シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

お玉が池(桜が池)

2009-02-23 | 豆知識的な…

江戸時代の歴史小説を読んでいると、道場や塾の所在地として「お玉が池」の名前がよくでてくる。千葉周作の道場や佐久間象山の塾が有名なのかな(?)今の岩本町周辺なので日本橋にも近く、なにかと便利だったのだろうか?

たまたま、先週まで佐久間象山の文庫本を読んでいたのだが、今朝のTV番組でお玉が池の跡を紹介していてビックリした。
跡地の碑にある説明文には「この辺りに昔、お玉が池という池があり、江戸の始めには不忍池(上野にある)より大きかったといわれるが、徐々に埋め立てられ姿を消した。最初は桜が池と呼ばれていたが、ほとりにあった茶店のお玉が池に身を投げたとの古事から、お玉が池と呼ばれるようになった」ということが書かれている。

不忍池よりも大きい池があったことに、またビックリだ。どこにどんな大きさだったのか古地図でもないかなとカチャってみるが、なかなか期待した地図はない。
んで、やっと見つけた「江戸の原風景」には不忍池の他「千束池」や「小石川大池」が大きく描かれ、江戸湊から「日比谷入江」もあるが、お玉ヶ池は描かれていない。「江戸はこうして造られた」にはお玉が池がある。どういうこと?

千束池」は戦国時代に埋め立てられ開墾されたようだが、お玉が池は?・・・AKIKANのサイトによると「古地図を拡げて比較して見ると、1580(天正8)年頃には、旧石神井川に注ぐ巨大なお玉が池が、不忍池と大差ない大きさで描かれています。それから10年後には形を変えて残り、1606~7(慶長11~12)年の江戸・第一次天下普請の頃になると、完全に姿を消して跡形もありません。」とある。

だとすると、日比谷入江を埋めた頃と同時期にお玉が池も埋めたのかな?でも、お玉ヶ池が出現したのはいつなのだろう?分からないな~気になるな~。

コメント
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