは会社や身内の悪口、愚痴、不平不満....。みな一様に、東京の生活は大変だ...。年々顔つきが険しくなっているように思います。そこで一言、お前は良いよな~。気楽で....。地方都市の日常を何もご存じない方のこのセリフ...。経済的に勝ち組(嫌な言葉ですね)と言われている方、何に勝っているんですかね。生活様式の強制変更を益々強いられていきそうな2008年、地方都市胎動の予感が致します。今年も“あるもの探し”に励みます。
年末に掲載した“前へ”...。何故か自分向かって投げ掛けられている言葉のような気がします...。とにかく“前へ”。この3年間の活動は今、1㎝でも前に出るための基礎作りであったと。そう思える1年にしたいと思います。 4年間同じクラスだったラグビー部の同級生は、無名高出身ながら、4年生の時に紫紺のジャージを着て、国立で早稲田をやっつける。これだけを言い続け、実際そうなるべく物凄い猛練習をしておりました。練習時間だけでなく、ちょっとした空き時間にもトレーニング。ラグビーのことはそれこそ四六時中考え続ける...。タックルされても、かわしてはいけないのが当時の明大ラグビー。1㎝でも前に進むため、屈強な体、精神作りが不可欠。しかも彼はスクラム第一列。肩は盛り上がり、耳は潰れておりました...。小ざかしいプレーで敵をかわし、トライを挙げたところで、それはトライと認められない。ルール上は認められても(当然なんですが...)明治では認められない。何故なら“前へ”だから....。この信念は非常に重要だと思います。重戦車の一員として生きていこうと決めたならば、一度や二度のタックルで負傷している訳にはいかない。否、負傷したとしても戦列を離れる訳には行かない。国立の大舞台に立つ選手たちの日常を見て参りましたが、ここまでやるか?というほど準備に余念がありませんでした。見られている意識があるから、立ち振る舞いにも威厳が出る。80歳のおじいちゃん(大尊敬の意味を込めて)が杖をつきながら、グランドで指示を出す。かわすな。“前へ”だ...。屈強な選手達はその神の声に耳を澄まし、ただひたすら愚直に前へ進む...。現代人の生き様が問われている時代、自らの哲学を持ち、それを愚直に継続する清々しさ....。何故今ここにいるのか?を問いながら、明日から2008年の仕事始めを迎えます。
新年おめでとうございます。2008年の幕開け、子年はどんな一年になるでしょうか?私は銚子生活3年目の正月となりました。今までの“日常”は東京で、銚子は時々帰って、懐かしさに会う場所。イベントごとであり、お客様....。OB会に行って、大酒飲んで、懐かしい友人達と語り合う...。嫌な事言われても、別にたった1日か2日のこと...。帰りの車中でスッカリ忘れる...。友人に家庭が出来て、OB会の集まりが悪くなり、やがて帰省が義務感になる...。あとはお決まりのパターンです。今は銚子で“日常”を過ごしております。そう、“立つ位置”によって風景はガラッと変わって見えて参ります。何事もそうだと思います。一方からのみ物事を眺めてはいけない。前後左右、上下に斜め、近くから遠くから...恩師に口を酸っぱくするほど言われていた事。少し分かったような気がします。組織であれ、仕事であれ、立場によって見え方は違う。食糧とか、環境というお堅い話もそう。地方と都会では違うし、地方切捨てなんて言われても都会生活者には意味すらわからない(自分がそうでした) が、しかし。何かが起こりそうな2008年であります。制度疲労とでも申しましょうか? 何か変だぞと思いながら、まあいっか。と先送りしてきた問題が噴出しそうな予感です。一次産業の労働力不足、食糧危機が喧伝されながら、国内の一次産品は値が上がらず、輸出に回っている現実、エネルギー問題、そして環境....。本年は北京五輪の年。自分自身のことで恐縮ですが、オリンピック・イヤーはいつも大きな境遇の変化が起こる...。それが良い事か悪い事か分かりませんが、銚子生活で身に付けた術、自然体で、日常を楽しんで参りたいと思っております。本年秋には連載1000回を迎えます。それでは本年も宜しくお願い申し上げます。