世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

土蔵造りや下見板張りの洋館などがぎゅっと詰まって同居する懐かしい町並みの栃木

2010-06-13 08:00:00 | 日本の町並み
 洋風の学校建築の中で明治初期に建設され現存最古の旧中込学校は長野県の都会から遠く離れた佐久市にありましたが、明治から昭和初期までに建設された洋館の学校建築は、かなりの数が残されています。旧中込学校のような小学校の校舎から、慶応や同志社などの大学までさまざまなものが全国に散らばっています。今回は、旧中込学校と同じように木造洋館の学校建築で明治末期に建てられた旧栃木中学(現在の栃木高校)の記念図書館を初め、栃木市役所など町中に気持ちを和ませる和風や洋風の古くてモダンな建物が散らばっている栃木市を紹介します。

 栃木市は栃木県の南端に位置して、現在は一地方都市なのですが、かつては明治初期の廃藩置県により誕生した栃木県の県庁所在地でした。大正時代に建てられ塔屋を持つしゃれた木造洋館の栃木市役所は現在も現役の役所の別館として使われていますが、この場所がかつての栃木県庁があった一郭なのです。表向きの理由は、合併によって県域が北に広がり、件の南端の栃木市では南に偏りすぎて不便ということにより、県の中央部の宇都宮に移されたことになっています。しかし、当時の県令(現在の県知事)が、自由民権運動の拠点であった栃木を避けた、というのが真相であろうと言われています。県の名前と同じ名称の市が存在するにもかかわらず、県庁所在地ではないという唯一の例となってしまいました。(山梨市も県庁所在地ではない都市ですが、町村合併によって1954年に新たに誕生した都市です) 県庁が引っ越したおかげで雰囲気の良い町並みが保存されたのかもしれません。

  
 栃木は、中心部を流れる巴波川(うずまがわ)を利用した江戸との舟運により栄えた商都であり、日光への例幣使街道の宿場町としても賑わいを持った町です。巴波川沿を中心に、多くの白壁や石壁の蔵や板壁と屋根瓦が美しい商家が残されており、川越、佐原とともに小江戸と呼ばれています。秋から冬に掛けての「うずま冬ほたるキラフェス」では、巴波川に沿って3万個のLEDで飾り付けられ、昼間とは違う幻想的な風景が浮かび上がります。

 巴波川沿いの町並みは、日本的な白と黒それに茶色の世界なのですが、市役所別館の建つあたりは洋風のカラフルな世界です。市役所や旧栃木中学記念図書館は、かつて県庁が建っていてこれを取り囲むようにして掘られた県庁掘りと呼ばれる水路に囲まれた中に建っています。県庁掘りの少し北にある栃木病院の建物も2階のバルコニーやしゃれたファサードが素敵です。これらの木造洋館は、緑やクリーム色のペンキの塗られた下見板張りで、横浜や神戸などの異人館の雰囲気です。
 

 一方、例幣使街道に沿った町並みには、代官屋敷跡や土蔵造りの商店があるかと思うと、市役所などの洋館とは趣の違う白壁にレトロな窓を持つ昭和初期の洋館かと思われる建物も混じっています。さらには、昔ながらの商店や理髪店など、どこか懐かしい街並みが続いています。栃木は、古い日本家屋の町並みと、異人館風やレトロな洋館が、狭い範囲に隣接している珍しい町なのかもしれません。


 
 明治の初期には、交通も通信も不便だったので、県庁所在地が県の中心から偏っている、ということを理由に県庁を引越しできたのでしょうか。宇都宮と栃木の移動時間が1時間程度の現在では、この理由は通りにくそうです。交通だけでなく、役所のサービスも通信を使えば、役所の場所を意識させないようになってきています。コンビニで住民票などを受け取ることができたり、電子承認を使えば、申請もWebから可能になってきています。このようなことが進むと、役所はサーバーの中に存在するのみで、地球上のどこに置かれていてもいいようになるかもしれません。


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