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世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

湯島天神の北側には、数少ないコンドル設計の遺構の一つ旧岩崎邸が軽やかな姿を見せています

2011-03-13 08:00:00 | 日本の町並み
 旧東海道で唯一の海路であった七里の渡しの遺構のある宿場町に、東京にもほとんど残っていないジョサイア・コンドル設計の洋館が残されているのが桑名でしたが、そのコンドルが設計し7棟が現存するのみの洋館の中で、数少ない遺構の一つが湯島にある旧岩崎邸です。今回は、台東区西端の旧岩崎邸の周辺から文京区の湯島周辺にかけての町並みを紹介します。

 

 旧岩崎邸は、三菱創始者の岩崎弥太郎が購入した土地に長男で財閥3代の久弥により1896年に建てられ茅町本邸として使われました。戦後はGHQに接収された後、国有財産となり、司法研修所の用地としても使われましたが、現在は都の管理の公園となっています。コンドル設計の洋館の他に、撞球室と和館の大広間が重要文化財となっています。国有財産となった時に、その用地が売却や転用されて狭くなったそうですが、洋館の前には芝生の庭園が、和館の前には日本庭園が広がっていて、かつてはどれほど広かったのだろうと思います。

  
 コンドル設計の洋館の北側になる入り口の前庭にはやしの木が植えられていて、東南アジアのコロニアル建築を見ているような感じを受けます。南側の芝生の庭のほうにはさしたる樹木は無く、庭に面して1階2階ともに列柱の連なるベランダが開放的です。内部は、都の管理となるときに補修が行われて、特に凹凸の模様がある壁紙は見ごたえのある見事さです。ヨーロッパの革製の壁紙を和紙で模したそうで、修理のときに一度途絶えた技術を復元して製作されたそうです。

 旧岩崎邸は台東区の西端で、岩崎邸だけが文京区に割り込んだような形で南北ともに文京区になり、春日通を挟んだ南側の文京区には湯島天満宮があります。湯島天満宮は5世紀に創建されたという歴史を持っていて、14世紀に菅原道真を合祀して天満宮と呼ばれるようになったそうです。どちらの天満宮も、学問の神様として受験生のお参りと合格祈願の絵馬であふれていますが、首都圏の天満宮ゆえその数も別格のようです。道真が左遷された大宰府にある天満宮の境内には、道真を慕って京都から飛来したという飛び梅がありますが、天満宮といえば梅がつきもののようで、湯島も梅の名所となっているようです。

 湯島天満宮の裏から春日通を本郷三丁目駅に向けて歩くと、右手に麟祥院(りんしょういん)があります。臨済宗のなんども無いようなお寺ですが、三代将軍家光の乳母であった春日野局の菩提寺として有名で、さすがに都心としては広い境内を擁しているようです。かつて井上了以が、その境内を借りて東洋大学の前身の私塾「哲学館」を開いた所でもあり、東洋大学発祥の地の石碑もあります。中野の住民としては、区内にある哲学堂を作った井上了以ということから親近感を覚えます。

 春日通をさらに西に進むと、今度は通りの左手に存在感のある教会が見えてきます。本郷中央会堂と呼ばれる日本基督教団の教会で、関東大震災で倒壊した旧木造教会を昭和4年に鉄筋コンクリート造りで再建したものです。周りにある高層ビルが少々無粋ですが、鐘楼を持つゴシック様式の姿は、周辺のビルにも負けない堂々たる存在感がありました。

 梅原猛氏によれば、神に崇められる人物というのは、権力者から抹殺された人物であり、菅原道真はその典型だそうです。時の権力者たちは、たたりを恐れ、鎮魂のために寺や神社を建て、怨霊の封じ込めを画策した結果ということです。亡霊や怨霊というと、なかなかその存在が信じがたいのですが、存在を完全に否定するための証明も難しいようにも思います。現在の科学技術で、その存在を認識できないだけかもしれないからです。携帯電話が大盛況の現代ですが、電磁波の発見からまだ100年ちょっとしかたっていません。マクスウェルが予言をした電磁波ですが、目に見えないものの存在を証明するのは大変なことであっただろうと思います。電気は目には見えず、電気によって引き起こされる現象から、その存在を認識します。このようなことから、電気分野の科学者のなかに、目には見えない霊の存在を証明しようとしている方々がおられるそうです。


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