世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

教科書に載っている絵が無造作に飾られていたり、彫刻の巨大さに驚いたりのフィレンツェです(イタリア)

2010-06-20 08:00:00 | 世界遺産
 新大陸から得られる莫大な富により、金に糸目を付けずに作られた修道院がポルトガルのジェロニモス修道院でしたが、メディチ家による莫大な金融業収入などにより、ルネッサンスの文化が花開いた都市がフィレンツェです。今回は、メディチ家の残した文化財で、町中が屋根の無い博物館のような様子を紹介します。ただ、筆者が訪れたのは20年ほども昔なので、交通事情などは随分と変わっているようです。ただ、ルネッサンスから受け継がれてきた多くの文化財は、それまでと同じように変わらず町中にあふれているでしょう。当時に廻った場所を、古い記憶を呼び戻して紹介します。

 フィレンツェはローマから北に列車で2時間足らずの、イタリア半島の背骨のような位置にあります。歴史地区は東西と南北とが2kmに満たない場所に、美術館や博物館、宮殿に教会、それも世界的に著名な建物群が集中して建っています。場所的には集中していて、移動には時間はかからないのですが、何しろ見所ばかりなので見学には時間がかかります。これを2/3日程度で廻ろうとした筆者は、ちょっと無謀だったかもしれません。前日の夕刻にオーストリアのウィーンから夜行列車に乗り、朝早くにフィレンツェの駅に到着し、夕刻にはローマに移動するというスケジュールで駆け抜けてしまったのでした。

 
 美術館は、アカデミア、バルジェロそれにウフィツィ美術館に入ったように思います。最初に入ったアカデミア美術館では、ダビデ像の5mを超える巨大さにびっくりしました。もともとはヴェッキオ宮殿の入り口の屋外に置かれていたものですから大きくなければ存在感がなかったのかもしれません。19世紀の後半に風雨による大理石の劣化を防ぐなどの理由から現在の場所に移されたそうで、元の場所にはレプリカが置かれています。バルジェロ美術館は、ドナティッロのダビデ像などに加えて、サン・ジョバンニ洗礼堂にある天国の門にはめ込まれたレリーフの見本も間近で見ることができます。そして、最大の美術館がウフィツィ美術館で、展示物をすべて見て廻れば、一日かけても廻りきれないのではないかと思います。限られた時間では、どうしても教科書に載っているような有名な絵をピックアップして廻ることになりますが、これらの絵がけっこう無造作に飾られています。とにかく、ボッティチェリの春やヴィーナスの誕生など、その1点と少しの付属の絵を組み合わせれば、日本で特別展が開けそうな有名な絵ばかりですが、特別扱いしていたらきりがないのでしょう。

 宮殿は、ヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿に張ったような記憶ですが、印象に残っているのはピッティ宮殿のグロッタです。洞窟風の空間で、内部には人口の池があります。入り口の上部には少々装飾過剰気味の彫刻がなされており、人工池にも正体不明の彫像が浮かんでいます。このグロッタがグロテスクの語源だとのことですが、人工池の奥に立っていたマリア像が、グロテスクというより清楚な感じがしました。
 

 フィレンツェの観光写真というと必ず登場するのがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂です。大聖堂、鐘楼それに洗礼堂の3つの建物がありますが、中心となる大聖堂は15世紀初頭に建てられた時には世界最大のドームであったそうです。この巨大なドームを、建設途中にドームを支えるための仮枠を作らないで組み上げた建築技術は、すばらしいものだったのだそうです。洗礼堂の東側の扉の天国の門のレリーフについては、バルジェロ美術館のところで紹介しましたが、ロダンの未完の大作であり、考える人もその構成要素となっている地獄の門は、この天国の門にならって製作されたものです。地獄の門は、上野の西洋美術館の前庭にもありますが、こちらはブロンズの黒っぽい一色です。金色に輝く天国の門とは随分と印象が違い、まさしく、天国と地獄ほどの差なのでしょうか。
 

 フィレンツェの中央駅もローマのテルミニ駅も頭端式のホームを持つ駅です。頭端式のホームとは、ホームの端が行き止まりになっている構造で、行き止まり側ではホームがつながっているので、ホーム間を移動するのは階段を上り下りする必要がないので便利な構造です。日本では上野駅の長距離列車のホームや、門司港など行き止まりの駅でこの構造が見られますが、比較的少ない構造です。一方、ヨーロッパでは、ほとんどの大都市の駅は頭端式で、その駅が終点ではない列車は、ここで向きを変えて出て行きます。日本にはほとんど無くなってしまった、機関車牽引列車が多いヨーロッパで進行方向を変えるということはかなり面倒なことです。機関車を付け替えるか、最後尾の客車に運転台を付けて、機関車をリモコンで押して走らせる手間が必要です。このような手間をかけても、列車の乗り降りを楽にしたい、という人間優先の考え方が見えるように思います。また、機関車牽引にこだわることも、乗り心地の良さを追求する人間優先につながるのでしょう。ITは、電車の制御や車の制御を効率的にしてきました。エネルギー消費が少なく、加速、減速性能の向上などに寄与していると思います。しかし、合理性や効率を追い求めるあまり、乗り降りが大変で、乗り心地の良くない、人間を運ぶ荷物車を作っていやしないのか?とふと思ったりもします。


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