世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

高速道路や国道などが通り抜けていても町は静かに取り残されたかのような亀山です

2010-09-19 08:00:00 | 日本の町並み
 かつては三州街道の起点の宿場町として、現在は中央線や篠ノ井線などの接続点として交通の要の都市の塩尻の東にそびえる塩嶺峠にトンネルを作ることで中央緯は随分とショートカットできました。峠の障害が無くとも、三角形の二辺を迂回するような路線は、あちこちに残っているようですが、関西本線の河原田と紀勢本線の津の間ではJR本体ではなく三セクの伊勢鉄道がショートカットの役割を果たしています。今回は、JRのみに乗車すると遠回りの三角形の頂点に位置する駅がある亀山を紹介します。

  亀山は三重県の北部にあって、亀山城を擁する城下町として、東海道を西に鈴鹿越えの手前の宿場町として発展した町です。宿場町の遺構としては、一つ先の関宿に旧街道沿いの長い街並みが残されていて有名ですが、亀山は城下町の名残の面的な広がりのある町並みが残されています。城跡や古い町並みが残るのは、亀山駅から北に車の流れが絶えない東海道を陸橋で越えて少し坂を上ったあたりです。国道の喧騒がうそのように静かなのですが、人が少なく、なんだか取り残されたような感じのする街並みです。古い町並みは関宿に比べると規模が小さく、土蔵造りに黒板壁商家らしい建物が数軒残されているのみです。このあたりには、お寺や道端の石仏があったりで、関宿にはない風景も広がっています。
 
お城は、坂を上りきった左手に櫓と石垣の遺構が残るのみで、胡蝶城と呼ばれ優雅なお城であったそうですが、現状はちょっと地味です。

 亀山城跡の手前の道端に、かなり巨大で目立つ石碑が建っています。文面を見ると石井兄弟敵討跡遺跡とあります。敵討ちは曽我兄弟のものが有名で、歌舞伎にも取り上げられているのですが、亀山の石井兄弟の敵討ちというのはなじみがありません。調べてみると、江戸中期の1701年に石井兄弟が父の敵を討った場所で、兄弟は元禄曽我兄弟と称され歌舞伎や講談に取り上げられたのだそうです。ただ、敵討ちは、討たれた敵役の子供が敵討ちを、という敵討ち連鎖を生む素地を持つわけで、歌舞伎などでもてはやされますが、褒められた行為ではないように思います。



 ところで、カメヤマと聞くと何を連想されるでしょうか?年配の方々はカメヤマローソクを思い浮かべられることでしょうし、若い方々はシャープの液晶の製造拠点と考えるでしょうか。カメヤマは、1920年代に亀山で発足したローソクの製造メーカで、日本はもとより世界的に有数のキャンドルメーカです。かつてローソクというと仏事に使うイメージでしたが、アロマキャンドルや結婚式のキャンドルサ-ビスなど随分とイメージを変えた立役者もカメヤマ名のだそうです。一方の液晶は、出現した当時は寿命が短くって、応答速度も遅く、まさかカラーテレビに応用されるとは思いもよりませんでした。ところが、現在では、薄型テレビの代名詞のようになり、ほとんどのディスプレイが液晶で作られるようになってしまいました。ローソクも液晶も光を演出する道具の一つという共通項を持っているところが面白いですね。

 亀山は中京圏と関西圏を結ぶ高速道路のうち、新名神高速道路の起点にもなっています。従来の名神高速道路では米原まで北上するので遠回りのうえ、冬には雪に悩まされていましたが、新名神はこれらの問題を解決して、名古屋からほぼ真西に伸びて草津へバイパスしています。東京と大阪を結ぶ高速バスも新名神を経由して時間短縮を図っているようです。しかし、これだけ高速の通信網が整備されて、優れたIT機器を使って離れていても瞬時に情報の交換ができる国でありながら、1編成で1,000人以上を運ぶ新幹線が5~6分おきに発車し、何本ものバイパスがある高速道路も渋滞続きなのはなぜなのでしょうか。


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