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世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

最後の城郭建築の園部城の城下町には古い町並みに混じって端正な教会堂がありました

2015-07-05 08:00:00 | 日本の町並み
 蒲生、知覧と薩摩藩の外城の紹介が続きましたが、薩摩では外城と呼ばれる小規模な城も、通常は陣屋と呼ばれるものの一つです。観光的には高山の陣屋が有名ですが、中には一国一城例の規定を逃れるために実質的な城を陣屋と呼んだこともあったようです。これらの中で、最後の城郭建築であったのが園部城ですが、今回はその城下町の園部を紹介します。

 園部は、京都市街の北西20kmほど、山陰線の各駅停車で45分ほどの距離にあり、10年ほど前に周辺の町と合併して南丹市の一部となっています。この南丹市は東京23区とほぼ同じ広さを持っていて、北部には茅葺屋根が数多く残る美山地区を含んでいます。

 城下町の元となった園部城は、1619年のその基礎が築かれ、幕末から明治にかけて京都の治安が悪くなってきたことから改築が始まり、明治2年の完成時に園部城と呼ばれるようになりました。ところが、その3年後には廃城令により、現在は園部高校の敷地の一部に巽櫓や櫓門などを残すのみです。古い町並みは、駅から北西方向に伸びる旧街道(山陰道)沿いに、白壁や格子の家並みが続きます。

 
 駅から町並みに歩いていく途中の右手、街道と園部川との間にロマネスクを思わせる教会の建物が出現します。これはカトリック丹波教会園部聖堂で、戦後に京都を中心に建てられたいくつかの教会の一つです。外観は中世の教会を思わせ端正な美しさがありますが、時間が無くて入れなかった内部もモザイク画などもあってなかなか見事だそうで、京都府の近代化遺産の一つになっています。

 
 
 
 
 さて、旧街道沿いの町ですが、商店街の中に古い商家が残るといった図式で、古い町並みという視点からは虫食い状態です。旧街道によく見られるように、道路は微妙にカーブをしていて、先の見通しは効きません。これがかえって、その先はどうなっているんだろう?といった期待感を持たせます、が、ここでは商店街の看板の乱立でがっかりさせられることも多かったようです。古い商家も現役のものが多いようでしたが、朽ちかけたものも家屋もあって、滅びの美学を感じるものもありました。

 園部城は幕末から明治にかけて急いで改築され、出来上がった時には京都の治安も収まって、挙句の果て廃城令で3年後には無用の長物になっています。いくら、重要なものや、完成度の高いものでも、必要な時期に間に合わなければ無価値となる例の一つではないでしょうか。IT分野などの研究開発において、いつも議論になったのは、時間をかけて完全なものを狙うのか、最短時間で最善のものとするか、といったものです。研究対象によって、どちらのやり方にするかは振れますが、両極端ということは無く、その中間で折り合いをつけることが多かったようです。今頃に高機能のアナログテレビを商品化をしても誰も買ってくれないでしょう、ただ、その開発過程で得られた技術は他に応用が利くのでしょうが。


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