
実は・・・買ってしまった(^^;
衝動買い(笑)
以前、人工皮革ながらまともな三線を買ったのだが、
音が大き過ぎて東京のマンションでは弾けない。
泣く泣く花巻の自宅に置き、
今じゃ母ちゃんのモノになりつつある。
それも悔しくて、
先日、有楽町のわしたショップに行った時
店員さんにいろいろ話を聞いた。
「あまり音が大きく出ない工夫無いですか?」
「あぁ、消音ウマつければ鳴らなくなるけど
それじゃあまりつまらないでしょ?
缶カラ三線なら音大きくないですよ」
ってなことで・・・つい(笑)
おもちゃのような缶カラ三線だけれども
実は悲しく辛い歴史がある。
以下は沖縄の三線屋さんのweb頁からの引用
☆ ☆ ☆ ☆
終戦直後、沖縄は、焼け野原になりました。
捕虜収容所の中から生れたカンカラ三線は、
沖縄三線の代用として愛用されました。
その当時のカンカラ三線は、
米軍支給の缶詰の空缶と
ありあわせの棒切れ(折りたたみ式のベットの棹)を棹にし
パラシュートのひもを絃に使用しました。
人々は、戦後の心境を歌に託し、
過酷な境遇に耐えたシベリア抑留の県民も
カンカラ三線を弾きながら引き揚げの日を待ったという。
人々は戦後、悲しみと戦いの終わった安堵が折りなす中で
希望を見つけようとした時代、
みんな集まっては、カンカラ三線で歌い悲しみ、寂しさをわすれ
「平和の世」を願い新しい時代へゼロから出発しました。
☆ ☆ ☆ ☆
平和な時代を噛み締めながら
ひとりの部屋で時々爪弾いてみよう。