宇和島は四国に残る4つの平山城の天守のうち最も西に位置して、その城下町には古民家だけではなく大名庭園や擬似洋館も残されていました。この宇和島の姉妹都市の一つに東北の大崎市があり、旧岩出山町との姉妹都市を引き継いだものです。今回は、旧岩出山町ではありませんが、大崎市の一部の旧古川市の町並みを紹介します。
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古川は、東北新幹線で仙台の一つ北、陸羽東線と交差する駅が最寄駅になります。奥州街道と石巻への街道の分岐点の追分の宿場町として発展しました。駅の周辺は再開発が進んでいて、よく見られる地方都市の雰囲気ですが、駅の西北西1kmほど、大崎市役所の南あたりに商家を中心とする古い町並みが残っています。南北の道と直行する川沿いに醸室(かむろ)という建物群があります。江戸後期に建てられた酒蔵を利用した商業施設で、レストランやみやげ物やが並んでいます。観光地に行くと、周辺の雰囲気を壊すド派手な土産物屋にがっかりしますが、醸室のような形は、看板が少々派手ですが、建物の保存にもなり、悪くないようにも思います。
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この醸室の東南隅、道路と川とが交差する地点に諸絶橋の石碑が建っています。これは、平安時代に男女のもつれから都を追われこの地で身投げをしたといわれる場所で、古くから悲恋の歌枕になっているのだそうです。芭蕉も奥の細道で、訪れることはできなかったが、心残りの場所であると述べているようです。石柱が1本建っているだけで無愛想ですが、その後ろに見える柳の木越の醸室の古民家に風情があります。
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醸室から南北の道を南に行くと瑞川寺があります。中世の頃は大きな寺域を持つお寺だったようですが、その後は廃寺となり、近世になって再興された歴史を持ちます。お寺の山門は、古川城の搦手門が移築して改造されていますが、面白いのは、通常は仁王像などがある場所に風神像と雷神像が収まっています。
古川は、わざわざ訪問するほどのインパクトは無さそうでしたが、陸羽東線の鳴子温泉や鳴子峡を訪問する時に、新幹線から乗り換えついでに途中下車をして散歩しても勝のある町並みかもしれません。
風神や雷神は自然現象の原因が解らないころ、災いを引き起こすのは神のせいだと考えて神格化されたもののようです。中国でもその像が古くから見られましたが、わが国では神としては古くから祭られたものの、像として作られたのは比較的新しいそうです。雷神は、フランクリンの凧によって囚われの身になりましたが、現在でも、空には雷神で暴れているのではないかと思うようなことも多いものです。人間の感覚器官で認識できない現象は、原因の発見が遅れ、その代表格が電磁気関連の物理現象ではないでしょうか。霊の存在も、現状では認識できる技術が存在しないだけ、と考える人々の中には電磁気を専門とする人が多いのもそのせいかもしれません。
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古川は、東北新幹線で仙台の一つ北、陸羽東線と交差する駅が最寄駅になります。奥州街道と石巻への街道の分岐点の追分の宿場町として発展しました。駅の周辺は再開発が進んでいて、よく見られる地方都市の雰囲気ですが、駅の西北西1kmほど、大崎市役所の南あたりに商家を中心とする古い町並みが残っています。南北の道と直行する川沿いに醸室(かむろ)という建物群があります。江戸後期に建てられた酒蔵を利用した商業施設で、レストランやみやげ物やが並んでいます。観光地に行くと、周辺の雰囲気を壊すド派手な土産物屋にがっかりしますが、醸室のような形は、看板が少々派手ですが、建物の保存にもなり、悪くないようにも思います。
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この醸室の東南隅、道路と川とが交差する地点に諸絶橋の石碑が建っています。これは、平安時代に男女のもつれから都を追われこの地で身投げをしたといわれる場所で、古くから悲恋の歌枕になっているのだそうです。芭蕉も奥の細道で、訪れることはできなかったが、心残りの場所であると述べているようです。石柱が1本建っているだけで無愛想ですが、その後ろに見える柳の木越の醸室の古民家に風情があります。
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醸室から南北の道を南に行くと瑞川寺があります。中世の頃は大きな寺域を持つお寺だったようですが、その後は廃寺となり、近世になって再興された歴史を持ちます。お寺の山門は、古川城の搦手門が移築して改造されていますが、面白いのは、通常は仁王像などがある場所に風神像と雷神像が収まっています。
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風神や雷神は自然現象の原因が解らないころ、災いを引き起こすのは神のせいだと考えて神格化されたもののようです。中国でもその像が古くから見られましたが、わが国では神としては古くから祭られたものの、像として作られたのは比較的新しいそうです。雷神は、フランクリンの凧によって囚われの身になりましたが、現在でも、空には雷神で暴れているのではないかと思うようなことも多いものです。人間の感覚器官で認識できない現象は、原因の発見が遅れ、その代表格が電磁気関連の物理現象ではないでしょうか。霊の存在も、現状では認識できる技術が存在しないだけ、と考える人々の中には電磁気を専門とする人が多いのもそのせいかもしれません。