世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

現在は東京23区に飲み込まれた両国ですが、江戸時代には下総国という隣国で赤穂浪士は国を跨って出かけて行ったのですね

2021-05-09 08:00:00 | 日本の町並み
 前回は泉岳寺から白金までの散歩道を紹介しました。お寺や大学や御所などいろんなポイントのある道筋でしたが、赤穂浪士にまつわる場所がインパクトが大きい気もしました。今回は、その赤穂浪士赤穂が討ち入った(押し込んだ)吉良邸のあった本所松阪町から両国にかけてを紹介します。

 
 
 赤穂浪士が押し込んだ吉良邸は、現在は両国3丁目あたり、JR両国駅の南300mほど京葉道路を越えたところにあり、屋敷跡の一部が本所松坂町公園として残されています。吉良邸のの上屋敷は、公演の6倍ほどの広さがあったそうです。なまこ塀に囲まれた公園内には、供養塔や吉良の首を洗ったという井戸があります。吉良邸から赤穂の菩提寺の泉岳寺までは直線距離でも7~8kmほどありそうですが、彼らは2時間ほどで踏破したそうです。

 

 
 吉良邸跡の西100mほど京葉道路の南側に面して回向院があります。振袖火事の被害者10万人余りを祀ったことに始まり、天才で亡くなった人んど無縁仏などを祀る万人塚があります。さらには犬、猫それに小鳥の供養等もあります。鼠小僧の墓があることでも有名で、墓石が削られるために、墓石とは別に削ってもいい石が置かれてあります。18世紀には境内で勧進相撲が行われ、現在の大相撲の起源となっています。大日本相撲協会によって、力士や年寄りの霊を祀る力塚が建てられていますが、対象が力士ゆえか、他の供養等に比べてかなり巨大な石が使われています。

 
 
 
 
 回向院を北にJR線をの線路を超えると、現在の相撲の聖地である国技館があり、駅前には太湖櫓の高い塔が建っています。また、駅前には力相撲という石像が置かれています。JRの両国駅ですが、筆者が学生の頃には総武線の列車はこの両国駅の地上ホームが始発で、房総半島への旅行は両国駅でした。地上ホームの突き当りの旧駅舎はなかなかきれいな建物ですが、駅舎としての役割は終えて複合飲食施設となっています。
 国技館の東隣には1993年に江戸東京博物館が開館し、高床式の建物は国技館と覇を競っているように見えます。

 
 
 国技館を越えてさらに北に行くと旧安田庭園があります。江戸時代の大名屋敷を、明治期に安田財閥の祖である安田善次郎が購入、死後に東京市に寄贈された汐入回遊式庭園です。周辺の喧騒が嘘のような庭園ですが、庭園の先にビルが見えたりスカイツリーが顔を出したりするのは、都内の庭園の共通でしょうか。筆者が訪問の時には両国公会堂のドーム屋根が見えていましたが、耐震性に問題があって、現在は取り壊され跡には刀剣博物館が建っています。旧安田庭園の北東には横綱公園があり関東大震災の被害者を悼む慰霊堂などが建っています。

 両国という地名は、字の通り隅田川を挟んで武蔵野国と下総国とが接していた場所であったからです。国といってもパスポートコントロールがあったわけではなく、江戸時代には街道の要所にある関所での検問の方が厳しかった陽です。ただ、その頃の通行手形ってどの程度の信頼性があったのか、顔写真も無いころなので簡単に偽造できたのではないでしょうか。かつては事前に指紋登録をして出入国審査でコンピュータによる指紋認証で早くゲートを通過でき便利でしたが、指紋の読み取りに意外とてこずりました。3年ほど前からは顔認証ゲートができ、指紋ではなくパスポートのICチップの写真情報と照合して、ゲート通過ができるようになったようです。どうもこの顔認証は中国での導入の方が早かったようですが、無人のゲートではなく係官の前でカメラに正対させられたような気がします。


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