シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

電車外の様子

2010-09-18 | 日常のできごと

朝の通勤は、高崎線で上野駅乗り換えなのだが、上野駅は上のホームと下のホームがあり、乗る電車によってどちらかになる。

乗り換え的には、上のホームの時は真ん中より少し前の車両、下のホームの時は先頭車両が望ましい。15両編成なので、けっこう重要。
ということで、先頭車両に乗ることもあるわけだ。

通常は立ちながら文庫本を読んでいるけれど、先頭車両の一番先頭に位置する時は、運転室越しに前方の景色を見ることができる。
この場合は、文庫本から前方の景色に目を移すことも多い。

やはり、横の景色と前の景色では大違いだ。横はすぐ建物。前は視界が広がっている。
これだけ地面が遠くまで見えることは、通常少ないからね~。地上の川面のようだな~などと思ったり。

今月の初旬の頃、進行方向の右隣の線路を宇都宮線が、左隣の線路には京浜東北線が逆走してきた(下り電車)。しかも、位置的には、ほぼ並んだ状態で向かってきて、左右同時にすれ違った!
「挟まれるー!」って思ったね。稀な経験をした。

また、先日初めて発見したことがある。「尾久」という駅を発車して緩やかに右に曲がった後しばらく真っすぐ進むのだが、その時(前を見たら)ちょうど真正面に「東京スカイツリー」が立っていた。

「立っていた」というよりも、かなり大きく見え「そびえていた」という感じだ。けっこう近いのだな~とね。

いつもいつも一番前の立ち位置を確保できるわけではないので、まだまだ新たな発見があるかもしれない。その位置にいる時にはなるべく前をみようと思う。・・・って、子供か!?

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電車内の様子

2010-09-17 | 日常のできごと

先週、朝の通勤電車内で2日続けて女性同士のいさかいを見た(聞いた)。チラッと見えた感じでは、両日とも、50代位の方と20代位の方だった。

そして、声を聞いたのは(文句を言い始めたのは)、どちらもオバちゃんからだった。「押さないでよ!」みたいな。
それに対して「混んでるからしかたないでしょ!」みたいな。
コワいわ~。

2~3週間(?)前は、ひどいのを見かけた。(なので覚えているのだが。)
先頭車両で、入口と壁の間に2人座れる席があり、座っている人の前には、入口側に60歳は超えているように見えるオバちゃん、壁側には20歳代のネエちゃんが立っていて。私は、ネエちゃんの後に立っていた。

ある駅に近付くにつれて、そのネエちゃんがじわりと入口側に身体を寄せ始めた。オバちゃんは押されまいとして踏ん張っていた。ネエちゃん、何で幅寄せしているんだろう?と。

まもなく次の駅に着いた。入口側に座っていた方が電車を降りようと立った。前にいたオバちゃんは少し体をよけてあげた。
すると・・・位置的には隣のネエちゃんが横から強引に座ったのだ!

直後・・・オバちゃん「私がとっていた席でしょ!」と声をあげながらネエチャンの右腕をつかみ、立たせ、そして・・・座った。

一瞬のことにあっけにとられていたら、入口脇で立っていたオジサマが「若いのにひどいことするね~」とオバちゃんに声をかけた・・・が、オバちゃんは無言だった。
ネエちゃんの行動はもちろんだが、他もね~何だかな~だな。

ちなみに、その次の駅で、壁側に座っていた方が降りてしまった。前にいたネエちゃんは、少し迷った(ように感じた)後…座った(オバちゃんの隣に)。お互い無言で横を向く事もなく・・・(見ていて)緊張したわ~。

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けやきひろば10周年

2010-09-16 | 日常のできごと

この前の日曜日、「さいたまスーパーアリーナ」の展示ホールに用があり、嫁さんと車で立ち寄った時のこと。
「けやきひろば」の下を歩いていたら「10周年」を知らせる小旗のようなものが柱等にかけてあるのに気付いた。

「けやきひろば」は、駅につながる2階の人工地盤上に埼玉県の木けやきが立ち並び、憩いの場になっている。イベントも多いし、TV撮影などでも使われている。

上に行き「けやきひろば」に出てみたら、屋台が出ていたり、大道芸の方、ビートルズのコピーバンド、それを聞きながらビールを飲んでいる方がたくさんいた。ケータイでカチャ!


10周年のイベントの一環かな?とも思っていたのだが、Webサイトをみたらそうでもないようだ。
この時は、私も飲みたかったね~車だからガマンしたけど…。

「けやきひろば」と「さいたまスーパーアリーナ」をつなぐ通路上には、ミストシャワーでモヤッテいた。人がきれたところでカチャ!

それにしても、「さいたまスーパーアリーナ」と「けやきひろば」が10周年!ということには、「まだ10年しか経っていなかった!?」という感じがした。私だけかな~。

ちなみに、2000年(平成12年)9月1日開館。こけら落しは9月3日に行われた国際バスケットボール大会「スーパードリームゲーム2000」初戦の日本VSスペイン戦。
コンサートのこけら落としは、9月10日に行われたV6のコンサートとか。

ミストシャワーを浴びた後、コミュニティーアリーナを窓越しに見降ろしたら、机が一面に並べられて・・・2級FP技能検定試験中だった。いろんなことしているのね。

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こんな鉄塔・・・!

2010-09-13 | 鉄塔

土曜日の午前中、隣町(隣の市)の大規模マンション付近でのこと。変わった鉄塔を発見した。(たまたま東西に見通しの良い場所で、鉄塔が目立っていたのでね。)

通常、よく見られるのは↓このような四角鉄塔だと思う。

この鉄塔から電線を追いながら「回れ右」・・・すると。
変わった鉄塔があった!

田舎の鉄塔から都会の鉄塔になったような、スリムで小洒落た鉄塔。それでいて強そうだ。通常の鉄塔を「ゴジラ」とするなら、これは「メカゴジラ」か。

しかし、↓この辺りは何をどうしたいのだろう?ゴツイわ~。通常タイプの方がスッキリしていないかな。

それにしても、何故この鉄塔だけが?
想像するに、この鉄塔は、大規模マンションの真横にあたる。そのため色を白系にし、形状も一見ゴツクないようにしたのではないかな?(環境調和鉄塔に近い形で)と思われる。

だとすると、東京電力が大規模マンションに気を使ったのか?…そんなことないな、M井不動産のゴリ押しと考えた方が通りがよさそうだ。
※あくまでも、個人的な偏見です。

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トンボがいきなり・・・!

2010-09-12 | 自然・環境とか

昨日の午前中、「大宮花の丘農林公苑」という所に少しだけ立ち寄った。
園内にはビオトープを目的とした池がある。
池沿いの歩道を歩きながら、右側のフヨウの花を見たり、左側の池で泳ぐ小魚の群れやトンボを見ていた時のこと。

道と池の間の枯れ枝にトンボがとまった。そ~っと近づくと…逃げない。普通なら逃げると思うけど何でだろう?取り急ぎパチリ!

間には生垣のような低木がじゃましているので、「どこまで近づけるか実験」はできなかった。それでも、左右に動いて見たり、腕を伸ばして撮ったりしていた。

しばらくすると、こちらの動きとは全く関係ないタイミングで、トンボは飛び立った。

一瞬視界から消えたが、すぐに、今度は先ほどの枯れ枝よりも左側の枝のあたりで行ったり来たりしている。その時に「オヤッ!?」と思った。腕に何かをかかえているのだ。

その後、枝にとまるやいなや抱えていたものを食べはじめた。恐る恐る近づいてパチリ!


犠牲になったのは、蛾の仲間(?)かな。どうやらトンボは、その大きな複眼で餌となる蛾を見つけ、飛び立ち、一瞬のうちに捕まえたようだ。スゴイね~。

食事中のせいか、近付いても動じない。正面にまわって撮ってみた。

ガツガツ食べる勢いもスゴイ。(正確に言うと口の動きがスゴイ。)
自然界の弱肉強食の一コマなのだが、トンボの食べ方には、ちょっとひくわ~。

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高麗の郷.3~将軍標

2010-09-11 | お出かけ

これには驚いた!高麗神社の駐車場と鳥居の間に、ド~ンと立っている。

何故人の顔?何故この形相?何故2対?○○将軍って?・・・何だ~こりゃぁ~だ。私だけでなく多くの日本人は知らないと思う。

これは『将軍標(しょうぐんひょう)、朝鮮語でチャングンピョとかチャンスン』と言われ、朝鮮半島の古い風習で、村の入り口に魔除けのために建てられているものだ。

形はトーテムポールだが、日本の道祖神と同じ目的なのですな。
ただ、道祖神は見た目おとなしいけど、こちらはかなりハデだ。

天下大将軍・地下女将軍と男女の標が対になっていて、基本的な形には石や木で人の顔を象徴的に形象化し、その胴体に名前を刻み付けてある。
その多くは、目が突き出ていて、大きな団子鼻、歯は出ていて、何故か帽子をかぶっている・・・。

「天下」「地下」の文字は、目に見える世界から見えない世界まで、全てを守ることを示しているそうだ。

現在の高麗神社の将軍標は、2005年10月、韓日国交正常化40周年を記念し、在日大韓民国民団埼玉県地方本部によって奉納されたもの。それ以前は、木製だったとか・・・?

ちなみに、将軍標は「聖天院」の入り口にもある。もう少し小さく、形相もおとなしいものだった。
また、直接見てはいないが、高麗駅の駅前にもあるそうだ。こちらは、木製で赤く塗られた大きなもの。他には、東京の日の出町にあるとか。

(参考までに)将軍標も様々な様相がある。こちらのサイトには現地の将軍標がたくさん載っている。
以上で「高麗の郷」は終わりにしておこう。

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工事用のライト

2010-09-10 | 日常のできごと

勤め先の近くで水道管工事をしていた。
驚いたのは、そのライト。これ↓。(ケータイ撮影)

ポールで支えているけど、シーリングライトの様ではあ~りませんか!

「投光機」とか「ハロゲン」とかのイメージとは全然違いますな。
そう考えていたら・・・、近年、このような工事現場の近くを通ったことが無いような気がする。
ひょっとしたら、これが当たり前のライトなのかな?私が知らないだけで・・・。

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高麗の郷.2~聖天院

2010-09-09 | お出かけ

高麗神社に近い山腹に『聖天院』がある。このお寺も高麗の郷を象徴するものだった。
(高麗神社のことを踏まえて読むとイイかも・・・。)

案内板によると「勝楽寺(寺号)は高麗王若光が亡くなったあと、侍念僧勝楽が若光の菩提を祈る為に751年に建立した。
若光の三男聖雲と孫が勝楽の遺志を継ぎ、若光の守護仏聖天尊(歓喜天)を本尊とした。
その後、開山以来の法相宗を真言宗に改宗、1580年には本尊を不動明王にした(聖天尊は別壇に祀った)。ということだ。

聖天尊を本尊として祀っていたことから、聖天院の名で広く知られている。
高麗神社と聖天院には、このようなつながりがあったわけだ。
といっても、訪れた時はそういうことを知らずに・・・。

この寺の門は、浅草のシンボルと同じ雷門だった。珍しい!?

ここから階段を上ると中門があり、拝観券(300円)をもとめる受付にもなっている。
庭園を巡って、さらに階段を上ると本堂となる。

この本堂は、総檜造りで2000年に落成した。中も綺麗だ。
入口の額には、山号である「高麗山」の名。

木造建築は美しい。

本堂正面の寺院名。

ここの銅鐘は、国指定重要文化財だった。

また、西側山腹には、在日韓民族無縁仏慰霊塔が新本堂と同時期に完成したようだ。

ちなみに、旧本堂は中門辺りにあったらしい。新本堂及び付随する工事などにより山容は一変したという。これはこれで、エライことである。

言い方が失礼になるかもしれないが、何もないような所に突然と(しかも立派な)、聖天院と高麗神社は出現する。驚いたね。

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2ヶ月で10kg減!?

2010-09-07 | 日常のできごと

事務所で私の席に近いIくん(20歳後半)は、ある時から横に大きくなり、体重は3桁に近くになった時もあるという。
6月の後半、Iくんは「2ヶ月で10kg痩せます!」と公言。「ウッソ~!無理じゃん」の声に「じゃあ、賭けましょう!」という。

そこまで言うならと(達成した時のお祝いにもなるし)数人がのってあげた。一人3,000円也。
6月末、自ら体重計を持ってきて計測『94kg』だった。

翌日からIくん曰く、朝食のみ普通に食べて、昼はサラダ程度、夜は食べない。お酒も飲まない。夜ジョギングする。という生活パターンを繰り返すようになった。
酒席に誘われた時は、ウーロン茶で過ごすという。

当初は、半信半疑だったが、1ヶ月後位には目標の5割達成。見た目も少し(気持)スマートになっていた。生活パターンも変えていないという。

そして、8月末の計測日。「見ててくださいね」と言いながら乗った体重計は『84kg』を若干ながら下回っていた。いや~たいしたものだ。早速掛金を払った。

ところが、その後、ある方から物言いがついた。どうやら、疲れた体重計は、立ち位置で目盛りが±1kg弱ブレるらしい。これでは、正確でない…ということになった。結局、3,000円は2,000円になった。

まぁ、それはともかく、身近でこれほどダイエットした方を知らないので、個人的には、Iくんの努力はエライものだと感心した。ホントにエライな~とね。できないよね~。


さて、その数日後(先週末)、解禁となったお酒がそれほど飲めない、とIくん、「どうやら風邪をひいた」と言っていた。この休み中病院に行ったらしいが、今日も「まだ、本調子でない」らしい。

それが、急にライフスタイルが変わったせいかどうか分からないけど、早く良くなってほしいものだ。貴方は、エライ。

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高麗の郷.1~高麗神社

2010-09-06 | お出かけ

(以前、高麗神社に立ち寄った時のことを「後で書こう」としていた…件。かなり間があいてしまった。)
「高麗」のことを知らなかったので、驚き、また感心した。どういうことかというと・・・

現在の埼玉県日高市と飯能市の一部は、昔々、高麗:こま(高句麗:こうくり)人の郷だった。
668年唐・新羅に滅ぼされた高句麗からの移民は、当時の駿河~下野など7カ国に移住していた。
716年、朝廷は各地に移住していた高句麗人(1799人)を武蔵国の一部であった当地に移し、高麗郡を設置したのが郷のはじまり。

高麗郡の首長として赴任してきたのが高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)で、未開の地を移民とともに開拓した。

その遺徳を偲びつくられた霊廟が、高麗神社のはじまり。つまり神社の御祭神は若光で、代々若光の子孫が宮司を務め、現在で60代目となる。

社殿に通じる鳥居と参道。

参道脇には、たくさんの献木があった。下の写真内だけでも在日大使や県知事、大臣に議員等々。

他の神社と違うな~と思っていたら、案内があった。浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが当社を参拝後相次いで総理大臣となったことから「出世明神」と広く知られるようになったらしい。近年でも政官財界からの参拝は多く、特に法曹界では最高裁判所長官や検事総長も…。献木が多いわけだ。

社殿手前の門の額には、「高句麗神社」とある。

社殿。

正面左側は小高い山。右側には大きな参集殿があった。

配置は↓。中心の左が社殿。

社殿と参集殿の間をぬけると、茅葺屋根の民家がある。代々神職を勤めている高麗家の住宅(昭和51年に解体修理済)。間口14.9m、奥行9.5m、総面積約37.5坪。
高麗式建築ではなく、江戸時代初期の民家建築を伝えている。国指定重要文化財でもある。

高麗の郷、高麗神社、高麗家、このような歴史があったんですね~。
(高麗の郷については、もう少し続きます。)

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