世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

増田の内蔵は、鞘堂のように家の中に蔵がすっぽり収まっていて、中には茶室までありました

2017-06-04 08:00:00 | 日本の町並み
 大陸への窓口として大和朝廷の出先機関として作られたのが大宰府でした。大宰府への転勤は都から遠く離れた僻地ということもあり、はっきり言って左遷でした。菅原道真も藤原氏との権力闘争に負けて大宰府に左遷されましたが、道真は大宰府政庁には一度も登庁しなかったそうです。一方、北の方で藤原氏(奥州藤原氏)の権力が確立したのが後三年の役でした。奥羽本線には古戦場の近くの、横手駅の北に後三年という駅も残ります。今回は、その後三年の古戦場に近い横手市の増田の町並みを紹介します。

 
 
 
 
 増田は、奥羽本線の湯沢駅と横手駅との中間にある十文字駅から東にバスで5分ほどの場所で、現在は横手市の一部ですが、合併前は独立の町でした。江戸時代から流通の拠点として栄え、14世紀には17世紀初頭までは城もあったようです。明治以降は、流通拠点としてだけでなく酒造業が盛んになりました。妻入りの間口の狭い家並が続きますが、奥行きはその10倍にも達します。京都の町家は「うなぎの寝床」と称されますが、遥かにそれを超越しているようです。100mほどの間隔で南北に並行する道路がありますが、その両側に面している家も珍しくありません。その中に石田理吉家があり、秋田でも珍しい木造三階建が塀の向こうににょっきりと建っています。貴重な材木をふんだんに使った贅沢な家屋ですが、三界にした理由は、三階から見える増田の花火大会で客人をもてなすためであったとか。


 
 
 増田の特徴は、この奥に長い母屋の中に、内蔵と呼ばれる土蔵があることです。もちろん家屋の中にある蔵ですから、土足禁止で、什器や書物の保管のためや居住空間として使われました。なかには、蔵の中に茶室が作られている蔵もあります。この茶室のある蔵の一つは佐藤養助漆蔵資料館で、こちらでは秋田名物の稲庭うどんを食べることもできます。このような内蔵のある街並みが他にない特徴のため重要伝統的建物群保存地区(重伝建)に指定されています。

 
 変わったところでは、町並みから少し外れたところに増田まんが美術館があります。現在はリニューアルのために閉館中ですが、田んぼの中の特異な形の建物は、ちょっと寄り道をして建物の外観だけでも見る価値がありそうです。この美術館は、増田が釣りキチ三平の作者の矢口高雄の故郷だからなのだそうです。


 増田の花火大会は成瀬川のの河原で9月中旬に開催されるようです。二尺玉の早打ちで迫力があるのが魅力だそうです。最近の花火大会は、音楽に合わせるなど凝った演出が盛んになり、人手で打ち上げるのが難しくなり、現在では、およそ20%くらいの花火大会がコンピュータ制御になっているそうです。コンピュータ制御になって、音楽に合わせて安くはなりましたが、事前の準備が、従来の3倍もかかるのだそうです。それは、コンピュータと打ち上げ筒との間を1本1本線で結ばなければならず、その数が膨大で、チェックも大変だとか。ただ、微妙なタイミングの調整は職人さんの感なのだそうです。


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