魚ん棚の魚屋の商店街の近くには源氏物語の「明石」の帖の舞台であったという小道が残っているのが明石でした。源氏物語は、皇室を舞台とした大長編小説ですが、平安時代から連綿と続く皇室の住まいは京都御所で、京都の人に言わせると東京の皇居は御所ではないので仮住まいとも言われるようです。今回は、この京都御所を中心に紹介します。
現在の御所は、東西を烏丸通と寺町通りの間の700mと南北を今出川通りと丸太町通りに挟まれた1.3kmで囲まれた京都御苑の中心にあります。現在の御所の位置は14世紀(室町時代)頃からのもので、紫式部の生きた平安時代には、もっと西の今出川通りに面していたそうです。京都御苑は、天皇家を取り巻く公家屋敷が建ち並んでいた場所で、明治と共に天皇に連れだって東京に引っ越し、現在のような広大な公園が残ったわけです。
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京都御苑と通りを隔てて北に残る上冷泉家は、これらの公家屋敷の唯一の名残かもしれません。現在の御苑内には、京都御所の他に2004年に開館した京都迎賓館や、仙堂御所、京都大宮御所があり残りはテニスコートなどの公園になっています。このうち京都御所は、京都御苑のおよそ1割ほどの広さで、周りを築地塀で囲まれています。
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かつての京都御所は、春と秋の一般公開以外は事前の申し込みが必要でした。桂離宮や修学院離宮ほど敷居は高くはありませんでしたが、皇居の東御苑と同じような状況になって身近になりました。参観は建物を外部から眺めながら順路に沿って一巡するので、内部は廊下越しなどで見える範囲だけです。建物の中心は紫宸殿で、天皇関連の儀式が行われた御所の正殿です。建物の前には、左近の桜と右近の橘が植わっていて、お雛様飾りと同じです。この左右は逆のように感じますが、これは紫宸殿に居る天皇から見ての左右で、建物に向かってではないからです。これと同じことが、左京区と右京区で、現代の地図は北を上にして描かれるので東山の方が右京のように思います。ところが、これも南面している天皇から見ての左右で、東山の方が左京になります。
紫宸殿以外にも、清涼殿、春興殿、小御所、御学問所、御常御殿などの建物を参観できます。
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清涼殿の前には桜と橘ではなく、呉竹(くれたけ)と漢竹(かわたけ)と2種類の竹が植えられ、こちらも中国のしきたりに沿っているのだそうです。
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小御所と御学問所の間には蹴鞠の庭があり、前方には池泉式庭園の御池庭があります。
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さらに、その北の御常御殿の前には小ぶりの御内庭がります。御池庭の池には州浜があり、開放的な感じがしますが、御内庭の方は、木が多くて雰囲気が全く違います。
左京区と右京区とが現在の常識とは逆になっていますが、北を上にして地図を描くのは16世紀ごろから既成事実になったようです。これにはいろいろな理由があるそうで、2世紀に活躍したギリシャのプトレマイオスに起源があるとか、北極星が天測に利用されたからとか・・・。地図を見ながら、目的地に行けるのは、日本人以外には難しいようで、外国でタクシードライバに地図を渡して目的地を指示しても、無理だそうです。ただ、地図を片手に散歩をするときには、常に北を上にして持つより、現場の方位に合わせた方が直観的です。自動車のナビゲータも、車の進行方向を上に表示するようになっています。GPS利用のスマホの地図も、表示を回転できますが、頼りすぎると日本人も地図をみて目的地に行けなくなるかもしれません。
現在の御所は、東西を烏丸通と寺町通りの間の700mと南北を今出川通りと丸太町通りに挟まれた1.3kmで囲まれた京都御苑の中心にあります。現在の御所の位置は14世紀(室町時代)頃からのもので、紫式部の生きた平安時代には、もっと西の今出川通りに面していたそうです。京都御苑は、天皇家を取り巻く公家屋敷が建ち並んでいた場所で、明治と共に天皇に連れだって東京に引っ越し、現在のような広大な公園が残ったわけです。
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京都御苑と通りを隔てて北に残る上冷泉家は、これらの公家屋敷の唯一の名残かもしれません。現在の御苑内には、京都御所の他に2004年に開館した京都迎賓館や、仙堂御所、京都大宮御所があり残りはテニスコートなどの公園になっています。このうち京都御所は、京都御苑のおよそ1割ほどの広さで、周りを築地塀で囲まれています。
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かつての京都御所は、春と秋の一般公開以外は事前の申し込みが必要でした。桂離宮や修学院離宮ほど敷居は高くはありませんでしたが、皇居の東御苑と同じような状況になって身近になりました。参観は建物を外部から眺めながら順路に沿って一巡するので、内部は廊下越しなどで見える範囲だけです。建物の中心は紫宸殿で、天皇関連の儀式が行われた御所の正殿です。建物の前には、左近の桜と右近の橘が植わっていて、お雛様飾りと同じです。この左右は逆のように感じますが、これは紫宸殿に居る天皇から見ての左右で、建物に向かってではないからです。これと同じことが、左京区と右京区で、現代の地図は北を上にして描かれるので東山の方が右京のように思います。ところが、これも南面している天皇から見ての左右で、東山の方が左京になります。
紫宸殿以外にも、清涼殿、春興殿、小御所、御学問所、御常御殿などの建物を参観できます。
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清涼殿の前には桜と橘ではなく、呉竹(くれたけ)と漢竹(かわたけ)と2種類の竹が植えられ、こちらも中国のしきたりに沿っているのだそうです。
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小御所と御学問所の間には蹴鞠の庭があり、前方には池泉式庭園の御池庭があります。
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さらに、その北の御常御殿の前には小ぶりの御内庭がります。御池庭の池には州浜があり、開放的な感じがしますが、御内庭の方は、木が多くて雰囲気が全く違います。
左京区と右京区とが現在の常識とは逆になっていますが、北を上にして地図を描くのは16世紀ごろから既成事実になったようです。これにはいろいろな理由があるそうで、2世紀に活躍したギリシャのプトレマイオスに起源があるとか、北極星が天測に利用されたからとか・・・。地図を見ながら、目的地に行けるのは、日本人以外には難しいようで、外国でタクシードライバに地図を渡して目的地を指示しても、無理だそうです。ただ、地図を片手に散歩をするときには、常に北を上にして持つより、現場の方位に合わせた方が直観的です。自動車のナビゲータも、車の進行方向を上に表示するようになっています。GPS利用のスマホの地図も、表示を回転できますが、頼りすぎると日本人も地図をみて目的地に行けなくなるかもしれません。