世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

長崎街道の宿場町の塩田津は流通拠点としても栄えた名残の白壁の続く街並みです

2017-06-18 08:00:00 | 日本の町並み
 家屋の中に土蔵造りの内蔵と呼ばれる居住空間のある街並みが空き家県の増田でした。外部から見える町並みは、内蔵の鞘堂的なもので、白漆喰の土蔵造りはあまり見当たりません。一方、白漆喰の土蔵が住居として使われる居倉造りは、白い漆喰の家並が並ぶ町並みとなります。このような居倉造りの町並みの中から、今回は佐賀県の塩田津を紹介します。

 
 
 
 塩田津は、佐賀県嬉野市の一部で、嬉野温泉の東、武雄温泉の南に位置しますが温泉は湧いていないようです。ちょうど両温泉への道路が分岐するあたりになります。塩田津は、長崎街道の宿場町の一つですが、有明海に注ぐ塩田川の水運を利用した流通拠点としても栄えました。かつての物流拠点も、現在は佐世保線の武雄温泉駅か長崎本線の鹿島からバスということになりますが、かつての塩田には2つの鉄道がありました。一つは祐徳稲荷を起点として鹿島、塩田を経由して武雄温泉に至るもので、明治の末に開通しています。当初は馬車鉄道でしたが、後に蒸気機関車化され昭和に廃止されたようです。もう一つは、塩田と嬉野温泉を結ぶもので、大正末期に開通し電車が走りましたが、こちらも昭和初期に廃止されています。

 
 
 古い町並みが残るのは、嬉野市役所の西側に武雄温泉に延びる道路あり、その道路に沿った塩田川の支流の対岸になります。およそ300mほどの道の両側には、ずらりと白壁の土蔵造りのいえば並んでいます。街灯の支柱は建てられていますが、無電柱化により景色がすっきりしています。うだつの上がる町並みとして有名になった美濃関も無電柱化がなされ、景色も似ているように思います。ただ、美濃関の町並みは格子が目立つ茶色の世界で、塩田は白とこげ茶のの世界です。

 現在残る、居倉造りの町並みは、江戸時代からの豪商の住まいの名残で、奥に長い家屋の裏側は塩田川に面しているものも多いようです。その中の一つの西岡家は重文で、川に面した塀は道路側とは好対照の地路のモザイク模様でした。川に降りる階段のことをタナジと呼ぶそうですが、その名残の石段のそばには一羽のサギがとまっていました。

 
 
 街並みの北西側は、なだらかな里山があって、その麓にはいくつかのお寺が建っています。立傳寺は、街並みの東端あたり30段ほどの石段を上った先に本堂があり、16世紀末の創建だそうです。本応寺は町並みの中央あたりを、北西に少し入った里山の高台に建っています。やはり16世紀末の創建で、藩の本陣としても利用され、茶室のある書院が残されてます。山門の両側に立つ塩田石を使った仁王像は18世紀のもので、ちょっとコミカルな姿をしています。この塩田石というのは、塩田で40年ほど前まで掘られていた安山岩で、町並み交流集会所のそばに見本が置かれていました。この塩田石は、コンクリートの2倍の強度があるのだそうです。

 かつて塩田津を通っていたという馬車鉄道ですが、日本最初のものは1882年(明治15年)に新橋と日本橋との間に開通したのが最初です。レールの上を走る馬車は、摩擦が少ないので通常の馬車より大きな車両が使え、でこぼこも無いので乗り心地も良かったそうです。排気ガスを出さない環境にやさしいかもしれなかった乗り物でしたが、排ガスならぬ排泄物の始末が大変との理由もあって、廃止や電車に取り換えられたようです。現在でも観光地に行くと、馬車や牛車を見かけますが、移動手段としてはともかく、町の景色の一部として溶け込んでいるように思います。ただ、次の馬車が来るまでの時間を表示するバスロケならぬ馬車ロケは備えられてないでしょうが。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。