シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

長崎市:グラバー園~オランダ坂~新地中華街

2024-06-17 | お出かけ

二日目の5月25日(土)、ホテルを9時にチェックアウトし、グラバー坂を上り、大浦天主堂の前を通って、グラバー園に入る。ホテルに近いし、長崎初心者としては見ておくべきであろうと。


Mapを見ながら見て回るコースを考える。第1ゲートから入ったけど、今日の予定からすると第2ゲートから出たい。


まずは、国の重要文化財で世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産でもある旧グラバー住宅。1863年に建築された現存する日本最古の木造洋風建築。グラバーと息子の二代が暮らした。

グラバーは、日本でグラバー商会を設立し、近代的な技術を用いた修船場や石炭の採掘の開設に携わった。また、街中で記念碑を見たが、日本で最初に蒸気機関車を走らせたのもグラバーで、長崎でのこと。(営業運転というこでは、7年後の新橋~横浜)
室内は当時の様子が再現されている。

温室もあり、植物に囲まれた暮しをしていたという。
リンガーはイングランド出身で、来日したのは・・・何と21歳。そのことにも驚いた。


長崎のもう一つの世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つは前を通った大浦天主堂。何と!2つの世界遺産がお隣同士にあるわけだ。

旧ウォーカー住宅は、近くの元所在地から洋風の意匠を残す部分のみが移築された。

全ての旧宅は当時の写真などを参考にしていると思われるが、ここの室内は他に比べギュッとしたいた。


旧リンガー住宅は、1868年に建設。国の重要文化財。親子三代で暮らした。グラバー商会に招かれ、その後ホーム・リンガー商会を設立。戦時中に閉鎖したが、日本人従業員が北九州市門司で再開し社名を継いで現在にいたる・・・繋いでいるってスゴイ。

室内(応接室)の家具・調度品は重厚感あり。


旧オルト住宅(1865年に建設)も国の重要文化財だが、この時は保存修理工事中。
その先に、移築された旧スチイル記念学校がある。1887年に開校。その後、日本の私立学校としても使われた。1972年に市に寄贈され、当地に移築復原。


東京高商(一橋大)、神戸高商(神戸大)に次ぐ第三高商として1905年に設立された長崎高等商業学校(長崎大学経済学部の前身)の表門衛所を横目で見ながら、坂道を上へと進む。

旧三菱第2ドッグハウスは、1896年三菱造船所の第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎。1972年まで使用された後、移築された。
私が生まれた時代には現役だったわけだ。同じ時代に存在していたと思うと、環境の違いを改めて思い知らされる。


手前に展望できるところがあり、そこから遠方を望む。(画はズーム)
北側:赤茶色の屋根は、ミッション系の活水女子大学のキャンパス。その先の高層ビルは、前日にバスの車内で後ろにいたオバちゃんに教えてもらった市役所庁舎。


西側:昨日、夜景見学ツアーで上った稲佐山山頂展望台と電波塔が右上に、手前に「ジャイアント・カンチレバークレーン」がある。(電波塔はけっこう大きいな~と実感)


グラバー園を第2ゲートから出て、グラバースカイロード(斜行エレベーター)で斜面を下る。
大浦石橋通りを渡って、少し行くと長崎孔子廟中国歴代博物館の入口(だけ確認)。


その反対側には、素敵な銭湯。(事前に調べて入りたいと思っていたが、前夜は時間が合わなかった)


そして、目的にしていたオランダ坂。その昔、♪オランダ坂~で始まる河合夕子さんの「蝶々夫人のララバイ」を聞き、どんな所だろう、行ってみたいものだと思っていた。当日記でもとりあげたことがある。叶うものだな。


♪桜吹雪・・・の季節ではないけど、石畳の坂道は洋館と相まって異国情緒がある。
道路沿いには、東山手洋風住宅群や東山手甲十三番館など。眺めると、大浦天主堂や長崎孔子廟中国歴代博物館などが見渡せた。


坂を降りてからは、新地中華街へと足を運ぶ。せっかくなので、ちゃんぽんの店をWebで検索して入店。特製ちゃんぽんと炒飯を頼みシェアして頂く。特に今まで見たことが無い白濁したスープのちゃんぽんは美味だった。


(ホテルの近くに、ちゃんぽん発祥の店として知られる「四海樓」があったけど、食事時間と移動の時間が合わずパスした。)

食後は・・・〔つづく〕

 

コメント (7)
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