風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

主人公の条件

2008-11-19 | 風屋日記
先週、仕事の関係で脚本家のジェームズ三木さんの講演を聞く機会があった。
正直言って出席したのは仕事のためでほとんど期待はしていなかった。
というより、何年か前のスキャンダルのイメージが強くて
腰が引けたまま参加したというのが本当のところかもしれない。
人間、イメージだけで判断してはいけない。
とても良い話で、最初から最後まで我が意を得たり!!と
思わず膝を打つという内容だった。

まずは「相手に物事を伝えるときは相手の身になるべし」との話。
話し言葉では相手に25%しか言いたいことが伝わらず
書いたものでも50%しか伝わらないのだとか。
それはほとんどの場合表現に問題があるのだという。
「相手の立場でもう一度見直すことが必要です」との話。
例えば、日本は長い歴史の中でアジアの他国に占領されたことがない。
一方で朝鮮半島や台湾、あるいは中国の一部を占領し、
あちらこちらたくさんの国の領土を戦場にしてきた。
「『なぜ日本だけが各国から責められるのか』という論調を見かけるが
 相手の国にしてみれば一方的に蹂躙されたのだから当たり前。
 私はことさら北朝鮮の肩を持つつもりは毛頭ないが
 北朝鮮や韓国、中国の立場に立って客観的に日本を省みないと外交なんて無理」
というのが三木さんの論旨だった。その通り!!
「病院に行った時、受付のところに張り紙があり
 『お小水はこちらへ』と書いてあるのを見てびっくりした(笑)
 これも読む人の立場に立って書いていない。
 『お小水のカップはこちらに』と書くだけで理解してもらいやすくなる」
には「なるほど」と思いつつも大爆笑。

当日の三木さんのメインテーマは「主人公の条件」というもの。
ドラマや映画に登場する主人公の人物像には一定の条件があるというのだ。
ひとつは「トラブル解決能力」、もうひとつは「人生を持っていること」。

人間が社会の中で生きていくというのはトラブルだらけ。
人間関係も、勉強も、仕事も大きなトラブルだ。
そして人は成長していく中でそれらのトラブルを解決していく経験を通し
徐々に解決方法を身につけて大人になっていくという。
ところが今の親達はその貴重な経験を子どもから取り上げている。
親が友人を選び、自分で勉強方法を身につける前に塾で受動的な勉強をさせ、
学校で自らクリアしていかなければならない困難な状況には
親が学校に怒鳴り込んで(あるいは直接教委に訴えて)解決してしまう。
トラブルをどれだけたくさん解決したかがその人の価値となるはずなのに
ほとんど解決経験がないまま年齢だけ重ねている若者のなんと多いことか。
将来の日本を考える時、高齢化社会以上の大問題だ・・・とのこと。
まして「偏差値」なーんていう、たったひとつのトラブル解決能力の
しかも一部分だけを取り上げて人間を評価するなどナンセンス。
どうせ評価するなら解決したトラブルの数を評価すべきだという。

そして人が生きていく上で「人生を持つ」ことも重要と言っていた。
目の前、足下の「生活」ではなく、広く、高い視野の「人生」。
例えば「たくさん金を儲けたい」というのは単なる生活でしかない。
金を儲けて何をするか・・・というのが人生。
ところが今は金儲けそのものが目的となってしまっているところが問題。
そうなると人は歩むべき方向性を見失ってしまう・・・とのこと。

どちらについても私も全く同意見。
私がこれまで書いてきた「哲学」を三木さんは「人生」と表現した。
三木さんの話を聞いて勇気ももらった。
「平和憲法なんてのは理想主義。他国から攻め込まれたらどうするのだ?」
という声が多数派を占めてきつつあるこの時代、
攻められて反撃した後の我々はどうすべきかがそこには語られていない。
可能性レベルの対処方法という「生活」を語るのではなく
カントのように堂々と「地球上からあらゆる戦争を無くしたい」と
人生(哲学)を持っていてもいいのだな。
コメント (2)
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