世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

唯一の山城遺構の麓の高梁は土蔵造りの武家屋敷や商家に加えて明治の木造洋館が残っています

2018-04-01 08:00:00 | 日本の町並み
 信長の作った安土城は石垣が残るのみで、ふもとには当時の城下町は無くなってしまいいましたが、その後に土蔵や格子の町並みができていました。安土城は安土山の頂上に作られた山城でしたが、天守が現存する12の城のうち山城は唯一、備中高松城です。今回は、高松城の麓の高梁を紹介します。

 高梁は、岡山県の中部、岡山市の北西50kmほど、倉敷からJR伯備線で備中高梁駅まで40~50分ほどの距離になります。備中高松城は駅の北2kmほどにそびえる標高430mの臥牛山に本丸が作られ、現在は天守、二重櫓などが重文に指定されています。古い街並みは、高梁駅から備中高松城に向かって800mほど北にある紺屋川の周辺から、北に500mほど範囲で伯備線の両側に丘の麓の西側に沿って残っています。

 
 
 紺屋川の手前には、明治時代に建てられて昭和47年まで現役の小学校の校舎として使われていた建物が郷土資料館として残されています。下見板張りの2階建てで、なかなか」立派な建物です。そして川沿いの伯備線の線路に近い方には、やはり明治の木造建築の高梁基督教会堂が建っています。岡山県で現存する最古の教会堂で、バルコニーと塔屋を持つ、なかなか優雅な建物です。一方、高梁川に近い方には、川沿いに土蔵造りや格子の美しい商家の建物が連なっています。

 
 
 紺屋側を渡って北に300mほど行くと、昭和37年まで醤油屋さんであった池上邸が商家資料館として保存されています。さらに北へ、高下川沿いに東に線路を越えて南に行ったあたりが武家屋敷の遺構が連なる町並みです。萩や松江の町並みを歩いているような雰囲気ですが、こちらは観光客の姿は見かけません。この通りをさらに南下すると、小堀遠州の作った庭がある頼久寺があり遠州の作庭中の最高傑作のひとつと言われています。江戸初期に備中高松藩の藩主であった遠州が、備中兵乱で高松城が荒廃していたために頼久寺を仮のの居所とした折の作庭だそうです。


 小堀遠州は、高松藩主としてだけでなく駿府城修復や数々の寺社の修復、造営を手掛けた作治奉行として活躍をしています。数々の著名な庭園も作治奉行の業績の一環です。これらの公の顔の他に、茶道の遠州流の開祖としてだけでなく、華道や七宝など幅広い文化人としての顔を持つマルチな人物だったようです。上野の博物館の庭園には、遠州が建てた転合庵が移築されて建っており、これは小さな茶入れを収めるための大きな入れ物と評されています。八条の宮から賜った「於大名」という小さな茶入れのお披露目のためにだけ、茶室を新築してしまったそうです。マルチといえば、現在のパソコンはマルチメディアを標ぼうして、1台のパソコンで音声や映像の処理まで、色々なメディア情報を扱うようになりました。かつては、フロッピーディスクが扱えるだけでマルチメィア・パソコンと言われましたが、意味合いが広く、変わってきたようです。遠州のマルチさは、パソコンのマルチメディアを超越しているのかもしれません。


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