〔1月9日の北本自然観察公園散歩。その3〕公園周辺の記録。
●農事試験場畑作部址
公園駐車場の出入口近くに石碑がある。周りの草叢が刈られて露わになっていたので改めて眺めてみた。正面左に石碑、右に説明板がある。
説明板によると~この地には、畑作農業振興を目標に、昭和34年4月に農林水産省農事試験場畑作部と農業技術研究所生理遺伝部生理第二科が設置された。その後、昭和54年に12月には畑作研究センターとなり、茨城県の筑波研究学園都市に移転することに決定し、ここでの試験研究の幕を閉じた。日本の畑作農業の発展に大きく貢献した業績をたたえ、ゆかりの地に記念碑を建立することなった。
国の重要な機関があったというので驚いたが、今はその痕跡も無い。何故ここだったのだろう?石碑は竹林の林縁にあるが、実際はどこにあったのだろう?Webで検索すると、※北本デジタルアーカイブズのWebサイトが参考になった。
・北本の農業の特色 ―台地と谷津田ー 台地畑作と農事試験場畑作分場
・雑木林のあるまち > 公共施設他 > 旧農事試験場
Webサイトによると~そもそも日本の畑作地帯は北海道東部、関東、南九州の三地方で、これらの地方に畑地が卓越していたのは、どちらかというと水利条件の悪い広大な火山灰台地が分布していたためである。
農事試験場(畑作部門)としては、北海道畑作に関しては道東の帯広郊外、南九州畑作に関しては宮崎県都城市、そして関東畑作に関しては当時の北本宿村がそれぞれ選ばれた。
北本に関しては、鴻巣農事試験場本場が近くに設置され連携上便利であったことも理由にある。
首都圏整備に伴う官庁の移転計画の一環として、北本の畑作分場も鴻巣本場とともに筑波研究学園都市への移転計画が発表された際は、北本町、鴻巣市とも町ぐるみ、市ぐるみで反対運動を起こしたという。
跡地には北里研究所メディカルセンター病院ができ、現在に至っている。
うわべだけ読んだだけだが、筑波研究学園都市に移転吸収されたことは、地元にとってさぞかし無念なことだっただろう。
北里研究所メディカルセンターは、台地の方にあるので、谷津(谷戸)にある北本自然観察公園とは高低差があり、隣地(?)だが建物などは見えない。前回、農林省の境界杭で触れた「北里の森」は、メディカルセンターと公園の間にある。
●横田薬師堂下湧水
同園西側の桜堤通りの土手を越えると、南北に細長い駐車場(天神下公園駐車場)があり、さらに下ると(前々回、カワセミのいた)石屋下沼。この沼から北側に荒川ビオトープが広がっているはずなので、散策できる遊歩道があるのかどうか、駐車場の最も北側まで行ってみた。
すると、周りの竹藪が途切れたところに、下に降りる歩道があった・・・が、
3
下りるところ(入口)にたてられた説明板によると~この湧水群は市内で最も水量の豊富な湧水地。湧水の水源は雨水。地下に浸透した雨水は長い時間をかけて地層を巡り再び地面に噴出し、水温は年間を通して常に15℃前後。
市内には、湧水地が10か所ほど確認されており、いずれも豊かな動植物を育む源になっている。ここ横田下の湧水群の周囲はヤナギやハンノキが小さな林を形成し、コムラサキなどの蝶類をはじめ、サラサヤンマやオオアオイトトンボなどのトンボ類の貴重な生息地になっている。
湧水地?こんなところに!?・・・想定と異なるが、それはそれで見ておきたい。坂を下りてみた。
すると木道があり、小川が流れていた。その木道で湧水地の近くまで行くことができた。
湧水は数か所あり、集まって小川になっていた。
画像では分かり難いが、石の間から湧水が流れ出ている。
湧水でキレイに見えるが、周りの様子からも“飲んでみよう”という湧水ではないように思えた。それでも、この湧水によって生育できる動植物がいるのだろうから貴重な湧水だ。今後も永く続いてほしいものだ。
それにしても、北本市には湧水地が10か所ほどあることには、ちょっと驚いた。大宮台地と谷戸や河川などの地形によるのだろう。
他に訪れたことのある大宮台地の湧水地は、北本市内であれば「緑のトラスト保全第8号地(高尾宮岡の景観地)」。他所では、さいたま市「三貫清水」と川口市「興禅院の放生池」くらいか。