シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

長崎市:一泊旅。平和公園・浦上信徒・被爆遺構

2024-06-09 | お出かけ

ホテルの無料宿泊(素泊まり)ができるというイベントの案内を頂いたのが今年の2月。土曜・祝日泊やGW期間中は除く。場所は長崎市。せっかくなので参加することにした。
長崎には行ったことが無いので嬉しいが、旅費はかかる。羽田⇔長崎はLCCの就航が無いこと、ANAの場合、75日前で最大の早期割引があると知る。
そこで、早々に妻と相談のうえ、GWまではいろいろ予定もありそうなので、日程は5月24日(金)宿泊とした。
まずはホテルを確認し空いている部屋を予約した。航空券は一日の中で価格は異なるものの、一泊なので必然的に行きは早く、帰りは遅い便となり、往復一人26,000円ほどで予約できた。
万一、天候や用事で行けなくなったら、日程をずらすしかない・・・と思いながら。

天気予報は2週間前の段階で雨模様だった。雨でも楽しめる施設を探すかな~と思っていたが、徐々に予報は改善!晴れマークとなった。諸々の阻害要因もクリアし、はれて行けることになった(大袈裟)。

旅行の楽しみ方は、訪問地によっても違うだろうし、人それぞれで様々だ・・・。今回一泊の旅ではあるが「見聞を広げる」ことができたという点では大変満足している。原爆やキリシタン、近代産業化のことなど、文字通り「見て」「聞く」ことができた。



5月24日
(金)、最寄りの駅を朝6時過ぎの電車に乗り羽田空港へ。長崎空港に着いたのは10:20で、そこから空港バスで長崎市街に行くことができるのだが、行き方は2通りあり、昭和町経由の方に乗ると平和公園で降りれることが分かった。
そこで、まずは平和公園のバス停で下り、原爆落下中心地から見て回ることにした。

ここの上空約500mで原爆が炸裂した。標柱として黒御影石の碑が立てられている。


その横には、浦上天主堂遺壁が立っている。これは約500m離れた所にあった浦上天主堂の聖堂南側の壁の一部で1958年(昭和33年)にこの地に移築されたもの。


松山町防空壕跡。逃げ込んだ防空壕の中で、治療も受けられないまま、次々に・・・。


隣にあるエスカレーターで丘の上の平和公園に上る。「平和の泉」の碑文を読み、手を合わせる。


願いのゾーンにある「長崎の鐘」は、当地の軍需工場で働いていた人々の慰霊のためのモニュメント。


周囲には、平和を願うモニュメントなどが世界各国から多数(15ほど)寄贈されていた。
式典広場では、たくさんの修学旅行生が説明?を聞いていた。

平和記念像」は、1955年(昭和30年)に完成。像の高さ約9.7m。直近では2019年に修復(塗り直し)された。


平和記念像の左右には「折鶴の塔」があり、平和の願いをこめて折られ届けられた折り鶴を安置している。

 

次に「浦上教会(浦上天主堂)」へ向かう。徒歩約10分。
天主堂の見える丘から見る浦上教会。現在の建物は原爆投下後に再建されたもの。(↓ズーム 35mm換算で170mm)


入口左側のリレーフ「日本の信徒発見150周年記念『旅』殉教への門出」


浦上地域は、1584年頃からキリシタンの村だった。1865年に信徒発見。幕府の弾圧を受け、1868(明治元)年には「旅」と称した浦上村民総配流が明治政府により決定し、金沢以西の20藩に村民約3,400人が配流された。配流先の日々は、大変悲惨なものだった。1873年に弾圧が停止され帰村したものの、多くの信徒は生活すら出来ない状態だった。
その信徒達が真っ先に求めたのは、魂の拠りどころである天主堂。信徒達によって聖堂の建設に着手し、起工から30年後の1925年(大正14年)、資金難の苦労を乗り越え東洋一を誇るレンガ造りのロマネスク様式大聖堂が完成した。
しかし、そのわずか20年後の1945年、原爆により浦上教会は無惨にも少しの堂壁を残し壊滅、アンジェラスの鐘も鐘楼もろとも崩れ落た。(説明文等参考)

爆風で崩れた落ちた鐘楼左塔のドーム部分は、当時のまま残骸が保存されている(被爆遺構)。

 

ここから南側にある「山王神社」に向かう。徒歩約20分。
昼時なので店は無いものかとスマホで探していると、「どちらに行かれますか?」とおっちゃんが声をかけてくれた。聞くと、坂道を上がって下れば何かあるはずという。なかなかの上り下りだったが、飲食店は見つからず・・・。

大通りから参道に入り階段を上ると、山王神社二の鳥居:通称「一本柱鳥居」が立っていた(被爆遺構)。
鳥居は爆風で笠石がねじまげられ、爆心側の左半分が吹き飛ばされたものの奇跡的に右半分だけの一本柱の状態で残った。吹き飛ばされた左半分は、すぐ近くの道路に保存されている。


山王神社の境内入口にある2本のクスノキは、幹周り6.5mと8.6mの巨樹。
原爆の強烈な爆風と熱線により枝葉は吹き飛び、幹は上部で折れて黒焦げとなり、枯れ木同然になったが、2年程の後、奇跡的に再び新芽を芽吹き、人々を勇気づけた。


被爆を記憶している樹に直接触れ参拝する。ついでに生命力にあやかろうと願う。


なお、環境省の“残したい日本の音風景百選”の公募において、「山王神社境内の楠の葉ずれの音と其れを取り巻く周囲の方々の愛着」が高く評価され認定されている。

この後はバス停&ランチのため、「みらい長崎ココウォーク」という商業施設に入り、14時過ぎ、長崎で最初の食事は「つけ麺あごだし」という少し甘味のある濃厚な出汁のつけ麺だった。
朝から長かった~。〔つづく〕

 

コメント (6)
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