今回何故、購買力平価の話を持ち出したかと言うと、急に恩師の言葉が浮かんできたという事もありますが、生活のあらゆる場面で、既存の仕組みが制度疲労を起してるな。と感じているからであります。すべてをお金に換算して生活する限界....。むろん金がなくても生きていけると無頼派ぶったり、やけを起したり、そんなのではありません。また明日すぐに危機が来るとも思っておりません。が、しかし、変化は予兆のみを見せ、決してその本質を見せることなく地下深くで着々と進行しているように思います。あれだけ問題視されながら、中国産の食品を輸入し続けたのは、それが安いからであり。そんな労働に日本の若者は従事しない。という勝手な思い込み。現場作業に従事するのは落ちこぼれで、ネクタイ・スーツで働くのがエリート...。こういう歪んだ価値感もその一因かと。“はじめに売価ありき”の価格決定のメカニズム下において、矛盾を投げつけられた生産側は、それでも無理に無理を重ね、決して起こってはならないことですが、“偽装”という形で問題を噴出させる。先進国と言われた国々。何が“先進”?という事は殆ど議論されず、恐らく経済的にとか、先端科学を取り入れたとか、そんな程度のことなんでしょうが、結局のところ、米国は南米に、欧州は東欧に、日本は東南アジアに....と、少しでも安価な労働力、商品を求め、生き方、価値感を変える。という域にまで達していなかったのでしょう。国際貿易が活発化して、為替という魔物を通じて、例えば日本では昼飯が800円だけれど、ある国に行ったら50円、そこでこの商品を作れば...。そんな貨幣価値一辺倒の価値感から脱しきれず、知らず知らずに心が歪んできたのかも。かつて流行った、フィリピンのナタデココ、タイのヤキトリやエビ...。その後、どうなったかご存知でしょうか? 金払ったんだ。相手国の経済発展に寄与したじゃねえか...。いろいろご意見もあろうかと思います。気が付けば、かつて経済大国と言われていた国が、経済の一人負け状態にあると....。月並みな事ですが、何が幸せで、本当の豊かさとは何か?が問われていると思います。相変わらずまとまりのない終わり方ですが....。