世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

景観より利便性を優先して世界遺産の登録抹消を選んだドレスデンです(ドイツ)

2011-03-06 08:00:00 | 世界遺産
 モーツアルトの生誕の土地であり、映画サウンド・オブ・ミュージックの舞台でもある町がオーストリアのザルツブルグでしたが、そのモーツアルトが逗留して音楽会を開いた縁で19世紀にモーツアルト協会が結成されモーツアルトの泉がある都市がドレスデンです。この2つの都市は姉妹都市ともなっています。今回はドレスデン・エルベ渓谷として世界遺産に登録され、ザルツブルグと同様に、音楽の都としての顔も持つドイツのドレスデンを紹介します。

ドレスデン・エルベ渓谷としての世界遺産登録は2009年の会議で抹消され、再登録の可能性はありますが現在は世界遺産ではありません。抹消された理由は、交通渋滞の緩和のために計画された架橋が景観を害し、再三の建設中止の勧告にもよらず建設が強行されているためです。世界遺産リストからの抹消は2例目で、文化遺産としては初の抹消という不名誉な例となっています。同じドイツのケルンで、周辺の高層建築計画のために危機遺産に登録されたケルン大聖堂が、市の建築規制によって危機遺産から脱却したのとは対照的です。従って、今回は「世界遺産」のカテゴリーでの記事ですが、厳密には「世界の町並み」のカテゴリーに入れるべきかもしれません。

 ドレスデンは、ドイツの東端、少し東南に行くとチェコ国境という位置にあり、かつては東ドイツに属していました。第二次大戦で連合国側から集中爆撃を受けて、市街地の大部分は瓦礫の山になり、現在の建物群の大部分は戦後に復興されたものです。これらの建物群の中で、センパー・オーパーは、19世紀に建てられ、約30年後に火災に遭いましたが10年ほどで再建された州立の歌劇場です。しかしながら、この建物も連合軍の爆撃で瓦礫の山となり、再建されたのは戦後40年もたった1985年のことでした。ワグナーのタンホイザーやシュトラウスのサロメなど数多くのオペラの初演が行われた由緒正しき歌劇場なのです。この歌劇場専属のドレスデン・シュターツカペレは、東ドイツの政権下の時代にも西側の著名な指揮者が指揮台に立ち、数多くの録音がなされてレコードなどで西側にも知られたオーケストラで、東ドイツ時代を含め2度の来日をしています。

 
 ドレスデンの市街は中央部を流れるエルベ川で旧市街と新市街とに分断されており、このために交通渋滞緩和の橋が必要になったのでしょうが、このエルベ川が町の表情を多様化しているようにも思います。新市街といっても、町の歴史は旧市街よりも古いようで、15世紀の大火の後に、旧市街地区より早くに立ち上がったためその後に新市街と呼ばれるようになったようです。歴史的な建物群はセンパー・オーパーも含めて左岸の旧市街に集中していますが、町並みを歩いていると、これらの建物が復元されたものとは思えない重厚さを持っています。

 
カソリック旧宮廷教会の塔に上るとセンパー・オーパーをはじめオレンジ色の屋根が続く町並みを上から眺めると、瓦礫の山であった町並みは想像もつきません。

 
 このオレンジ色の町並みの中に白く丸いドームが目立つのが聖母教会です。この教会も第二次大戦で完全に焼損してしまい、市民は後の再建のために崩れ落ちた石を拾い集めて、番号を打って保存したのだそうです。再建は遅々として進まなかったのですが、ドイツ再統一後に加速し、破壊が起こった60年もたった2005年にようやくもとの姿に戻ったのです。立面図が十字架のような形の教会が多い中で、聖母教会はドームの作る空間を取り囲む方形をしています。ベルリンのジャンダルメン・マルクトにある2つの教会も同じような形をしているのは、このあたりの共通性でしょうか。
 さきのカソリック旧宮廷教会から聖母教会に向かう途中には「君主たちの行列」と呼ばれる陶板画が100mに渡って外壁にはめ込まれています。この陶板はドレスデンから近いマイセンで焼かれたもののようです。

 マイセンといえば、センパー・オーパーの隣にはツヴィンガー宮殿があり、その宮殿の一部が陶器博物館となっています。陶器博物館には、マイセン陶器を中心に、輸出された伊万里焼なども展示されています。
 
ツヴィンガー宮殿は、歴史的な建物の中でも重厚な建物の代表格で、中庭を囲む建物群はかなりの迫力があります。宮殿は陶器博物館に加えて、絵画館、武器館それに数学物理館という博物館として利用されています。絵画館には数多くのイタリアやオランダ絵画コレクションがあり、いくら時間があっても足らない感じがします。

 瓦礫の山から町を復興するのは、石造りの町並みゆえに元の材料を使っての再建が可能なのでしょうが、大変な労力であろうと思います。エジプトのアブシンベルでは、バラバラにする前に石に体系的な番号を付けて管理できたでしょうが、破壊されたものではジグソーパズルを解くような根気が必要であったでしょう。ポーランドのワルシャワでは、過去の写真や図、それに人々の記憶によって建物のひびまで再現したとのことで、怨念まで感じてしまいます。現在ではコンピュータによるCADやCGにより再現される町並みの設計図面や風景までも描くことができてずっと効率的に再生が可能なのでしょう。木と紙の日本の町並みでは元の材料による再現は原理的に不可能です。人間が作るものは、やがて滅びるものとするか、あくまで元の材料・形を死守するか、文化の違いを感じる差異かもしれません。


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